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10話 告白の先へ
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気付いたときにはすべてが終わっていた。目を覚ますと、そこは見慣れぬ部屋のソファの上。窓からの明るい光に朝か昼ということだけはわかった。きょろきょろ辺りを見回して、ぼーっとする頭でなんとか昨夜の記憶をさかのぼる。
そう、ここは彼女の家だ。大丈夫、覚えてる。仕事が終わってここに来たんだ。そうして一緒にピザを食べて、飲みまくって。そうだ、あの時俺は浮かれていた。告白が成功したんだ。だから興奮と安堵と緊張で、いつもよりかなり速いペースで飲んでいた。まずい。そこから記憶がない。いや、でも彼女と何かしたのであれば、たぶん何かしらの痕跡があるはずだ。それが何かはわからないけれど。自分を見下ろせばしっかり服は着たままだ。というか彼女は今どこにいるんだ。
「おはよう。起きたのね」
振り返ると、彼女はバスタオルを巻いて髪を拭きながら現れた。脱衣所にいたらしい。唖然としたあと、俺は頭を抱えた。
「覚えてない!」
せっかく初めてのお泊りだったのに!
彼女は笑い、髪を拭きながら近づいてくる。
「昨日は浴びるほど飲んでたもんね。ペースも早いし、これじゃ早々につぶれるだろうなってのは予想できたわ」
「すみませんカズミさん。自分が情けない」
「別にいいわよ。っていうか何に謝ってるのよ。潰れることなんて誰でもあるでしょ」
何でもないことのように言いながら、彼女は俺の隣に腰かける。
「そうじゃないですよ。昨日はせっかくカズミさんと……あっ! カズミさん!」
「何よ」
俺の声の大きさに彼女も一瞬びくっとなった。
「俺昨日のことは覚えてなくてもカズミさんが俺の告白OKしたことは覚えてますから。カズミさんは確かに昨日俺の彼女になりました。あれは夢じゃありません」
「ええ、そうね。私もちゃんと覚えてるわ」
「それなら良かった」
俺はふうと力を抜いた。記憶がなくなってなくてよかった。
「っていうかカズミさん。まさか俺がこうなることを予想してあの時OKしたんじゃないですよね? 酒で酔いつぶれさせていろいろ誤魔化そうとして、付き合ったこともうやむやにしようと」
「そんなこと考えてないわよ。私がOKしたからってあなたがどれだけ飲むかなんてわからないでしょう。それにもしそうなら今も告白自体をなかったことにするんじゃない?」
「そうですよね」
「私って信用無いのね」
「いつも誤魔化すからじゃないですか。焦らしてばっかりで」
「でももうちゃんと恋人になったでしょ」
そうって身体を傾けて俺の顔を覗き込む彼女。その姿はバスタオル一枚のみ。
「なんでバスタオル着てるんですか」
「脱げって?」
「いや、なんでシャワー浴びてるんですか」
「朝に浴びちゃいけない?」
「そういうわけじゃ……」
そのまま黙り込む俺に、彼女も黙って言葉を待った。
「俺何もしてないですよね?」
「そうね」
シャワー浴びてるってことは何かあったかと思ったけど、やっぱり何もなくてほっとする。何かしてたのに覚えてないなんてもったいなさすぎる。けれどそれは同時に己の情けなさを痛感させられることにもなった。
「昨日は本当にちゃんと手を出すつもりだったんです。すみません」
俺は項垂れて両手で顔を覆った。
「ちょっと。私別にそんなに飢えてないわよ。っていうかそのために家に呼んだわけでもないんだし」
「でもそのつもりでしたよね?」
項垂れたまま首だけ動かせば、彼女を見上げる形になった。下からの角度は新鮮だ。彼女はぱちぱちと瞬いた。
「まあね。でもそこまで気合入ってたわけでもないわよ。少なくともあなた程にはね」
やっぱり彼女もその気でいてくれたんだ。なんてもったいないことを。
「別にいいじゃない。今日はあなたの家に行くんだし。そこで仕切り直しましょ」
そうだ、そうだった。確かそういう約束だった。
「そう、ですよね」
「そう。でも無理しなくていいわ。顔色悪いし、具合悪いでしょ」
「無理はしてません」
立ち上がった彼女はキッチンでお湯を沸かすと、クローゼットからストライプの長いシャツを取って上から羽織った。バスタオルがはらりと落ちる。
「でも今ぼーっとしてるでしょ」
「してますけど大丈夫です」
タンスから何かを取り出し、落ちたバスタオルとそれを持って彼女は脱衣所に向かう。ちらりと見えたが、あれはたぶん下着だと思う。
「このあと激しく動くと頭痛がひどくなって吐き気がするわよ。昨日あれだけ飲んだんだから」
経験者は語るというやつか。再び現れた彼女は長い足をさらけだし、キッチンでコーヒーを二人分入れて持ってきてくれた。どう見たって一夜を共にした翌朝の男女の光景。なのに俺は何もできていない。
「今日はゆっくり安静にしていることね」
「そんな」
コーヒーを受け取りながら、追いすがるような情けない声を出すと彼女が笑った。
「でもあなたの家には行くわ。そこでゆっくりお茶でも飲みましょ。付き合ってからの最初のデートはまったりのんびりでいいじゃない」
そういって穏やかに微笑む彼女は、酔っていなくてもくらくらする程眩しくて。
自己嫌悪も忘れてうっとりしながらコーヒーに口を付けると、その苦みに顔がゆがんだ。
「甘党だった?」
「い、いえ」
「無理しなくていいってば。砂糖持ってくるわね」
再びキッチンに向かった彼女は砂糖とミルクを持ってきてくれた。情けない自分に落ち込みながらも、俺はやっと手に入れた努力の結果を噛みしめる。
「今日は本当に俺の家に来てくれるんですよね」
「ええ」
「泊まり、ですよね」
「そのつもりだけど」
いたずらな笑顔がどこか幼く見える。そうか。今は化粧をしていないんだ。再びコーヒーに口を付け、また眉間にしわがよる。
「すみません、やっぱり砂糖もらいます」
「ええ、どうぞ」
彼女とのんびり歩きながらバスに乗る。そこから電車に乗ってまた歩く。気分は最高。なのに彼女の言った通り、体調は思わしくなくて。道中ふらついて何度も顔をゆがめる俺に、彼女は背中をなでたり、慰めの言葉をかけてくれ、身体と心の温度がなかなか一致してくれない。
「すみません、もうちょっとで俺の家なんで」
「何度も謝らなくていいわよ。私はとっても楽しいから」
「苦しむ俺を見てるのが?」
「まあ、そうとも言えるわね」
明るい彼女に救われる。けれど情けなさは拭えない。
「もうちょっとカッコよくいたかったのに」
「素直で正直なあなたはかっこいいわよ」
「強気に迫ってカズミさんをベッドに押し倒したかったのに」
「本音が漏れてるわよ。どのみちそんなフラフラじゃ今夜は無理ね」
「でも泊まるんですよね?」
「泊まってあげるわよ。でも無理は禁物」
「やる気はあります」
「具合悪いと起たないわよ」
「どうせ俺は素人ですよ」
「誰だって初めてはあるものよ」
漸く自分の家に着く。玄関を開けてどうぞと促す。
「片づけておかないとならないものはない?」
「大丈夫です。ちゃんと片づけてありますから」
「泊まるのは昨日決めたのに?」
「その前からいつ部屋に来てもいいように掃除してたんですよ」
「へえ、準備がいいのね」
「そうですよ。なのに当日で寝ちゃうなんて」
「そんなに落ち込まないの」
「だって今夜もしないっていうし」
「それは体調みてからでしょ」
「じゃあ可能性はあるんですか」
「そんな期待に満ちた顔しないの。さっきよりは顔色いいけど、そんな焦らなくてもいいでしょ。もう付き合ってるんだから」
彼女の方から、お付き合い認定のお言葉が。喜びを再度噛みしめる。
「そうです。俺たちは付き合っています」
自宅に着いた安堵と共に、彼女が部屋にいるという見慣れない光景には緊張も湧いた。室内を見回す彼女を眺めながら、俺も変なところはないかと見回した。小さなマンションのワンルームでそんなに広くはないが、彼女がいるだけで豪華に見える。
「座っていい?」
「どこにでも」
「ベッドでも?」
「はい、もちろん」
結局彼女はソファに座り、俺もその隣に腰かける。
「もっとリラックスしなさいよ。自宅でしょ」
「ちょっとまだ無理ですね」
「一夜を共にした中なのに」
「それ聞くと逆に落ち込みます」
「落ち込まないでよ。またチャンスはあるんだから」
自分の部屋でも彼女のペース。相変わらず情けないと思う自分もいるけれど、彼女と話しているとそんな自分でもまあいいかと思えてくる。
結局俺たちは夜までずっと話していた。体調もだいぶ良くなり、彼女からも顔色が戻って来たと言ってもらえた。
「じゃあ俺はシャワー浴びてきますけど、期待してもいいですか」
「湯上りの体調によるわね」
「また焦らして」
「昨日私を焦らしたのはあなたの方よ」
「……確かに。じゃあ俺はいつのまにか普段の仕返しが出来ていたんですね」
「そうね。ほらさっさと浴びてきたら」
促され、シャワーを浴びにいく。大丈夫。体調は万全だ。俺が上がると、彼女はすっかりリラックスした様子でテレビを見ていた。ビールを片手に。
「飲んでるんですか」
「そうよ。私は分量は弁えてるから。あなたも飲む?」
「今日はやめておきます」
「そうね。水でも飲んだら?」
彼女は男の裸など慣れているのだろう。そして今夜は本当にどっちでもいいと思っている。俺は言われた通り冷たい水を飲む。期待されていないのは悲しいけれど、昨日のことを振り返れば仕方ない。
「俺はもう元気ですよ、カズミさん」
「どうかしら」
俺の目の前に来ると、彼女は俺の頬を両手で挟んでのぞき込む。ちょっ、っと近くないですか。俺は気圧されないように踏ん張った。ここで狼狽えてはダメだ。
「大丈夫かもね。私もシャワー浴びようかしら」
「ど、どうぞ」
至近距離で見つめられたせいか、やっぱり狼狽えてしまった。
「そう。じゃあ待っててね」
軽やかにそう言って俺の頬にキスをして、彼女は俺の入ったばかりの浴室に向かう。あれ、今のって彼女との初めてのキスじゃないか。いや、あれは挨拶みたいなもんだ。というか俺たちはキスもまだしていないじゃないか。
でも家に誘ったのは彼女の方……いや俺だ。でも泊まる話をしたのはやっぱり彼女の方だ。俺たちはまだキスもしていない。しようとした時は酔っているからとさせてもらえなかった。
シャワーの音により緊張と興奮が煽られる。落ち着け自分。今日はまずはキスからだ。うかうかしていると、さっきのように彼女の方からされてしまう。今度は俺からしなくては。
決心を強く胸に秘め、拳と腹に力を入れた俺は万全の態勢を整える。
そうして今度こそはと気合を入れて挑んだ俺の前に、普段俺が使っているバスタオルに身を包んだ彼女が現れた。その姿を一目見た俺の思考はあっというまに霧散して、覚悟と算段が勢いよくどこかへ飛び散った。
そう、ここは彼女の家だ。大丈夫、覚えてる。仕事が終わってここに来たんだ。そうして一緒にピザを食べて、飲みまくって。そうだ、あの時俺は浮かれていた。告白が成功したんだ。だから興奮と安堵と緊張で、いつもよりかなり速いペースで飲んでいた。まずい。そこから記憶がない。いや、でも彼女と何かしたのであれば、たぶん何かしらの痕跡があるはずだ。それが何かはわからないけれど。自分を見下ろせばしっかり服は着たままだ。というか彼女は今どこにいるんだ。
「おはよう。起きたのね」
振り返ると、彼女はバスタオルを巻いて髪を拭きながら現れた。脱衣所にいたらしい。唖然としたあと、俺は頭を抱えた。
「覚えてない!」
せっかく初めてのお泊りだったのに!
彼女は笑い、髪を拭きながら近づいてくる。
「昨日は浴びるほど飲んでたもんね。ペースも早いし、これじゃ早々につぶれるだろうなってのは予想できたわ」
「すみませんカズミさん。自分が情けない」
「別にいいわよ。っていうか何に謝ってるのよ。潰れることなんて誰でもあるでしょ」
何でもないことのように言いながら、彼女は俺の隣に腰かける。
「そうじゃないですよ。昨日はせっかくカズミさんと……あっ! カズミさん!」
「何よ」
俺の声の大きさに彼女も一瞬びくっとなった。
「俺昨日のことは覚えてなくてもカズミさんが俺の告白OKしたことは覚えてますから。カズミさんは確かに昨日俺の彼女になりました。あれは夢じゃありません」
「ええ、そうね。私もちゃんと覚えてるわ」
「それなら良かった」
俺はふうと力を抜いた。記憶がなくなってなくてよかった。
「っていうかカズミさん。まさか俺がこうなることを予想してあの時OKしたんじゃないですよね? 酒で酔いつぶれさせていろいろ誤魔化そうとして、付き合ったこともうやむやにしようと」
「そんなこと考えてないわよ。私がOKしたからってあなたがどれだけ飲むかなんてわからないでしょう。それにもしそうなら今も告白自体をなかったことにするんじゃない?」
「そうですよね」
「私って信用無いのね」
「いつも誤魔化すからじゃないですか。焦らしてばっかりで」
「でももうちゃんと恋人になったでしょ」
そうって身体を傾けて俺の顔を覗き込む彼女。その姿はバスタオル一枚のみ。
「なんでバスタオル着てるんですか」
「脱げって?」
「いや、なんでシャワー浴びてるんですか」
「朝に浴びちゃいけない?」
「そういうわけじゃ……」
そのまま黙り込む俺に、彼女も黙って言葉を待った。
「俺何もしてないですよね?」
「そうね」
シャワー浴びてるってことは何かあったかと思ったけど、やっぱり何もなくてほっとする。何かしてたのに覚えてないなんてもったいなさすぎる。けれどそれは同時に己の情けなさを痛感させられることにもなった。
「昨日は本当にちゃんと手を出すつもりだったんです。すみません」
俺は項垂れて両手で顔を覆った。
「ちょっと。私別にそんなに飢えてないわよ。っていうかそのために家に呼んだわけでもないんだし」
「でもそのつもりでしたよね?」
項垂れたまま首だけ動かせば、彼女を見上げる形になった。下からの角度は新鮮だ。彼女はぱちぱちと瞬いた。
「まあね。でもそこまで気合入ってたわけでもないわよ。少なくともあなた程にはね」
やっぱり彼女もその気でいてくれたんだ。なんてもったいないことを。
「別にいいじゃない。今日はあなたの家に行くんだし。そこで仕切り直しましょ」
そうだ、そうだった。確かそういう約束だった。
「そう、ですよね」
「そう。でも無理しなくていいわ。顔色悪いし、具合悪いでしょ」
「無理はしてません」
立ち上がった彼女はキッチンでお湯を沸かすと、クローゼットからストライプの長いシャツを取って上から羽織った。バスタオルがはらりと落ちる。
「でも今ぼーっとしてるでしょ」
「してますけど大丈夫です」
タンスから何かを取り出し、落ちたバスタオルとそれを持って彼女は脱衣所に向かう。ちらりと見えたが、あれはたぶん下着だと思う。
「このあと激しく動くと頭痛がひどくなって吐き気がするわよ。昨日あれだけ飲んだんだから」
経験者は語るというやつか。再び現れた彼女は長い足をさらけだし、キッチンでコーヒーを二人分入れて持ってきてくれた。どう見たって一夜を共にした翌朝の男女の光景。なのに俺は何もできていない。
「今日はゆっくり安静にしていることね」
「そんな」
コーヒーを受け取りながら、追いすがるような情けない声を出すと彼女が笑った。
「でもあなたの家には行くわ。そこでゆっくりお茶でも飲みましょ。付き合ってからの最初のデートはまったりのんびりでいいじゃない」
そういって穏やかに微笑む彼女は、酔っていなくてもくらくらする程眩しくて。
自己嫌悪も忘れてうっとりしながらコーヒーに口を付けると、その苦みに顔がゆがんだ。
「甘党だった?」
「い、いえ」
「無理しなくていいってば。砂糖持ってくるわね」
再びキッチンに向かった彼女は砂糖とミルクを持ってきてくれた。情けない自分に落ち込みながらも、俺はやっと手に入れた努力の結果を噛みしめる。
「今日は本当に俺の家に来てくれるんですよね」
「ええ」
「泊まり、ですよね」
「そのつもりだけど」
いたずらな笑顔がどこか幼く見える。そうか。今は化粧をしていないんだ。再びコーヒーに口を付け、また眉間にしわがよる。
「すみません、やっぱり砂糖もらいます」
「ええ、どうぞ」
彼女とのんびり歩きながらバスに乗る。そこから電車に乗ってまた歩く。気分は最高。なのに彼女の言った通り、体調は思わしくなくて。道中ふらついて何度も顔をゆがめる俺に、彼女は背中をなでたり、慰めの言葉をかけてくれ、身体と心の温度がなかなか一致してくれない。
「すみません、もうちょっとで俺の家なんで」
「何度も謝らなくていいわよ。私はとっても楽しいから」
「苦しむ俺を見てるのが?」
「まあ、そうとも言えるわね」
明るい彼女に救われる。けれど情けなさは拭えない。
「もうちょっとカッコよくいたかったのに」
「素直で正直なあなたはかっこいいわよ」
「強気に迫ってカズミさんをベッドに押し倒したかったのに」
「本音が漏れてるわよ。どのみちそんなフラフラじゃ今夜は無理ね」
「でも泊まるんですよね?」
「泊まってあげるわよ。でも無理は禁物」
「やる気はあります」
「具合悪いと起たないわよ」
「どうせ俺は素人ですよ」
「誰だって初めてはあるものよ」
漸く自分の家に着く。玄関を開けてどうぞと促す。
「片づけておかないとならないものはない?」
「大丈夫です。ちゃんと片づけてありますから」
「泊まるのは昨日決めたのに?」
「その前からいつ部屋に来てもいいように掃除してたんですよ」
「へえ、準備がいいのね」
「そうですよ。なのに当日で寝ちゃうなんて」
「そんなに落ち込まないの」
「だって今夜もしないっていうし」
「それは体調みてからでしょ」
「じゃあ可能性はあるんですか」
「そんな期待に満ちた顔しないの。さっきよりは顔色いいけど、そんな焦らなくてもいいでしょ。もう付き合ってるんだから」
彼女の方から、お付き合い認定のお言葉が。喜びを再度噛みしめる。
「そうです。俺たちは付き合っています」
自宅に着いた安堵と共に、彼女が部屋にいるという見慣れない光景には緊張も湧いた。室内を見回す彼女を眺めながら、俺も変なところはないかと見回した。小さなマンションのワンルームでそんなに広くはないが、彼女がいるだけで豪華に見える。
「座っていい?」
「どこにでも」
「ベッドでも?」
「はい、もちろん」
結局彼女はソファに座り、俺もその隣に腰かける。
「もっとリラックスしなさいよ。自宅でしょ」
「ちょっとまだ無理ですね」
「一夜を共にした中なのに」
「それ聞くと逆に落ち込みます」
「落ち込まないでよ。またチャンスはあるんだから」
自分の部屋でも彼女のペース。相変わらず情けないと思う自分もいるけれど、彼女と話しているとそんな自分でもまあいいかと思えてくる。
結局俺たちは夜までずっと話していた。体調もだいぶ良くなり、彼女からも顔色が戻って来たと言ってもらえた。
「じゃあ俺はシャワー浴びてきますけど、期待してもいいですか」
「湯上りの体調によるわね」
「また焦らして」
「昨日私を焦らしたのはあなたの方よ」
「……確かに。じゃあ俺はいつのまにか普段の仕返しが出来ていたんですね」
「そうね。ほらさっさと浴びてきたら」
促され、シャワーを浴びにいく。大丈夫。体調は万全だ。俺が上がると、彼女はすっかりリラックスした様子でテレビを見ていた。ビールを片手に。
「飲んでるんですか」
「そうよ。私は分量は弁えてるから。あなたも飲む?」
「今日はやめておきます」
「そうね。水でも飲んだら?」
彼女は男の裸など慣れているのだろう。そして今夜は本当にどっちでもいいと思っている。俺は言われた通り冷たい水を飲む。期待されていないのは悲しいけれど、昨日のことを振り返れば仕方ない。
「俺はもう元気ですよ、カズミさん」
「どうかしら」
俺の目の前に来ると、彼女は俺の頬を両手で挟んでのぞき込む。ちょっ、っと近くないですか。俺は気圧されないように踏ん張った。ここで狼狽えてはダメだ。
「大丈夫かもね。私もシャワー浴びようかしら」
「ど、どうぞ」
至近距離で見つめられたせいか、やっぱり狼狽えてしまった。
「そう。じゃあ待っててね」
軽やかにそう言って俺の頬にキスをして、彼女は俺の入ったばかりの浴室に向かう。あれ、今のって彼女との初めてのキスじゃないか。いや、あれは挨拶みたいなもんだ。というか俺たちはキスもまだしていないじゃないか。
でも家に誘ったのは彼女の方……いや俺だ。でも泊まる話をしたのはやっぱり彼女の方だ。俺たちはまだキスもしていない。しようとした時は酔っているからとさせてもらえなかった。
シャワーの音により緊張と興奮が煽られる。落ち着け自分。今日はまずはキスからだ。うかうかしていると、さっきのように彼女の方からされてしまう。今度は俺からしなくては。
決心を強く胸に秘め、拳と腹に力を入れた俺は万全の態勢を整える。
そうして今度こそはと気合を入れて挑んだ俺の前に、普段俺が使っているバスタオルに身を包んだ彼女が現れた。その姿を一目見た俺の思考はあっというまに霧散して、覚悟と算段が勢いよくどこかへ飛び散った。
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