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見えざる敵(一)
四月九日。正貴の死から五日経過した。
鑑識班の調査と法医学者の遺体解剖の結果、正貴の死についていくつか判明していた。
正貴を死に追いやった毒は、ビピリジニウム系の除草剤であった。
毒性が非常に強いので使用が厳格化されており、日本では1999年を最後に生産が中止されている。
「倉庫にこんな危険なブツが眠っていたとはな……」
郷島が苦い顔をした。
毒が特定された後、木条の屋敷に電話をかけて植草に心当たりが無いか聞いたところ、彼と田口で倉庫を調べ、奥に仕舞われていた件の除草剤を発見したのだ。
以前は一般家庭でも使用されていた危険過ぎる除草剤だが、自治体から使用を禁止されて数十年間、そのまま倉庫の奥で忘れ去られていた模様だ。
当然この危険物は警官によって回収されたが、容器から指紋が採取できなかった為、正貴を毒殺した犯人を追い詰める武器とはならなかった。
「しっかし巧妙な毒盛りだったっスね」
「ああ、気づいた時には既に手遅れだ」
毒液は料理に混入されていたのではなく、正貴が所持していた鼻炎用スプレーの容器に入れられていた。つまり無差別ではなく、正貴のみを狙った犯行だったのだ。
正貴が使用していた鼻炎薬は広く市販されている物なので、処方箋無しで誰でも簡単に入手できる。おまけにスプレー容器は単純な形状であるので、キャップ部分を外して中の薬と、毒の液体を交換するのに大して手間はかからない。
何年も前から発症していたので、正貴の花粉症は関係者の間に知れ渡っていた。犯人は予め、正貴の物と同じ薬の容器に毒を仕込み、隙を見て彼の物とすり替えたのだろう。
正貴は寝ずの番で屋敷に泊まり込んでいたのだから、その日屋敷に居た者ならば誰でも、薬をすり替えるチャンスに恵まれたはずだ。
「正貴さんは食事の前か最中に花粉症の症状が出て、何も知らずに鼻へ毒液をスプレーしてしまったんですね」
いつもと違う妙な味を感じただろう。しかしもう遅い。
アルコール飲料も毒の効果を促進した。体内に毒を自ら取り込んでしまった正貴は、為す術も無く苦しみ悶えて息を引き取ったのだ。
簡単に人が死んだ事実に凜々花は身震いした。
「犯人は非常に賢いです」
第二会議室で同じテーブルを囲む、鈴木が忌々しげに述べた。
「雪子の時は屋敷の刃物を凶器に使うわ、老人に一撃で致命傷を与えられずに何度も斬り付けるわで、行き当たりばったりな犯行だと推測しました。だから容疑者をつつけばすぐにボロを出すと思ったんです」
鈴木の読みは外れてしまった。正貴の殺害は計画的犯行だった。
いつ薬の容器をすり替えたか判らないから、アリバイで犯人を絞り込むことができない。捜査は難航していた。
「まんまとやられました。雪子の事件で警官が頻繁に出入りしているこの状況で、犯人が次の殺人をするとは予測していなかった……」
口調で鈴木の苛立ちが伝わってきた。凜々花とて同感だった。
(莫大な遺産を巡る新たな事件の予感はしておりましたが、こんな短期間で事を起こす輩が居たなんて。防げなかったことが口惜しいですぞ……!)
「同一人物による連続殺人事件なのでしょうか?」
目撃者が存在しなかったのが不思議なほどに大雑把な雪子の事件。単純な作業で大きな成果を出した正貴の事件。
「二つの事件はカラーがまるで違うと思うんです」
「そうですよね。雪子を殺した犯人と、正貴を殺した犯人は別だと考えた方が自然なのかもしれないですね。でもだとしたら、正貴殺しの犯人はどうしてわざわざ警察にマークされて、動きにくいこの時期を選んだでしょう?」
「グズグズしていたら花粉の時期が終わってしまうから、だから仕方なく急いだとかじゃ?」
「なるほど」
「それはそうとして」
いつも明るい道庭が渋い表情をしていた。
「犯人は正貴の薬を、いつすり替えればいいんスかね?」
言われて凜々花は思い返した。正貴は薬の容器をすぐ取り出せるように、自分のズボンのポケットに入れていた。
正貴に気づかれず容器に細工を施すには、彼が服を脱いだ時しかないだろう。
「入浴中とか、着替え中とか」
「それだとできるのは家族に限られますよね。今回は正貴が屋敷に一晩泊まったから、他の人にも殺害の機会が生まれたけど」
「あ、そうか。でも……」
郷島も考え込んだ。
「あの家族が、正貴を殺害したとは思えねぇなぁ」
父親は息子を自慢にしていたし、母親は息子の死に泣き崩れ、弟は兄に従順だった。
「正継一家や勝成一家は基本、法事や正月の時しか本家へ来ないそうです」
「薬をすり替える方法で殺害するには、正貴に屋敷に長く滞在してもらわないといけないから、今回は犯人にとって絶好の機会だった訳っスね。雪子サンが亡くなって、正貴が寝ずの番で屋敷に泊まることになって……」
(ん、寝ずの番……)
凜々花はふと疑問を持った。
「あの、正貴さんは寝ずの番にたまたま選ばれたんでしょうか?」
「違うよ」
答えたのは郷島。
「馬参道町では世帯主が亡くなった時、長子が寝ずの番に就くんだってさ。喪主になって連日忙しい配偶者を、夜くらい寝かせてあげようってことで」
郷島は凜々花よりも地域の風習についてよく知っていた。
「ということは、前当主の保正さんが亡くなった時は、雪子さんが喪主で、正継さんが寝ずの番をしたと?」
「だろうな」
「詳しいんですね先輩」
鑑識班の調査と法医学者の遺体解剖の結果、正貴の死についていくつか判明していた。
正貴を死に追いやった毒は、ビピリジニウム系の除草剤であった。
毒性が非常に強いので使用が厳格化されており、日本では1999年を最後に生産が中止されている。
「倉庫にこんな危険なブツが眠っていたとはな……」
郷島が苦い顔をした。
毒が特定された後、木条の屋敷に電話をかけて植草に心当たりが無いか聞いたところ、彼と田口で倉庫を調べ、奥に仕舞われていた件の除草剤を発見したのだ。
以前は一般家庭でも使用されていた危険過ぎる除草剤だが、自治体から使用を禁止されて数十年間、そのまま倉庫の奥で忘れ去られていた模様だ。
当然この危険物は警官によって回収されたが、容器から指紋が採取できなかった為、正貴を毒殺した犯人を追い詰める武器とはならなかった。
「しっかし巧妙な毒盛りだったっスね」
「ああ、気づいた時には既に手遅れだ」
毒液は料理に混入されていたのではなく、正貴が所持していた鼻炎用スプレーの容器に入れられていた。つまり無差別ではなく、正貴のみを狙った犯行だったのだ。
正貴が使用していた鼻炎薬は広く市販されている物なので、処方箋無しで誰でも簡単に入手できる。おまけにスプレー容器は単純な形状であるので、キャップ部分を外して中の薬と、毒の液体を交換するのに大して手間はかからない。
何年も前から発症していたので、正貴の花粉症は関係者の間に知れ渡っていた。犯人は予め、正貴の物と同じ薬の容器に毒を仕込み、隙を見て彼の物とすり替えたのだろう。
正貴は寝ずの番で屋敷に泊まり込んでいたのだから、その日屋敷に居た者ならば誰でも、薬をすり替えるチャンスに恵まれたはずだ。
「正貴さんは食事の前か最中に花粉症の症状が出て、何も知らずに鼻へ毒液をスプレーしてしまったんですね」
いつもと違う妙な味を感じただろう。しかしもう遅い。
アルコール飲料も毒の効果を促進した。体内に毒を自ら取り込んでしまった正貴は、為す術も無く苦しみ悶えて息を引き取ったのだ。
簡単に人が死んだ事実に凜々花は身震いした。
「犯人は非常に賢いです」
第二会議室で同じテーブルを囲む、鈴木が忌々しげに述べた。
「雪子の時は屋敷の刃物を凶器に使うわ、老人に一撃で致命傷を与えられずに何度も斬り付けるわで、行き当たりばったりな犯行だと推測しました。だから容疑者をつつけばすぐにボロを出すと思ったんです」
鈴木の読みは外れてしまった。正貴の殺害は計画的犯行だった。
いつ薬の容器をすり替えたか判らないから、アリバイで犯人を絞り込むことができない。捜査は難航していた。
「まんまとやられました。雪子の事件で警官が頻繁に出入りしているこの状況で、犯人が次の殺人をするとは予測していなかった……」
口調で鈴木の苛立ちが伝わってきた。凜々花とて同感だった。
(莫大な遺産を巡る新たな事件の予感はしておりましたが、こんな短期間で事を起こす輩が居たなんて。防げなかったことが口惜しいですぞ……!)
「同一人物による連続殺人事件なのでしょうか?」
目撃者が存在しなかったのが不思議なほどに大雑把な雪子の事件。単純な作業で大きな成果を出した正貴の事件。
「二つの事件はカラーがまるで違うと思うんです」
「そうですよね。雪子を殺した犯人と、正貴を殺した犯人は別だと考えた方が自然なのかもしれないですね。でもだとしたら、正貴殺しの犯人はどうしてわざわざ警察にマークされて、動きにくいこの時期を選んだでしょう?」
「グズグズしていたら花粉の時期が終わってしまうから、だから仕方なく急いだとかじゃ?」
「なるほど」
「それはそうとして」
いつも明るい道庭が渋い表情をしていた。
「犯人は正貴の薬を、いつすり替えればいいんスかね?」
言われて凜々花は思い返した。正貴は薬の容器をすぐ取り出せるように、自分のズボンのポケットに入れていた。
正貴に気づかれず容器に細工を施すには、彼が服を脱いだ時しかないだろう。
「入浴中とか、着替え中とか」
「それだとできるのは家族に限られますよね。今回は正貴が屋敷に一晩泊まったから、他の人にも殺害の機会が生まれたけど」
「あ、そうか。でも……」
郷島も考え込んだ。
「あの家族が、正貴を殺害したとは思えねぇなぁ」
父親は息子を自慢にしていたし、母親は息子の死に泣き崩れ、弟は兄に従順だった。
「正継一家や勝成一家は基本、法事や正月の時しか本家へ来ないそうです」
「薬をすり替える方法で殺害するには、正貴に屋敷に長く滞在してもらわないといけないから、今回は犯人にとって絶好の機会だった訳っスね。雪子サンが亡くなって、正貴が寝ずの番で屋敷に泊まることになって……」
(ん、寝ずの番……)
凜々花はふと疑問を持った。
「あの、正貴さんは寝ずの番にたまたま選ばれたんでしょうか?」
「違うよ」
答えたのは郷島。
「馬参道町では世帯主が亡くなった時、長子が寝ずの番に就くんだってさ。喪主になって連日忙しい配偶者を、夜くらい寝かせてあげようってことで」
郷島は凜々花よりも地域の風習についてよく知っていた。
「ということは、前当主の保正さんが亡くなった時は、雪子さんが喪主で、正継さんが寝ずの番をしたと?」
「だろうな」
「詳しいんですね先輩」
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