47 / 106
天文薄明の第十五日目 - ②
しおりを挟む「ふふ……私は、姉よ。水樹の、姉」
立ち止まって振り返ると、そう言ってじっと千紘を見た。
「ああ……!」
道理で、落ち着いていて水樹と釣り合うような年齢の女性だと勘違いするわけだ。
「陽日といいます。太陽の"陽"に、お日様の"日"と書くの」
「……素敵なお名前ですね」
「まあ、お上手ね。ふふ…。水樹の"水"とは、対照的でしょう」
陽日は、おかしそうなのにとても上品に笑った。
同じ姉なのに、千香とは全く違う人種に思える。
どうしてこうも違うのか。
「……そう、ですね」
千紘はなんだかずっと夢を見ている感じで話していたので、正体がわかって心のどこかで安心したのだろう、やっとちゃんと陽日を正面から見た。
言われれば、切れ長の二重の目元が一之瀬に似ている。
それに光一の話に出てきた上の子は女の子だったと、確か言っていた。
「水樹が、結婚したと思った?」
「えっ…」
「顔に書いてあるわ。そんな話は、聞いてないって」
「いや…お姉さんがいらっしゃるって、直接はお聞きしていなかったので……」
そんなにあからさまに顔に出ていたのだろうか。恥ずかしい。顔が赤くなったのを感じた。
「そう? 私は千紘さんのこと、存じていてよ」
「ええっ…?」
また驚いて声を上げた。
「まぁ…可愛いわ。顔を赤くしちゃって。あの頃のままね」
「あの頃?」
「新潟の舛森先生の息子さんでしょう?」
「はい。どうして…」
「先生には、私も、両親もお世話になって」
陽日が改めて頭を下げた。
千紘も下げ返す。
「父から、お父様と同級生だったと伺っています」
「そうなのよ。それに水樹も、先生にお世話になったから。それに、あなたにも」
「僕にも?」
「お名前を伺って、すぐにわかったわ。なので、遠慮は無用よ。さあ、どうぞ」
また陽日は歩き出した。
「ここを上がってくださいな。気をつけてくださいね」
廊下の先の二階へ続く階段を、先に立って昇り始めた。
「二階は水樹が使っているだけなのよ。私達夫婦には、まだ子供がいなくて」
「ご夫婦で、旅館をやっていらっしゃるんですか?」
「そうよ。うちの事情はご存知?」
「少し……ご両親は他界されたと…」
「そう、その時も先生にお世話になったのよ」
父はそんなこと、ひと言も言ってなかった。父らしいとは思うが、話しておいて欲しかったとも思う。
「だから水樹は、舛森先生を父のように感じたんでしょうね。本当にお世話になって…」
「父が聞いたら喜ぶと思います」
「ふふ。どうぞよろしくお伝えしてくださいね」
「はい」
「千紘さんにお会いできて、今日はとっても嬉しいわ。……どうぞ」
陽日が奥の部屋の障子戸を開けた。
十畳ほどはあろうかという広い日本間が目に入った。そこには荷物がほとんどなかった。
「雑風景な部屋でしょう? どうぞ、腰掛けて待っていてね。今お茶をお持ちします」
「いえ、お構いなく」
遠慮する千紘に、陽日は部屋の隅にあった座布団を持ってきて、四方と足に彫刻のある焦茶色の座卓の脇に敷いて勧め、千紘が座ったのを見届けると部屋を出て行った。
座ってはみたものの、落ち着かない。
本当にどこかの旅館へ泊まりに来たように、何もない部屋だった。
生活感が全くない。……本棚も机さえもない。
東京の一之瀬のマンションは寝室の隣が書斎になっていて、覗いた部屋の机の上も本棚も本や資料でいっぱいだった。いかにも仕事人間らしいと思わず苦笑したのを覚えている。
だからこの部屋に、一之瀬の心境がよく表れているのだろうと思う。
何も余計なことは考えたくないのだろう。そしておそらく……自分への戒めの意味もあるのだろう。
今だけをやっと……多分、生きているのだ。
もの悲しくなって、千紘は足を崩し膝を抱えた。
(今……俺が会いに来て、本当によかったのかな……)
どうして実家まで来たんだと問い詰められたら?
まだ、気持ちの整理がついていないと言われたら?
迷惑だと拒絶されたら?
厚かましいと思われたら?
このまま帰ってくれと言われたら?
勝手に来てしまって、今度こそ、二度と会わないと言われるかもしれない。
――怖い。
膝に顔を埋めた。
あんなにみんなに応援してもらっておきながら、自分という人間が情けなくなる。
(だめだ。ダメ。………決めてきたんだろう?)
自分に問いかけた時だった。
『トントントン……』
調子よく一定のリズムで階段を上がる足音が響いてきた。
こんなに軽やかな音を立てて上ってくるということは……。
もしや…とも思う。でもすぐお姉さんかも、とも往生際の悪い心が訂正する。
ぎしっと外の廊下が鳴って、すーっと戸が静かに開かれる。
堪えきれず、千紘は目をつむった。
「……千紘」
懐かしい心地よい低い声が響いて、自分の名を呼んだ。
その声に誘われるように、千紘はゆっくり顔を上げる。
千紘の視線の先に――。
一之瀬が、濡れた髪で立っていた。
0
あなたにおすすめの小説
氷の檻に閉じ込められた月~兄上のすべては、私のもの~
春野ふぶき
BL
『兄上は私のものだ。魂も、肉体も。永遠に―—』
アーヴェント侯爵家の長男ライカは、妾腹として正妻に虐げられ続けてきた。
唯一の救いは、次期当主を目される異母弟カイエンの存在。
美しく聡明で、氷の騎士と呼ばれる彼だけは、常にライカの味方だった。
だが、その愛情は兄を守るものではなく、深く歪んだ執着だった。
母を排除し、兄を囲い込み、逃げれば鎖で捕らえる。
そしてついに、ライカの心身は限界に追い詰められていく。
——カイエンが下す「最後の選択」とは。
ふたりが辿る結末は、幸福か、それとも狂気の果てか。
従僕に溺愛されて逃げられない
大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL!
俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。
その傍らには、当然のようにリンがいる。
荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。
高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。
けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。
当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。
居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。
さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。
主従なのか、恋人なのか。
境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。
従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。
思い出にかわるまで
慶野るちる
BL
教育実習に来た先生の卵に恋をした。
全11話です。
表紙:Photo by Jake Hills on Unsplash / powered by かんたん表紙メーカー様
邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ
零
BL
鍛えられた肉体、高潔な魂――
それは選ばれし“供物”の条件。
山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。
誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
ポケットのなかの空
三尾
BL
【ある朝、突然、目が見えなくなっていたらどうするだろう?】
大手電機メーカーに勤めるエンジニアの響野(ひびの)は、ある日、原因不明の失明状態で目を覚ました。
取るものも取りあえず向かった病院で、彼は中学時代に同級生だった水元(みずもと)と再会する。
十一年前、響野や友人たちに何も告げることなく転校していった水元は、複雑な家庭の事情を抱えていた。
目の不自由な響野を見かねてサポートを申し出てくれた水元とすごすうちに、友情だけではない感情を抱く響野だが、勇気を出して想いを伝えても「その感情は一時的なもの」と否定されてしまい……?
重い過去を持つ一途な攻め × 不幸に抗(あらが)う男前な受けのお話。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
・性描写のある回には「※」マークが付きます。
・水元視点の番外編もあり。
*-‥-‥-‥-‥-‥-‥-‥-*
※番外編はこちら
『光の部屋、花の下で。』https://www.alphapolis.co.jp/novel/728386436/614893182
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる