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「大将~。いつもの──」
「──ふたつ!」
そう爽やかに声を出して店に入ってきたのは、もうすっかり知った顔。俺の声を確実に認識してる聴力には毎度ビビるが、すぐに波々注がれた翠(みどり)のジョッキをふたつ持って近づいてくる姿に悪い気はしない。なにせこいつは男の俺でも見惚れるほど、驚くぐらいに顔が良い。
「また来たか、翠くん」
「はいっ。麦さん、絶対居ると思ってっ」
人懐こい笑顔。道を歩いてりゃ誰もが思わず振り返っちまうような端正な顔立ちは、それだけでツマミになりそうだ。差し出されたジョッキを受け取る。とりあえずビール、が染み付いたリーマンの俺が以前は選択肢にも入れてなかった、ここの店が独自に卸してる特別な酒のソーダ割り。ものは試しと飲んでみたら、驚くぐらいに美味かった。
「とか言って、翠くんも良く来るじゃない」
「俺はまぁ、その、ね!」
勢いで話題を逸らそうとする向こう見ずな態度は、最初の印象と変わらない。
翠(みどり)くんは謎多き男だ。
俺が元々贔屓にしてたこの角打ちに突然現れて、いきなりこの酒を勧めてきた。強引だがそれを許せる美貌と愛嬌で、俺もそれに押し負けて。今じゃすっかり、この酒にハマっちまった。
俺が彼を翠くんと呼んでるのも、それが由来。
そう、なんと『翠くん』って名前も、彼の本当の名前じゃない。翠ってのはこの酒の名称で、どうしても自分の素性を明かしたがらない彼に、俺がとりあえずつけてやった適当なあだ名なのだ。
『え!いやいや!俺が名乗れないのに名前聞くとか、できません!』
『なんじゃその理屈。──あ、じゃあ、あんたの名前は「翠」にしよう。この酒、そういう綺麗な色だしな』
『おお~……っ。緑、っすか!いいっすね!』
『んじゃあ……俺のことは麦で。ビール、飲んでたから』
『? なに言ってるんですか??』
翠くんは綺麗だがバカだ。妙に知識が乏しく、頻繁にトンチンカンなことを言う。だがそこが可愛い。可愛い、と思うくらいには俺は翠くんに惹かれていて、恐らく俺みたいなやつは男でも女でもゴロゴロ居ると思われる。つまりは要する魔性の男。でも彼になら騙されてもいい、と思えるのがまた、タチが悪い。
とにかくそんな経緯を経て俺は「麦」となり翠くんは「翠」となった。この角打ちでしか会わない奇妙な関係。でも仕事と家と酒のルーティンだけが基本の俺には、こうやって翠くんと一緒に過ごすひとときが、瑞々しくて清々しい時間でもあった。
「「乾杯!」」
ジョッキを合わせて、揃って一息。喉を通り抜ける独特なフレーバーに、日本の夏の湿気った暑さが洗い流されていく。
「んっまい」
「へへっ。っすねぇ」
「なぁ。よくこんなの作ったよな」
「へへへ……っ。はぁ~。麦さん、マジで美味そうに飲んでくれる。いいな~」
「っ。」
綺麗な色のジョッキをまじまじと見つめる俺に、なぜか翠くんは殊の外嬉しそうに笑って俺にもたれ掛かってくる。同程度の身長、いや、実際にはちょびっとだけ俺より背が高い翠くんがそんなことをすると、なんだか少し不格好だ。
でもそんな無邪気な行動に、俺は息を詰めてしまう。そりゃそうだ、しがねぇリーマンとして暮らす俺は、美男美女とのふれ合いなんて基本的には金を積まなきゃ得られない。それが、タダで──しかも割と惹かれてる相手からされちまうってのは、なかなかどうにも心臓に悪い。
……とは言え、社会人としてそれなりの平常心は心得てるつもりだ。俺はジョッキを持ったままぐいっと肩でその身体を押し返してやる。
「おいおい、酔ってんのか?」
「よってま~す♡」
「いやいや、あんた確実にザルだろ」
翠くんは酒が強い。何杯もチャンポンでガバガバ飲むようなアホな飲み方はしないが、それでもなんとなくピンと来るものがある。それはこの角打ちで何年も呑兵衛たちを見てきた観察眼──みたいなもんだ。酒の強弱はなんとなく雰囲気で匂う。まぁそこまでドンピシャに当たるわけじゃねぇが、それでも、絶対に弱いほうじゃないだろう。
「……酔ってる、ってことにしてくださいよぉ」
「ん?」
「ん~~~……」
だが、俺の指摘を聞いてあからさまに翠くんは口をとがらせる。不機嫌。拗ねてる。不貞腐れてる……どれにも当てはまりそうだが、それも絵になるのがニクい所だ。ツンと尖った唇に自然と目が行って。俺、まだ意外と性欲あんだなぁ、とどうでもいい所で自分に感心する。
そんな俺をさらっと眺めた翠くんは。負けん気にほんの少しだけの切なさを一絞りした絶妙フレーバーで、ずいっともう一度俺に近づいた。
「……ねぇ、麦さん」
「あ?なに?」
「麦さんって男大丈夫?」
「え?どういう意味?」
「抱けるかってこと」
「ぶっ!」
吐き出さなかったが盛大に噎せた。テンポのいい会話で突然ブッ込まれた、噎せるに相応しい相応の質問。
抱けるか──それはもちろんなかよしこよしのハグじゃねぇ。くんずほぐれつのセックスってことだ。だとしてもその質問チョイスはどこスタートにしたっていきなりすぎるだろ、とゴホゴホしながらドンドン胸を叩くと、心配そうに背中を撫でられる。
「えっ、麦さんだいじょぶ?」
「いやあんたのせいだろ!?」
「でも俺抱けるかって聞いただけじゃん」
「いやいやそれ脈アリってことだろ!?」
「脈アリ?うーんドクドク言ってる。速め!」
「いやいやいや、そっちの脈じゃねぇって!」
俺の右手首に指を当ててウンウン頷く翠くんの言動に毎度のキレツッコミしつつ、ようやく落ち着いてきた呼吸に俺はふぅぅぅ、と胸を落ち着ける。いやいや、ただの聞き間違いかもしれねぇ。あぁそうだ、天地がひっくり返ったって翠くんと俺がセックスするような世界線は存在しねぇ。
……よし。すべてをなかったことにしよう!
俺が朗らかにさっきまでの現実を放棄した所で、やっぱり翠くんは軽やかな笑顔のナイスタイミングで口を開く。性懲りもなく。俺を。どうしようもねぇ現実沼へと引きずり戻すために。
「で?どう?抱けるかな?」
「いや、だから──ッ、マジでちょっと待ってくれって!!」
「──ふたつ!」
そう爽やかに声を出して店に入ってきたのは、もうすっかり知った顔。俺の声を確実に認識してる聴力には毎度ビビるが、すぐに波々注がれた翠(みどり)のジョッキをふたつ持って近づいてくる姿に悪い気はしない。なにせこいつは男の俺でも見惚れるほど、驚くぐらいに顔が良い。
「また来たか、翠くん」
「はいっ。麦さん、絶対居ると思ってっ」
人懐こい笑顔。道を歩いてりゃ誰もが思わず振り返っちまうような端正な顔立ちは、それだけでツマミになりそうだ。差し出されたジョッキを受け取る。とりあえずビール、が染み付いたリーマンの俺が以前は選択肢にも入れてなかった、ここの店が独自に卸してる特別な酒のソーダ割り。ものは試しと飲んでみたら、驚くぐらいに美味かった。
「とか言って、翠くんも良く来るじゃない」
「俺はまぁ、その、ね!」
勢いで話題を逸らそうとする向こう見ずな態度は、最初の印象と変わらない。
翠(みどり)くんは謎多き男だ。
俺が元々贔屓にしてたこの角打ちに突然現れて、いきなりこの酒を勧めてきた。強引だがそれを許せる美貌と愛嬌で、俺もそれに押し負けて。今じゃすっかり、この酒にハマっちまった。
俺が彼を翠くんと呼んでるのも、それが由来。
そう、なんと『翠くん』って名前も、彼の本当の名前じゃない。翠ってのはこの酒の名称で、どうしても自分の素性を明かしたがらない彼に、俺がとりあえずつけてやった適当なあだ名なのだ。
『え!いやいや!俺が名乗れないのに名前聞くとか、できません!』
『なんじゃその理屈。──あ、じゃあ、あんたの名前は「翠」にしよう。この酒、そういう綺麗な色だしな』
『おお~……っ。緑、っすか!いいっすね!』
『んじゃあ……俺のことは麦で。ビール、飲んでたから』
『? なに言ってるんですか??』
翠くんは綺麗だがバカだ。妙に知識が乏しく、頻繁にトンチンカンなことを言う。だがそこが可愛い。可愛い、と思うくらいには俺は翠くんに惹かれていて、恐らく俺みたいなやつは男でも女でもゴロゴロ居ると思われる。つまりは要する魔性の男。でも彼になら騙されてもいい、と思えるのがまた、タチが悪い。
とにかくそんな経緯を経て俺は「麦」となり翠くんは「翠」となった。この角打ちでしか会わない奇妙な関係。でも仕事と家と酒のルーティンだけが基本の俺には、こうやって翠くんと一緒に過ごすひとときが、瑞々しくて清々しい時間でもあった。
「「乾杯!」」
ジョッキを合わせて、揃って一息。喉を通り抜ける独特なフレーバーに、日本の夏の湿気った暑さが洗い流されていく。
「んっまい」
「へへっ。っすねぇ」
「なぁ。よくこんなの作ったよな」
「へへへ……っ。はぁ~。麦さん、マジで美味そうに飲んでくれる。いいな~」
「っ。」
綺麗な色のジョッキをまじまじと見つめる俺に、なぜか翠くんは殊の外嬉しそうに笑って俺にもたれ掛かってくる。同程度の身長、いや、実際にはちょびっとだけ俺より背が高い翠くんがそんなことをすると、なんだか少し不格好だ。
でもそんな無邪気な行動に、俺は息を詰めてしまう。そりゃそうだ、しがねぇリーマンとして暮らす俺は、美男美女とのふれ合いなんて基本的には金を積まなきゃ得られない。それが、タダで──しかも割と惹かれてる相手からされちまうってのは、なかなかどうにも心臓に悪い。
……とは言え、社会人としてそれなりの平常心は心得てるつもりだ。俺はジョッキを持ったままぐいっと肩でその身体を押し返してやる。
「おいおい、酔ってんのか?」
「よってま~す♡」
「いやいや、あんた確実にザルだろ」
翠くんは酒が強い。何杯もチャンポンでガバガバ飲むようなアホな飲み方はしないが、それでもなんとなくピンと来るものがある。それはこの角打ちで何年も呑兵衛たちを見てきた観察眼──みたいなもんだ。酒の強弱はなんとなく雰囲気で匂う。まぁそこまでドンピシャに当たるわけじゃねぇが、それでも、絶対に弱いほうじゃないだろう。
「……酔ってる、ってことにしてくださいよぉ」
「ん?」
「ん~~~……」
だが、俺の指摘を聞いてあからさまに翠くんは口をとがらせる。不機嫌。拗ねてる。不貞腐れてる……どれにも当てはまりそうだが、それも絵になるのがニクい所だ。ツンと尖った唇に自然と目が行って。俺、まだ意外と性欲あんだなぁ、とどうでもいい所で自分に感心する。
そんな俺をさらっと眺めた翠くんは。負けん気にほんの少しだけの切なさを一絞りした絶妙フレーバーで、ずいっともう一度俺に近づいた。
「……ねぇ、麦さん」
「あ?なに?」
「麦さんって男大丈夫?」
「え?どういう意味?」
「抱けるかってこと」
「ぶっ!」
吐き出さなかったが盛大に噎せた。テンポのいい会話で突然ブッ込まれた、噎せるに相応しい相応の質問。
抱けるか──それはもちろんなかよしこよしのハグじゃねぇ。くんずほぐれつのセックスってことだ。だとしてもその質問チョイスはどこスタートにしたっていきなりすぎるだろ、とゴホゴホしながらドンドン胸を叩くと、心配そうに背中を撫でられる。
「えっ、麦さんだいじょぶ?」
「いやあんたのせいだろ!?」
「でも俺抱けるかって聞いただけじゃん」
「いやいやそれ脈アリってことだろ!?」
「脈アリ?うーんドクドク言ってる。速め!」
「いやいやいや、そっちの脈じゃねぇって!」
俺の右手首に指を当ててウンウン頷く翠くんの言動に毎度のキレツッコミしつつ、ようやく落ち着いてきた呼吸に俺はふぅぅぅ、と胸を落ち着ける。いやいや、ただの聞き間違いかもしれねぇ。あぁそうだ、天地がひっくり返ったって翠くんと俺がセックスするような世界線は存在しねぇ。
……よし。すべてをなかったことにしよう!
俺が朗らかにさっきまでの現実を放棄した所で、やっぱり翠くんは軽やかな笑顔のナイスタイミングで口を開く。性懲りもなく。俺を。どうしようもねぇ現実沼へと引きずり戻すために。
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