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第15話 皇女様、図書室で「禅」の心を知る
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「……おはようございます、師匠!」
朝九時。
私が図書室の鍵を開けると同時に、元気ハツラツな挨拶が飛んでくる。
扉の前で直立不動で待っていたのは、赤髪の皇女、ヒルダ様だ。
「……おはようございます、ヒルダ様。開館と同時ですね」
「うむ! 武人の朝は早い。師匠をお待たせするわけにはいかんからな!」
彼女は爽やかに笑い、私の荷物をひったくるように持ってくれた。
完全に下っ端の動きである。
一国の皇女に荷物を持たせるなど不敬もいいところだが、彼女が「これは修行だ」と言って聞かないので、甘えることにしている。
「では、今日も修練を始めましょう!」
「はいはい。まずは……お茶にしましょうか」
私は欠伸を噛み殺しながら、いつものソファへ向かった。
◇
ここ数日、私の職場環境は劇的に変化していた。
静寂な空間に、異物が混入したとも言える。
ヒルダ様は毎日通い詰め、私の「サボり」を観察し続けているのだ。
私がソファで紅茶を飲み、窓の外をぼんやり眺めていると――。
「……なるほど。視線を一点に集中させず、全体を俯瞰する。これが『明鏡止水』の境地か」
ヒルダ様が隣で頷き、真剣な顔でメモを取る。
私が面倒な書類仕事を後回しにして、編み物を始めると――。
「単純作業の反復による精神統一。指先の感覚を研ぎ澄まし、雑念を払う……。深い!」
ヒルダ様が感動して、自分も編み棒を握ろうとする。
……やりづらい。
非常にやりづらい。
私の怠惰な行動のすべてに、勝手に高尚な意味を見出されてしまう。
否定しても「謙遜なさるな!」と返されるので、もう諦めることにした。
「……師匠。今日の修行メニューは?」
紅茶を飲み終えたヒルダ様が、キラキラした目で聞いてくる。
彼女は体を動かしたくてうずうずしているようだ。
ちょうどいい。今日は少し力仕事がある。
「そうですね。今日は『知の重み』を知る修行をしましょうか」
私は適当なタイトルをつけた。
「あそこの棚にある『王国立法全書・全五〇巻』を、向こうの棚へ移動させたいのです。……手を使わず、気合で運べればベストですが」
「なっ、気合で……!?」
「無理なら手で構いません」
「押忍! やってみる!」
ヒルダ様は腕まくりをした。
あの全書は一冊がレンガのように重く、五〇巻ともなれば成人男性でも数人がかりの仕事だ。
私がやれば腰を痛めるのが確定している。
しかし。
「ふんッ!!」
ヒルダ様は五〇巻すべてを一度に抱え上げた。
タワーのように積み上げられた本が、彼女の腕の中で安定している。
バランス感覚と筋力が異常だ。
「ど、どこへ運べばいい!?」
「あちらの空いている棚へ。……静かに、丁寧に置いてくださいね。音を立てたら失敗です」
「御意!」
彼女は忍び足で移動し、驚くほど繊細な手つきで本を棚に収めた。
ドサッ、という音もしない。
「……完了した! どうだ、師匠!」
彼女が額の汗を拭いながら振り返る。
私は心からの拍手を送った。
「素晴らしいです。完璧な所作でした」
「おお……! ただ重いものを持つだけでなく、制御することの難しさ……。筋肉との対話ができた気がする!」
彼女は自分の上腕二頭筋を見つめて感動している。
幸せな人だ。
でも、おかげで私の腰は守られた。
これぞWin-Winの関係である。
◇
労働の後は、報酬が必要だ。
「休憩にしましょう」
私はバスケットから、ミナさん特製の「チョコチップクッキー」を取り出した。
大判で、チョコがごろごろ入っている庶民的なお菓子だ。
「どうぞ。糖分補給も修行のうちです」
「かたじけない」
ヒルダ様はクッキーを手に取り、まじまじと見つめた。
そして、一口かじる。
ザクッ。
「……ッ!!」
彼女の目がカッと見開かれた。
「なんだこれは……! 甘い! そして力が湧いてくる!」
「下町のパン屋のものです。貴族の食べるような上品な味ではありませんが」
「いや、美味い! 帝国の糧食は硬いパンと干し肉ばかりだ。こんなに心が満たされる兵糧は初めてだ!」
彼女は猛烈な勢いでクッキーを食べ始めた。
リスのように頬を膨らませる姿は、年相応の少女に見えなくもない。
「……師匠」
三枚目を食べ終えたところで、彼女が真剣な顔になった。
「私は今まで、力こそが正義だと思っていた。弱肉強食こそが世界の理だと」
「まあ、自然界ではそうですね」
「だが、ここでは違う。貴女は剣を持たず、魔法も攻撃には使わない。なのに、誰よりも強く、そして……心地よい空間を作っている」
彼女は図書室を見渡した。
西日が差し込み、埃ひとつない清浄な空気。
整然と並んだ本たち。
「『強さ』とは、敵を倒すことだけではないのかもしれん。……場を整え、人を癒やすこともまた、強さなのか」
「……買いかぶりすぎですよ」
私は苦笑した。
私はただ、自分が快適に過ごしたいだけだ。
そのために環境を整えているに過ぎない。
「いいえ。私は貴女から学びたい。……帝国のやり方だけが、正解ではないと知るために」
彼女の瞳は澄んでいた。
最初は脳筋の戦闘狂かと思ったけれど、彼女なりに国のことを考え、視野を広げようとしているのだろう。
素直で、実直な人だ。
「……まあ、気が済むまで通えばいいですよ。人手があるのは助かりますし」
「感謝する!」
ヒルダ様は破顔し、残りのクッキーを口に放り込んだ。
「そうだ、師匠! この御礼に、私からも良いものを提供したい!」
「良いもの?」
「うむ! 師匠は掃除がお好きだろう? だが、魔法を使うのも疲れるはずだ。そこで、本国から取り寄せた『最新鋭の魔導具』を献上したい!」
彼女は自信満々に胸を叩いた。
「帝国の技術部が総力を挙げて開発した、自律型清掃ゴーレムだ! これがあれば、師匠は指一本動かさずに部屋をピカピカにできる!」
「へえ、それは便利そうですね」
私は素直に興味を持った。
全自動掃除機みたいなものだろうか。
それがあれば、私の《洗浄》魔法の手間も省ける。
まさに怠惰のためのアイテムだ。
「明日には届く手はずだ。楽しみにしていてくれ!」
「期待しています」
私は微笑んだ。
便利な道具は大歓迎だ。
帝国が誇る技術力とやら、見せてもらおうじゃないか。
……しかし。
私は忘れていたのだ。
東方帝国という国が、「出力こそ正義」「デカいことはいいことだ」というマッチョな思想で作られた国であることを。
そして翌日。
届けられた「それ」を見た瞬間、私は自分の甘さを呪うことになる。
それは、どう見ても、小型戦車だったのだ。
朝九時。
私が図書室の鍵を開けると同時に、元気ハツラツな挨拶が飛んでくる。
扉の前で直立不動で待っていたのは、赤髪の皇女、ヒルダ様だ。
「……おはようございます、ヒルダ様。開館と同時ですね」
「うむ! 武人の朝は早い。師匠をお待たせするわけにはいかんからな!」
彼女は爽やかに笑い、私の荷物をひったくるように持ってくれた。
完全に下っ端の動きである。
一国の皇女に荷物を持たせるなど不敬もいいところだが、彼女が「これは修行だ」と言って聞かないので、甘えることにしている。
「では、今日も修練を始めましょう!」
「はいはい。まずは……お茶にしましょうか」
私は欠伸を噛み殺しながら、いつものソファへ向かった。
◇
ここ数日、私の職場環境は劇的に変化していた。
静寂な空間に、異物が混入したとも言える。
ヒルダ様は毎日通い詰め、私の「サボり」を観察し続けているのだ。
私がソファで紅茶を飲み、窓の外をぼんやり眺めていると――。
「……なるほど。視線を一点に集中させず、全体を俯瞰する。これが『明鏡止水』の境地か」
ヒルダ様が隣で頷き、真剣な顔でメモを取る。
私が面倒な書類仕事を後回しにして、編み物を始めると――。
「単純作業の反復による精神統一。指先の感覚を研ぎ澄まし、雑念を払う……。深い!」
ヒルダ様が感動して、自分も編み棒を握ろうとする。
……やりづらい。
非常にやりづらい。
私の怠惰な行動のすべてに、勝手に高尚な意味を見出されてしまう。
否定しても「謙遜なさるな!」と返されるので、もう諦めることにした。
「……師匠。今日の修行メニューは?」
紅茶を飲み終えたヒルダ様が、キラキラした目で聞いてくる。
彼女は体を動かしたくてうずうずしているようだ。
ちょうどいい。今日は少し力仕事がある。
「そうですね。今日は『知の重み』を知る修行をしましょうか」
私は適当なタイトルをつけた。
「あそこの棚にある『王国立法全書・全五〇巻』を、向こうの棚へ移動させたいのです。……手を使わず、気合で運べればベストですが」
「なっ、気合で……!?」
「無理なら手で構いません」
「押忍! やってみる!」
ヒルダ様は腕まくりをした。
あの全書は一冊がレンガのように重く、五〇巻ともなれば成人男性でも数人がかりの仕事だ。
私がやれば腰を痛めるのが確定している。
しかし。
「ふんッ!!」
ヒルダ様は五〇巻すべてを一度に抱え上げた。
タワーのように積み上げられた本が、彼女の腕の中で安定している。
バランス感覚と筋力が異常だ。
「ど、どこへ運べばいい!?」
「あちらの空いている棚へ。……静かに、丁寧に置いてくださいね。音を立てたら失敗です」
「御意!」
彼女は忍び足で移動し、驚くほど繊細な手つきで本を棚に収めた。
ドサッ、という音もしない。
「……完了した! どうだ、師匠!」
彼女が額の汗を拭いながら振り返る。
私は心からの拍手を送った。
「素晴らしいです。完璧な所作でした」
「おお……! ただ重いものを持つだけでなく、制御することの難しさ……。筋肉との対話ができた気がする!」
彼女は自分の上腕二頭筋を見つめて感動している。
幸せな人だ。
でも、おかげで私の腰は守られた。
これぞWin-Winの関係である。
◇
労働の後は、報酬が必要だ。
「休憩にしましょう」
私はバスケットから、ミナさん特製の「チョコチップクッキー」を取り出した。
大判で、チョコがごろごろ入っている庶民的なお菓子だ。
「どうぞ。糖分補給も修行のうちです」
「かたじけない」
ヒルダ様はクッキーを手に取り、まじまじと見つめた。
そして、一口かじる。
ザクッ。
「……ッ!!」
彼女の目がカッと見開かれた。
「なんだこれは……! 甘い! そして力が湧いてくる!」
「下町のパン屋のものです。貴族の食べるような上品な味ではありませんが」
「いや、美味い! 帝国の糧食は硬いパンと干し肉ばかりだ。こんなに心が満たされる兵糧は初めてだ!」
彼女は猛烈な勢いでクッキーを食べ始めた。
リスのように頬を膨らませる姿は、年相応の少女に見えなくもない。
「……師匠」
三枚目を食べ終えたところで、彼女が真剣な顔になった。
「私は今まで、力こそが正義だと思っていた。弱肉強食こそが世界の理だと」
「まあ、自然界ではそうですね」
「だが、ここでは違う。貴女は剣を持たず、魔法も攻撃には使わない。なのに、誰よりも強く、そして……心地よい空間を作っている」
彼女は図書室を見渡した。
西日が差し込み、埃ひとつない清浄な空気。
整然と並んだ本たち。
「『強さ』とは、敵を倒すことだけではないのかもしれん。……場を整え、人を癒やすこともまた、強さなのか」
「……買いかぶりすぎですよ」
私は苦笑した。
私はただ、自分が快適に過ごしたいだけだ。
そのために環境を整えているに過ぎない。
「いいえ。私は貴女から学びたい。……帝国のやり方だけが、正解ではないと知るために」
彼女の瞳は澄んでいた。
最初は脳筋の戦闘狂かと思ったけれど、彼女なりに国のことを考え、視野を広げようとしているのだろう。
素直で、実直な人だ。
「……まあ、気が済むまで通えばいいですよ。人手があるのは助かりますし」
「感謝する!」
ヒルダ様は破顔し、残りのクッキーを口に放り込んだ。
「そうだ、師匠! この御礼に、私からも良いものを提供したい!」
「良いもの?」
「うむ! 師匠は掃除がお好きだろう? だが、魔法を使うのも疲れるはずだ。そこで、本国から取り寄せた『最新鋭の魔導具』を献上したい!」
彼女は自信満々に胸を叩いた。
「帝国の技術部が総力を挙げて開発した、自律型清掃ゴーレムだ! これがあれば、師匠は指一本動かさずに部屋をピカピカにできる!」
「へえ、それは便利そうですね」
私は素直に興味を持った。
全自動掃除機みたいなものだろうか。
それがあれば、私の《洗浄》魔法の手間も省ける。
まさに怠惰のためのアイテムだ。
「明日には届く手はずだ。楽しみにしていてくれ!」
「期待しています」
私は微笑んだ。
便利な道具は大歓迎だ。
帝国が誇る技術力とやら、見せてもらおうじゃないか。
……しかし。
私は忘れていたのだ。
東方帝国という国が、「出力こそ正義」「デカいことはいいことだ」というマッチョな思想で作られた国であることを。
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