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夢で目覚めた第六日目 - ②
しおりを挟む「「ただいま戻りました」」
柳田と企業回りを終えて事務所に一緒に帰って来ると、ちょうどお昼どきで、まばらにしか事務所に人がいなかった。芹沢もいない。
その中で、一之瀬がいるのが見えた。
「じゃあ、安達さんに次の段取りを聞いてね。お疲れ様」
隣に立つ柳田に声を掛けられるが、クローズアップされるがごとくに目に飛び込んできた一之瀬の姿が、目に焼き付いてちらちら揺れる。
(おっと…)
まずは柳田の対応だ。しっかりしなければ。
「お疲れ様でした。……お昼、ごちそうさまでした。おいしかったです」
柳田に向き直り、千紘はなんとか自分を立て直してお礼を述べた。
蕎麦屋で天丼を奢ってもらったのだ。大きな海老が二本メインで乗っかっていた。
天ぷらを揚げるのか上手な蕎麦屋で、タレの絡まった衣の具合が良くおいしかった。
「ぜんぜん。こちらこそ、褒めてもらって、久しぶりに嬉しかったよ」
「いいえ。本心ですから。……本当に勉強になりました。ありがとうございました」
深く頭を下げた千紘に、柳田がこちらこそありがとう勉強がんばってねと、目尻にしわを寄せ大柄のわりにはかわいい感じのする上機嫌の笑顔を浮かべて席へ戻っていった。
言われた通りにフロアを見渡して、千紘は安達を探す。指示を貰おうと思った安達は見当たらなかった。
ならば、と思い立つ。
(よし。今のうちに)
一之瀬がいつ出かけてしまうかわからない。
鞄からクリアファイルごと答案を抜き出すと、千紘は胸に抱えて持った。
なぜかそれだけで緊張する。朝の感覚を思い出して、一之瀬が知るはずもないのに、気恥ずかしさと罪悪感が生まれる。心臓がまた、早鐘を打つように鳴る。
それでも自分を励まして何でもないふりをして、答案を持って慎重に一之瀬の席へ向かった。口から心臓が飛び出そうだった。
落ち着け、俺。そう言い聞かせながら、少しずつ近づいた。
千紘が一之瀬のすぐ側、斜め後ろに来たときに、気配がしたのか一之瀬が振り返った。
そして千紘を認めて、満面の笑顔になった。
「舛森君。お帰り」
「ただいま戻りました」
一之瀬にしては珍しい、咲き誇る花のような笑顔で声を掛けられて、途端に千紘の肩の力が抜けた。思わず見惚れてしまう。
「どうだった? 柳田先生との企業回り」
「……はい。とても勉強になりました」
うわの空のまま、柳田に伝えたことと同じように答えると、一之瀬はそうだろうよかったねと言うように、笑顔で頷いて続けた。
「先生ご指名のところは多いからね。目の前で経験豊富な弁護士を見られるのはいい体験だ」
「僕も、そう思いました。もう、対応が…違うんです。先方の、目の輝き方が。頼りにされていらっしゃるんだなあと感じました。受け答えも…当たり前ですが、僕にはとても思いつかないものばかりで……」
思い出した千紘は、自然と目を輝かせて一之瀬相手に我知らず力説を始めていた。
笑顔で聞き始めた一之瀬だったが、途中から周りに気づかれない程度に目がほんの少しだけ据わってきて、奥の瞳が光った。
「……なんだか、……妬けるな」
「……えっ…?」
ポツリと呟くように、普段より低くて小さな声の一之瀬からとても意外な言葉を聞いた気がして、千紘は驚き戸惑う。
「……私についてきてもらえばよかった。それなら、その称賛は私のものだったのに」
そう不服そうに言われ、一之瀬に真っ直ぐ強い瞳で見つめられた。
(称賛って……ずいぶんと大げさな…そんなつもりじゃないのに)
千紘は驚いて返答に窮する。
そんなふうに人を揶揄う上級バージョンの一之瀬なんて、見たことも対応したこともなかった。
千紘の顔はすぐに真っ赤になり、しどろもどろになった。
「えっ…! 先生は…昨日でじゅうぶ……ん。…いえ。…先生のことは、前からとても…尊敬しています……」
一之瀬の意外性の供給過多が過ぎる。
昨日は昨日で、あんなにカッコいいところを見せておいて……。
こっちはそのせいで一之瀬の夢を見て、今朝気まずい思いをしたばかりだっていうのに。
(今日もか……!)
一方で一之瀬は、千紘の慌てぶりを観察しながら、その答えを引き出せてとても満足そうだった。珍しくニヤニヤしている。こんな顔は、学校では決して見られないだろう。
「柳田先生よりも……心酔していると?」
「も…ちろん、です!」
「それは嬉しいな。どういうところを?」
なんて意地悪なんだろう。ホームグラウンドに帰ると、こんなに自由奔放になる人だったのか。
「そ、それは……」
自分だってわからない。まだ一之瀬が掴みきれていないのだから。
一般的な返答を返せばいいのに、その質問で違う返答も出てきてしまいそうになって、自分の中がかき混ぜられて嵐が来たようになった。
千紘は心底困り果ててしまって、クリアファイルを胸に強く抱きしめ俯いた。
「舛森君。お帰りなさい」
この場の空気感にそぐわない明るい声をかけられて、救世主の登場かと縋るように振り向くと、心配そうな顔の安達がいた。
振り返った千紘を見て、いつもと違うと確信したようだ。
「……どうしたの? 何かあった?」
千紘の赤い顔と縮こまった様子を見て、安達はますます心配顔になり、なにがあったのか怪訝な表情を隠せない顔をしている。
「いえ……」
「なにか困っているみたいだったから」
「…大丈夫です」
千紘は思わず一之瀬を見た。
何と答えればいいのだろう?
助けを求められた一之瀬は、またも満足そうに静かに笑うと、安達に向って千紘の代わりに答えた。
「今日で…癒やしがなくなってしまう、と話していたところだよ」
安達はああ…と、得心した顔になって頷いて、一之瀬に文句を言った。
「先生はこれからも毎週、舛森君に会えるじゃないですか~! 私の方が、どこに癒やしを求めたらいいんですか? って、感じです」
「…確かにな」
安達の身ぶり手ぶり交じりの反論に、一之瀬が苦笑して提案した。
「おじい様に、頼んでみたら?」
「そんなの無理だって、わかってますよね? 大体なにをしに、大学院へ行けって言うんです?」
「舛森君に……会いに?」
「一之瀬先生、からかってます?」
食ってかかるような安達に、はははと一之瀬が楽しそうに笑った。
「……?」
千紘が不思議そうにふたりの会話を聞いていると、一之瀬が千紘を見て言った。
「"安達"っていう苗字に、ローで聞き覚えはない?」
安達…? 同学年にはいない。
……いや、でも最近その名前を確かに聞いた。
誰からだっだっけ?
…そうだ、芹沢からだ。
(あっ!)
「安達教授…」
思い当たった。
「祖父が、お世話になってます」
「いえ、こちら…こそ…?」
笑顔で安達に挨拶され、千紘は釣られて引きつり笑顔で驚きながらも応えた。
「会う口実は、いくらでもつけられそうだろう?」
「公私混同はよくありませんよ。先生」
一之瀬が笑いを堪えて言うと、安達がすかさず注意をする。
「まぁ…とりあえずは、また土曜日に会えます」
安達が千紘に向き直って、ドヤ顔になって言った。
「土曜日の残業の件、重村先生にオーケーとれたわよ」
「本当ですか?」
嬉しくなって声が弾んでしまった。
「うん。先生褒めてたらしいわよ~。将来有望ね。楽しみ、楽しみ。前に言った通り、土曜日は私もいるからね。心配しないでね」
「わがまま言ってしまって、申し訳ありません…。ありがとうございます」
千紘はファイルを抱えたまま、深く頭を下げた。
「いいのよ。ところで…その胸元のファイルは?」
「あっ! 一之瀬先生に……」
思い出したように一之瀬の顔を見た。
それを聞いた一之瀬は、もう余裕そうな准教授の顔になって頷く。さすが変わり身がすごい。
「ちゃんと持ってきたんだね。偉い、偉い」
子供をあやすように言われた。
せっかくいい印象を持ったばかりなのに。
「六通入ってます」
千紘は一之瀬に答案を渡しながら、自分の声音で、子供扱いされて少しムキになった自分に気づいた。
「一回目の課題、全部やってきたの?」
「はい」
「へぇ~、期限まで間があるから多めに出しておいたのに」
「そうだと思ってました。試験前の提出を避けていただいたので、逆に十分に時間はありましたから」
「すごいね」
褒め言葉をもらって、千紘もやっと少し認められたようで満足した。
「何ですか? 論文の答案?」
二人のやり取りを聞いて、安達が聞いてきた。
「そう。課題を出したのを持ってきてくれたんだ」
「えっ…。……舛森君、本当に倒れないでね」
安達はまた心配そうな顔になった。
「大丈夫です」
「そろそろ城井先生と出掛ける時間だから、準備してね」
「はい。一之瀬先生、それでは失礼します。よろしくお願いします」
「確かに受け取ったよ」
もうすっかり准教授の顔に戻ってしまった一之瀬に、お願いの挨拶をした千紘は、もう少し話していたかったなと名残惜しくて、後ろ髪を引かれる思いで安達についてその場を離れた。
席に戻る前に一度振り向くと、それに気づいた一之瀬が肩の付近まで右手を挙げて小さく笑顔で手を振った。
(なん…っ! ……あ~もう、またそれ! 反則すぎだろ……)
その仕草を見た千紘は、顔をまた赤くして軽く会釈を返すと、そそくさと顔を前に向けて戻し息を整えた。
持つかな、俺の心臓…。
これからのことを考えると、ちらっと不安が胸をよぎった。
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