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第五日目に新たな姿を見る - ①
しおりを挟むエクスターンシップ、二日目が始まった。
昨日と違い、今日の空はご機嫌斜めな曇り空だった。
空中の雲量が九割越えれば曇り空だというけれど、ひとくちに曇り空といってもいろいろある。
今日は雲の量が多くて濃い色をしており高層ビルの屋上のすぐ上にまで降りてきて垂れ込めているような、雨がいつ降り出してもおかしくない空模様だ。
見上げると、なんとなく千紘も気分が重くなるようだった。
そのまま事務所へ出勤すると、あいまいな気分なんて吹き飛んでしまうような慌だたしい空気が流れていて、皆一様に忙しそうだった。千紘は、一気に現実に連れてこられた気分になった。
一之瀬は一番奥の方にあるミーティングルームに資料を持ち込み、朝から引きこもりっぱなしだった。安達に聞くと、一之瀬の裁判がある日はその内容によって一之瀬専用ルームになるとの事だった。
他の弁護士もそうやっていくつかある部屋に引き籠もるらしい。
昨日安達から、今日扱う罪条を聞いていたために、一之瀬の事が千紘は気がかりだった。
でも自分にできることは何もないので、気にしつつも昨日の続きに早速取り掛かった。
またパソコンとにらめっこだ。
「おはようさん」
唸っていたら突然耳慣れない言葉が聞こえて、初老の男が大きく右手を上げながら事務所に入ってきた。
背が低く薄いジャンパーを着込んだ、頭がシルバーグレーのどこにでもいるような冴えない感じのする男だ。でも時折見せる視線がやけに鋭い。
「ああ…関さん、いらっしゃい」
関に挨拶した男性事務員に呼ばれて、一之瀬がミーティングルームから出て来た。
一之瀬の姿を見るなり、関はニヤリとして少し得意そうに言った。
「先生、持って来ましたよ」
「そう? 出た?」
対して一之瀬は、いたって普段通りの落ち着いた表情だ。
「はい、飛び切りのいいヤツが」
「嬉しいな。どうぞ、中に入って」
二人で、一之瀬が出てきたミーティングルームにまた消えていった。
安達が後からお茶を入れて持って行く。
しばらく出てこなかったので、お茶出しにしては遅いなと、千紘は何となく気になって、部屋のドアにちらちら視線を投げて見ていた。
(誰だろう?)
千紘が考えていると、安達がお盆を抱えて出てきた。とっても嬉しそうな顔をしていた。
晴やかな表情が、やけに気になる。
ただの体験の学生が思うことではないのかもしれないが、ミーティングルームの中で秘密の共有が三人だけで行われたようで、なんだか面白くなかった。
千紘の胸に苦いものが走る。
「……どなたですか」
安達が席に戻ってきたところを捕まえて聞いてみた。
職員でもない自分が聞いてもいいのだろうかと思ったが、胸に微かに感じた違和感がどうしても抑えられなかった。
「情報屋よ」
「情報屋……?」
「そう、聞いてごとし読んでごとしの。気になる?」
お茶目な言い方をして得意げな顔をした安達に、我知らず食い気味に千紘は返事を返した。
「気になります」
「謎は、午後に解けるわよ。…さあ、続き続き」
「……?」
安達は勿体ぶった言い方をして、千紘を急かした。
心に余計に、今朝の空のような暗雲が垂れ込めたような感じがする。
「日が暮れちゃうわよ。…まあ、無理しなくてもできるところまででいいわよ」
「……はい」
千紘は疑問と不服な心を押さえ込んで、仕事に戻る。
安達がなにも教えてくれず、無理をしなくてもいいと言ったことで、千紘は却ってヤル気になった。
一之瀬は関が帰った後すぐに、地裁へ行ってきますと言い残して出掛けていった。見たことのない、緊張した面持ちの引き締まった顔で出て行ったのだった。
遠くからその表情を見ていて緊迫した空気感が伝わってきて、今日は昨日とまた違う顔が見えた気がし、こちらまでなぜか緊張した気分になった。
(いってらっしゃい。先生…がんばって)
千紘はあの日を思い出さないようにしてはいるものの、目の前で見て体験してしまったせいで、やっぱり一之瀬のことが気がかりだった。
でも一之瀬のことだ、出かけたということは、多分この裁判に臨んでも大丈夫なのだろうと、冷静になって思い直した。
弁護士にとって法廷は一番の戦場だ。
特に今日は刑事弁護なのだから、緊張顔は仕方がない。
もちろん、昨日のように出て行くときに、千紘に手を振ってもくれなかった。
実は心配しつつも、昨日のこともありほんの少し心のどこかで期待してしまった自分がいて、ちょっと恥ずかしくなった。
人間は矛盾した生き物なのだと、改めてしみじみ思う。
気を取り直して仕事に戻る。
安達は気にしなくていいと言っていたけれど、やれるところまではきちんとやりたい。
本当はちゃんと最後までやりたいのだ。
でもやはり、無理だった。
「舛森君。そろそろ早お昼をしてから、出る準備できる?」
昼が近づきタイムリミットが迫る。
今日はお昼を持って来るように、あらかじめ言われていた。
「切りがついたら、食べて出掛けましょう」
「はい」
安達に頷くと、千紘は少しだけでも進めようと抗って、パソコンにまた向き直った。
東京地方裁判所、二〇七号法廷。
傍聴人席のドアから、安達に続き中に入る。後ろから芹沢が来て、隣に腰掛けた。
お昼を食べたあとに安達と地下鉄でやってきた法廷は、思っていたよりも狭かった。
傍聴席とは木の低い柵で区切られている。厳格な雰囲気があって、声を出すのも躊躇われる感じだ。
奥の高くなっている壇上の真ん中正面に、裁判官が座っている。その前には一段下がり書記官がこちら側を向いて座っていて、左側は検察官、右側は被告人がいた。裁判官の出入り口に男性と女性二人が腰かけていた。多分、司法修習生だろう。
そして被告人の後ろの弁護人席に一之瀬が、今年入ったという若手弁護士の藤木と並んで腰掛けていた。
一之瀬の姿を見ると、思わず千紘は一之瀬を凝視してしまった。
本当に弁護士なんだなぁと思う。当たり前のことだけれど…。
毎週会っている人が柵の向こう側にいるのは不思議な感じだ。舞台の上に立っている人を見ているようだった。
弁護士顔の一之瀬が発するオーラからなのか、法廷という特殊な場所の所為なのか、一之瀬が遠い存在に感じる。
端正な顔が彫刻のように感じられて、余計に現実感がない。
被告人はまだ若い。三十前後といったところだろうか。ちょっと弱気な感じだか、やつれた様がやたらと母性本能をくすぐるようなタイプに思えた。
そんなことを考えていたら、冒頭手続が始まった。
裁判の最初に行うもので、被告人が本人かどうか、どのような罪で起訴されたかなどの確認を行う。
被告人の行方を決める裁判が幕を開けるのだ。
被告人は二十九歳、設計事務所に勤務しているらしい。人定質問に続いて起訴状の朗読、黙秘権の告知等がなされ、罪状認否が行われた。
驚いたことに、一之瀬は被告人の無罪を主張していた。
痴漢事件は被害者の心情の考慮もあるし、加害者の社会的立場もあるから大抵は示談で済まされると聞く。
なので千紘は意外に思った。しかし法廷に持ち込むくらいなら、当然の主張なのかもしれないとも思い直した。
(でも、無罪って……)
どうやって主張立証するのだろう? 当人同士しかわからないようなこと。
不安を抱えつつ、展開して行く法廷に、いつしか千紘は夢中になっていた。
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