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プロローグ
第1話 路地裏の少年
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その日は冷たい雨の日で。
びしょ濡れのボクには、あたたかい寝床が必要だった。
体を冷やさず休める場所に、ほんのちょっとやさしさもあったなら満点だ。
明日の朝を迎えるためなら、なにを差し出したってかまわない。
そうやってずっと生き延びてきた。
だから。
「ねえお兄さん、こんな夜に一人ってさみしくない?」
彼を押し倒して逃げ道をふさぐように両手をつく。
「…何の真似だ」
仰向けになったままボクを見上げてくる彼の瞳は、ルビーみたいに赤い。
本物のルビーなんて、一度も見たことないけど。
「一晩泊めてくれると嬉しいんだけどなあ。」
そう言って湿った外套を引き下ろす。
だいたいこうすれば「客」はその気になるって知ってる。
「ただとは言わないからさ」
とどめに、にこっとほほ笑んでダメ押ししてやる。
彼が息をのんだのがわかった。
ばさっと音を立てて読みかけの本が床に落ちる音がする。
「意味わかって言ってんのか」
「お兄さんこそ意味が分からないほど鈍いのかな?」
一段低くなった声に、わざとらしく首をかしげてみせた。
と同時に、視界が反転した。
「…あれ?」
いつの間にか布団に引き倒されていて、見下ろされていた。
「いい度胸だな。せっかく警告してやったのに」
赤い瞳が細められる。鋭い目。
「そっちから来たんだから覚悟しろよ」
そう言って手を伸ばしてくる。
反射的に首をすくめたボクの頬に触れるその指が触れる。
それは思ったよりはずっと優しくて、あたたかかった。
プロローグ・路地裏の少年
ばしゃん、と足元で水たまりがはねた。
裏通りの路面は舗装がはげていて、でこぼこだ。
冬の長雨がそこかしこのくぼみにたまっている。
急いで走り抜けようとしたものの、正面の道はふさがれていて、左や斜め後ろののわき道からも人影が出てくる。
図体ばかりでかい、ごろつきの集団だ。
右側は高い塀が続いていて、逃げ場はなかった。
―ついてない。
「おいガキ、今日はずいぶん稼いだんだろう?路地代きっちり払ってもらおうか」
ごろつきの中でも体格のいい男が距離を詰めてくる。
少年はじりじりと下がりながら答える。
「…ないよ」
「嘘をつくと身のためにならねえぜ?」
そう言って男は手を伸ばすと、少年の胸ぐらをつかんだ。
ぼろぼろの外套から、粗末な包みが転がり落ちる。
中からパンのかけらが零れ落ちた。
少年の今日の夕飯になるはずだったものだったが、男はお構いなしに踏みつける。
横目で泥まみれになった包みを見ながら、少年は歯噛みする。
「…はなせ」
「ああ?聞こえねえなあ。」
「はなせっていってんだろこの─」
抵抗したって無駄とわかりつつ、蹴りの一つでも入れようとしたその時。
「―邪魔」
凛とした声が響いた。
その場の全員の動きが止まる。
「通行の邪魔だ。そこをどけ」
声のした方を見ると、家屋に挟まれた通路から一人の青年が出てくるところだった。
体格がいいとは言いがたいが、それなりの身長があり、体も引き締まっている。
肩には弓をかけ、腰には矢筒と剣の柄が見えていた…冒険者だろうか。
青みがかった前髪が長く垂れ、その表情はうかがえない。
突然の乱入者にごろつきの男が怪訝な顔をする。
「なんだ兄ちゃん、文句でもあんのか」
「…どけと言っている」
二人の間に緊張感が走る。
知らず、少年を掴む男の手は緩んでいた。
「はなせって…言ってんだろ!!」
隙をついて少年がごろつきの男の手にかみついた。
「い゛っっ…何しやがる!」
男は腕を振り払うが、少年はかみついたままだった。
「このクソガキがあ!!」
しかし少年を振り払うより早く、青年が動いていた。
音もなく距離を瞬時に詰め、男の胴に肘打ちを見舞う。
「…がっ!?」
急所を打たれ、男が苦悶の声を上げる。
と同時に、青年が足払いをかけた。
鮮やかな手際だった。
「わっ!?」
男の態勢が崩れたことで、少年は振り回され、思わずかみついていた手を放す。
べしゃっ、と地面にしりもちをついたのと、男が倒れこんだのは同時。
ぬかるみに浸かって「うわぁ…」と思わずこぼす少年の前を、風が切り裂く。
どすっ、と音を立ててそれは男の脇に突き立った。
…それは一本の矢だった。
ぞっとして少年が飛んできた方向を見ると、青年がいつの間にか弓を構えていた。
すでに次の矢をつがえ、周囲のごろつき達に向けている。
「通らせてもらうぞ」
淡々と告げて、青年は歩き出す。
ごろつきの男も、少年にも目もくれない。
突然のことにその場のだれもが呆然としていた。
が、最初に我に返ったのは少年だった。
慌てて自分の包みを拾うと走り出す。
…去っていく青年の背を追って。
後ろでごろつきの男が怒りの声を上げていたが、そんなものは耳に入っていなかった。
雨粒がぽつぽつと降り出した。
青年は外套のフードをかぶり、足早に裏通りの複雑な路地を進んでいく。
そのあとを、泥だらけの少年が追う。
「ねえ、ねえってば!ちょっとお兄さん!」
「…なんか用か」
青年はため息をついた。
足を止め、顔だけ少し少年の方へ振り向く。
流れた前髪の隙間から赤い瞳がのぞいていた。珍しい色だ。
「さっきのお礼でもと思って」
えへへ、と小柄な少年は上目づかいで見上げる。
薄汚れたペラペラの外套の隙間から覗く、黒い髪。
その下で、銀色の瞳が煌めいている。
あどけないようでいて、計算された角度。
「ただの通りすがりだ。礼をされるようなことは何もない」
目をすがめて見降ろすが、青年はまた背を向けて歩き出す。
「そんなこと言わずにさー」
少年はちょこまかとその背に付きまとう。
しかし、青年は歩くペースを落とさない。
「礼ができるほどのもん持ってないだろ」
声だけが前から冷たく響く。
少年は一瞬怯む。
実際のところ、金はない。唯一の荷物である夕食の包みも泥まみれだ。
「うん、だからね…」
ここが勝負だと、覚悟を決めて顔を上げた瞬間。
青年の姿が横道に消える。
慌てて角を曲がると、すぐそばの建物に青年の姿が消えるところだった。
上を見上げると、3階建ての木造建築。月と星の看板。
字は読めない少年だが、建物の雰囲気からして…
「宿屋だ!」
少年はぱっと顔を輝かせる。
雨が本格的に降りはじめていた。
ドアからこっそり中を覗くと、青年が受付カウンター内の中年女性から鍵を受け取るところだった。
特に細かなやり取りをしていないところを見ると、定宿にしているらしい。
青年が奥の階段へと向かうと、少年はカウンターに駆け寄って女性に声をかける。
「あのお兄さんの連れなんだけど、入っていい?」
女性は少年を見ると、上から下までじろじろと見た後、
「泊まるなら一人分払ってもらうよ…2階の一番奥だ」
とそっけなく言った。
どういう関係かはあえて問わない。
商売の邪魔をしなければご自由にどうぞというスタンスのようだ。
「ありがとうー!」
愛想よく笑顔を振りまいて、少年は階段へと向かう。
ぴちゃん、ぴちゃんとバケツに雨漏りの雫が垂れる音がする。
薄暗い廊下で、少年は泥だらけの服の裾をバケツの上で絞る。
水たまりにしりもちをついて下着まで濡れたのが気持ち悪かったが、気にしてもいられない。
部屋に上がるのに最低限の汚れを払って、奥へと進む。
突き当りの窓の手前に、半開きになっている扉がある。
薄明かりがさす窓ガラスには、雨粒が流れていた。
触れずともひんやりと冷気が漂ってくる窓辺から少年は空を覗く。
―今晩も雨は止まなさそうだ。
宿なしの少年にとって、屋根と毛布は何に代えても必要なものだ。
意を決して、半開きのドアに手をかけた。
入り口わきに小さなタンス、右側に寝台。
奥の窓辺にサイドテーブルと椅子。
青年は窓辺に腰掛けて外を見ているようだった。
「…入っていい?」
そっと声をかける。
しばらくの沈黙。
少年はそろりと部屋に足を踏み入れる。
「…勝手に入って、聞く意味あんのか」
ため息とともに返事が返ってきた。
少年はにんまりと笑う。
はねつけるほど冷たくはない。
これなら付け入るスキがありそうだ。
今夜のターゲットはこの青年と定めて、どう切り出そうか考えをめぐらす。
緊張で汗に濡れる手のひらをぎゅっと手を握る。
寒くない寝床と、ちょっとだけやさしさもあったら満点。
さあ、狩りの時間だ。
"交渉"のために、青年へと歩み寄る少年の足取りは、獲物を刈る獣のよう。
…でも、そんな思惑はすぐにひっくり返されることになったのだった。
びしょ濡れのボクには、あたたかい寝床が必要だった。
体を冷やさず休める場所に、ほんのちょっとやさしさもあったなら満点だ。
明日の朝を迎えるためなら、なにを差し出したってかまわない。
そうやってずっと生き延びてきた。
だから。
「ねえお兄さん、こんな夜に一人ってさみしくない?」
彼を押し倒して逃げ道をふさぐように両手をつく。
「…何の真似だ」
仰向けになったままボクを見上げてくる彼の瞳は、ルビーみたいに赤い。
本物のルビーなんて、一度も見たことないけど。
「一晩泊めてくれると嬉しいんだけどなあ。」
そう言って湿った外套を引き下ろす。
だいたいこうすれば「客」はその気になるって知ってる。
「ただとは言わないからさ」
とどめに、にこっとほほ笑んでダメ押ししてやる。
彼が息をのんだのがわかった。
ばさっと音を立てて読みかけの本が床に落ちる音がする。
「意味わかって言ってんのか」
「お兄さんこそ意味が分からないほど鈍いのかな?」
一段低くなった声に、わざとらしく首をかしげてみせた。
と同時に、視界が反転した。
「…あれ?」
いつの間にか布団に引き倒されていて、見下ろされていた。
「いい度胸だな。せっかく警告してやったのに」
赤い瞳が細められる。鋭い目。
「そっちから来たんだから覚悟しろよ」
そう言って手を伸ばしてくる。
反射的に首をすくめたボクの頬に触れるその指が触れる。
それは思ったよりはずっと優しくて、あたたかかった。
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ばしゃん、と足元で水たまりがはねた。
裏通りの路面は舗装がはげていて、でこぼこだ。
冬の長雨がそこかしこのくぼみにたまっている。
急いで走り抜けようとしたものの、正面の道はふさがれていて、左や斜め後ろののわき道からも人影が出てくる。
図体ばかりでかい、ごろつきの集団だ。
右側は高い塀が続いていて、逃げ場はなかった。
―ついてない。
「おいガキ、今日はずいぶん稼いだんだろう?路地代きっちり払ってもらおうか」
ごろつきの中でも体格のいい男が距離を詰めてくる。
少年はじりじりと下がりながら答える。
「…ないよ」
「嘘をつくと身のためにならねえぜ?」
そう言って男は手を伸ばすと、少年の胸ぐらをつかんだ。
ぼろぼろの外套から、粗末な包みが転がり落ちる。
中からパンのかけらが零れ落ちた。
少年の今日の夕飯になるはずだったものだったが、男はお構いなしに踏みつける。
横目で泥まみれになった包みを見ながら、少年は歯噛みする。
「…はなせ」
「ああ?聞こえねえなあ。」
「はなせっていってんだろこの─」
抵抗したって無駄とわかりつつ、蹴りの一つでも入れようとしたその時。
「―邪魔」
凛とした声が響いた。
その場の全員の動きが止まる。
「通行の邪魔だ。そこをどけ」
声のした方を見ると、家屋に挟まれた通路から一人の青年が出てくるところだった。
体格がいいとは言いがたいが、それなりの身長があり、体も引き締まっている。
肩には弓をかけ、腰には矢筒と剣の柄が見えていた…冒険者だろうか。
青みがかった前髪が長く垂れ、その表情はうかがえない。
突然の乱入者にごろつきの男が怪訝な顔をする。
「なんだ兄ちゃん、文句でもあんのか」
「…どけと言っている」
二人の間に緊張感が走る。
知らず、少年を掴む男の手は緩んでいた。
「はなせって…言ってんだろ!!」
隙をついて少年がごろつきの男の手にかみついた。
「い゛っっ…何しやがる!」
男は腕を振り払うが、少年はかみついたままだった。
「このクソガキがあ!!」
しかし少年を振り払うより早く、青年が動いていた。
音もなく距離を瞬時に詰め、男の胴に肘打ちを見舞う。
「…がっ!?」
急所を打たれ、男が苦悶の声を上げる。
と同時に、青年が足払いをかけた。
鮮やかな手際だった。
「わっ!?」
男の態勢が崩れたことで、少年は振り回され、思わずかみついていた手を放す。
べしゃっ、と地面にしりもちをついたのと、男が倒れこんだのは同時。
ぬかるみに浸かって「うわぁ…」と思わずこぼす少年の前を、風が切り裂く。
どすっ、と音を立ててそれは男の脇に突き立った。
…それは一本の矢だった。
ぞっとして少年が飛んできた方向を見ると、青年がいつの間にか弓を構えていた。
すでに次の矢をつがえ、周囲のごろつき達に向けている。
「通らせてもらうぞ」
淡々と告げて、青年は歩き出す。
ごろつきの男も、少年にも目もくれない。
突然のことにその場のだれもが呆然としていた。
が、最初に我に返ったのは少年だった。
慌てて自分の包みを拾うと走り出す。
…去っていく青年の背を追って。
後ろでごろつきの男が怒りの声を上げていたが、そんなものは耳に入っていなかった。
雨粒がぽつぽつと降り出した。
青年は外套のフードをかぶり、足早に裏通りの複雑な路地を進んでいく。
そのあとを、泥だらけの少年が追う。
「ねえ、ねえってば!ちょっとお兄さん!」
「…なんか用か」
青年はため息をついた。
足を止め、顔だけ少し少年の方へ振り向く。
流れた前髪の隙間から赤い瞳がのぞいていた。珍しい色だ。
「さっきのお礼でもと思って」
えへへ、と小柄な少年は上目づかいで見上げる。
薄汚れたペラペラの外套の隙間から覗く、黒い髪。
その下で、銀色の瞳が煌めいている。
あどけないようでいて、計算された角度。
「ただの通りすがりだ。礼をされるようなことは何もない」
目をすがめて見降ろすが、青年はまた背を向けて歩き出す。
「そんなこと言わずにさー」
少年はちょこまかとその背に付きまとう。
しかし、青年は歩くペースを落とさない。
「礼ができるほどのもん持ってないだろ」
声だけが前から冷たく響く。
少年は一瞬怯む。
実際のところ、金はない。唯一の荷物である夕食の包みも泥まみれだ。
「うん、だからね…」
ここが勝負だと、覚悟を決めて顔を上げた瞬間。
青年の姿が横道に消える。
慌てて角を曲がると、すぐそばの建物に青年の姿が消えるところだった。
上を見上げると、3階建ての木造建築。月と星の看板。
字は読めない少年だが、建物の雰囲気からして…
「宿屋だ!」
少年はぱっと顔を輝かせる。
雨が本格的に降りはじめていた。
ドアからこっそり中を覗くと、青年が受付カウンター内の中年女性から鍵を受け取るところだった。
特に細かなやり取りをしていないところを見ると、定宿にしているらしい。
青年が奥の階段へと向かうと、少年はカウンターに駆け寄って女性に声をかける。
「あのお兄さんの連れなんだけど、入っていい?」
女性は少年を見ると、上から下までじろじろと見た後、
「泊まるなら一人分払ってもらうよ…2階の一番奥だ」
とそっけなく言った。
どういう関係かはあえて問わない。
商売の邪魔をしなければご自由にどうぞというスタンスのようだ。
「ありがとうー!」
愛想よく笑顔を振りまいて、少年は階段へと向かう。
ぴちゃん、ぴちゃんとバケツに雨漏りの雫が垂れる音がする。
薄暗い廊下で、少年は泥だらけの服の裾をバケツの上で絞る。
水たまりにしりもちをついて下着まで濡れたのが気持ち悪かったが、気にしてもいられない。
部屋に上がるのに最低限の汚れを払って、奥へと進む。
突き当りの窓の手前に、半開きになっている扉がある。
薄明かりがさす窓ガラスには、雨粒が流れていた。
触れずともひんやりと冷気が漂ってくる窓辺から少年は空を覗く。
―今晩も雨は止まなさそうだ。
宿なしの少年にとって、屋根と毛布は何に代えても必要なものだ。
意を決して、半開きのドアに手をかけた。
入り口わきに小さなタンス、右側に寝台。
奥の窓辺にサイドテーブルと椅子。
青年は窓辺に腰掛けて外を見ているようだった。
「…入っていい?」
そっと声をかける。
しばらくの沈黙。
少年はそろりと部屋に足を踏み入れる。
「…勝手に入って、聞く意味あんのか」
ため息とともに返事が返ってきた。
少年はにんまりと笑う。
はねつけるほど冷たくはない。
これなら付け入るスキがありそうだ。
今夜のターゲットはこの青年と定めて、どう切り出そうか考えをめぐらす。
緊張で汗に濡れる手のひらをぎゅっと手を握る。
寒くない寝床と、ちょっとだけやさしさもあったら満点。
さあ、狩りの時間だ。
"交渉"のために、青年へと歩み寄る少年の足取りは、獲物を刈る獣のよう。
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