次は芽が出る

藍色綿菓子

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後編

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 翌朝、いつも私より起床の遅い弟が、私が居間に入った時には既に立派に二足歩行をして起きていた。その手にはコップ。人が水を飲む器である。空のそのコップには、少しの土が付着していた。
「おはよう」
「おはよう……ジョウロ使えば?」
「どこにあるかわかんなくて」
 弟がそう言うから、かつて母が家庭菜園に興味を持った際に買い集めた、ガーデニングセットのある場所に連れて行った。ほとんど新品のそれが再び陽の目を見ることになって良かった。母のように弟も、いつか飽きが来るだろうと信じてそうしたのだが、どういう訳か弟は毎朝欠かさず水をやりに行っていた。別の種を渡したのが知れたら、厄介な事になるのではないかと、じわりじわりと焦りはじめてきた。

 友達の家から帰ってきた弟が、庭の鉢植えを見に行って肩を落としていたのを見た。夕食時、家族の談笑に混じって「友達の鉢植えはもう芽が出てた」とこぼしていた。
 あの種は秋に配られた種だから、今の気温では芽吹きすらしないかもしれない。いつまでも芽が出なかったら、私の謝り損ねた悪行は露見せずに済む。しかし、それで済ませて良いのかという自問自答が止まない。思いの外、寂しそうに言っていたのを、忘れたかった。

 鉢植えのことは意識的に見ないようにしていたが、朝起きると時々水やりに行ったばかりの弟と会った。長い間世話をしても変わらない様子の土を見て、最近では母や父までもが鉢植えを気にしているようだった。どんなに避けても、母に「芽が出ないね」と言われれば、意識せざるを得なかった。友達と違う花でも良いから、何かの間違いで芽が出ないかと期待した。時々鉢植えを見に行った。

「花が咲いたよ!」
 土の付いたサッカーボール型の鉢植えに、白い花が咲いていた。弟は得意気に胸を張り、父や母も総出で祝って、食卓には七面鳥が並んだ。私は本当に安心していた。これまであった焦りや不安の全てを許せたし、弟の懸命な努力が実を成したことを心から尊敬した。幸せそうなその顔を見て、謝る必要はないなと判断した。
 そういう夢を見た。
 起きてみると、外は強い雨風が吹きつけて、家をゴウゴウと揺らしていた。そうそう見ない嵐だった。夢で咲いていた花を思って、そろそろとベッドを離れて鉢植えを見に行くと、固定するための器具だけが取り残されていた。少し遠くまで見回して、本物のサッカーボールのように無造作に転がる土塗れの鉢植えを見付けた。傘を持ってきて、鉢植えを取り上げた。ほとんどの土が外にこぼれて、いやに軽い。表面に蒔いた種はもう、跡形も無いようだった。残った鉢植えだけをもって家に帰る。

「ありがとね」
 玄関を開けるとすぐに、弟と対面した。ここで謝って、本当のことを話さなくては、今後機会は二度と来ない。鉢植えを手渡す。弟は大事そうに表面を拭った。
「仲間に貰ったのにな」
「ごめん」
 勢いづけて言う。説明しようとしたのが、弟に遮られる。
「あぁいいよいいよ、別にアンタ悪くないし」
「そのことなんだけど」
「ねえそれよりさ、譲ってくれない?種」
 蒔いてすらいない奴、あるでしょ、と弟は続ける。訳がわからない。種は既に譲ってある。
「何のこと?」
「だからさ。前に種、姉ちゃんから受け取った直後に見つけたんだよ。だから棚に置いておいたけど、姉ちゃんのじゃない? どうせなら育てたいから、あれちょうだいよ」
 私は思わず天井を見上げた。今こそ青い空を見たい気分だった。
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