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夢で目覚めた第六日目 - ①
しおりを挟む決意した……そう思って、事務所に戻ってパソコンへ向かい合ったが、集中できない。ちゃんと決めたはずなのに、思ったように動いてくれない頭と心に千紘は苛立つ。
(どうしちゃんだんだ? ……俺)
一之瀬のことが、頭から離れない。
先ほどの法廷での厳しい横顔と、たまに千紘に見せる笑顔。それが交互に浮かんでは消えるの繰り返しだった。
そして、先ほどの勇姿と穏やかな笑顔を思い出し、研究室でのことまで遡ってまた思い出す。
思えば一之瀬の色々な表情を、ここ数日間の間にどれほど垣間見たことか。
(どれが素顔に近い…先生の顔、なんだろう?)
どんな毎日を送っているのだろう。どんな部屋に住んでいるのか、好きなものは何なのか。もっと知りたい、一之瀬のことが、表情が。考えていることが。
千紘は気付くと、そう願っていた。
(うわ……俺ヤバい、ストーカーっぽい? なんか…知りたいって、女の子みたいなこと考えてる……?)
年上の、しかも自分が教えてもらっている先生である男性に、普通は思うことではないことを自然と考えている自分に思い至って、その感情がまるで漫画の恋する乙女のような思考回路だと気づきかけると、千紘は一人赤くなり自分でも知らぬうちに頬を両手で押さえた。
押さえた頬が熱かったので、自分が赤くなっているのだと知る。
(いやいや、これはそんなんじゃない。どうしたらああなれるか思っただけで……そう、背の高い人を見てどうやったら身長が伸ばせるのか、その人の日常生活を知りたいっていう…なにを食べてるのか、っていうアレだ! 女の子なら、胸が大きい人を見て……)
「どう? はかどってる?」
安達に突然後ろから声を掛けられ、ぐるぐると頭の中で押し問答をしていた千紘は座ったまま跳ね上がった。
「安達さんっ!?」
勢いよく上半身ごと振り返ると、安達が千紘の分のコーヒーも持って立っていた。
「どうしたの? 飛び上がってびっくりして」
「なんでもないです!」
千紘はまだ自分の顔が赤いような気がして、手のひらで頬を隠したまま返事をした。
安達がはいどうぞと、千紘のデスクにコーヒーを置きながら聞いた。
「ない様には見えないわ。顔が、真っ赤よ。もしかして…無理してる?」
(やっぱり、赤いんだ…!)
ありがとうございますと頭を下げて言いつつ、自分の顔をぺたぺたと手であちこち押さえる。我ながら、挙動不審になってしまっている自覚が芽生えてきた。
「大丈夫です! なんでもありません!」
慌てて先ほどの自分の思考までも一緒に打ち消すように、最後はあごの下の首付近に手のひらを移して、頸動脈を冷やしながら否定する。
そんな千紘を心配そうな顔で見て、コーヒーじゃない方がよかったかなぁと、安達は呟きつつ言った。
運動直後でもないのに、よほどの赤い顔だったのだろう。
「風邪気味とか、熱があるとか、遠慮なく言うのよ」
「ありがとうございます」
「いいのよ。今日は早めに切り上げて帰りなさいね」
「はい…そうします」
言われたとおり早めに切り上げて帰っても、千紘の興奮は冷めなかった。自分の感情はどうかしてしまったのだろうか。
もちろん、勉強は手につかない。択一だけでも軽く解こうと机に向かうが、結果は一緒。
一之瀬が、心から離れなかった。
何をしていても集中できず、一之瀬に思考が支配されていく。法廷から帰ってきたその時の乱れた心のままに。
食事もお風呂もテレビも上の空。まるで現実感がない異空間に漂いながら生活をこなしている気がした。
そして夜、夢を見た。一之瀬の夢だった。
次の日の早朝、千紘は飛び上がって起きると掛け布団をはね除けた。そして股間を確認した。
(大丈夫……っぽい?)
出してはいないようだ。
胸をなで下ろすのと同時に、罪悪感が湧き上がってきた。
内容は忘れてしまったが、夢に一之瀬が出てきたのは覚えていた。それも起き上がるのと同時に股間を確認しなければと思わされるような夢を見た。あの勇姿を見た後だっていうのに。
「なにやってるんだろうな……俺」
片手で額を隠すように押さえ、千紘はため息をついた。
気持ちの感覚だけが夢の余韻でふわふわしていてまだ夢に引き摺られ、かすかな幸福感に支配されている。現実との境目がぼんやりしているようだった。
現実の自分の気持ちはよくわからない。ただ心地が良かった。
(今日は、最終日なのに…なぁ……)
事務所での一之瀬の姿は見納めになる。エクスターンシップが三日しかないのは短すぎる気がした。
千紘の大学院ではエクスターンシップは単位が貰えない。純粋な実務体験として扱われているからだ。学校によってはがっちり日数をかけて行い、単位修得できるところもある。
千紘は夢うつつの感覚のまま、今日も会えるといいなと考えつつ、このままの気分では恥ずかしくて会えないとも思う。
「朝からバグってるな」
そう呟くと、シャワーを浴びるために千紘はベットから出た。せめてもの禊だ。
夢の中にも登場するほど、一之瀬は千紘の心をいつの間にか占領していた。
それを思い知らされた朝だった。
「おはよう、舛森君。今日はこれから、柳田先生と企業回りよ」
安達にミーティングの後、早速声をかけられる。三日目ともなると、いつもの日常だ。
「あっ、はい」
「午後は、城井先生と地裁で民事。事務所に帰ったら、法律相談についてもらうことになってるわ」
「はい。わかりました」
返事をしつつ、気になっていた事があった。初日からの課題だ。争点整理の途中だった。あと、ボイスレコーダーがした文字起こしの訂正を、聞きながらしたかった。陳述書はほぼ出来上がっていたが、最後の形作りと仕上げもやりたかった。
「あの…安達さん、頼まれた物を最後までやりたいんですけど……」
千紘は思い切っておそるおそる安達にお伺いを立てる。
安達は難しそうな顔をして聞いていた。
「うーん、そうだなぁ」
「今日は…もう無理ですよね?」
「うん。予定詰まっちゃってるからね」
「……今度の土曜日、来ちゃだめですか?」
講義のない日だったら来れる。
「だめってことはないけど。私は交代制の出勤日で来てるから」
「お願いします」
千紘は頭を下げた。その熱意に負けたのか、安達が折れた。
「じゃあ、重村先生に聞いてみるわ。そのうち電話が入ると思うから」
「よろしくお願いします」
「外出の準備をしておいてね」
言い残すと安達は書類を抱えて、奥のミーティングルームへ急いで行ってしまった。
重村は第一印象も想像とは違ったが、所長という印象からも違ったのは、自ら率先して動いているということだった。彼が一番事務所にはいないことが多いという。今日は浜松まで出張だ。
そして今日は、珍しいことに朝からずっと一之瀬がおとなしく席にいた。
こういう日に限って、外出が多いのかぁ…。
(あ~あ…)
タイミング悪いなぁと思っていたら、思い当たった。
今日は水曜日。本来なら、大学院にいるはずなのだ。だから、予定があまり入ってないのだろう。
そして、封筒の中身に書かれていた答案の第一回目の提出日でもあった。
答案は持ってきていたが、今渡しに行っても大丈夫なのだろうか? 今日が提出日ということは、一之瀬は事務所での直接提出を見越していたはずだ。
鞄を開けようとちょうど手をかけた時に呼ばれた。
「舛森君、そろそろ出るよ」
柳田だった。
「はい。今行きます」
大柄の柳田は声まで大きい。しかも低く響く声だ。千紘は負けないように大きな声で、一之瀬の反対側にいる柳田に振り返って返事をして応えた。
向き直って一之瀬の方を見ると、一之瀬は真剣な顔でパソコンでなにやら作業をしている。集中している顔も初めて見る顔だ。
(かっこいいなぁ……)
かっこいい? 今、そう思った?
いやいや…仕事をしている姿は、どの男もかっこいいものだ。
思考を振り切るように首を振ると、一之瀬には帰ってきたら渡そうと思い直し、千紘は鞄を持って柳田のもとへ向かった。
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