婚約破棄された翌日、私は王宮の墓場に就職して定時退社を選んだ

九葉

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第7話 夜会への招待状と、断固たる拒絶

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その日、いつものクマさんは「クマ様」になって現れた。

午後三時。
ティータイムの準備をしていた私の前に現れたのは、いつもの着崩した服ではなく、純白に金刺繍が施された正装の騎士服をまとったクロード様だった。
腰には儀礼用の剣。
髪も整えられ、キラキラとしたオーラを放っている。
ただし、目の下のクマだけは健在だ。

彼は入り口で居住まいを正し、真剣な表情で私を見た。

「……エリアナ嬢。改めて名乗らせてほしい」

「はい(知ってますけど)」

私はポットを置いたまま、直立不動で待った。
こういう時は、相手の儀式に付き合うのが大人のマナーだ。

「私はクロード・ルテティア。この国の王弟であり、宰相を務めている者だ。……今まで身分をあやふやにしていてすまなかった」

「存じておりました。あれだけ王宮の内情に詳しく、衛兵が直立不動で道を空ける方が、ただの文官のはずがありませんから」

私はサラリと言って、カーテシーをした。
あくまで「簡略式」で。
深く頭を下げると立ちくらみがするからだ。

「それで、王弟殿下が正装で何の御用でしょう? まさか、また書類が紛失しましたか?」

「いや、違う。今日は君に礼と……お願いがあって来た」

彼は一歩近づいてきた。
香水のいい香りがする。
いつものインクと紙の匂いとは違う、高貴な香りだ。

「先日の条約紛失事件、君の助力のおかげで事なきを得た。兄上(国王)も深く感謝している。そこでだ」

彼は懐から、豪奢な封筒を取り出した。
金箔の縁取り。王家の紋章入り。
嫌な予感がする。

「明後日、条約締結を記念した祝勝夜会が開かれる。……私のパートナーとして、参加してくれないか」

予想通りだった。
そして、私の答えも決まっている。

「お断りします」

即答だった。
一秒の迷いもない。

クロード様の表情が凍りついた。

「……即答か。理由を聞いても?」

「理由は三つあります」

私は指を折りながら説明した。

「一つ。夜会は一九時からですが、私の勤務時間は一七時までです。残業はしたくありません。
二つ。夜会用のドレスもヒールも持っていません。あんな足の痛くなる靴を履いて数時間も立ち続けるなんて、拷問と同じです。
三つ。……あそこには、元婚約者(カイル様)がいます。面倒ごとに巻き込まれる未来しか見えません」

完璧な論理だ。
どこにも付け入る隙はないはずだ。

私は「残念でしたね」という顔で紅茶をカップに注いだ。

「お気持ちだけ頂戴します。当日は家でシチューを食べて寝ますので、殿下は他の素敵な令嬢をお誘いください」

クロード様は少しの間、沈黙した。
断られることに慣れていない王族なら、ここで怒り出すか、強権を発動するところだろう。
だが、彼は私の「扱い方」を熟知していた。

彼はふっ、と笑い、懐からもう一枚の紙を取り出した。

「……そう言うと思ったよ」

「なんですか、それは。業務命令書ですか?」

「いいや。当日の『ビュッフェメニュー』だ」

メニュー?
私は眉をひそめた。
そんなもので私が釣られるとでも……。

「……『王家専属シェフ特製、熟成肉のローストビーフ・トリュフソース添え』」

彼が読み上げた。

ピクリ。
私の耳が反応する。

「『近海産オマール海老のクリームコロッケ、濃厚アメリケーヌソース』」

ゴクリ。
喉が鳴る。

「『季節のフルーツタルト、山盛りタワー』」

「……」

「これらはすべて、パートナー席の専用ラウンジで『食べ放題』だ。一般の参加者は立食だが、私のパートナーには専用のふかふかソファが用意される」

ふかふかソファ。
食べ放題。
そして、ローストビーフ。

私の脳内で、天秤が激しく揺れた。
左皿には「定時退社と平穏」。
右皿には「幻のローストビーフ」。

クロード様は畳み掛けるように言った。

「当然、靴は私が用意しよう。最新の魔導クッション入りの、雲の上を歩くような履き心地の靴を」

「……雲の上」

「誰とも踊らなくていい。君はただ、私の隣で美味しいものを食べて、ニコニコしていればいい。カイルが近づいてきたら、私が全力で追い払う」

彼は私に一歩近づき、悪魔のような、いや天使のような優しい声で囁いた。

「……家で食べるシチューもいいが、王宮の最高級ディナーを、並ばずに、座ったまま食べる夜も、悪くないと思わないか?」

完全に、足元を見られている。
彼は知っているのだ。
私が「食」と「楽」にどれだけ弱いかを。

私は震える手で、カップを置いた。
プライド?
そんなものは、ローストビーフの前では紙切れ同然だ。
元悪役令嬢として、美味しいものを食べ尽くしてやることこそ、最大の復讐(?)ではないだろうか。

私はゆっくりと顔を上げ、彼を見た。

「……一つ、確認させてください」

「なんだろう」

「ローストビーフは、厚切りですか?」

「シェフに命じて、ステーキのような厚さにさせよう」

「……参りました」

私は白旗を上げた。

「お受けします。その契約、乗らせていただきます」

クロード様の顔が、パッと明るく輝いた。
まるで大型犬が尻尾を振っているようだ。

「ありがとう! 君ならそう言ってくれると信じていた!」

「餌に釣られただけです」

「それでもいい。君が隣にいてくれるだけで、私は心強い」

彼は私の手を取り、甲に恭しく口付けた。
慣れた所作だ。
けれど、その手が少し熱く、震えている気がしたのは気のせいだろうか。

「では、明後日の夕刻、迎えの馬車を寄越す。……ドレスも用意させてあるから、楽しみにしていてくれ」

「はいはい。……あ、靴のサイズは」

「分かっている。以前、君が脱ぎ捨てた靴を見て確認済みだ」

「……さらっと怖いことを言わないでください」

いつの間に確認したのか。
優秀な宰相というのは、ストーカーと紙一重なのかもしれない。

          ◇

こうして、私は夜会への参加を承諾してしまった。

翌日。
アパートの大家であるミナさんにその話をすると、彼女は腹を抱えて笑った。

「あんたらしいねぇ! 色気より食い気かい!」

「笑い事じゃありません。これは戦いです。いかに効率よくカロリーを摂取し、かつ誰とも関わらずに帰還するか」

「はいはい。でも、その王弟様、あんたのこと随分気に入ってるみたいじゃないか。大事にしなよ」

「便利な『仕事仲間』として、でしょう?」

私は肩をすくめた。
クロード様にとって私は、都合のいい「事務処理係」兼「休憩相手」だ。
今回の誘いも、堅苦しい貴族の令嬢を相手にするより、私のような無神経な女を置物にしておいた方が気が楽だからに違いない。

(……まあ、それでもいいわ)

美味しいものが食べられるなら、置物にでも何にでもなろう。

当日。
送られてきた箱を開けた私は、少しだけ息を呑んだ。

入っていたのは、深い夜空色(ミッドナイトブルー)のドレスだった。
派手な装飾はないが、生地そのものが光沢を帯びており、見る角度によって星屑のように煌めく。
シンプルだが、洗練されている。
そして何より――。

「……締め付けが少ない」

コルセットで内臓を圧迫するタイプではなく、ゆったりとしたドレープで体型を美しく見せるデザインだ。
これなら、いくら食べてもお腹が苦しくならない。

そして靴。
見た目は華奢なヒールだが、足を入れると驚くほど柔らかい。
クロード様の言っていた「魔導クッション」というのは本当らしい。

「……悔しいけど、完璧ね」

私の好みを、完全に把握されている。

鏡の前に立つ。
そこに映っているのは、やつれて不機嫌だった「悪役令嬢エリアナ」ではない。
よく食べて、よく寝て、健康的な肌色を取り戻した、一人の女性だった。

「さて、行きますか」

私は気合を入れるために、小さく頬を叩いた。

目指すは、ローストビーフの山。
そして、カイル様たちからの「完全なるスルー」。

壁の花として、最高の夜を過ごしてみせる。

迎えの馬車の音が聞こえる。
私は階段を降りていった。

まさかその夜会で、クロード様があんな爆弾発言をするとは、この時の私はまだ、ローストビーフのことで頭がいっぱいで、想像もしていなかったのである。
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