崩落

藍色綿菓子

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クローン研究所

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 あの姉弟のことを伝えなくてはと思って、友人の職場を訪ねた。受付のロボットが彼女に連絡を入れたが、応答がない。社内にいるというので、探すために奥へと進む。以前案内された道を辿ると、いくつもの扉がロックを解除されたままになっている。あの友人が、長時間大事な自分の施設を開けておくだろうか。違和感を覚えながらも、ほぼ一本道の通路を進んでいくと、クローンの培養所に着く。開いた扉のちょうど正面に、倒れている友人の姿があった。美しい髪が床にばらけている。
 私は驚いて、大丈夫かと呼びかけながら、彼女に駆け寄った。人形のような顔はいつもと変わらず、眠っているかのように見える。ただ、胸から血が流れていた。心臓の位置に小さな穴が空いている。出血量は少ないが、耳を押し当てると、既に心音は絶えていた         。どれだけ強く耳を押しつけても、本物の人形のように動かない。作り物の体の柔らかさが悲しかった。
 とうとう知人も家族も、全ていなくなってしまった。

 私以外の家族はある日、突然家に帰らなくなった。どこに行ったのか、明確にはわからない。ただ、推測はできる。いなくなる数日前から、隠し事をされているような空気が漂っていて、帰らなくなった日に家から金が消えていた。その人数分の、安楽死の代金と一致する。置いていかれたのだろう。
 今になって、姉に固執していた弟の気持ちが理解できた。
 目の前に絶望がある。
 不意に虫が声をあげた。
「これは酷い。……いや待て! まだ誰かがいる」
 倒れる友人の胸から流れる血は乾いていない。物影から人が現れた。背の低い男だった。男はつぶやく。
「この前ぶつかってきた子」
 銃を持っていた。
 なぜここにいるのか、と彼は言った。友達に会いに来たと私が言うと、力ない目がつり上がる。強い語調で、友人を人でなしだと罵倒し始めた。お前もこいつと同じ考えか、と決めつけるように言われる。空洞のようになった私の胸を、彼の言葉が通り抜けていった。彼は苦しそうに言葉を吐き出す。
「俺が信じた人間はこんなんじゃない。これが人のすることか? 人はもっと……希望を……多少の犠牲のつもりで切り捨てた化け物達のために、人そのものが化け物の心を持った。……俺の思っていた人間は、高潔で、前向きで、いじらしくて……」
 喋っている内に、段々とトーンダウンして、彼は頭を抱えた。そして唐突に、変異治療薬の弊害を告発する。極端に死ににくくなるのだそうだ。第一人者として、使わざるを得なかった、と彼は言った。
「化け物だらけになるな、世の中」
 虫が同情するように言った。
 そして、彼の素性に察しがついた。友人が呼んだのだろう。あの、人間を信じる会の、リーダーなんだろうか。
「それに、変異は治っても、切り離された肉体は戻らない。俺の足もこのままで、痛覚だけが戻ってくる」
 彼はズボンの裾をまくり上げて見せた。潰れた赤黒い肉が、空洞の中に見える。ぼんやりとした思考が、記憶の沼をさらい、あの手記か、と思い至った。希望でいっぱいだったなぁと思う。
「こんな世界望んだんじゃない」
 もうどうすればいいかわからない、彼はそう言って沈んでいた。
 なぜ私はこの人の話を聞いているのだろう。突然語り出したけど、私はカウンセラーではないのだ。そういうタイミングで対面してしまったからなのだろうが。不憫である。適切な言葉は言えない。でも私も、思うことはある。
「持って辛いだけの希望は、持たない方がいいんだよ」
 彼は嘆くように聞き返した。
「そんな! 希望のない人生なんて、何のために生きていくんだ」
 そんな言葉が飛び出るような人だから、酷く眩しく見える。
「たぶんね、生きていくのに、意味なんて無いよ」
 彼は笑うように顔を歪めた。その頬を伝う涙が、透き通って光るのが綺麗だった。
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