15 / 16
クローン研究所
しおりを挟む
あの姉弟のことを伝えなくてはと思って、友人の職場を訪ねた。受付のロボットが彼女に連絡を入れたが、応答がない。社内にいるというので、探すために奥へと進む。以前案内された道を辿ると、いくつもの扉がロックを解除されたままになっている。あの友人が、長時間大事な自分の施設を開けておくだろうか。違和感を覚えながらも、ほぼ一本道の通路を進んでいくと、クローンの培養所に着く。開いた扉のちょうど正面に、倒れている友人の姿があった。美しい髪が床にばらけている。
私は驚いて、大丈夫かと呼びかけながら、彼女に駆け寄った。人形のような顔はいつもと変わらず、眠っているかのように見える。ただ、胸から血が流れていた。心臓の位置に小さな穴が空いている。出血量は少ないが、耳を押し当てると、既に心音は絶えていた 。どれだけ強く耳を押しつけても、本物の人形のように動かない。作り物の体の柔らかさが悲しかった。
とうとう知人も家族も、全ていなくなってしまった。
私以外の家族はある日、突然家に帰らなくなった。どこに行ったのか、明確にはわからない。ただ、推測はできる。いなくなる数日前から、隠し事をされているような空気が漂っていて、帰らなくなった日に家から金が消えていた。その人数分の、安楽死の代金と一致する。置いていかれたのだろう。
今になって、姉に固執していた弟の気持ちが理解できた。
目の前に絶望がある。
不意に虫が声をあげた。
「これは酷い。……いや待て! まだ誰かがいる」
倒れる友人の胸から流れる血は乾いていない。物影から人が現れた。背の低い男だった。男はつぶやく。
「この前ぶつかってきた子」
銃を持っていた。
なぜここにいるのか、と彼は言った。友達に会いに来たと私が言うと、力ない目がつり上がる。強い語調で、友人を人でなしだと罵倒し始めた。お前もこいつと同じ考えか、と決めつけるように言われる。空洞のようになった私の胸を、彼の言葉が通り抜けていった。彼は苦しそうに言葉を吐き出す。
「俺が信じた人間はこんなんじゃない。これが人のすることか? 人はもっと……希望を……多少の犠牲のつもりで切り捨てた化け物達のために、人そのものが化け物の心を持った。……俺の思っていた人間は、高潔で、前向きで、いじらしくて……」
喋っている内に、段々とトーンダウンして、彼は頭を抱えた。そして唐突に、変異治療薬の弊害を告発する。極端に死ににくくなるのだそうだ。第一人者として、使わざるを得なかった、と彼は言った。
「化け物だらけになるな、世の中」
虫が同情するように言った。
そして、彼の素性に察しがついた。友人が呼んだのだろう。あの、人間を信じる会の、リーダーなんだろうか。
「それに、変異は治っても、切り離された肉体は戻らない。俺の足もこのままで、痛覚だけが戻ってくる」
彼はズボンの裾をまくり上げて見せた。潰れた赤黒い肉が、空洞の中に見える。ぼんやりとした思考が、記憶の沼をさらい、あの手記か、と思い至った。希望でいっぱいだったなぁと思う。
「こんな世界望んだんじゃない」
もうどうすればいいかわからない、彼はそう言って沈んでいた。
なぜ私はこの人の話を聞いているのだろう。突然語り出したけど、私はカウンセラーではないのだ。そういうタイミングで対面してしまったからなのだろうが。不憫である。適切な言葉は言えない。でも私も、思うことはある。
「持って辛いだけの希望は、持たない方がいいんだよ」
彼は嘆くように聞き返した。
「そんな! 希望のない人生なんて、何のために生きていくんだ」
そんな言葉が飛び出るような人だから、酷く眩しく見える。
「たぶんね、生きていくのに、意味なんて無いよ」
彼は笑うように顔を歪めた。その頬を伝う涙が、透き通って光るのが綺麗だった。
私は驚いて、大丈夫かと呼びかけながら、彼女に駆け寄った。人形のような顔はいつもと変わらず、眠っているかのように見える。ただ、胸から血が流れていた。心臓の位置に小さな穴が空いている。出血量は少ないが、耳を押し当てると、既に心音は絶えていた 。どれだけ強く耳を押しつけても、本物の人形のように動かない。作り物の体の柔らかさが悲しかった。
とうとう知人も家族も、全ていなくなってしまった。
私以外の家族はある日、突然家に帰らなくなった。どこに行ったのか、明確にはわからない。ただ、推測はできる。いなくなる数日前から、隠し事をされているような空気が漂っていて、帰らなくなった日に家から金が消えていた。その人数分の、安楽死の代金と一致する。置いていかれたのだろう。
今になって、姉に固執していた弟の気持ちが理解できた。
目の前に絶望がある。
不意に虫が声をあげた。
「これは酷い。……いや待て! まだ誰かがいる」
倒れる友人の胸から流れる血は乾いていない。物影から人が現れた。背の低い男だった。男はつぶやく。
「この前ぶつかってきた子」
銃を持っていた。
なぜここにいるのか、と彼は言った。友達に会いに来たと私が言うと、力ない目がつり上がる。強い語調で、友人を人でなしだと罵倒し始めた。お前もこいつと同じ考えか、と決めつけるように言われる。空洞のようになった私の胸を、彼の言葉が通り抜けていった。彼は苦しそうに言葉を吐き出す。
「俺が信じた人間はこんなんじゃない。これが人のすることか? 人はもっと……希望を……多少の犠牲のつもりで切り捨てた化け物達のために、人そのものが化け物の心を持った。……俺の思っていた人間は、高潔で、前向きで、いじらしくて……」
喋っている内に、段々とトーンダウンして、彼は頭を抱えた。そして唐突に、変異治療薬の弊害を告発する。極端に死ににくくなるのだそうだ。第一人者として、使わざるを得なかった、と彼は言った。
「化け物だらけになるな、世の中」
虫が同情するように言った。
そして、彼の素性に察しがついた。友人が呼んだのだろう。あの、人間を信じる会の、リーダーなんだろうか。
「それに、変異は治っても、切り離された肉体は戻らない。俺の足もこのままで、痛覚だけが戻ってくる」
彼はズボンの裾をまくり上げて見せた。潰れた赤黒い肉が、空洞の中に見える。ぼんやりとした思考が、記憶の沼をさらい、あの手記か、と思い至った。希望でいっぱいだったなぁと思う。
「こんな世界望んだんじゃない」
もうどうすればいいかわからない、彼はそう言って沈んでいた。
なぜ私はこの人の話を聞いているのだろう。突然語り出したけど、私はカウンセラーではないのだ。そういうタイミングで対面してしまったからなのだろうが。不憫である。適切な言葉は言えない。でも私も、思うことはある。
「持って辛いだけの希望は、持たない方がいいんだよ」
彼は嘆くように聞き返した。
「そんな! 希望のない人生なんて、何のために生きていくんだ」
そんな言葉が飛び出るような人だから、酷く眩しく見える。
「たぶんね、生きていくのに、意味なんて無いよ」
彼は笑うように顔を歪めた。その頬を伝う涙が、透き通って光るのが綺麗だった。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる