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一日目
第2話 “アロウ”とシン
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ざあざあと雨の音が響いている。
少年は寝台の上で目を覚ました。
横になったまま重たい瞼を開き、窓の景色を眺める。
横倒しになった景色の中、窓を雨粒が次々と流れ落ちていく。
―昨日はちゃんと屋根の下で眠ることができた。
そして朝の支度を急かすものは何もない。
視線をめぐらせるが、部屋に自分以外の人影もない。
穏やかな朝だった。
ぎいっと扉が開く音がする。
反射的に部屋の入り口を見ると、昨日の青年が戸口に立っていた。
腕に荷物を抱え、かぶったままの外套からはぽたぽたと水が滴っている。
「あ…」
声をかけるべきかどうか、少年は一瞬迷う。
その間に青年は無言のまま部屋に入ってくると、荷物を窓際のテーブルに置いた。
少年に背を向け、中身をがさがさと探り、取り出している。
声をかけるタイミングを失い、少年は黙ってもそもそと起きあがる。
昨夜のねぐらはうまくせしめることができたが、もう用は済んでいる。
何か言われる前に、さっさと退散するのが最善だ。
そう考えて立ち上がろうとした少年は、違和感に気づいた。
「…あれ?ボクの服…」
見慣れぬ服を着ていた。
昨晩着ていた泥まみれのぼろではなく、ぶかぶかの麻のシャツ一枚をかぶっていた。
「干してある。…そっち」
青年が部屋の隅を指し示す。
ロープが張られ、そこに昨日の服…シャツやズボンがぶらさがっていた。
昨日と変わらずぼろぼろではあったが、泥汚れは落ちている。
少年の視線がつるされた衣服と、自分の着ているシャツの間を行ったり来たりする。
よく見ると昨日水たまりに倒れこんだ時の泥汚れが自分の体からも消えている。
知らずかっと顔が熱くなった。
もしかして、体も拭かれたのだろうか。
いや、確かに泥だらけだったけど。自分から押し倒したりとかしたけど。
思わず枕元に会ったクッションを引き寄せ、体を隠すように抱えた。
少年が混乱してクッションの陰で百面相をしている間に、青年が荷物の整理を終えて振り返った。
「飯買ってきたから食え。」
簡潔に説明し、テーブルのそばの椅子を指し示す。
「えっ?」
押しかけて屋根の下を貸してもらったことはいくらでもあるが…食事が出てきたなんて経験はない。
困惑していると、青年はめんどくさそうに言い添える。
「うちは1泊めしつき。」
「…なにそれ。意味わかんない」
少年は警戒心をにじませて言う。
見返りのない優しさなんて、一番信用ならない。
「対価なら昨日もらったから。…ほら」
ずいっと青年が腕を突き出した。
手には、ホットドッグの包みが一つ。
パンの間からは野菜と、まだふんわり湯気をまとったソーセージが顔を出している。
…ぐぅ。
少年のおなかが鳴った。
「…体は正直だな」
ぼそっと青年がつぶやく。
「言い方ぁ!!」
少年は思わずクッションを掴んで投げつけた。
テーブルの上には、水差しと、ホットドッグの包みが数種類。
青年はテーブル脇に自分の大きなカバンを引っ張ってくると中から木製の大小の椀を取り出す。
大きい椀に水を注ぐと少年の方に押しやった。
小さい椀に自分の分の水を注ぎ、ホットドッグをひとつ取り上げ、カバンを椅子代わりに座り込む。
「早く食べろ。冷める」
少年にそう言って、自分の分のホットドッグにかぶりつく。
居心地悪そうに椅子の上に膝を立てて座っている少年は、ちらちらと青年の顔をうかがっていたが…
ぐぅ。お腹がまた鳴ってしまい顔を真っ赤にする。
「…いただきます」
小さい声で言って、手前にあるホットドッグにそろりと手を伸ばす。
ふんわりとしたパンは、表面がかりっと焼けていてまだほんのり温かかった。
口元に持っていくとそれだけで香ばしい香りが鼻腔いっぱいにひろがる。
こうなるともう我慢なんてできるわけがない。
これが何かの罠でも構わない。
少年は意を決してぱくっとかぶりついた。
パリッとソーセージが割れ、中からじゅわっと肉汁があふれる。
ふわっとしたパンとスパイスの効いたソーセージのうまみが口いっぱいに広がった。
「……!」
おいしい。久々の上等な食事だ。
思わず無言になり、もぐもぐと咀嚼してはパンにかぶりつくのを繰り返す。
その向かいで、青年はゆっくりパンをかじっていた。
横目で無心にパンを平らげている少年をちらりと見て、自分の手元のパンに目を落とす。
青年にとっては今はもうなんてことのないありふれた、ともすれば質素な食事。
…だが、彼にもかつてパンの一つも得られない日々はあった。
野菜とソーセージを挟んだだけのシンプルなパンを、青年はゆっくりかみしめた。
結局、テーブルの上の包みの大半を少年が平らげて朝食は終わった。
「ごちそうさまでした…」
満腹になり我に返った少年が、気恥ずかしそうに言う。
途中からもう青年が目に入っていないくらいだった。
でも青年は少年が一つ食べ終わる度に次の包みを開けて差し出し、椀の水が減れば注ぎ足していた。
人に世話を焼かれたことなんて、いったいいつぶりだろうか。
居心地の悪さを感じてそわそわと青年の顔をうかがう。
「…あの、あとでなんかよこせとか言う?」
「言わない。」
青年は空になった椀を片付けながら即答する。
「けど、いくつか質問に答えてもらおうか」
「質問?」
少年に学はない。
見聞きしてきたことも、この町のごみ溜めみたいな一角のことくらいしか知らない。
いったい何を聞くというのだろうか。
「お前、今晩の寝床はあるのか」
「うっ…ない」
いきなり痛いところを突かれた。
そんなものはあるわけない。
ここを出たら、またどこか屋根を貸してくれる"客"を探さなければならない。
「そうか。」
青年はあっさり流すと、さらに尋ねる。
「じゃあ次。年はいくつだ」
「年ぃ?」
路地裏で育った少年に、年齢を数えるという習慣はない。
「そんなの数えたことない。でも、ちゃんと大人だよ」
「…へえ?大人、ねえ」
うさんくさそうに少年を見る青年。
しかし返ってきたのは、意外にしっかりした答えだった。
「前の王様の即位パレード、覚えてるもん。」
「なるほどな。あれは…15年前だな」
青年は記憶をたどり、計算する。
記憶があるということは少なくとも2、3歳にはなっていただろう。
少年の顔立ちからしても、まあ妥当な線だった。
小柄ではあるが、顔立ちはそれなりに大人びていて…まあ悪くない。
「じゃああと一つ。名前は。」
尋ねると、それまでテンポよく帰ってきていた返答が止まる。
しんと沈黙が落ちた。
「……ない」
少年は椅子の上で抱えたクッションに顔を埋める。
「親なしだもん」
「…そうか。」
青年はゆっくり息をつき、告げた。
「俺もだ」
意外な答えに、少年は顔を上げた。
青年は椅子に斜めに腰かけ、視線を窓の外にやっていた。
今日もざあざあと雨が降っていて、景色は灰色に沈んでいる。
遠くを眺める青年は、いったいどんな風に育って、今ここで温かい食事に困らない程度の生活をしているのか。
日々の寝床にも困る少年には想像のつかない、遠い世界の話に思えた。
「とはいえ、呼び名はないと不便だからな。」
ふと視線を戻し、青年は少年に向き直る。
「仕事上は"アロウ"、と呼ばれている。」
そう名乗った。
不思議な響きだ。
「"アロウ"…」
少年は反芻するようにその名をつぶやき、記憶をたどる。
「それって確か…」
街の中心部の彫刻やレリーフやに刻まれているから少年でも聞いたことがある。
「"無謀な英雄"」
「それだな。弓を持っているせいもあって、勝手にそう呼ばれてる」
やれやれ、といった感じに肩をすくめてみせる。
自分でつけたわけではないらしい。
古の勇者たちの中でも特に勇猛と伝えられている人物だ。
ちょっと大げさな気もするが…風変わりなこの青年には不思議と似合っている気がした。
「名前、お前も何か自分で決めて名乗ってもいいんじゃないか」
青年…アロウの提案は、少年には考えたこともないものだった。
「名前なんて、ボクの仕事じゃ使うことない」
再びぼすっとクッションに顔をうずめる。
なんとなくもうこの部屋に居心地の悪さは感じなくなっていた。
「名前があれば、次の仕事をもらうのに役立つかもしれないぞ」
「"次"がある仕事なんて…」
少年の"客"なんて大抵ろくでなししかいない。
…そういえば、例外が目の前にいたんだっけ。
クッションの影からそっとアロウを伺う。
長い前髪に埋もれがちで表情はわかりづらいが、時折のぞかせる赤い瞳は淡々としながらも冷たさは感じさせない。
少なくともひどいことはしないし、屋根は貸してくれるし…おいしいごはん付き。
名前があったら、この人は仕事をくれるだろうか?
でも、名前なんてどうやってつけるのか。
「うーん…」
乏しい知識の中を行ったり来たり。
そして少年はひらめいた。
「じゃあ、あんたがつけてよ!」
「…は?」
「名前!」
いいこと思ついたとばかりに身を乗り出す少年。
勢いに押されアロウがのけぞる。
「お前、そんな適当に…」
「なんでさ。あんたの名前も、どっかの誰かが似てるとかそれくらいの意味でつけたんでしょ?」
「…まあそうだけど…」
「いいじゃん、あんたが適当につけてよ!」
なんとなく納得いかない感じのアロウ。
前のめりになる少年は、目をキラキラと輝かせている。
表情にはちょっと打算も感じさせるけど、きれいな目だった。
星の光のような、銀色の瞳。
「…"シン"」
ふと、言葉が零れ落ちた。
「ん?」
聞きなれない単語に、少年がちょっと首をかしげる。
「…名前。"シン"、というのはどうだ?」
「…シン」
ありふれた男らしさや女らしさとはかけ離れた、シンプルな響き。
「シン。うん、いいかも」
かみしめるように、つぶやき、はにかんだ少年―シンは、
「じゃあさアロウ、名前決まったから"お仕事"させてくれる?」
次の瞬間にはコロッと態度を変えてアロウの手を取る。
ぎゅっと手を握って上目遣い。
だいたいいつもこれで"客"が取れるのだ。
アロウは胡散臭いものを見る目でシンを見下ろすと、その手を外して言う。
「…"仕事"、ね。」
少し思案顔をし、アロウは答えた。
「じゃあ、こっちで仕事内容は決めさせてもらうけど…」
「うんうん、何すればいい?」
期待を込めてシンが見上げる。
「"体で"支払ってもらうかな」
そう言ってにやりと笑う。
冗談めかした言い方にシンは混乱する。
「ど、どういう意味!?」
「さて、どうだろうな」
真っ赤になるシンを、アロウははぐらかして楽しそうに笑ったのだった。
少年は寝台の上で目を覚ました。
横になったまま重たい瞼を開き、窓の景色を眺める。
横倒しになった景色の中、窓を雨粒が次々と流れ落ちていく。
―昨日はちゃんと屋根の下で眠ることができた。
そして朝の支度を急かすものは何もない。
視線をめぐらせるが、部屋に自分以外の人影もない。
穏やかな朝だった。
ぎいっと扉が開く音がする。
反射的に部屋の入り口を見ると、昨日の青年が戸口に立っていた。
腕に荷物を抱え、かぶったままの外套からはぽたぽたと水が滴っている。
「あ…」
声をかけるべきかどうか、少年は一瞬迷う。
その間に青年は無言のまま部屋に入ってくると、荷物を窓際のテーブルに置いた。
少年に背を向け、中身をがさがさと探り、取り出している。
声をかけるタイミングを失い、少年は黙ってもそもそと起きあがる。
昨夜のねぐらはうまくせしめることができたが、もう用は済んでいる。
何か言われる前に、さっさと退散するのが最善だ。
そう考えて立ち上がろうとした少年は、違和感に気づいた。
「…あれ?ボクの服…」
見慣れぬ服を着ていた。
昨晩着ていた泥まみれのぼろではなく、ぶかぶかの麻のシャツ一枚をかぶっていた。
「干してある。…そっち」
青年が部屋の隅を指し示す。
ロープが張られ、そこに昨日の服…シャツやズボンがぶらさがっていた。
昨日と変わらずぼろぼろではあったが、泥汚れは落ちている。
少年の視線がつるされた衣服と、自分の着ているシャツの間を行ったり来たりする。
よく見ると昨日水たまりに倒れこんだ時の泥汚れが自分の体からも消えている。
知らずかっと顔が熱くなった。
もしかして、体も拭かれたのだろうか。
いや、確かに泥だらけだったけど。自分から押し倒したりとかしたけど。
思わず枕元に会ったクッションを引き寄せ、体を隠すように抱えた。
少年が混乱してクッションの陰で百面相をしている間に、青年が荷物の整理を終えて振り返った。
「飯買ってきたから食え。」
簡潔に説明し、テーブルのそばの椅子を指し示す。
「えっ?」
押しかけて屋根の下を貸してもらったことはいくらでもあるが…食事が出てきたなんて経験はない。
困惑していると、青年はめんどくさそうに言い添える。
「うちは1泊めしつき。」
「…なにそれ。意味わかんない」
少年は警戒心をにじませて言う。
見返りのない優しさなんて、一番信用ならない。
「対価なら昨日もらったから。…ほら」
ずいっと青年が腕を突き出した。
手には、ホットドッグの包みが一つ。
パンの間からは野菜と、まだふんわり湯気をまとったソーセージが顔を出している。
…ぐぅ。
少年のおなかが鳴った。
「…体は正直だな」
ぼそっと青年がつぶやく。
「言い方ぁ!!」
少年は思わずクッションを掴んで投げつけた。
テーブルの上には、水差しと、ホットドッグの包みが数種類。
青年はテーブル脇に自分の大きなカバンを引っ張ってくると中から木製の大小の椀を取り出す。
大きい椀に水を注ぐと少年の方に押しやった。
小さい椀に自分の分の水を注ぎ、ホットドッグをひとつ取り上げ、カバンを椅子代わりに座り込む。
「早く食べろ。冷める」
少年にそう言って、自分の分のホットドッグにかぶりつく。
居心地悪そうに椅子の上に膝を立てて座っている少年は、ちらちらと青年の顔をうかがっていたが…
ぐぅ。お腹がまた鳴ってしまい顔を真っ赤にする。
「…いただきます」
小さい声で言って、手前にあるホットドッグにそろりと手を伸ばす。
ふんわりとしたパンは、表面がかりっと焼けていてまだほんのり温かかった。
口元に持っていくとそれだけで香ばしい香りが鼻腔いっぱいにひろがる。
こうなるともう我慢なんてできるわけがない。
これが何かの罠でも構わない。
少年は意を決してぱくっとかぶりついた。
パリッとソーセージが割れ、中からじゅわっと肉汁があふれる。
ふわっとしたパンとスパイスの効いたソーセージのうまみが口いっぱいに広がった。
「……!」
おいしい。久々の上等な食事だ。
思わず無言になり、もぐもぐと咀嚼してはパンにかぶりつくのを繰り返す。
その向かいで、青年はゆっくりパンをかじっていた。
横目で無心にパンを平らげている少年をちらりと見て、自分の手元のパンに目を落とす。
青年にとっては今はもうなんてことのないありふれた、ともすれば質素な食事。
…だが、彼にもかつてパンの一つも得られない日々はあった。
野菜とソーセージを挟んだだけのシンプルなパンを、青年はゆっくりかみしめた。
結局、テーブルの上の包みの大半を少年が平らげて朝食は終わった。
「ごちそうさまでした…」
満腹になり我に返った少年が、気恥ずかしそうに言う。
途中からもう青年が目に入っていないくらいだった。
でも青年は少年が一つ食べ終わる度に次の包みを開けて差し出し、椀の水が減れば注ぎ足していた。
人に世話を焼かれたことなんて、いったいいつぶりだろうか。
居心地の悪さを感じてそわそわと青年の顔をうかがう。
「…あの、あとでなんかよこせとか言う?」
「言わない。」
青年は空になった椀を片付けながら即答する。
「けど、いくつか質問に答えてもらおうか」
「質問?」
少年に学はない。
見聞きしてきたことも、この町のごみ溜めみたいな一角のことくらいしか知らない。
いったい何を聞くというのだろうか。
「お前、今晩の寝床はあるのか」
「うっ…ない」
いきなり痛いところを突かれた。
そんなものはあるわけない。
ここを出たら、またどこか屋根を貸してくれる"客"を探さなければならない。
「そうか。」
青年はあっさり流すと、さらに尋ねる。
「じゃあ次。年はいくつだ」
「年ぃ?」
路地裏で育った少年に、年齢を数えるという習慣はない。
「そんなの数えたことない。でも、ちゃんと大人だよ」
「…へえ?大人、ねえ」
うさんくさそうに少年を見る青年。
しかし返ってきたのは、意外にしっかりした答えだった。
「前の王様の即位パレード、覚えてるもん。」
「なるほどな。あれは…15年前だな」
青年は記憶をたどり、計算する。
記憶があるということは少なくとも2、3歳にはなっていただろう。
少年の顔立ちからしても、まあ妥当な線だった。
小柄ではあるが、顔立ちはそれなりに大人びていて…まあ悪くない。
「じゃああと一つ。名前は。」
尋ねると、それまでテンポよく帰ってきていた返答が止まる。
しんと沈黙が落ちた。
「……ない」
少年は椅子の上で抱えたクッションに顔を埋める。
「親なしだもん」
「…そうか。」
青年はゆっくり息をつき、告げた。
「俺もだ」
意外な答えに、少年は顔を上げた。
青年は椅子に斜めに腰かけ、視線を窓の外にやっていた。
今日もざあざあと雨が降っていて、景色は灰色に沈んでいる。
遠くを眺める青年は、いったいどんな風に育って、今ここで温かい食事に困らない程度の生活をしているのか。
日々の寝床にも困る少年には想像のつかない、遠い世界の話に思えた。
「とはいえ、呼び名はないと不便だからな。」
ふと視線を戻し、青年は少年に向き直る。
「仕事上は"アロウ"、と呼ばれている。」
そう名乗った。
不思議な響きだ。
「"アロウ"…」
少年は反芻するようにその名をつぶやき、記憶をたどる。
「それって確か…」
街の中心部の彫刻やレリーフやに刻まれているから少年でも聞いたことがある。
「"無謀な英雄"」
「それだな。弓を持っているせいもあって、勝手にそう呼ばれてる」
やれやれ、といった感じに肩をすくめてみせる。
自分でつけたわけではないらしい。
古の勇者たちの中でも特に勇猛と伝えられている人物だ。
ちょっと大げさな気もするが…風変わりなこの青年には不思議と似合っている気がした。
「名前、お前も何か自分で決めて名乗ってもいいんじゃないか」
青年…アロウの提案は、少年には考えたこともないものだった。
「名前なんて、ボクの仕事じゃ使うことない」
再びぼすっとクッションに顔をうずめる。
なんとなくもうこの部屋に居心地の悪さは感じなくなっていた。
「名前があれば、次の仕事をもらうのに役立つかもしれないぞ」
「"次"がある仕事なんて…」
少年の"客"なんて大抵ろくでなししかいない。
…そういえば、例外が目の前にいたんだっけ。
クッションの影からそっとアロウを伺う。
長い前髪に埋もれがちで表情はわかりづらいが、時折のぞかせる赤い瞳は淡々としながらも冷たさは感じさせない。
少なくともひどいことはしないし、屋根は貸してくれるし…おいしいごはん付き。
名前があったら、この人は仕事をくれるだろうか?
でも、名前なんてどうやってつけるのか。
「うーん…」
乏しい知識の中を行ったり来たり。
そして少年はひらめいた。
「じゃあ、あんたがつけてよ!」
「…は?」
「名前!」
いいこと思ついたとばかりに身を乗り出す少年。
勢いに押されアロウがのけぞる。
「お前、そんな適当に…」
「なんでさ。あんたの名前も、どっかの誰かが似てるとかそれくらいの意味でつけたんでしょ?」
「…まあそうだけど…」
「いいじゃん、あんたが適当につけてよ!」
なんとなく納得いかない感じのアロウ。
前のめりになる少年は、目をキラキラと輝かせている。
表情にはちょっと打算も感じさせるけど、きれいな目だった。
星の光のような、銀色の瞳。
「…"シン"」
ふと、言葉が零れ落ちた。
「ん?」
聞きなれない単語に、少年がちょっと首をかしげる。
「…名前。"シン"、というのはどうだ?」
「…シン」
ありふれた男らしさや女らしさとはかけ離れた、シンプルな響き。
「シン。うん、いいかも」
かみしめるように、つぶやき、はにかんだ少年―シンは、
「じゃあさアロウ、名前決まったから"お仕事"させてくれる?」
次の瞬間にはコロッと態度を変えてアロウの手を取る。
ぎゅっと手を握って上目遣い。
だいたいいつもこれで"客"が取れるのだ。
アロウは胡散臭いものを見る目でシンを見下ろすと、その手を外して言う。
「…"仕事"、ね。」
少し思案顔をし、アロウは答えた。
「じゃあ、こっちで仕事内容は決めさせてもらうけど…」
「うんうん、何すればいい?」
期待を込めてシンが見上げる。
「"体で"支払ってもらうかな」
そう言ってにやりと笑う。
冗談めかした言い方にシンは混乱する。
「ど、どういう意味!?」
「さて、どうだろうな」
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