【本編完結】水曜日の迷いごと

咲月千日月

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第一夜 夜が深まって続く- ②

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 二人が定食屋に入ると、すでにビール片手に出来上がっているサラリーマンが大半で、占領された店内は騒がしかった。
 さっきまでとはまた違う異空間だ。その落差にクラクラする。 

 ぶつかりなりそうなくらいに大声で笑いながら身体を反らせている酔っぱらい達を避けながら、今日ばかりはそんな彼らに感慨深いものをなぜか感じてそれを横目に見つつ奥の方の席へ着いた。
 
「俺は、竜田揚げ定食! 舛森は?」
「芹沢、体重気にしてなかったっけ? 夜は軽めにしとけば?」
「今日はいいんだよ。ここのは、量が多くて好き。もう、腹減って死にそ~」

 言いながら大げさに腹を抱え込む。
 芹沢はずっとテニス部で、いかにも体育会系ですという均等な筋肉のついた体型をしている。この頃また体重が増えたと騒いでいた。受験生誰でも抱える悩みである。毎日座ってばかりで運動さえろくにしていないので、正直な体は養分を蓄えていくのだ。女子はいつもワーワーとこの事で騒いでいる。
 千紘も入学当時からすると、二キロ程増えていた。

「いや別に、芹沢がいいならいいけど」
「いい、いい。おばちゃん、竜田揚げ定食ね! ご飯大盛りで!」

 勢いよく芹沢は手を挙げ、声を張り上げる。

「はいよ! お兄さんは?」
「俺は鯖味噌煮定食。ご飯は少な目で」
「了解!」

 声を聞きつけて寄ってきた恰幅のいい女性に、大声で返事を返される。
 こちらも元気だ……。

「食欲ないのか?」
「うん。ちょっと」
「真夏が来る前に倒れるなよ。ただでさえ細っこいんだから、しっかり食え」
「これでも少し太ったんだ」
「それ、嫌味?」

 芹沢が顔をしかめる。表情が言葉に比例する正直なヤツだ。

「違うって」
「冗談だよ。…さっきさ、誘おうと思って一度覗いたんだ。舛森いなかったから、メシ行ったのかと思った」
「ああ……」

 そこで千紘は返事に窮する。また胸がもやもやとしてきた。

「一之瀬先生のとこ行ってたんだ。レポート提出しに」
「えっ? あれ? それ、昨日までじゃなかった?」
「そうなんだけど、ちょっと書き直してたら間に合わなくてさ」
「先生受取ってくれた? 期限切れはだめだって噂だけど」
「うん……なんとか」

 事情が事情だけに、何かズルをしているようで気が引ける。本来ならやはり受け取ってもらえない物なのだろう。

「へーっ。どんな魔法使ったんだよ? この前、風邪で寝込んでて二日過ぎて持ってったらダメだったって、谷本が半泣き状態だったぞ」

 なんだか雲行きが怪しくなってきた。これ以上突っ込まれても、気持ちの切り替えがまだうまくいってなくて上手に誤魔化せる気がしなかった。

「次の日だから、大丈夫だったんじゃない?」
「それも変な気がするけどな。例外許さなそうだしなぁ、あのセンセ」
「いや…頼み込んだんだ」
「ふーん。やっぱ舛森、成績いいからかな?」
「関係ないさ、そんなこと。芹沢だって、いいじゃん」
「俺は、企業内弁護士志望だからな。“心証”が大事」
「企業の人事部は、裁判官じゃないんだぞ」
「一緒じゃん。…決定権を、持ってる」
 
 法律用語の“心証”と掛けたのだ。頭の回るヤツだ。一般的な使い方と同じで、裁判官の内心を指す。

 確かに、人の評価は見えた物によるのだ。だから、よく見せたい。自分をよく思わせたいから、いい物を提供する必要がある。

「より真実に見えるモノ、人から欲しいと思わせられるモノ。どれだけ開示できたかが、鍵になる。一之瀬なら、人生イージーモードっぽいよな。だから厳しくても、イケんだよ」

(やっぱそう見えるよな…)

 でも千紘が見た一之瀬はだいぶ違っていた。
 軽く答えればいいのに、言葉が続かなくて何も言えなくなってしまう。
 その時、救世主が現れた。

「お待たせ!」

 膳が運ばれてきた。助かった。千紘はほっとした。

「こっちが竜田。こっちが鯖味噌」
「うまそ~!」

 さっきまでの会話なんてすっかり忘れ、竜田揚げを前にして無邪気に喜ぶ芹沢を、千紘は複雑な思いで見た。
 日常の何気ない会話なんてそんなものだ。消費されたらそこで終わり。でも、その中でもたまに心にひっかかるものもある。
 今の会話で、ますます千紘は食欲がなくなってしまった。

 一之瀬は今頃どうしているだろう? 別れ際の気丈な顔が浮かぶ。
 
「ごゆっくり」

 にっこり笑って、おばちゃん救世主は去って行った。

「いただきまーす」

 両手を合わせパチッと割り箸を割ると、さっそく芹沢は味噌汁を手に取る。
 千紘はゆっくりと割り箸を袋から引き抜いた。

「お先に」

 言うが早いか、芹沢はうまそうに味噌汁をすすった。続いて竜田揚げを頬張っている。

「食べないのか?」
「いや、食べるよ。いただきます」

 千紘は無理やり、ご飯を口に押し込んだ。

「そう言えば舛森は明日の個人面談、誰になった?」

 毎年前期中間試験が近づく夏前のこの時期に、学生に対し成績を元に勉強のアドバイスが行われる。どういう割り振りだかはわからないが、教授陣の研究室に時間を指定されて行くことになっていた。

「忘れてた。明日だっけ」

 答えて、鯖味噌に伸ばした千紘の箸が空中で止まった。

「俺……、一之瀬先生だ」

(そうだ、そうだった……)

 今日の明日で顔合わせるのかと思うと、やりづらいのではと不安ではある。こちらとしても考えると多少げんなりする。

「へー、いいじゃん。他大学だけど合格者だしまだ若いし、具体的に色々聞けるんじゃないか。いいよな」
「うん……」

 頷いてみたものの、本心では千紘は気が気ではなかった。

「俺なんて安達だせ。なに話せっていうんだよな?」

 芹沢は一方的に授業で話すだけの老教授の名を上げる。

「まぁな」
「だろ? 形だけの面談なんて時間の無駄だよな」
「……かわってほしいくらいだよ」

 思わず本音が千紘の口をつく。

「なんで? 一之瀬の方がいいじゃん」

 はっと我にかえって言い訳を探した。

「……安達先生の方が楽そうだから」
「それもそっかー。あんまり突っ込まれなくて、済みそうだしな」

 芹沢は屈託なく笑う。千紘の言葉の裏に隠された意味も知らず無邪気なものだ。
 心配ではある。でも顔は合わせづらい。
 なぜ一之瀬にこんなに縁があるんだろう、と落ち込む千紘だった。 

「てか、舛森。どうしたんだよ? ぜんぜん食ってないじゃん」
「……あ」

 指摘されて手元を見て、最初のひと口から全然箸をつけてないことに気付いた。

「やっぱ、変だ」
「…そんなことないよ。まぁ……」

 言い訳を懸命に探した。
 あんなに楽しみしていた竜田揚げを持った箸を止め、千紘の顔を見つめる芹沢の顔が目の前にある。

「あ…。明日、民事系演習あるからさ」
「ああ、あいつらか!」
「うん」
「また、やられそうだよな」


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