【本編完結】水曜日の迷いごと

咲月千日月

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天文薄明の第十五日目 - ②

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「ふふ……私は、姉よ。水樹の、姉」

 立ち止まって振り返ると、そう言ってじっと千紘を見た。

「ああ……!」

 道理で、落ち着いていて水樹と釣り合うような年齢の女性だと勘違いするわけだ。

陽日はるひといいます。太陽の"陽"に、お日様の"日"と書くの」
「……素敵なお名前ですね」
「まあ、お上手ね。ふふ…。水樹の"水"とは、対照的でしょう」

 陽日は、おかしそうなのにとても上品に笑った。
 同じ姉なのに、千香とは全く違う人種に思える。
 どうしてこうも違うのか。

「……そう、ですね」

 千紘はなんだかずっと夢を見ている感じで話していたので、正体がわかって心のどこかで安心したのだろう、やっとちゃんと陽日を正面から見た。
 言われれば、切れ長の二重の目元が一之瀬に似ている。
 それに光一の話に出てきた上の子は女の子だったと、確か言っていた。

「水樹が、結婚したと思った?」
「えっ…」
「顔に書いてあるわ。そんな話は、聞いてないって」
「いや…お姉さんがいらっしゃるって、直接はお聞きしていなかったので……」

 そんなにあからさまに顔に出ていたのだろうか。恥ずかしい。顔が赤くなったのを感じた。

「そう? 私は千紘さんのこと、存じていてよ」
「ええっ…?」

 また驚いて声を上げた。

「まぁ…可愛いわ。顔を赤くしちゃって。あの頃のままね」
「あの頃?」
「新潟の舛森先生の息子さんでしょう?」
「はい。どうして…」
「先生には、私も、両親もお世話になって」

 陽日が改めて頭を下げた。
 千紘も下げ返す。

「父から、お父様と同級生だったと伺っています」
「そうなのよ。それに水樹も、先生にお世話になったから。それに、あなたにも」
「僕にも?」
「お名前を伺って、すぐにわかったわ。なので、遠慮は無用よ。さあ、どうぞ」

 また陽日は歩き出した。

「ここを上がってくださいな。気をつけてくださいね」

 廊下の先の二階へ続く階段を、先に立って昇り始めた。

「二階は水樹が使っているだけなのよ。私達夫婦には、まだ子供がいなくて」
「ご夫婦で、旅館をやっていらっしゃるんですか?」
「そうよ。うちの事情はご存知?」
「少し……ご両親は他界されたと…」
「そう、その時も先生にお世話になったのよ」

 父はそんなこと、ひと言も言ってなかった。父らしいとは思うが、話しておいて欲しかったとも思う。

「だから水樹は、舛森先生を父のように感じたんでしょうね。本当にお世話になって…」
「父が聞いたら喜ぶと思います」
「ふふ。どうぞよろしくお伝えしてくださいね」
「はい」
「千紘さんにお会いできて、今日はとっても嬉しいわ。……どうぞ」

 陽日が奥の部屋の障子戸を開けた。

 十畳ほどはあろうかという広い日本間が目に入った。そこには荷物がほとんどなかった。

「雑風景な部屋でしょう? どうぞ、腰掛けて待っていてね。今お茶をお持ちします」
「いえ、お構いなく」

 遠慮する千紘に、陽日は部屋の隅にあった座布団を持ってきて、四方と足に彫刻のある焦茶色の座卓の脇に敷いて勧め、千紘が座ったのを見届けると部屋を出て行った。

 座ってはみたものの、落ち着かない。

 本当にどこかの旅館へ泊まりに来たように、何もない部屋だった。
 生活感が全くない。……本棚も机さえもない。
 東京の一之瀬のマンションは寝室の隣が書斎になっていて、覗いた部屋の机の上も本棚も本や資料でいっぱいだった。いかにも仕事人間らしいと思わず苦笑したのを覚えている。

 だからこの部屋に、一之瀬の心境がよく表れているのだろうと思う。
 何も余計なことは考えたくないのだろう。そしておそらく……自分への戒めの意味もあるのだろう。
 今だけをやっと……多分、生きているのだ。

 もの悲しくなって、千紘は足を崩し膝を抱えた。

(今……俺が会いに来て、本当によかったのかな……)

 どうして実家まで来たんだと問い詰められたら?
 まだ、気持ちの整理がついていないと言われたら?
 迷惑だと拒絶されたら?
 厚かましいと思われたら?
 このまま帰ってくれと言われたら?
 
 勝手に来てしまって、今度こそ、二度と会わないと言われるかもしれない。

 ――怖い。

 膝に顔を埋めた。

 あんなにみんなに応援してもらっておきながら、自分という人間が情けなくなる。

(だめだ。ダメ。………決めてきたんだろう?)

 自分に問いかけた時だった。


 『トントントン……』


 調子よく一定のリズムで階段を上がる足音が響いてきた。

 こんなに軽やかな音を立てて上ってくるということは……。
 もしや…とも思う。でもすぐお姉さんかも、とも往生際の悪い心が訂正する。

 ぎしっと外の廊下が鳴って、すーっと戸が静かに開かれる。

 堪えきれず、千紘は目をつむった。


「……千紘」

 懐かしい心地よい低い声が響いて、自分の名を呼んだ。
 その声に誘われるように、千紘はゆっくり顔を上げる。
 千紘の視線の先に――。


 一之瀬が、濡れた髪で立っていた。

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