2 / 10
1.役者交代
しおりを挟む
公爵家の娘に生まれた以上、いつか恋の無い結婚をする覚悟はあった。
むしろ自分は幸運だ。既に初めての恋が叶わぬものだと知っているのだから。失恋と言うにはお粗末だが、恋を知り、恋を枯らせた事は、恋の影も形も知らぬまま嫁がされるよりもずっと良い。いつか契りを結ぶ相手とは、恋ではなくとも愛を育めたら良いなんて、穏やかな気持ちで覚悟を決める事が出来た。
どれだけ遅くとも十八には婚約相手が決まる。制度や規則として定められている訳ではないが、生れる前から結婚相手が決まっていた時代を経て、現在は学生を終えるまでに婚約するという流れが定番となっている。
だから自分も、慕う相手ではなく定められた相手と愛を誓うのだと、分かっていた。
そしてそれが、 姉の“元”婚約者である事も。
「ベアトリーチェ・マクシスとの婚約を発表する」
冷静に自分との婚約を告げたのは、イヴ・アストレア・ライーシュカ。
我が国の皇太子であり、兄の親友であり、ついさっきまで、姉の婚約者であった人。
「ビーチェ、こちらへ」
「はい、お兄様」
兄に手を引かれ、イヴの隣へと導かれる。兄も長身だが、それ以上に背の高いイヴと自分が並ぶと、まるで大人と子供。年齢を考えると事実大人と子供なのだが、それにしても自分の幼さが際立っている気がした。
黒い髪に、紺色の瞳。磨き抜かれた刃の様に、美しく鋭い面立ちをした男性。柔和な雰囲気の兄とは真反対で、兄とよく似ていると言われている自分とも対照的だ。
隣に立つと、腰に手が回った。それだけで背筋が伸びる。自分の立場と、役割と、未来。全てが勝手に脳内を駆け巡って。誰にも悟られぬ様に、誰もが褒め称える笑顔を纏う。
「ベアトリーチェ様と……?」
「イブ皇子の婚約者は」
「正式な発表は今日のはずで」
ざわつく人々の中に、姉の姿はない。このパーティーの主役の一人である卒業生であるはずだが、恐らく出席していないのだろう。
姉の今後については、兄から既に聞いている。もしかしたら、今日が言葉を交わせる最後の機会になるかも知れない。出来る事なら一目会ってお別れが言いたかったけれど、兄とイヴの表情を見た時に、それは無理な願いなのだと理解していた。
「私の婚約相手について、様々な憶測があった事は承知している。しかしその全ては憶測であり、今発表した事が全てだ。私、イヴ・アストレア・ライーシュカは、ベアトリーチェ・マクシス嬢と婚約した事を、ここに宣言する」
それ程大きな声ではないのに、ひそひそと囁いていた者達は一斉に口を閉ざした。美しい皇太子殿下の言葉に異を唱えられる者は、この場には誰もいないらしかった。ただ、言葉にせずとも、視線が物語っている。多くの在校生、そして今日卒業した者達は、この婚約を良く思っていないと。我が姉アイレッタは、学内でよく慕われていた人だったから。
「ベアトリーチェ」
「……大丈夫です」
小さな声で名を呼ぶイヴに、微笑みで返した。腰に回った手が少しだけ浮いている事、こんなに近くにいても、無遠慮に触れては来ない事に、気付いているのはきっと自分と兄だけだ。
この婚約が望まれていない事は、分かっている。何年も前から、イヴの妃はアイレッタだと、多くが思っていた事も。
自分は宛ら、二人を引き裂いた悪女といった所だろう。イヴを唆し、姉から婚約者を奪った奸婦。イブの宣言で口を閉じた者達が、再び、今度はベアトリーチェへの辛辣な言葉で囀るのが聞こえる。一つ一つが小さくとも、集まれば大きく見える物だ。
投げられる石に傷付くのは簡単だ。庇ってくれる腕も、隣にあると分かっている。でもそれでは、自分がここに立った意味がない。そんな覚悟で、頷いたりしない。
ベアトリーチェは、アイレッタの代わりに、イヴの妃になると決めたのだから。
むしろ自分は幸運だ。既に初めての恋が叶わぬものだと知っているのだから。失恋と言うにはお粗末だが、恋を知り、恋を枯らせた事は、恋の影も形も知らぬまま嫁がされるよりもずっと良い。いつか契りを結ぶ相手とは、恋ではなくとも愛を育めたら良いなんて、穏やかな気持ちで覚悟を決める事が出来た。
どれだけ遅くとも十八には婚約相手が決まる。制度や規則として定められている訳ではないが、生れる前から結婚相手が決まっていた時代を経て、現在は学生を終えるまでに婚約するという流れが定番となっている。
だから自分も、慕う相手ではなく定められた相手と愛を誓うのだと、分かっていた。
そしてそれが、 姉の“元”婚約者である事も。
「ベアトリーチェ・マクシスとの婚約を発表する」
冷静に自分との婚約を告げたのは、イヴ・アストレア・ライーシュカ。
我が国の皇太子であり、兄の親友であり、ついさっきまで、姉の婚約者であった人。
「ビーチェ、こちらへ」
「はい、お兄様」
兄に手を引かれ、イヴの隣へと導かれる。兄も長身だが、それ以上に背の高いイヴと自分が並ぶと、まるで大人と子供。年齢を考えると事実大人と子供なのだが、それにしても自分の幼さが際立っている気がした。
黒い髪に、紺色の瞳。磨き抜かれた刃の様に、美しく鋭い面立ちをした男性。柔和な雰囲気の兄とは真反対で、兄とよく似ていると言われている自分とも対照的だ。
隣に立つと、腰に手が回った。それだけで背筋が伸びる。自分の立場と、役割と、未来。全てが勝手に脳内を駆け巡って。誰にも悟られぬ様に、誰もが褒め称える笑顔を纏う。
「ベアトリーチェ様と……?」
「イブ皇子の婚約者は」
「正式な発表は今日のはずで」
ざわつく人々の中に、姉の姿はない。このパーティーの主役の一人である卒業生であるはずだが、恐らく出席していないのだろう。
姉の今後については、兄から既に聞いている。もしかしたら、今日が言葉を交わせる最後の機会になるかも知れない。出来る事なら一目会ってお別れが言いたかったけれど、兄とイヴの表情を見た時に、それは無理な願いなのだと理解していた。
「私の婚約相手について、様々な憶測があった事は承知している。しかしその全ては憶測であり、今発表した事が全てだ。私、イヴ・アストレア・ライーシュカは、ベアトリーチェ・マクシス嬢と婚約した事を、ここに宣言する」
それ程大きな声ではないのに、ひそひそと囁いていた者達は一斉に口を閉ざした。美しい皇太子殿下の言葉に異を唱えられる者は、この場には誰もいないらしかった。ただ、言葉にせずとも、視線が物語っている。多くの在校生、そして今日卒業した者達は、この婚約を良く思っていないと。我が姉アイレッタは、学内でよく慕われていた人だったから。
「ベアトリーチェ」
「……大丈夫です」
小さな声で名を呼ぶイヴに、微笑みで返した。腰に回った手が少しだけ浮いている事、こんなに近くにいても、無遠慮に触れては来ない事に、気付いているのはきっと自分と兄だけだ。
この婚約が望まれていない事は、分かっている。何年も前から、イヴの妃はアイレッタだと、多くが思っていた事も。
自分は宛ら、二人を引き裂いた悪女といった所だろう。イヴを唆し、姉から婚約者を奪った奸婦。イブの宣言で口を閉じた者達が、再び、今度はベアトリーチェへの辛辣な言葉で囀るのが聞こえる。一つ一つが小さくとも、集まれば大きく見える物だ。
投げられる石に傷付くのは簡単だ。庇ってくれる腕も、隣にあると分かっている。でもそれでは、自分がここに立った意味がない。そんな覚悟で、頷いたりしない。
ベアトリーチェは、アイレッタの代わりに、イヴの妃になると決めたのだから。
20
あなたにおすすめの小説
悪意には悪意で
12時のトキノカネ
恋愛
私の不幸はあの女の所為?今まで穏やかだった日常。それを壊す自称ヒロイン女。そしてそのいかれた女に悪役令嬢に指定されたミリ。ありがちな悪役令嬢ものです。
私を悪意を持って貶めようとするならば、私もあなたに同じ悪意を向けましょう。
ぶち切れ気味の公爵令嬢の一幕です。
冤罪で婚約破棄したくせに……今さらもう遅いです。
水垣するめ
恋愛
主人公サラ・ゴーマン公爵令嬢は第一王子のマイケル・フェネルと婚約していた。
しかしある日突然、サラはマイケルから婚約破棄される。
マイケルの隣には男爵家のララがくっついていて、「サラに脅された!」とマイケルに訴えていた。
当然冤罪だった。
以前ララに対して「あまり婚約しているマイケルに近づくのはやめたほうがいい」と忠告したのを、ララは「脅された!」と改変していた。
証拠は無い。
しかしマイケルはララの言葉を信じた。
マイケルは学園でサラを罪人として晒しあげる。
そしてサラの言い分を聞かずに一方的に婚約破棄を宣言した。
もちろん、ララの言い分は全て嘘だったため、後に冤罪が発覚することになりマイケルは周囲から非難される……。
悪役令嬢として断罪? 残念、全員が私を庇うので処刑されませんでした
ゆっこ
恋愛
豪奢な大広間の中心で、私はただひとり立たされていた。
玉座の上には婚約者である王太子・レオンハルト殿下。その隣には、涙を浮かべながら震えている聖女――いえ、平民出身の婚約者候補、ミリア嬢。
そして取り巻くように並ぶ廷臣や貴族たちの視線は、一斉に私へと向けられていた。
そう、これは断罪劇。
「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前は聖女ミリアを虐げ、幾度も侮辱し、王宮の秩序を乱した。その罪により、婚約破棄を宣告し、さらには……」
殿下が声を張り上げた。
「――処刑とする!」
広間がざわめいた。
けれど私は、ただ静かに微笑んだ。
(あぁ……やっぱり、来たわね。この展開)
悪役令嬢カタリナ・クレールの断罪はお断り(断罪編)
三色団子
恋愛
カタリナ・クレールは、悪役令嬢としての断罪の日を冷静に迎えた。王太子アッシュから投げつけられる「恥知らずめ!」という罵声も、学園生徒たちの冷たい視線も、彼女の心には届かない。すべてはゲームの筋書き通り。彼女の「悪事」は些細な注意の言葉が曲解されたものだったが、弁明は許されなかった。
婚約者様への逆襲です。
有栖川灯里
恋愛
王太子との婚約を、一方的な断罪と共に破棄された令嬢・アンネリーゼ=フォン=アイゼナッハ。
理由は“聖女を妬んだ悪役”という、ありふれた台本。
だが彼女は涙ひとつ見せずに微笑み、ただ静かに言い残した。
――「さようなら、婚約者様。二度と戻りませんわ」
すべてを捨て、王宮を去った“悪役令嬢”が辿り着いたのは、沈黙と再生の修道院。
そこで出会ったのは、聖女の奇跡に疑問を抱く神官、情報を操る傭兵、そしてかつて見逃された“真実”。
これは、少女が嘘を暴き、誇りを取り戻し、自らの手で未来を選び取る物語。
断罪は終わりではなく、始まりだった。
“信仰”に支配された王国を、静かに揺るがす――悪役令嬢の逆襲。
「身分が違う」って言ったのはそっちでしょ?今さら泣いても遅いです
ほーみ
恋愛
「お前のような平民と、未来を共にできるわけがない」
その言葉を最後に、彼は私を冷たく突き放した。
──王都の学園で、私は彼と出会った。
彼の名はレオン・ハイゼル。王国の名門貴族家の嫡男であり、次期宰相候補とまで呼ばれる才子。
貧しい出自ながら奨学生として入学した私・リリアは、最初こそ彼に軽んじられていた。けれど成績で彼を追い抜き、共に課題をこなすうちに、いつしか惹かれ合うようになったのだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる