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7.港湾都市
港湾都市スルーズル。貿易と漁業で栄えるこの街は、ロスヴァイセとはまた別種の賑わいを見せている。
バアルを連れて、船乗りたちが集まる酒場へとやってきたフェンリルは、店の奥の一角で、お目当ての男を見つけた。
日に焼けた肌と、短く切り揃えた亜麻色の髪をした、精悍な顔立ちの若者である。頭頂部には、狼の半獣の証である尖り耳。彼は葉巻を口に咥えながら、同じテーブルの男たちとポーカーをしていた。
「よォ、デイビー、久しいな」
「あ……?」
デイビーと呼ばれた若者が顔を上げる。アーモンド型の目がフェンリルの姿を捉えて数秒後、驚きに見開かれた。彼の口から葉巻がポトリと落ちる。
「──お前、フェンリルか!? なんだよその毛色! アッハッハッ! イメチェンか~!?」
豪快な笑い声をあげた彼は、跳ねるように椅子から立ち上がると、フェンリルの赤茶色に染められた胸へと飛びついた。
「事情があってな。調子はどうだ」
「上々さ。……で、そっちの美形は?」
「バアルだ。今はオレのビジネスパートナーで、未来の嫁」
「ほほォ……!?」
抱擁を解いたデイビーは、バアルの方へ身体を向けて、右手を差し出した。目つきからはふたりへの警戒が消え、親しみが込められている。
「デイビーだ。ブラドニル号の船長をやってる。オレね、こいつと同郷で幼馴染みなの。こいつの黒歴史は大体知ってるから、痴話喧嘩したときは力になれるぜ!」
「……バアルだ」
デイビーの勢いのせいで『未来の嫁』発言を否定するタイミングを失ったバアルは、腑に落ちない表情を滲ませながらも握手に応じた。
「なぁ、フェンリル……お前の『未来の嫁さん』の表情から遺憾の意が漏れ出てんだけど」
「照れ屋なんだよ。可愛いよな」
「あ~、なるほど。……ま、立ち話もなんだし、とりあえず座れ座れ」
同卓の男たちが譲ってくれた席に腰かける。彼らはブラドニル号の乗組員である。屈強を絵に描いたような男たちで、丸太のような腕には揃いのタトゥーが彫られていた。
「オウリュウに行きてえ。船を出してくれるか」
「……あ!! まさか竜の卵を運んでるふたり組って、お前らのことか……!?」
「相変わらず察しがいいな」
「へ~、だいぶヤバい仕事を引き受けたもんだな。顔色が悪いのも納得だよ。ろくに眠れてねえみてえじゃん」
「まあな……」
フェンリルはこれまでの経緯を簡単に説明した。ただ、バアルの手前、夢魔のことは伏せておいた。
「引き受けてくれるか?」
「楽な船旅にはなりそうにねえなァ……。……面白えじゃん! 乗った!!」
ふたりは固い握手を交わした。
報酬の値段交渉もとんとん拍子で決まり、出発は明日の早朝という運びとなった。
「──ところで、その変装はフランのとこでやったんだろ。あいつ元気だったか?」
魔女の話題になり、フェンリルの表情がげんなりする。反対に、デイビーは悪戯小僧のようにニヤリと笑った。
「元気だったんだな?」
「ああ……相変わらずだったぜ。こいつにつけるカチューシャの耳を狼にするか猫にするかで二時間揉めた。オレに使う塗料は二秒で決めやがったくせに」
「アッハッハッハッ!!」
デイビーは腹を抱えて笑った。
※※※
宿の部屋に着くと、フェンリルはバアルから質問を受けた。
「言ってよかったのか?」
「おん?」
「卵のことだ」
バアルは、デイビーがただの船乗りではなく、海賊だと察しているのだろう。もっとも、デイビーは正体を隠していたわけではないし、バアルも相手の職業をさほど重要視していない。要は、信用できる男なのかどうかを暗に聞いているのだ。海の上では、船長は絶対の支配者となる。自分たちの命運を託していい男なのか……。
「心配いらねえよ。デイビーって男はな、陸のお宝には興味ねえんだ」
「……先日の魔女といい、貴様には変わった友人が多いな」
フランという女は、バアルにとっても強烈なキャラだったのだろう。引きこもりの猫好きで、気難しいが顔のいい男に弱い。フェンリルの顔を見た途端に玄関扉を閉めようとした(が、フェンリルもすかさず足を突っ込んで無理矢理入室した)し、『クエレブレの卵なんて厄ネタには絶対に関わり合いたくない!』と駄々をこねた(が、バアルが頼んだら二つ返事で協力してくれた)し、バアルの変装カチューシャの仕様を狼耳にするか猫耳にするかでフェンリルと揉めに揉めた。『顔拓とらせてもらってもいいですか?』なんて聞かれた経験は、きっとバアルも生まれて初めてだったに違いない。
「お前にだって変わり者のダチのひとりやふたりいるだろ?」
「……」
沈黙を受けて、フェンリルはハッとした。
「あ、悪い……お前、友だちいないタイプか?」
「なんだ、その憐れむような眼差しは。私にも、友と呼べる者たちはいたぞ」
「……ふぅん……?」
その夜……。
フェンリルは宿からこっそり抜け出して、少し歩いた先の路地裏でデイビーと合流した。ちょうどよく転がっていた荷箱に腰かけると、自身に憑りついている夢魔について打ち明けた。
「──それで納得したわ。お前は、雑魚に追いかけ回されて寝不足になれるほど可愛い神経の持ち主じゃねえもんな」
葉巻をふかしながら軽口を叩くデイビーだが、表情は真剣だ。デイビーも十年前の戦争を経験している。魔族の恐ろしさは、骨身に染みて知っている。
フェンリルは懐から魔石のついたペンダントを取り出してデイビーに見せた。かつて手に入れた高価な魔法具で、魔族による魂への干渉を防ぐ力を宿していた。しかし、碧色に輝いていた魔石はどす黒く変色し、無惨にひび割れていた。以前の力はとうに消え失せた残骸である。
「それをぶっ壊してお前の夢に入ってきたとは、かなりの大物だな。教会には行ったのか?」
夢魔は実体を持たない。とり憑かれた場合は、神官や魔術師を頼るのがセオリーなのだが……。
「『我々の手には負えない、ブリュンヒルデの大聖堂をあたってくれ』って言われたよ。オレにとり憑いたのは、どうやら七獄王の眷属クラスらしい」
「は!? マジかよ!?」
魔界を統べる大いなる七柱。歴史上、どれか一柱でも世界に顕現すれば、必ず多くの血が流された。その眷属クラスともなれば、祓うにしても容易ではない。
「おい、このこと……あの美人な連れには話したのか?」
「話してねえ。コウゲツに会えりゃ解決するしな」
コウゲツなら、たとえ七獄王の眷属でも祓えるだろう。彼はあの十年前の戦争で、七獄王の一柱である《強欲》の大魔マモンを退けたのだから。
「それに夢魔もバカじゃねえ。お前ら船乗りにちょっかいかけて、お目当ての卵ごと海の底に沈める気はないだろうけどよ、念のため、お前には知らせとく。……悪かったな、ほんとは昼間言うべきだったんだが、バアルに知られたくなかったんだ」
「まったくだぜ。惚れた相手の前だからってかっこつけやがって……オレじゃなかったら、テメーぶん殴って契約を反故にしてらぁ」
ふたりをオウリュウまで連れていくという気持ちは変わらないと、暗にデイビーは答えたのだ。
フェンリルは小さく笑みを浮かべると、懐から新たにとり出した小瓶をデイビーに差し出した。中には薄い紫色の液体が入っている。
「フランの万能回復薬だ。予め飲んでおけば、頭を吹き飛ばされても再生できるらしいぜ」
「お前……これ、あいつから買ったのか!? ていうか、買えたのか!?」
「いや、もらったんだ、二本な。一本はお前にやる」
つくづく自分は友人に恵まれている。フェンリルはそう思った。
デイビーは譲られた回復薬を大事そうに胸ポケットへしまい込んだ。
「そういや、バアルはお前ほど疲れてるようには見えなかったな」
「あいつは夢魔にちょっかいかけられてねえみてえだな」
「へえ、魔術師の血統なのか?」
「分からん。無口な上に秘密主義なんだ」
さすがに疑問には思っている。バアルはあの性格だ、魔族の交渉にはまず応じないだろう。それでも、悪夢を見せて疲弊させることはできる筈だ。
何故、夢魔はそれをしない?
(いや……まさか、できねえのか?)
夢魔が魂への干渉をできない相手は限られる。腕の立つ魔術師や神官、自分より強力な魔族、あるいは……。
「どこで見つけたんだ?」
「あ?」
デイビーの言葉でフェンリルは思考の海から引き戻された。
「バアルだよ。見た目は線の細い優男だが、かなり使えるだろ」
と言って、剣を振るジェスチャーをしてみせた。
「店に入ってきたときから気配が只者じゃなかった。手ぇ握って確信したよ。ありゃ化け物だぜ」
「……お前、もしかしてあいつのこと狙ってんのか? 受けて立つぞ、徹底的に潰すからな」
「ええ、こわぁ……さっきの会話の流れでなんでそうなるんだよ! 寝てねえからか? 寝ろ!」
「寝たら死ぬんだよバカが!」
眠れば、夢魔に魂を直接攻撃される。耐え難い悪夢を見せられ続けながら……。
「ならお前はブリュンヒルデに行け! バアルのことは、オレがオウリュウまで責任持って送ってやるから」
これはデイビーの優しさだ。彼は、友に降りかかっている事の重大さを正しく理解していた。フェンリル自身もよく分かっている。
だが……。
「あいつは、戦闘力こそお前の言う通り化け物だが、根が正直過ぎて腹の探り合いにはまるで向いてねえ。おまけにああ見えて情に厚い性格ときてる。ひとりで行かせられるかよ」
オウリュウ領内にあるコウゲツの隠居先はシャノンに教えてもらっているが、問題は、その道中で待ち伏せされている可能性である。どんな狡猾な敵が潜んでいるのかも分からない。
それに、本当に危ない状況に陥ったら、フェンリルはバアルに卵を捨てさせるつもりでいるのだ。バアルひとりでは、何があっても卵を見捨てないだろうから。
──きっと、彼には徹底的に軽蔑されるだろう。それでも……生きていてほしい。憤激したバアルに万が一斬り殺されることになっても、それはそれで構わない。
「……マジで惚れてんだな」
「ああ。手ぇ出したら、お前でも殺すからな」
「出さねえよ、あんなおっかないの」
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