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垂れ込める暗雲に幕電光る第九日目 - ①
しおりを挟む「んふふっ……」
次の日の朝起きると、一之瀬からショートメッセージが届いていた。
【”おはよう。今日もがんばれよ。返信不要”】
電話番号しかまだ交換し合ってなかったから、まさか文面で届くなんて思ってもみなかったので、見た途端に千紘は顔をほころばせて笑ってしまった。
返信不要の部分はSMSの料金を気にしてくれたのだろうか、千紘の手間を思ってくれたものだろうか。どちらにせよ、千紘の負担を考えくれた一之瀬に思いを馳せる。
短い文面だったが、意外とマメなのだということがわかって、一之瀬のまた新たな一面を見られて嬉しかった。
毎日恋人から連絡が来るのが面倒だという友人もいたが、自分はそういうタイプではなさそうだ。むしろその方が相手が感じられていいなと思う。
(水樹さん、浮かれてるのかな。そうならいいな)
自分のことは棚に上げて、一之瀬のことを考えながら千紘はベッドから起き出した。
勉強机まで来て、引き出しをそっと開ける。
大事にしまっておいた、昨日持ち帰った一之瀬の残していったメモを取り出し、メッセージが表示されたままのスマホ画面と並べて机の上に置いた。
「おはよう。水樹さん。メッセ、ありがと」
そうつぶやいて、両方をしばらく眺める。
消えてしまいそうになった画面をタップして、そのまま指を滑らせて文字を指でなぞった。
じわじわと幸せな気持ちが心に広がっていった。
両方共に短い文面だが、一之瀬の心遣いと愛情が伝わる。
(短い言葉で想いを伝えるのが上手な人なんだな)
一之瀬が一段と愛おしく感じられた。
一之瀬の温かさを心にまとって満ち足りた幸福な気分で学校へ行くと、一限目の授業が抜き打ち小テストから始まった。他の人の担当の番だったので油断していた。昨日、今回の範囲の予習をしておけばよかったと後悔した。
一気に、現実に引き戻される。
突き付けられた現実で、一之瀬と自分の差を改めて千紘は思い知らされた。
授業が終わり、茫然自失の状態で自習室へ辿り行き自分の机に腰掛けた。
出来自体はそんなに悪くはないはずだ。でも完璧ではない。合格点かと問われれば、おそらく否だろう。
浮かれて図に乗っていた自分を、自分自身に突き付けられたようだった。
自分のことさえちゃんとできていない。情けない。後悔と自責の念にさいなまれる。
たかが授業中の小テストだという見方もあるだろう。でも、それだけじゃないのだ。思い知らされたのは。
自分はただの一生徒で、相手は准教授で弁護士。
地位も立場も違えば社会の見方も違う。
千紘の中で焦りと不安が生まれた。
また昨夜のことはやはり夢なのではないかとも思い始める。
(……水樹さん……)
スマホを取り出して、メッセージ画面を眺める。
(嘘…夢、じゃなかった、よね?)
文字が霞んで歪んできた。千紘の目尻から一粒の雫が零れた。
悔しかった。早く早く、一人前の男になりたい。
追いつきたい。同じ土俵に上がりたい。そして、並びたい、隣にいたい。
そう、強く願った。
「舛森」
一コマ空くので午後の授業の予習をしようとしていたら、芹沢が声をかけてきた。
「ん?」
振り向いてみると、芹沢は外に出ろとジェスチャーをした。
千紘は頷いて立ち上がる。
「聞いたか、一之瀬先生のこと」
「何?」
エレベーターホールで立ち止まり、芹沢の口から出たその名に驚いて息せき切って聞いた。
「辞めるかも、って噂」
「えっ?!」
「知らないのか?」
「どうして!」
掴みかからんばかりの勢いで聞いた。
「なんか女生徒とあったらしい、って」
「何かって?」
「手を出して、すぐに捨てたとか」
「は?! そんなことあるわけない!」
「どうしたんだよ、そんなに興奮して。舛森って、一之瀬ファンだったっけ?」
「いや…関係ない。でも、どうしてそんなことに……?」
千紘は慌てて否定したものの、素直な疑問が口をついた。
「さぁ。卒業生?からの情報。先週、匿名の電話があったらしい。こういう噂は広がるのが早いからな。今朝から回りまくってる」
(卒業生……まさか、アイツらが!)
腹いせか、口止めか。可能性に思い当たって、千紘は怒りで気が抜けそうになった。
「驚きだよなぁ。そんな事しそうにないのに。あのセンセ」
「ないよ! 絶対!」
(だって、だって……俺を好きだって……)
千紘の知る一之瀬は、いつも紳士で自分よりも人のことを優先する男だ。そんな人が人を傷つけて、平然としていられる訳がない。同じ口で、同時期に違う人に好きだなんていうはずがない。
「俺も、先週の一之瀬見てるからな。信じては、ない」
「だろ?!」
「まあなぁ。でも、魔が差すってこともあるだろ。あのルックスだしなぁ。相手がほっとかない、っていうのもあるだろうしなぁ」
「………」
「それにさ、その先があってさ。間の悪いことに、赤澤が先週から休んでるんだよ。あいつ、一之瀬にベッタリだったろ? 相手は赤澤じゃないかって、向井が騒いでるんだよな」
こっちもか……。ホントにどいつもこいつも……。
「……関係ないよ」
「うん。俺もそう思うよ。どう見ても一方的だったし。そのうちなんか、動きがあるんじゃないか。倒産法、どうなるかな。俺は講義は受けてるだけで、選択は国際私法だからいいんだけど。舛森は困るだろ?」
暢気に芹沢はそう言って伸びをした。
「……続けるよ、一之瀬先生は。そんなのデマに決まってるから」
固く握ったこぶしに、さらに千紘は力を込めた。
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