100日後に死ぬ彼女

変愚の人

文字の大きさ
2 / 37
残り100日~91日

残り97日

しおりを挟む

「お、来たね」

分厚い扉を開けると、カランという音と乾いた木の匂いがした。マスターの大城戸さんが、ニヤリと笑う。

「ども」

「最近良く来るな。また、競馬で勝ったのかな。この前のセントライト記念、竹下君の予想通りだったしな」

「この前のは買ってないんですよ」

大城戸さんが目を丸くした。

「そりゃなんで。馬連で万馬券だっただろ」

「や、何となく」

「うちに君が来る時は、大体大勝ちした時なんだが。株は暴落したしなあ」

大城戸さんが顎髭を触って首をひねった。僕はフフッと笑ってカウンターの椅子に座る。客はまだ僕だけだ。

「実はそれなんですよね。連休前にショート(空売り)仕掛けたんで」

「……凄いな。ここ最近、日経平均はえらい調子よかったから、あそこで売るのってなかなか勇気いるだろ。……っと、1杯目はいつものでいいか?」

「ええ、ギムレットで」

「了解っと」

大城戸さんがシェーカーにジンを入れ始めた。僕は軽くカウンターを撫でる。
この年季の入った古いチーク製のカウンターは、大城戸さんが1年かけて頼み込んで譲ってもらったものらしい。この手触りが、なんとも言えず心地いいのだ。
    
「で、どうなんだ。例の彼女」

シャカシャカという軽妙な音と共に、大城戸さんが訊いた。昔は湯島にある老舗のバーで働いていたらしく、シェーカーさばきは素人の僕でも分かるほど鮮やかだ。

「由梨花のことですか」

「おう。もう付き合って1年になるだろ。最近姿を見せないからな」

大城戸さんはシェーカーから静かにグラスへとカクテルを注ぐ。ライムの香りを、わずかに感じた。

「上手くいってますよ。この前の休みも会いましたし。インターンで忙しかったんですけど、やっと落ち着いたみたいで」

ギムレットを口に含む。ここのギムレットはコーディアル・ライムジュースを使ったクラシックスタイルだ。切れの中に甘酸っぱさが感じられる。

「あー、年上だっけな。またうちに連れてくればいいのに」

「ええ、就職先も大体決まったみたいですし」

「早いねえ。俺の頃は4年の春まで内定なんて出なかったけどなあ。青田買いってやつか」

すっとお通しの麦チョコが出される。僕はそれをつまみ、口に放り込んだ。

「……就職したら、どうなるんでしょうね」

「んー、何とかなるんじゃないか?結局の所、恋愛って相性だよ。君には、ああいう引っ張ってくれるタイプが合ってる気がするな」

「でも、会える時間は減りますよ」

「そこは密度でカバーさ。何より、彼女の就職はまだ1年半も先だろ。心配しすぎだよ」

大城戸さんが苦笑する。それはそうかもしれない。ただ、あの悪夢を引き合いに出すまでもなく、先に行かれることへの焦りが僕の中にある。
大城戸さんのような大人の余裕を、僕は持てるのだろうか。


ギムレットの苦みを、やけに強く感じた。


*

「Bar Orchid」を出たのは21時ごろだった。ギムレットを含むショートカクテルを3杯、そこにロングアイランドアイスティー。
酒量としてはかなり飲んでいる。店を出る時、心配そうな大城戸さんに「大丈夫れす」と答えたけど、正直足元はおぼつかない。

不安を酒でごまかそうとしているのかな。どうにも、僕らしくもない。

由梨花に電話をしようと思ったけど、確かこの時間は居酒屋のバイト中だ。コミュ障気味で接客業に向かない僕と違い、彼女は職場では看板娘として人気らしい。
株式投資が上手くいっているおかげでお金には苦労していないけど、社会性という意味で僕は由梨花に遠く及ばない。

くすんだ夜空を見上げ、ふーっと深く息をつく。「ネガティブになりすぎるのが俊太郎の悪いところ」と、由梨花に何度言われただろうか。
だからあんな嫌な夢を、何度も見てしまうのだ。つくづく自分が嫌になる。


……コツリ


僕は振り返った。……誰か、僕の後をつけている?
酔いと鬱気味の心理が作り出した、幻想だろうか。祝日夜の中目黒駅前商店街には人がそれなりにいて、もし誰かが僕を尾行しているとしても、特定は難しい。

少し歩くペースを速める。マンションまではあと数分といった所だ。足が少しもつれた。


……カッカッカッ


かすかに硬い、革靴のような足音がする。間違いない、誰か後ろにいる。
僕は走ろうとしたけど、血の中を流れるアルコールがそれを邪魔した。胃液が漏れそうになる。これ以上は限界だ。

立ち止まり、僕は叫んだ。


「誰だっ」


振り向くと、誰もいない。


……そんなはずはない。誰か、いるはずだ。


「か、隠れてないでっ、出てこいっ!」


……返事はない。そんな馬鹿な。確かに、気配と足音はしたのに。

こんな現実と混同するような被害妄想まで出るとは、いよいよカウンセラーに診てもらった方がいいのかもしれない。
僕は自分自身が嫌になり、再び深い溜め息を吐いた。

*





その夜、また、夢を見た。





*

スローモーションのように、あるいはソフトクリームが溶けるように、高層ビルが崩れ落ちていく。
逃げ惑う人々。立ちこめる黒灰色の煙。それはありきたりな言葉で言えば、地獄絵図そのものだった。

僕はそれを、画面越しに見ていた。音は聞こえない。仮に音があったとしても、爆音と轟音しか聞こえないだろう。

ホテルの客室から、窓の外を眺める。丸の内方面から、黒煙が立ち上っているのが分かった。もう、あのオフィスビルは瓦礫と化したはずだ。



僕は満足げに頷き、グラスに缶ビールを注ぐ。そして、僕以外誰もいない部屋で、「乾杯」と呟いた。




そう、僕の復讐は成されたのだ。




*

「……はっ」

思わずベッドから飛び起きた。深酔いのせいで気分は最悪だ。かといって、胃の中の内容物を吐くまでには至らない。それが僕を一層苛立たせた。

「何だってんだよ……」

スマホを見ると、まだ3時過ぎだ。夜明けまでにはかなり時間がある。
いつもの悪夢とは違う。しかし、これも酷い夢であるのには変わりない。しばらく酒量はひかえよう、そう心に誓った。

冷蔵庫に向かい、冷やしてあったスポーツドリンクのペットボトルを開けた。一気飲みすると、身体の中がわずかに洗い流された気がする。

さっきの夢は何だったのだろうか。精神的に参っている所に酔ったのがいけなかったのか。
それにしては、夢の内容は鮮明だった。例の夢ほどじゃないけど、内容はかなりはっきり思い出せる。


何か、強烈な違和感がある。まるで、あれは実際にあったことのような……




その時、ふと気付いた。あのオフィスビル、どこかで見覚えがある。……丸の内にある「三友グランドタワー」。
由梨花が就職する予定の、三友地所の本社が入居しているビルだ。




しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

離婚した彼女は死ぬことにした

はるかわ 美穂
恋愛
事故で命を落とす瞬間、政略結婚で結ばれた夫のアルバートを愛していたことに気づいたエレノア。 もう一度彼との結婚生活をやり直したいと願うと、四年前に巻き戻っていた。 今度こそ彼に相応しい妻になりたいと、これまでの臆病な自分を脱ぎ捨て奮闘するエレノア。しかし、 「前にも言ったけど、君は妻としての役目を果たさなくていいんだよ」 返ってくるのは拒絶を含んだ鉄壁の笑みと、表面的で義務的な優しさ。 それでも夫に想いを捧げ続けていたある日のこと、アルバートの大事にしている弟妹が原因不明の体調不良に襲われた。 神官から、二人の体調不良はエレノアの体内に宿る瘴気が原因だと告げられる。 大切な人を守るために離婚して彼らから離れることをエレノアは決意するが──。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

あなたの愛はいりません

oro
恋愛
「私がそなたを愛することは無いだろう。」 初夜当日。 陛下にそう告げられた王妃、セリーヌには他に想い人がいた。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...