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第十二日目 帰郷 - ②
しおりを挟む「驚くよね?」
「……うん」
千香の問い掛けに、千紘は素直に首を縦にする。
「私もびっくりした。世間は狭いなって。その飲み会の時に、新潟出身の舛森で、父は弁護士でって話してたらさ、一之瀬さんも驚いてたもん。娘さんですか、って」
それよりも聞きたいのは、一之瀬の話だ。
「父さんが…きっかけ…って?」
「そう! お世話になったんです、って。アドバイスもいただいて、あの時にお父さんに会ってなかったら今の自分はないって、すごい謙虚な感じで話してた」
「理由は聞いた?」
暢気に弁当なんて食べながら話してないで、もっと当時の詳細を思い出して欲しい。
「ううん。教えてくれなかった。詳しくは話したくないって感じ? だから、突っ込んでは聞かなかった」
「そう……なんだ」
「気になるなら、帰ってお父さんに聞いてみたら?」
「……うん、そうする」
一之瀬に纏わる進展が、何か掴めるかもしれない。
早めに帰ることになったこと、同行することになった姉に、千紘は心から感謝した。
「ただいま~」
千香は玄関口で大声を張り上げると、勢い良く玄関を開けた。
「お母さん、いる~? 帰ったよ~」
奥から、母親の晶子がバタバタとスリッパを鳴らして出てきた。
「千香ったらそんな大声で! 近所に聞こえるでしょ」
盛大に顔をしかめて嗜めた。
「ごめん」
素直に謝る千香。
千香も、母には勝てないのだ。
なので、母さんのスリッパも十分に迷惑だと思うけど……と千紘は思ったが、口にはしなかった。
「千紘も、お帰り」
晶子は優しい笑みで迎えてくれる。
懐かしいその笑顔に、千紘もほほえんで答えた。
「ただいま」
「暑かったでしょ。早く上がって休みなさい」
そうは言われたが、千紘の心中は穏やかではない。
それよりも、気になることがある。
「父さん、いる?」
「いるわよ。今日は二人が帰ってくるからって、早めに仕事を切り上げてきたみたいだから」
「わかった」
早く父と話をしたくて、仕方がなかった。
「はい、これ」
晶子の手に、バナナの形をした銘菓の小さい箱を押しつけると、千紘は素早く姉を追い越し、二階の自分の部屋へ急ぐ。
「ん? …ありがとう」
晶子は千紘の勢いに押されつつ、引き気味で返事をした。
「ちょっと待ってよ!」
そのあとにあれもこれもと大量のお土産を晶子に渡しながら、もたもたしている千香が叫んだ。
「お先に」
お構いなしに、千紘は階段を上がっていった。
久しぶりの自分の部屋を開けると、むっとした空気が廊下へ流れ込んできた。
荷物を置き、窓辺に寄りカーテンを開けると、勢い良く窓を全開にした。
「ふーっ」
室内より少しはましな、冷えたように感じる空気が流れ込む。大きく深呼吸して振り返った。
実家に帰ってくる度に感じる違和感。自分の部屋なのに、もはや自分の空間ではないような気がする。
でも千紘はそんな感慨に耽る間もなく、着替えを出してシャツを脱いだ。心は急くばかりだ。
例年より早い今回の帰省は、意外にも姉から一之瀬のことが聞けたことも相まって、何かに動かされているような、不思議な感じがした。
そう、この部屋に入った時と似たような感覚。自分の居場所なのに自分のいる場所ではない。なにかぎこちない、しっくり来ない感じ。
自分のホームのはずなのに、導かれるように辿り着いた別の空間のような。デジャヴともまた違った浮遊感だ。
着替え終わって階段を駆け下りると、晶子に叱られた。
「もっと静かに降りてきなさい。手は洗ったの? お茶にするわよ」
「はーい」
返事をして洗面所へ向かう。
素早く手洗いをしながら、ここでも同じ不思議な違和感を感じる。
「父さん、いる?」
リビングに入りながら、声を掛ける。
「ああ。おかえり」
「ただいま」
奥のソファーに腰掛けながら読んでいた新聞から顔を上げて、父の光一が千紘を見た。
「どうした? 何かあったか」
「え?」
「表情が急いでるような固い感じだ」
「そう?」
さすが人間の観察力が鋭い。
自然に見せるようにしなくてはと、千紘は心を引き締めた。
「疲れてるのか」
「ううん、そんなことないよ」
向かいに腰を下ろす。
早速質問したいところだが、がっついている感じがして躊躇した。
それに様子が変だと思われるのは確実だ。どうしようかと逡巡する。
「ならいいが。熱いからなぁ。東京はもっとだろう?」
「うん、これからもっと暑くなるよ。蒸してサウナみたいに」
「だろうな。少しゆっくりしていけばいい。勉強も涼しいほうがはかどるぞ」
「そうだね」
「父さんたちよりもっと上の世代は、避暑地に行って勉強したと先生が言っていたな」
「へー、ずいぶんと優雅だね」
「そういう時代だったんだよ。皆が皆そうではないだろうけど。ある意味、本物志向の贅沢な時代だな」
「はい、お茶よ」
晶子が麦茶と菓子をもって入ってきた。
「ありがとう」
千紘は言って手を伸ばす。
「お父さんはお茶ね。あったかいの」
「ああ」
「相変わらず、夏でもお茶なんだ」
「年寄りはね~」
晶子がからかう。
「失礼だぞ」
この二人はなんだかんだで、仲のよい夫婦なのだ。
記憶の父は家にいないことの方が多い。あれだけ仕事で家を空ける父に文句一つ言わない母はすごいと、大人になるにつれわかってきた千紘だった。
「あー、私もちょうだい」
千香が加わる。
「はい、落ち着いて飲みなさい」
晶子が言っているそばから、一気に千香は飲み干した。
「おかわり」
「しょうがないわねぇ」
「へへ」
こういうところが、姉のちゃっかりしている羨ましいところだ。
「そうだ。千紘、一之瀬さんのこと聞いた?」
都合のいタイミングで、千香が助け舟を出してくれた。
「まだ」
「私も聞きたい!」
「うん」
頷くと二人して光一に向き合う。
「お父さん。一之瀬水樹さんって、覚えてる?」
千紘は、千香の問い掛けを聞く光一を凝視した。
「昔、千歳橋銀行の新潟支店に勤めてて、辞めて弁護士になった人なんだけど。その時、お父さんにお世話になったって言ってた」
光一は名前を聞いて、すぐに思い当たったらしい。
「…ああ、覚えてる。あまりない名前だしね。彼が、どうかしたのか?」
「今、千紘が倒産法教わってるんだって」
「それは奇遇な巡り合わせだなぁ。倒産法…じゃあ、事業再生もだな。……彼らしい」
光一が、しみじみ感慨に耽るように最後は呟いた。
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