ワガママ令嬢に転生かと思ったら王妃選定が始まり私は咬ませ犬だった

天冨 七緒

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1巻

1-1

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 ニルベネル王国で王妃選定――正確には王子妃となる王子の婚約者選定だが、未来の王妃の選定であるためか、王国ではいつの頃からかこのように呼ばれている――が始まり一年。
 本日、二人の候補者のうち一人が王子の婚約者として発表される。
 国の分岐点ともいえる重大な発表がなされるこの日、城の大広間には多くの貴族と王族が集められ厳粛な雰囲気が漂っていた。
 貴族達は王子の婚約者に相応ふさわしい令嬢を頭の中で思い浮かべながら、国王陛下により公表されるのを神妙な面持おももちで待ち構えている。

「一年に渡り、我々は王妃候補二人を見定めてきた。ヴァレリア・ルルーシアン公爵令嬢。令嬢は我が国が抱える難題を思わぬ方法で解決し、民を救う姿……王族としてそなたを誇りに思う」
「私も貴重な体験をさせていただき、国民の一人として嬉しい限りです」
「メルティーナ・ダルトン伯爵令嬢。そなたの芸術に対する探求心は良かった。そして何より、王子のことを身を呈して庇う献身は、簡単に出来るものではない……よくやった」
「……はぃ……お言葉……しかと受けとりました」
「二人の候補はそれぞれが魅力的な能力を持ち、選考には難航し最後まで意見が割れていたが、我が息子、グレンバルディオの婚約者に相応ふさわしい者を決定した」

 国王陛下は貴族を見渡し、次期王妃となる令嬢の名を発表する。

「次期王妃としてグレンバルディオの婚約者に相応ふさわしいのは……」


 * * *


 時は遡り、世界さえも変わる。
 私、くぬぎは、高校を卒業後、ピアノ専攻で国立の音楽大学を受験した。
 幼い頃にピアノに魅了されてから、ピアノ以外何もないと言っても過言ではない半生を送ってきた。
 脇目も振らずにピアノに人生を捧げ、人付き合いよりもピアノを優先してきた。
 私に親しい友人と呼べる人はいない。それを悲しいと思ったことはなく、私にはピアノがありピアノさえあれば十分だった。

「そんなに夢中になれるものに子供のうちに出会えるのは素晴らしいことだよ」

 親も親戚も近所の人さえも私がピアノを優先することに好意的で、いずれ私が音大に行くのは必然だと思われていた。私も当然のように音大を受験した。
 大学受験の結果は……不合格。
 私は志望校をある一つの音大に絞っていた。
 試験では今までにない程完璧に演奏することが出来、私は合格を確信していた。

「どうして……」

 何度確認するも結果は、不合格。
 それからいくら考えても不合格だった理由に見当がつかなかった。

「私の努力は間違っていたの?」

 何度思い返してみても不合格になる要素を見つけられない。

「もしかしたら筆記の方で名前を書き忘れた? 受験番号を間違えた?」

 そのぐらいしか落ちる原因が見当たらず、その日から私は何もする気にならなかった。
 勿論、ピアノにも触れていない。
 私が音大を受験したことは近所の人達皆が知っていること。偶然出会すとその話題を振られる。
 行っていない大学の話をして嘘だとバレた時、余計惨めな思いをすると思い、素直に「不合格でした」と言った。
 一度気まずい経験をしてから、外出するのを避けるようになった。
 それでも「引きこもり」とは言われたくなくて自身の部屋からは出るようにし、家族で外食すると言われれば外出もした。今までピアノしかしてこなかった私は、ピアノが無くなると何をしていいのか分からなくなった。

「今まで少し頑張りすぎちゃったね、今はゆっくりしてもいいんじゃない?」

 無気力な私を親は急かすことなく受け入れてくれていた。
 働く親を見送り後ろめたさを感じつつも、私はテレビで世間の情報を取り入れる。エンタメやニュース、バラエティーにドラマ……見たいわけではなく、世の中に取り残されないようにする為だった。
 どうにか家族の役に立とうとテレビで得た掃除術などを実践する日々。
 そんな日が、何年も続いたある日。

「ねぇ、車の免許取ってみたら?」

 母親に提案され、私は自動車学校に通うことにした。
 私自身「今の状態ではいけない」「何かしらやらなきゃ」と焦る気持ちがあるも、やらない理由ばかりを探していた。
 そんな私が自動車学校に通いだしたのは行かない理由が見付からないというより、「学校」だったから通うことにしたのかもしれない。
 自動車学校は様々な年齢の人が一緒に授業を受けていた。
 皆は学校や仕事の休日を使って免許を取っていたのだろう。
 私は時間がありあまっていたので一日中授業を受けていて、帰る頃には辺りは暗かった。
 私が通う自動車学校は道幅が狭く見通しの悪いところにあり、母にも気を付けて帰るよう言われた気がするが、おざなりに返していた。
 その結果、私は授業を終えた帰り道で自転車に突き飛ばされ、車道に飛び出し跳ねられた。痛みなど感じる暇もなく眠気が襲い意識を手放す。
 これが私の、『椚田希依』としての記憶。私がこの記憶を思い出した、あるいは、この記憶を持ったままこちらの世界で憑依してしまったのは、王子の婚約者が決まる一年前――王妃選定の直前だった。


「ぅっん……ん…」

 まだ眠い。もっと眠っていたい。

「お、お嬢様、お目覚めになったのですね?」

 夢にしてはハッキリとした声に瞼を開けると、見知らぬ人が真剣な表情で眠っていた私を覗き込む。

「へっ? 誰?」

 相手と距離を取り辺りを見渡すも、記憶にない、というよりもまるで映画のセットのような部屋だった。まだ夢を見ているのだろうか?

「あの……私……どうしてここに?」

 目の前の相手に尋ねると、驚いた表情を見せる。

「お嬢様は王宮からの帰りの馬車で事故に遭いました。車輪に不具合があったようで、大きく揺れた際に頭を強打し気絶しておりました」
「王宮……馬車……」

 女性の言葉に私の頭はついていけなかった。王宮も馬車も私には馴染みのない言葉。それによく見ると目の前の人物は日本人離れした顔立ちをしている。
 きっと私はまだ夢の中で、映画の世界を体験しているのだろう。

「今はまだゆっくりお休みください。すぐにお医者様を呼んで参ります」

 女性が部屋を出ていったので私は一人になった。これがどんな夢なのか思考を巡らせる。

「お嬢様と呼ばれているから西洋のお姫様だったりするのかな?」

 ベッドから起き上がり、自らの足で立ち上がれば、感触がありとてもリアルな夢だ。好奇心で部屋を見渡し、鏡を発見したので自身の姿を確認する。

「……うわっ、美人」

 鏡に映ったのは私の知る私ではなく、赤い髪と瞳の美しい女性の姿だった。

「現実みたい……え?」

 両頬に触れると夢とは思えない感触に驚く。

「何? 私に……何が起きたの?」

 急に怖くなり、心臓が早くなる。怖い怖い怖い。
 混乱している私のところに、使用人に呼ばれた医者らしき人物とさらに一組の男女が登場した。医者は冷静に私を診察し、その後ろでは落ち着きの無い女性を「大丈夫だから」と声を掛け宥める男性がいる。

「……多少の記憶の混濁はありますが、徐々に思い出すでしょう。今のところ目立った外傷はなさそうですね。今日は安静でいるように」
「ヴァレリア、大丈夫? 心配したのよ」

 離れる医者と入れ替わるように女性が駆け寄り私を抱き締めた。私の姿を見て、男性も安堵したように笑っている。

「……ぇっと……ぉ……母ぁさ……ま?」

 年齢的に若いと感じるが、状況から察するに私とこの人達の関係はこう呼ぶのが正しいのだろう。

「良かったわ。ヴァレリアがなかなか目覚めないから心配していたのよ。来週には王城に移るっていうのに」

 呼び方は正しかったようで安心するも、別の疑問が浮上した。

「……来週? ……王宮……移る?」
「そうよ、もう来週よ。王妃選定は……」

 女性は私の頭を優しく撫でる。頭を撫でられるのが久しぶりで「王妃選定」という言葉を脳が処理するのに時間が掛かってしまった。

「王妃……選定……」

 王妃選定。日本人として育った私には馴染みのない言葉だが、言葉通り王妃を選定する何かだと予想した。

「大丈夫。ヴァレリアなら、王妃になれる資質は充分よ……それとも体調が戻らず不安?」

 不安が伝わったのか女性が私を覗き込む。
 私は王妃候補らしい。

「……あの、王妃選定を辞退って……」

 出来ませんか? と女性の顔色を窺いながら口にする。

「え?」
「ぁっ、えっと……」

 この反応からして辞退するなどもってのほか、のようだ。どう誤魔化そうか。

「頭をぶつけたせいで記憶が曖昧なので、今の状態で王妃選定に出場するべきではないのではないかと思いまして……」

 これが夢ではなく、現実だったら……
 いずれ日本人の私の記憶が消えヴァレリアの記憶が戻るのであれば、誤魔化しながら王妃選定に出てもいいが、ずっと記憶が戻らないのであれば王妃選定に出るべきではないと思う。

「ヴァレリア……あなた……本気で王妃選定を辞退したいの?」
「……あの……記憶が……混濁していて……そのぉ……このまま出場して大丈夫なのかなぁ……と……」
「そうね。貴方は目覚めたばかりで不安ですものね。だけど、大丈夫よ。お母様もお父様もヴァレリアを応援しているし、いつもあなたの味方だから」

 優しく抱き締められ背中を擦られる。女性の優しさ溢れる行為から辞退は許されないんだと悟る。
 その後、私が目覚めたばかりということで二人は気を利かせ部屋を出ていった。

「これは夢。現実……じゃないよね?」

 手の甲や頬を抓ってみる。痛みを感じるが信じ切れない。
 頑張って現実逃避するも、未だに夢から覚める気配はなかった。
 私の今の状況はヴァレリアという女性に「憑依」した状態なの? 
 それともあの時に死んで、今の私は前世を思い出した状態である「転生」というやつ? 
 命にかかわる事故に遭うと特殊な能力を授かったり過去を思い出したりすると聞いたことがある。
 ヴァレリアも頭を強打した衝撃で何日も眠り続けていた。
 それにより今のヴァレリアの記憶が曖昧になり過去の記憶が甦ったのかもしれない。
 どちらにせよ、あの時私は死んだことになる。あの日、確かに自転車に突き飛ばされた。その勢いで車道に飛び出し車に跳ねられたのは鮮明に覚えている。
 痛みなど感じる暇もなく気を失い、目覚めたら今。

「私、死んだんだ……」

 そう口に出せば、知らない人間として生きていくという不安と同時に、過去の私を知る人がいない世界であれば、また外に出ることが出来るかもという気持ちが芽生える。

「お母さん……お父さん……ごめんね」

 最後まで心配をかけた上に、突然死んだ親不孝な娘で……だけど、ここでならゼロから生きていけそう。
 私は、あの生活から逃げ出したかったが、何か切っ掛けがないと変われなかった。流石に死にたいとまでは思っていなかったが、これくらいの急激な変化を望んでいたのかもしれない。


 目を覚ましてから数日。私は自分がヴァレリアという人物になったことを受け入れ、王妃選定とやらのために情報収集を始めることにした。
 頭を強打し記憶が曖昧だと伝えたこともあり、普段のヴァレリアとは違う言動をしても両親は不審には思っていない様子だ。

「時間が解決するでしょうから、焦らず様子を見ましょう」

 医師の言葉を信じ、両親は「今は何も気にせず、ゆっくりでいいのよ」と前世の両親のように寛大に私を受け入れてくれている。
 今の私は使用人がいる家庭で育ち来週から始まる王妃選定に立候補していて、辞退は許されないらしい。

「ここはもしかして……貴族社会というやつ?」

 前世で話題だったアニメの中にそんな話があったのを思い出す。
 事故にあった女子高生が、大好きだった乙女ゲームの世界に転生してしまうというもの。

「私……乙女ゲームなんてしたことないんだけど……」

 ゲームもアニメも詳しくない私が、あれを実際に体験しているのかもしれない。
 確か、貴族社会の世界で平民が王子に恋をしてしまう身分差の恋愛ゲームに転生してしまうアニメだった。
 主人公は悪役に転生してしまい、ゲーム知識を活用して不幸な運命から逃れる物語と記憶している。

「私……ゲームとか分からないんだけど……」

 予備知識のない私があのアニメのように、今の状況を乗り切れるとは思えない。
 この世界の現実的な情報を求めて、部屋の中に何か無いか探ることにした。
 すぐに聞き込みを始めてしまったので見落としていたが、自室の机の上には多くの新聞が山積みとなっていた。以前の私は新聞をまめに利用し情報を取り入れていたらしい。この世界の情勢を知るには新聞はありがたいと感じ、手に取り目を通す。そして愕然とした。

「この世界の新聞はこんな感じなの?」

 こちらの世界の文字が読めることよりも、その内容に驚く。
 国内の情勢を伝えるというよりも貴族の浮気や不倫など下世話なものが多く、前世のゴシップ紙に近い印象を受けた。
 中には「東部の領主が医療施設に多額の支援」など功績を称えるものや、「ある貴族の内部事情」などの不正を告発するような記事もあるが、大半を占めているのは王子の恋人についてだった。相当反響が良いのか何度も新聞の一面を飾っている。
 そしてその中には刺激的な表題で目を引くものが存在した。

「誰もが認める王子の恋人とワガママで有名な令嬢が王子妃の座を巡る」

 他の新聞はそこまで挑発的な文面ではないが、ある一紙だけはとても踏み込んだ内容で掲載されている。その記事が事実なのかわからないところだが、人間模様が詳細に書かれているのでつい読み込んでしまう。

「王子と恋人のメルティーナ・ダルトン伯爵令嬢との出会いは、王家主催のパーティー。二人は政略など関係なく仲の良い友人として知り合う。日を追うごとに関係は親密となり、人目を忍び逢瀬を交わす二人の姿を目撃した者により噂が広まる。そして二人は、社交界では公然の秘密となった」

 それならそのままダルトン伯爵令嬢と婚約すればいいのにと思うのだが、次期王妃となる女性を何の選定もなく決定することは出来ず、件の「王妃選定」があるようだ。
 王妃候補の条件としては「伯爵家以上の未婚女性」「貴族としての教養を身に着けている者」「年齢が王子と釣り合う者」である。ちなみに、暗黙の了解で年齢は十三歳から二十二歳までらしい。条件に見合う令嬢達は強制参加ではなく、その中から立候補者を募り五人前後まで絞り込み選ばれた令嬢達が次期王妃の座を巡って競う。
 しかし今回、王子の心が既に決まっていることを誰もが知っている。
 ダルトン伯爵令嬢に目立った瑕疵はなく、彼女が次期王妃となることに何の問題もない。
 結果の見えている王妃選定に参加したところで己の経歴に傷が付くのみと理解している令嬢がほとんどで、今回の王妃選定は立候補者がほぼいなかった。そんな状況の中、唯一名乗りをあげたのがヴァレリア・ルルーシアン公爵令嬢。
 ルルーシアン公爵は、長年王家を支える存在で信頼も厚い。領民からも慕われ夫人も社交界での人脈が広い。二人に欠点と呼べるものはないが、あるとすれば王妃選定に参加するヴァレリア自身。
 周囲が必要以上に気を遣い、彼女の願いを先回りして叶えてきた結果、世間知らずのワガママ令嬢が出来上がってしまった。平民でさえ、ヴァレリアの素行の悪さを耳にしている。

「そんな女が次期王妃になったら国はメチャクチャにされる」

 と正直な平民の言葉が記事に載っているほど。

「うわぁー、この子、やっちゃってるわぁ」

 他人事のように呟くが、未だに自分がそのワガママ令嬢だなんて結び付かない。
 パーティーで三人が一堂に会した時のことを伝える記事には、「爵位を笠に着て傍若無人に振る舞い暴言や嫌がらせをするヴァレリアに対し、そんな嫌がらせにも健気に耐えるダルトン令嬢」と、まるでよくある恋愛物語のように書かれていた。劇のあらすじを読んでいるようにも感じてしまう。よく見ると新聞の端に、王妃選定を題材とした劇の宣伝が掲載されている。私自身、自分が渦中の人間でなければ無責任に楽しんでいたかもしれない。
 つまり、私ことヴァレリア・ルルーシアンは、貴族からも平民からも日々の不満の捌け口として手軽に正義を振りかざせる、分かりやすく都合のいい悪役なのだ。
 頭が痛いが、王妃選定が始まればようやく慣れたこの公爵家を離れ、王宮での生活となる。
 次期国王とほぼ確定している王子の名は、グレンバルディオ・ニルベネル。ニルベネル王国の第一王子であり、次期国王として能力も申し分ないと言われている。写真という技術はこの世界にはなく新聞は白黒なので、似顔絵と共に特徴も記載されていた。
 それによると王子は、王族特有のまばゆい金髪に、王妃譲りの水色の瞳を持つとても美丈夫な青年らしい。
 王子の恋人であるメルティーナ・ダルトン伯爵令嬢は可愛らしい顔立ちで、薄桃色の髪と瞳が特徴の令嬢だ。

「令嬢が王妃になれば、平民と貴族の架け橋となってくれるだろう」

 平民の支持を得ていることがよく分かる記事だ。
 対照的に、想い合う恋人達を引き裂く悪魔のような令嬢としてヴァレリア・ルルーシアンの紹介もされている。

「生粋の貴族である令嬢は、パン一つの値段も分からないだろう。令嬢の燃えるような赤い髪と瞳は国民の血税を吸い尽くす吸血鬼のようだ」

 過激な文言だけでなく、似顔絵も似てはいるが片方の口角が上がり悪人のような笑みに描かれている。

「公平さに欠ける新聞ね……まあ、ゴシップ紙ってそんなもんよね」

 内容は兎も角、彼らの外見と名前を把握することができた。
 ゴシップ紙を眺めていると、大きな音を立てて部屋の扉が開いた。
 ノックもなく無遠慮にヴァレリアの部屋に入ってくる失礼な男の存在は、先日知った。
 彼は明るい茶色い髪と瞳を持ち、私とは全く似ていない。

「まだこんなところで現実を認めずぐだぐだと……さっさと王妃選定を辞退してください。貴方のような人が王妃になれると本気で思っているんですか?」

 この屋敷で唯一ヴァレリアに面と向かって非難してくる男、レイモンド・ルルーシアン。
 幼い頃に養子として引き取られ、ヴァレリアが王妃となった時には、ルルーシアン公爵を継ぐことになっている。

「はぁ……」

 以前の記憶は忘れてしまったが、関係は元から最悪だったのだろう。私も今では彼の声を聞くだけで疲れて溜め息が出てしまう。私だって王妃になる気は無いが、王妃選定を辞退することが出来ないのを目の前の男は理解していない。それどころか……

「あんなに可憐で心優しいメルティーナ・ダルトン伯爵令嬢という方がいらっしゃるんです。あなたの出る幕はない、身のほどを知るべきです」

 彼はメルティーナ・ダルトン伯爵令嬢に心酔している。

「そもそも僕は、あなたが公爵令嬢だなんて信じられない。僕がルルーシアン公爵を継いだら、貴方を公爵家から追放してみせます」

 宣言するレイモンドは、自分の考えは正しく現公爵も同意し反対するはずが無いと思い込んでいる。
 今頃、彼の頭の中では公爵となった自分が私を追い出し、王妃となったメルティーナ・ダルトンに忠誠を誓っているのだろう。
 憐れんだ目で私は彼を見つめていた。
 何故なら、私、ヴァレリア・ルルーシアンは両親にとても愛されている。王妃選定の辞退は許してもらえないが、あの溺愛ぶりは落選しても私を捨てるようなことはしないだろう。自信満々の彼を見ていると、こんな思い込みの激しい人物が次期当主で大丈夫なのか不安に思う。
 全く興味を惹かれない独り善がりな義弟の演説が終わると、彼は満足したように私の部屋から出て行く。

「お嬢様?」

 再度溜め息をつく私に、心配したように私付きの使用人ジャネットが声を掛けてくる。
 ジャネットは私が幼い頃から傍にいる使用人で、数年前に私付きとなり王宮にも共に入る予定でいる。公爵夫妻からの信頼も厚く、ジャネットの母も公爵家で長年使用人として働いてくれていた。王宮に入るには、かなり厳しい身辺調査を受けるが、それを問題なく通過した人物だ。

「お父様は何故、彼を養子にと選んだのかしら?」

 レイモンドは公爵家を継いだら伯爵家の傘下に入る勢いだ。そんなことになれば、社交界でいい笑い者だろう。そして、あのゴシップ紙にも面白おかしく書かれるのが目に見える。

「お嬢様と年齢が近いことで不憫に感じた旦那様のご判断です。当時王都で蔓延した疫病で両親を無くし、引き取り手がなく孤児院に連れていかれる彼に同情したとかで、遠縁の旦那様が跡継ぎとして引き取ることにしたそうです」
「……そんな経緯があるのに何故?」
「……レイモンド様はきっと、伯爵令嬢のことを……」

 ジャネットはそれ以上言葉を発しなかったが、続きを予想することは出来る。
 レイモンドは彼女のことが好きなのだと言いたいのでしょ?

「……相手は王子の恋人よ?」
「……止められなかったのでしょう」

 ジャネットは過去の恋愛を振り返るように、「人を愛するとはそういうもの……」と、一人窓の外を眺めている。
 恋愛……私の人生には無縁のものだった。人を好きになる以前に人に、興味がなかった。私の全てはピアノ。ピアノが友人で恋人だった。

「愛……」

 年齢を聞いてはいないが、ジャネットは私よりも二十は年上に見える。
 ちなみに、私ことヴァレリア・ルルーシアンは十八歳で王子も同い年。私の対立候補である王子の恋人は十九歳と一つ年上。一つぐらいの差は貴族社会ではゼロに等しい。生まれたばかりの赤ちゃんと婚約する成人男性も存在し、女性の純潔を尊ぶこの世界では珍しくないそうだ。
 幼い頃から誓約を与え純潔を守る貴族令嬢に対して、男は浮気も愛人も娼婦も許される。男性の不貞で婚約解消となっても、繋ぎ止めておけなかった令嬢が傷物として社交界で笑われる。相手が相当悪く証拠も揃い裁判で確実に勝利した時にのみ男性にそれ相応の代償が下るとか。それだけ婚約解消・破棄・離縁は女性側に大きな傷を残すものらしい。
 義弟の恋も慕っている相手がただの伯爵令嬢であれば問題はなかった。だが、実際は王子の恋人。そんな相手に手を出せばどうなるか、本人もそれは理解しているのだろう。
 自分に唯一出来るのは「愛した人の幸せを願うこと」なんてことを考えていそうだ。

「まるで主人公に恋をする当て馬みたいな役回りね」
「今なんと?」
「ううん、独り言」

 そんなに好きなら、当たって砕けたらいいのに。本人にきっぱりと断られたら未練なく諦められるだろうし、中途半端に引き留めようとすればそれは小悪魔な証拠。万が一義弟を受け入れたら受け入れたで悪女ということが分かるのに。
 まぁ、あの様子だと受け入れられて利用されたとしても義弟は気付くことなく、全力で彼女の味方になるだろう。
 玉砕覚悟で思いを告げる根性もなく、義姉に当たり散らすしかできないなんて……

「はぁぁ」

 一呼吸してから、私は今回の件を父に包み隠さず伝えることにした。私としては父の考えも知りたかったからだ。娘を愛し幸せを願っている父親だとこの数日で実感しているが、貴族社会では跡取りが重宝されると聞く。本心では女より男、実の娘より養子の跡取りを大事に思っているかもしれない。
 父は私の話を聞き終えると、義弟の元を訪れた。


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