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第七日目に動き出す - ②
しおりを挟む「舛森君、お疲れ様。よく頑張ってくれたね」
一之瀬の言葉が、素直に心に染み入る。
その言葉を合図に、三人で生ビールのグラスを鳴らした。
約束通り、一之瀬が千紘と安達を仕事の後に食事に連れて来てくれた。
紺色の布が入り口にかかっている半個室の席は、広くもなく狭くもなくちょうどよい広さで、向かいあった一之瀬の声が聞き取りやすく会話もしやすい距離感だった。
「本当、偉い!」
千紘の隣に座る安達が勢いよく、一之瀬に追随して褒める。
「ありがとうございます」
千紘は二人から続けてねぎらいの言葉と褒め言葉をいただいてはにかみ、それを隠すかのようにぐいっと大きくグラスを傾けた。
「おおっ、頼もしい。お酒弱いんじゃなかったっけ? 大丈夫?」
安達が心配そうに、千紘の顔を覗き込んだ。
一之瀬の前で、そんな情けないことを言わないで欲しい。
千紘はムキになって余計にグラスを傾けた。
「……大丈夫です」
「そうなのか? あまり無理をするなよ」
一之瀬にまで心配される。
ビールの泡のように消えてなくなるか、穴があったら入りたい心境だ。
「はい。わかってます」
知らずに強気な口調になる。自分は本当に子供だなと思うが仕方がない。
食事はどこに行くかの話になって、結局事務所の皆の行きつけの和風ダイニングになった。安達がちゃちゃっと素早く予約を入れてくれた。
そこの店内は黒を基調としていて少し暗く落ち着きのある良さがあり、古民家の廃材のような太くて湾曲したりしている黒蜜がかったようなツヤの出ている味のある柱が店内中に張り巡らされていて、それを中心に間接照明で店内が上品に照らされ、入り口には生花を大きく飾ってライトを当てて演出してあったりして、暖かいのに上品な雰囲気の良い店だった。
千紘には一之瀬が行くという店がわかって嬉しかったし、一緒に来られて舞い上がるような気もした。
とりあえずビールとお通しで乾杯したので、注文はこれからだ。一之瀬は何が好きかということにも興味があった。
「先生は何になさいますか。まずはいつもの、本日のお刺身と根菜サラダと、串焼きセットとかにしますか」
安達がかいがいしく聞く。
「うん、そうだね」
一之瀬は結構同じものを好んで食べるらしい。他にも、凝った名前のおいしそうなメニューはたくさんあるのに目を通さず、言われるがまま安達に任せきりだ。
「舛森君、遠慮せずにたくさん食べなさい。好きなものを注文するといいよ」
一之瀬はにこやかで嬉しそうな顔をしていた。
その穏やかな顔を見て、そんな楽しみにするほどにここの食べ物は美味しいのだろうかと、千紘は思う。
「先生が食べるものは、いつも決まっている感じですか? お好きなものが決まっているとか…」
「まぁ、おいしいものならなんでも好きかな。みんなで来る時は、任せてしまうんだ。安達君もそうだが、女性の方が厳しい目でおいしいものを探り当てる」
それを聞くと、安達が満面の笑顔になった。
「さすがです~。わかってらっしゃいます。ということで、私は遠慮はしません」
手を上げて安達が宣誓をした。
安達の元気さに、千紘は押されっぱなしだ。
「安達さん……」
「ここは角煮がね、おいしいの! 大根もちが下に敷いてあってね」
安達が笑顔でメニューを開く。千紘にも見せながらせっつく。
「舛森君もほら、食べたいの、ないの?」
「えーと」
「はっきりしないなぁ」
「お任せします…」
「それがいい」
引き気味の千紘が安達に一任するのを聞き、一之瀬が頷いて、三人で大笑いした。
料理が運ばれてきて千紘が驚いたのは、二人ともよく食べることだった。
「体が資本よ。舛森君は細いんだからもっと食べなさい。先生も放って置くと仕事ばかりで食べないんですから、しっかり食べてくださいね」
どこかで聞いたようなことを安達は言いながら、楽しそうにおいしそうに食べる。
そして一之瀬に説教をしながら甲斐甲斐しく取り分ける安達を見て、また胸が苦しくなりそうで、千紘は誤魔化すように大量に口に詰め込んだ。
「食べてるよ。若い舛森君が驚くくらいにね。そうだろう?」
「ふぁい? そふぉんなことなふぁいです」
千紘は口に食べ物を入れ過ぎて、急に一之瀬に振られた会話にもごもごしながら答えた。
「なんだ、君は…。くくっ…。リスみたいで、可愛いな。頬袋がいっぱいじゃないか」
「あら~! 本当に!」
安達も千紘を見て笑う。笑いながら楽しそうに、もっと入りそうねと取り皿に乗せる。
「すみません…」
やっと飲み込んだ千紘は、赤くなって謝った。
「いや、いいよ。いっぱい食べなさい。食べられるうちに食べるべきだ」
「そうそう。代謝が下がる前にね」
安達のそのひと言に、一之瀬が頷いてぼやいた。
「私も、もういい歳だからなぁ。メタボとか気になるな」
「ですよね~」
「先生は、全っ然、大丈夫です!」
安達の頷きに割って入るように勢いよく、思わず千紘は答えてしまった。
頭のなかについこの間目にしたばかりの一之瀬の締まった上半身を思わず思い浮かべてしまっていた千紘は、力いっぱい一之瀬の言葉を否定した。
「そうか? ありがとう」
笑顔で礼を言う一之瀬に、なんとなく気まずくってしまった千紘を知ってか知らずか、安達が横でうんうんと同意した。
「そうですよー、大丈夫です。…だからもっと、飲みましょう!」
ビールから赤ワインに変えた安達が、一之瀬のグラスにもなみなみと注いだ。本心はそちらなのだろう。
そしてまた食べる。不思議なのはその間に安達は色々としゃべって、話が尽きないことだった。
千紘には大学院のことを聞き、自分が普通の事務職員からパラリーガルに転職した結末やら、果ては真面目に一之瀬と仕事の打ち合わせまでしていた。
一之瀬は始終くつろいだ笑顔を絶やさず、安達の話を聞いている。
そんな顔を見ると千紘は胸が痛かった。
そしてそんな表情を見ていると、どうしてもマイナス思考になり、ある結論に思い至ってしまう。
もしかしたら……。
(先生は……安達さんのことが、好きなのだろうか…)
泣き出したいほどに切実な痛みが、話を聞く一之瀬を見ながら千紘の胸を大きく締め付け始めていた。
一之瀬の笑顔を独り占めしたい。叫びだしそうだった。
「先生、この間はどうして、証拠追加しなかったんですか?」
打ち合わせの途中で、安達が急に思い出したらしく、一之瀬に突然切り出した。
そうだ、気になっていた点があった。千紘は思い至る。
法廷で確かこれだけじゃない、とか何とか安達は言っていたような。
「ああ、必要ないだろうと踏んだからだ。判事は止めなかったし、反対尋問だけで十分だったと思わないか」
「せっかく、関さんが持ってきてくれた情報だったのに」
「まあ、いいじゃないか」
あっさりと言った一之瀬に安達は不服そうだ。
その時、ブルルと携帯のバイブの音が響いた。
「ちょっと失礼」
一之瀬がジャケットの内ポケットから携帯を取り出し、席を立った。
その隙に疑問を聞いてみる。
「あの…情報って、なんだったんですか? 安達さん、これで終わりじゃないって、法廷でおっしゃってましたよね」
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