金蝶の武者 

ポテ吉

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5 春虎。江戸を掘る

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「虎さぁ、そっち持ってくれ」
「ほい、きた」
春虎は伐り出したばかりの椚の丸太に手をかけると肩に担いだ。
麓までの山道には篝火が焚かれているものの、数が少なく薄暗い。

「佐助さぁ、気をつけて、ゆっくりいくべや」
前を持つ佐助は身の丈こそ春虎よりやや小さいが、腕や太腿は鋼のように鍛えられた厳つい男だ。
北条家の家臣で小田原敗戦後、鎌倉玉繩村の帰農したらしい。
性格は明るく妙に気が合った。
夜間作業の人足小屋には、この手の輩が大勢集められていた。

ひと月前、村人らに連れられ江戸に入ると眼を疑うような光景が広がっていた。
数万の人足が山を削り、入り江を埋め立て濠を穿ち、川さえ曲げて街を造っているのだ。
濠の回った小さな建屋が江戸城と思われるが、濠も埋められ増築が始まっていた。

春虎は川沿いに並ぶ、府中近在の村の人足小屋に世話になり作事の仕事を得た。
日当は永楽銭五十文か米一升、それ程悪い賃金ではない。
人足小屋は板を組み合わせただけの掘っ立て小屋で、地べたに筵を敷き二十人が雑魚寝する粗末な物であったが、飯は朝昼晩の三度でるし、村人らが持ち寄った味噌や野菜でわりかし量もあった。
何も持っていなかった春虎は、日十文を支払い宿賃とした。

最初は山側の濠を掘る仕事に従事した。
この濠だけでも五町(約五百五十メーター)もある広大なもので、人足は二千人を超えていた。
人足頭は徳川の足軽が務めていて、その数だけでも百人は下らない。

(参った。徳川大納言に内密に面会なんかできるわけがねえ)

毎日毎日作業しながら春虎は現場にいる徳川の家臣らしき男を探し窺った。
百人の人足を監督する五人の人足頭は、どう見ても足軽である。
足軽を束ねる作事頭は武士ではあるが地位は低そうだし、陪臣かもしれない。
何しろ家臣全員が国替えとなり江戸に来ているのだ。
家康に取り次げる家臣となると作事に従事している中にいそうにはない。
春虎はどうしていいか分からなくなった。

二十日ほどで濠は完成しと、人足は次の場所に割り振られた。
春虎は武蔵府中の村人らと入り江近くの場所に移動となった。

大工や石工の技能者と違い春虎らは下走りの力仕事ばかりだった。
鍬や鋤、空の畚を担ぎ、ぞろぞろと進んでいたとき、遥か先の丘の上に武士の集団が見えた。
十四、五人の狩り装束に大小を帯びた集団が、広げた図面見ながら話し合っている。
中肉中背の四十過ぎの武士が海を指さし何か怒鳴っている。
もしやあれが家康か、春虎は凝視した。

「こら、お殿様に目を向けるな。作業中とはいえ無礼だらぁ」
春虎は慌てて眼を前方に戻した。
作業中の拝跪は免除されているものの、遠目とはいえ貴人の顔を睨め付けるなど許されることではない。

(いるにはいるが、どうやりゃ対面できんだよ)

家康の周りには武士が追従しているだけではない。
遠まわりに人足に化けた得体の知れないものたちが三十人ほど辺りを覗っている。
北条の残党を警戒しているのだ。

衆人環視の中で家康との内密な面会などとても無理だろう。
名乗ったところで、出来るかどうかも怪しいものだった。

次の現場も穴掘りであったが、飲み水を引く水路らしい。
江戸の地は海に近いため井戸を掘ると塩水が湧き出しくる。
そのため奥地より水を引かなければならない。

作業は濠と比べ深く掘らないため楽だったのだが、五日ほど経ったとき人足全員が集められ二十人ほど別の場所へ配属となった。
選ばれたのは身の丈の大きい屈強そうな若い者ばかりで、春虎も選ばれ海辺近くの人足小屋に移された。

屈強そうな若者ばかりを集めたのにはわけがある。
作業は干潟の葦原を埋めるもので、干潮の時に限られており、昼夜を問わず海岸沿いに土を運び貯め潮が引いたらその土で埋めていくという、体力のいる仕事だからだ。

昼夜交代ということもあり、昼は八十文、夜は百文と穴掘りよりは賃金が高い。
夜間作業ならひと月も働けば一年程度は暮らせるのだから不満を言う者はいなかった。

しかし、うまい話には必ず裏がある。
この作業場は最低だった。
町割りの計画などない干潟を埋めるだけの単純作業のせいか、人足頭を務める足軽らが作事頭の目の届かない事いいことに好き勝手に支配しているのだ。

足軽らは棒を小脇に作業には携わらず、横柄な態度で罵声を上げ監視だけをしているだけだった。
それに人足小屋が輪を増して酷かった。

掘立て小屋で、一日二十文も銭を取り、飯は黍や粟などの雑炊ばかり一椀だけ。
三食は食べられるものの菜はない。
力仕事の従事者には甚だ物足りないもので賄料に見合っていない。
これは小屋の主人と人足頭が結託し搾取しているらしい。

それでも六十文が手元に残るので、人足を当てに開いた飯屋で腹を満たしていたが、雨ともなると作業は無く賃金も得られず貯えだけが減ってしまうのだ。

しかし、春虎は手間取りに来ている訳ではない。
稼いだ銭を惜しげもなく飯に使った。
ただ、埋めた地では家康はおろか、武将さえ検見に来ないのが悩みの種だった。

「徳川様は、噂通り吝い御方だなぁ」
夜半から降り出した雨で作業は休みとなった。
休みの日は昼が出ないので春虎は飯屋に入った。
戦場では三食、平時は二食が慣れているはずなのだが、椀一杯きりの粥ともつかぬ飯では昼頃に腹が空いて堪らなくなったのだ。
店は同じような人足で溢れかえっていた。

「吝い? 夜百文はいい賃金だべや。オラん方の普請じゃ米二合がいいとこだ」
筵に座り十文の雑炊を掻き込んでいると隣の人足の話しが聞こえて来た。
四人の人足が飯を食べながら話していた。

「俺はよ、関白さまの砦の普請も出たんだわ」
男は薄笑いを浮かべ、仲間に小声で呟いた。
「お、おめえ、小田原の百姓だべ。自分の殿様を囲む砦を造ったのかい?」
男とはここで知り合ったのだろうか、敵の作事に出たことに驚いている。

「俺の村は小田原の山の方だからな。土塁よりずうと北の方だ」
男は悪びれもせず箸を動かしあらぬ方を指した。
「で、徳川様が吝いというからには、そこは良かったのか?」
別の男が待ちきれず話を急かす。

「ああ、昼百二十文、夜百五十文。三十日くれえだったが、作業終わりに米二升もくれた」
「おおっ、そりゃすげえ」
三人は驚き身を乗り出した。
男は得意気に三人を見廻すと話を続けた。

「それだけじゃ、ねえんだ。飯は三度三度、炊き立ての米が出る。汁は野菜のたっぷり入った味噌汁で、たまに猪肉が入ってる。干魚や煮物が出たりもした。それだけじゃねえぞ、作業の休憩中に餅や握り飯も出たし、雨で休みの時は酒の差し入れまであった。ああ、関白さまの普請場は良かった。俺は江戸ではなく他に行けばよかった」
唖然とする三人をよそにやるせない声をだした。

「殿さまがこうなんだから、家臣も同じだべや。諦めろ」
呆れた笑いが三人からおきた。

(そうか、家康は吝嗇か。ならば、持ってきようで、上手くいくかも知れねえな)
関白豊臣秀吉が小田原近在の人足に大盤振る舞いをしたのは敵地だからだ。
敵の領民を懐柔し己の評判を高める。勝利後の支配もこれだけで大分違う。
これを踏襲しない家康は吝嗇ということだ。
己の評判など二の次で力を蓄えている。
関東の中に己の身銭を切らずに楯になる家があれば是非にと欲しがるだろう。
これを利用すれば佐竹と手切れになっても徳川の後ろ盾は得られる。
大掾、徳川の両家にとって損はない。

「うぬは北条家を裏切って、銭を稼いだのが自慢か!」
小屋の隅に陣取る男たちが怒気を含んだ視線を向けた。

「ああ、お前さまら北条方か、一戦もせず降伏した北条さまのぉ」
「飯屋で意気がらず、戦場でその意地を見せてほしかったもんだの」
埋め立て現場に集められた人足は百姓でも屈強の者ばかりで気も荒い。
旧主の家臣など露ほども恐れず逆に小馬鹿にする始末だ。
「なにぃ。我らを愚弄する気か!」
気色張った男たちが十数人一斉に立ち上がった。

「やめとけ! 人足同士で争ってなんになる!」
春虎は男らの間に入り両手を広げた。

「関係ねえのは、すっこんでろ」
確かに春虎には関係がない。
普請人足の喧嘩は厳しく罰せられる。
下手に首を突っ込んで巻き添えになったら、何のために江戸に来たのかわからなくなってしまう。

「喧嘩なんかしたら追い出されるぞ。仕事がなくなってもいいのか?」
邪魔だてするな、余計なことするな。
怒鳴り返す者もいたが、さっきまでの勢いはない。

賃金が安いと文句を言っていても、それは関白豊臣秀吉の普請場と比べているだけで、日に百文も稼げる仕事はそうそうない。
殆どの人足は農閑期の手間取りとして江戸に来ていて、銭を得て父母や妻子を養うために働いているのだ。
男らは不満げながらも争いを止めた。店は元の静けさを取り戻した。

「とめてもらって助かった。礼を申す」
店を出た春虎は追いかけて来た男に呼び止められた。
北条の旧家臣といわれた中にいた男で、背は春虎よりやや低いものの肩や腕はみっしりと肉が付き、四角い朴訥とした顔と相まってひとかどの武士に見えた。

男は佐助と名乗ったので、春虎は偽名の虎之介と名乗った。

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