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第三章『アイランド・クライシス/少年少女たちの一番暑い夏』

Int.52:アイランド・クライシス/夏夜雨嵐、孤独な夜に影法師ふたつ②

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 そうして、瀬那が雑嚢から取ってきてくれた救命糧食と非常用の水で、一真はとりあえず腹を満たすことが出来た。
 アルミ箔か何かで包装された救命糧食はクッキー状の固形物と、ゼリーみたいな奴の二種類。かなり小振りだが、しかし中身が凄まじいのかかなり腹は満たすことが出来る。流石に、コクピットのサヴァイヴァル・コンテナに標準装備されている品だけあるというワケだ。乾き物なだけにどうしても多少は喉が渇いてきてしまうが、水はまだまだ十分すぎるぐらいにある。
 とはいえ、夕飯にしては物凄く見た目が貧相でもあった。かといって、その辺の野生動物やら捕まえて食べるよりは手間が省けるから、そう贅沢な文句は言えない。尤もそれ以前に、今の一真には食料を現地調達なんて出来ないのだが……。
「ふぅ……」
 小さく息をつきながら、未だに明かりを淡く照らし続ける携帯ランタンの傍に腰を落としていた一真は、瀬那に取ってきて貰った水筒を手にしていた。一つは自分の手の中に、後から置いた瀬那のものは傍の地面に置いてある。
 開けっぱなしだった水筒の蓋へ、一真が錠剤を放り入れる。浄水錠って奴で、これがあればある程度の汚い水でも飲める程度までは浄化できるという優れものだ。これだけの降り方なら雨の水質もわりかし良いはずだから、こんなこと必要無いような気もする。だが浄水錠は余るほどあるので、やるに越したことはないと一真は判断したのだ。
 そうして自分の分と、そして瀬那の水筒にも同じように浄水錠を放り込んでやる。これで後は錠剤が溶けきるまで待てば、一応飲用が可能になるまで水が浄化されるはずだ。
「ほい、瀬那」
 すると一真は、瀬那の分の水筒を彼女の方にぽいっと投げ渡した。ひょいと空中でそれを掴み取った瀬那が「もう、飲めるのか?」と訊けば、「一応、錠剤溶けるまでは待ってくれ」と付け加える。
「うむ、分かったぞ一真」
 瀬那は頷きながらその水筒を自分の装具セットに戻すと、「それにしても……」と呟きながら洞穴の外に視線を移し、
「雨、止まぬな」
 と、何処か遠い目をしてそう呟いた。
「だな」
 一真も相槌を打ちつつ、雑嚢を枕代わりにして寝袋の上へ雑に寝転がる。捻った左脚はまだ痛むが、しかし最初に比べて大分楽になってきていた。
「この分だと、捜索隊が出るのは明日っぽいな」
「うむ」予備の飲料水にちびちびと口を付けながら、瀬那が頷く。
「しかし、流石に明日には止むであろう。そうでないとしたら、またもう一日をここで過ごす羽目になるやもしれぬが」
 フッと小さく笑みを浮かべながら、珍しく冗談めいたことを言う瀬那に「笑えない冗談だ」と苦笑いしながら一真は返すと、小さく欠伸をかいてしまう。
「む? 其方、もう眠くなったのか」
「みたいだ……ふわーぁ」
 もう一度大きく欠伸をかきながら参ったように頷けば、「疲れ、まだ抜けきってねーのかな」なんて風に一真は続けてそう呟いた。
「なら、今宵は早めに眠るがい」
 すると瀬那はそんなことを言いながら立ち上がると、何故か一真の傍に寄ってきて、雑に寝転がる彼の傍にスッと腰を降ろしてくる。
「……いつ何時なんどき、何が来るとも分からん。瀬那が寝るまでは、何とか起きてるよ」
 寝袋のすぐ傍にMP7サブ・マシーンガンが置いてあることを手探りで確認しながら、疲れの垣間見える顔で一真が軽く口角を緩ませながら言う。しかし瀬那は「心配は無用だ」と言って、
「こんな嵐の中だ。幾ら彼奴あやつらとて、そんな無茶をしでかしてまで来たりはせぬよ」
「だが、そうとも限らない―――」
 続けて一真が言い返そうともしたが、しかし瀬那はそんな彼の口先に立てた人差し指をそっと押し付けて黙らせてくる。
「構わぬ。怪我人の其方にそこまでの無茶をさせるほど、私は鬼ではない」
 柔らかな笑みを浮かべて、こちらを見下ろす瀬那に、そんな真っ直ぐな瞳でそう言われてしまえば。いつも見慣れた彼女の金色の瞳に、しかし普段より少しばかり優しさの色が強く見えるそんな瞳に、そんなことを言われてしまえば。一真は諦めたように肩を竦め「……分かったよ、俺の負けだ」と告げ、無意識の内に触れていたMP7の銃把から手を離すしかなかった。
「ふっ……」
 すると、瀬那はまた小さな笑みを浮かべて。そうして一瞬だけ瞼を閉じてみる。
「……舞依が私と其方とを引き合わせた、その理由わけ。今になって漸く、それが分かった気がする――――」
 そして、閉じていた瞼を今一度開いてみれば。何処か遠く、ここではない遠くに囁きかけるかのように、瀬那は虚空に向けて呟く。
「……瀬那、どうかしたか?」
 そんな彼女の様子を少しばかり怪訝に思った一真は、閉じていた瞼を右眼の片方だけ開きながら問いかけるが、しかし軽く振り向いた瀬那は「気にするでない」と横目を流しながら言って、
「其方は何も気にせず、眠るがい。今の其方はとにかく、眠るのが一番なのだ」
 フッと微かな笑みを浮かべて瀬那に言われ、一真は抱いた怪訝さを未だに拭いきれないものの、しかし「……分かったよ、もう気にしない」と頷き、また瞼を閉じた。
 やがて、暫くすると一真はその意識を奈落の底に堕とし、すぅすぅと寝息を立て始める。激しい雨音の中、携帯ランタンの明かりだけが照らす薄暗いこの洞穴の中で聞こえる、そんな安らかな寝息に瀬那は耳を傾けつつ、知らず知らずの内にまた小さく頬を緩ませていた。
「……其方には、世話ばかりを掛ける」
 視線を落としながら、俯きながら。一真が寝息を立てる横で、少しばかりその表情に影を落とした瀬那が、ポツリとそんなことをひとりごちる。
 しかし、それは眠りに墜ちた彼の耳に届くことはない。分かっていることだった。
 それを承知の上で、瀬那はひとりごちていた。それで、構わなかった。ただ――――聞こえなくてもいい。一言、口に出しておきたかっただけのことだった。
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