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第2話 雷雨の夜
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私は今、大学の寮に入るために馬車に揺られている。
ソシュール伯爵の一人娘として生まれた私は、今年の夏には父の決めた相手と結婚する予定だった。
まだ一度も会ったことのない相手との結婚。
それは厳格な父にとって当然のこととして進められていた。
決して逆らうことの出来ない私が取った唯一の抵抗手段が勉強だった。
父は、勉強よりも貴族としての気品や振る舞いを身につけることを望んでいた。
そんな父にとっても、リモージュ大学への入学は特別だった。
身分やお金があれば入学できる大学が多い中で、この学校は学力や芸術の能力が最重視される。
その上で身分や現在の経済状況などが厳密に調査され、判断されるのだ。
教師も様々な分野のエキスパートを特別講師として招くなど、教育面でのレベルも高い。
そして、この学校の卒業生の多くが、各界の重要なポストに就いていることでも知られている。
上流階級の優秀な子息達と同じ場で学び、人脈を広げれば、父にとってもメリットは大きい。
父はそういったことを計算に入れた上で、結婚の延期とこの学校への入学を認めた。
出発して小一時間ほど経ったところで雨が降り出した。
雨はどんどん激しさを増していった。
遠くで雷が鳴り響く音が聞こえる。
このまま走り続けるのは危険なので、どこかで雨宿りしようと御者に声をかけた。
「この先に屋敷跡があるので、そこに退避させていただきます」
少し走った後、馬車の動きがゆっくりになり、雨音が小さくなった。
「ここは以前火事にあって、廃墟となった屋敷跡ですが、建物の陰に入れば多少雨風は防げます。馬車から降りるのは危険ですが、このまま少しお待ち下さい」
窓から外を見ると、相変わらずの激しい雨だが、馬車を停めたあたりは雨がかかっていないので、ここなら大丈夫そうだ。
さすがに、馬車の揺れが激しくて眠れなかったので、少しの間だけでもと目を閉じた。
ウトウトとしかけた次の瞬間、窓のすぐ近くが激しく光り、ドーンという音と共に激しい振動が伝わってきた。
「キャーッ」
足下から体にビビッという激しい痛みが伝わり、私は気を失った。
ふと目を覚ますと、馬車の椅子にもたれるようにして倒れていた。
起き上がると、馬車の外でも、人の動く気配があり、「うーん」
と御者のうなるような声が聞こえた。
窓の外に赤い光がチラチラと見え、熱を感じる。
「大丈夫?」と声をかける。
なんだか声が変に聞こえる。自分の声ではないみたいだ。耳をやられたのかもしれない。
「あっ、お嬢様、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫。あなたは」
「私のことは心配ご無用です。すぐ近くの木に雷が落ちたようで、燃えています。危険なのですぐに出発します」
馬車はすぐに走り出した。
幸い、それからすぐに雨はやんだらしく、雨音は聞こえなくなった。
あいかわらずのガタガタ道だが、さっきの落雷のショックもあって気疲れしたのか、そのまますぐに眠ってしまった。
「そろそろ到着します」という御者の声で目が覚めた。
それから10分ほどで、馬車の速度がゆっくりになって、停まった。
馬車が来たのに気づいたらしく、建物の正面のドアが開いて中から小柄な女性が出てきた。
馬車から降りて挨拶をしようとして、体が馬車に引っかかってしまった。
よろけながら馬車を降りる。
さすがに長旅で疲れたのだろう。
うまくサイズ感やバランス感覚がつかめない。
「ようこそオリアーヌ寮へ、私が寮母のマリエルです」
寮母さんが優しい声と笑顔で迎えてくれる。
だが、私が顔を上げると、驚いた様子で、怪訝な顔に変わった。
「あ、あの……」
と、後ろの馬車の方を気にしている。
御者が全ての荷物をおろし終えて、馬車は空っぽだ。
私の方に視線を戻し、
「ス、ステキなドレスでらっしゃいますね……」
と、おどおどした様子で、引きつった笑みを浮かべている。
「ところで、ドミニクさんは……、どちらに?」
「私がドミニクです。ドミニク・ソシュールです。今日からこちらでお世話になります」
寮母のマリエルは驚いた顔で固まっている。
何を驚いているのだろう。
「えっ、たしかにドミニク・ソシュールさんは入寮予定ですが……、女性だと聞いています。こちらは女子寮ですよ」
「!?……、私はじょ……」
自分の手を見る。
大きく骨張った手は私の手ではないみたいに見える。
その手で顔に触れる。
何かが違う。
寮母さんの背後のドアを勝手に開けて中に入る。
「ド、ドミニクさん!」
玄関脇の鏡を見て息をのんだ。
誰……?
鏡に映っているのは男性だ。
知らない男の顔がそこに映っていた。
ソシュール伯爵の一人娘として生まれた私は、今年の夏には父の決めた相手と結婚する予定だった。
まだ一度も会ったことのない相手との結婚。
それは厳格な父にとって当然のこととして進められていた。
決して逆らうことの出来ない私が取った唯一の抵抗手段が勉強だった。
父は、勉強よりも貴族としての気品や振る舞いを身につけることを望んでいた。
そんな父にとっても、リモージュ大学への入学は特別だった。
身分やお金があれば入学できる大学が多い中で、この学校は学力や芸術の能力が最重視される。
その上で身分や現在の経済状況などが厳密に調査され、判断されるのだ。
教師も様々な分野のエキスパートを特別講師として招くなど、教育面でのレベルも高い。
そして、この学校の卒業生の多くが、各界の重要なポストに就いていることでも知られている。
上流階級の優秀な子息達と同じ場で学び、人脈を広げれば、父にとってもメリットは大きい。
父はそういったことを計算に入れた上で、結婚の延期とこの学校への入学を認めた。
出発して小一時間ほど経ったところで雨が降り出した。
雨はどんどん激しさを増していった。
遠くで雷が鳴り響く音が聞こえる。
このまま走り続けるのは危険なので、どこかで雨宿りしようと御者に声をかけた。
「この先に屋敷跡があるので、そこに退避させていただきます」
少し走った後、馬車の動きがゆっくりになり、雨音が小さくなった。
「ここは以前火事にあって、廃墟となった屋敷跡ですが、建物の陰に入れば多少雨風は防げます。馬車から降りるのは危険ですが、このまま少しお待ち下さい」
窓から外を見ると、相変わらずの激しい雨だが、馬車を停めたあたりは雨がかかっていないので、ここなら大丈夫そうだ。
さすがに、馬車の揺れが激しくて眠れなかったので、少しの間だけでもと目を閉じた。
ウトウトとしかけた次の瞬間、窓のすぐ近くが激しく光り、ドーンという音と共に激しい振動が伝わってきた。
「キャーッ」
足下から体にビビッという激しい痛みが伝わり、私は気を失った。
ふと目を覚ますと、馬車の椅子にもたれるようにして倒れていた。
起き上がると、馬車の外でも、人の動く気配があり、「うーん」
と御者のうなるような声が聞こえた。
窓の外に赤い光がチラチラと見え、熱を感じる。
「大丈夫?」と声をかける。
なんだか声が変に聞こえる。自分の声ではないみたいだ。耳をやられたのかもしれない。
「あっ、お嬢様、大丈夫ですか?」
「私は大丈夫。あなたは」
「私のことは心配ご無用です。すぐ近くの木に雷が落ちたようで、燃えています。危険なのですぐに出発します」
馬車はすぐに走り出した。
幸い、それからすぐに雨はやんだらしく、雨音は聞こえなくなった。
あいかわらずのガタガタ道だが、さっきの落雷のショックもあって気疲れしたのか、そのまますぐに眠ってしまった。
「そろそろ到着します」という御者の声で目が覚めた。
それから10分ほどで、馬車の速度がゆっくりになって、停まった。
馬車が来たのに気づいたらしく、建物の正面のドアが開いて中から小柄な女性が出てきた。
馬車から降りて挨拶をしようとして、体が馬車に引っかかってしまった。
よろけながら馬車を降りる。
さすがに長旅で疲れたのだろう。
うまくサイズ感やバランス感覚がつかめない。
「ようこそオリアーヌ寮へ、私が寮母のマリエルです」
寮母さんが優しい声と笑顔で迎えてくれる。
だが、私が顔を上げると、驚いた様子で、怪訝な顔に変わった。
「あ、あの……」
と、後ろの馬車の方を気にしている。
御者が全ての荷物をおろし終えて、馬車は空っぽだ。
私の方に視線を戻し、
「ス、ステキなドレスでらっしゃいますね……」
と、おどおどした様子で、引きつった笑みを浮かべている。
「ところで、ドミニクさんは……、どちらに?」
「私がドミニクです。ドミニク・ソシュールです。今日からこちらでお世話になります」
寮母のマリエルは驚いた顔で固まっている。
何を驚いているのだろう。
「えっ、たしかにドミニク・ソシュールさんは入寮予定ですが……、女性だと聞いています。こちらは女子寮ですよ」
「!?……、私はじょ……」
自分の手を見る。
大きく骨張った手は私の手ではないみたいに見える。
その手で顔に触れる。
何かが違う。
寮母さんの背後のドアを勝手に開けて中に入る。
「ド、ドミニクさん!」
玄関脇の鏡を見て息をのんだ。
誰……?
鏡に映っているのは男性だ。
知らない男の顔がそこに映っていた。
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