抱く気満々だった新妻から「白い結婚にしましょう」と言われた

黒水玉

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解放してあげなければ

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二階にたどり着いた途端、けたたましい叫び声が聞こえた。小さな子どもが癇癪を起こしたような泣き声。それが、妻であるリリアーナの部屋から聞こえていた。

「な、なんだ……?」

我を忘れていたはずのバレットは、ポカンと足を止める。
リリアーナの私室前にはオロオロとした様子の侍女が数人おり、バレットの姿を見るとギョッと顔を引きつらせた。

「だっ、旦那様……っ!?」

「どうしたんだ一体。あの声は――」

「絶対嫌われちゃったわぁ!」

侍女に話を聞こうとした瞬間、またしても大きな声が廊下に響いた。
その場にいた全員がリリアーナの部屋へと顔を向ける。扉は少し開いていて、中の声が廊下までハッキリ聞こえてくる。

「落ち着きなって。まだそうと決まったわけじゃないだろう?」

「絶対嫌われたわよ! 初夜を拒否する女なんて嫌われるに決まってるじゃない! 引き止めてもくれなかったもの! ただ『そうか、わかった』って一言……きっともう私に愛想が尽きちゃったんだわ!」

「じゃあなんで拒否したりしたの」

落ち着いた男の声が、わめく女性をいさめている。もしかして……いや、もしかしなくてもあれはリリアーナの声だろうか。

「だって彼には愛する女性がいるって!」

リリアーナらしき声が叫ぶ。……いや、誰だそれ。覚えがないぞ。

「騎士団の人と話してたの! 私と結婚することになったから彼女と別れなきゃいけなくなったって!」

まったく身に覚えがない。なんの話だ?

「だったら私は、彼のために身を引いたほうがいいのかもって……」

「リリィはそれでいいのかい?」

男の言葉に、リリアーナは沈黙する。バレットはゴクリと唾を飲み込んだ。

「……本当はよくない。だって私はバレットを愛してるんだもの」

――バンッ!!

バレットは勢いよく扉を開けた。中にいた二人がハッとこちらを向く。思いっきり開けた扉は蝶番が壊れたのかギィギィと音を立てているが、それどころではない。
部屋にいたのはリリアーナと、リリアーナの兄のジェラルド侯爵令息だ。

「誤解だ」

開口一番、バレットはそう言った。

「恋人などいない」

言いながら、つかつかと二人に歩み寄る。バレットの勢いに気圧されたのか、リリアーナが怯えたようにジェラルドに手を伸ばした。その手が触れる前に細い手首をつかまえて握りしめる。そのままジェラルドから隠すように自分に引き寄せた。実の兄だろうと、今は他の男に彼女を触れさせたくなかった。

「君ねぇ、僕は別に……」

呆れたようなジェラルドの声に、バレットは振り返る。

「申し訳ありません、義兄上あにうえ。少し二人にしていただけませんか」

振り向いたバレットの顔を見て、ジェラルドは目を瞬かせた。どんな顔をしているか自分ではわからないが、義兄にはなにか思うところがあったらしい。溜め息を吐いて頭をかいた。

「今度妹を不安にさせたら容赦しないよ」

そう言いながら席を立つ。「仲良くしなよー」と言葉を残し、ジェラルドは部屋を出ていった。

はるかに格上の侯爵令息相手に褒められた態度ではなかったが、後日、誠心誠意謝罪に向かう所存だ。それよりも今は大事なことがある。

「だ、旦那様……なんで……」

リリアーナが、驚愕の表情を浮かべてこちらを見上げている。その質問には答えず、バレットはガバリと彼女を横向きに抱き上げた。

「きゃあっ!?」

突然のことにリリアーナが悲鳴を上げる。バレットは扉の方を見やり、心配そうに覗き込んでいる侍女たちに声をかけた。

「しばらく部屋にこもる。二人にしてくれ」

「はあ!?」

バレットの言葉にリリアーナが目を剥いた。
侍女たちは迷ったように顔を見合わせていたが、やがてコクリと頷くと、厳かに頭を下げて部屋から出ていった。

バレットはリリアーナを姫抱きにしたまま、私室と繋がった夫婦の寝室へと足を向ける。

「ちょ、ちょっと」

リリアーナが困惑したようにバレットを見上げる。いよいよ寝室の扉を開け、天蓋付きのベッドへ向かおうとすると、リリアーナは抵抗するように身動ぎした。

「だ、旦那様、あの――んっ……!」

ベッドに下ろし、唇をふさぐ。キスは結婚式で一度しただけだ。初めてじっくり味わう彼女の唇はとても甘く、バレットは夢中でそれを貪った。不慣れなリリアーナは、舌まで入れる濃厚なキスに戸惑い、バレットの服を必死につかんで耐えている。いつも完璧な彼女のそんな姿に、彼の背筋をゾクリと甘い痺れが襲った。

「俺には君だけだ」

長いキスの後、銀の糸を互いの唇に繋がらせながらバレットは言った。

「うっ、嘘……」

「嘘じゃない」

「だって……じゃあ、あの話はなんなのです!? あなたの恋人という女性は……っ!」

「その話だが、まったく身に覚えがないんだ」

「し、しらばっくれないで! 私、聞いたんです! あなたが同僚のエリック様と話しているのを!」

「エリックと……?」

「ええ。私があなたに内緒で騎士団の訓練を見に行った際に――」


   ◇


その日、リリアーナはバレットに内緒で騎士団の訓練場に来ていた。

手には飲み物とサンドウィッチの入ったバスケットを抱えている。バレットへの差し入れだ。深窓の令嬢であるリリアーナはもちろん料理などしたことがないのだが、屋敷のシェフに手伝ってもらって初めてサンドウィッチを作ってみた。完璧主義な彼女は何度も失敗しては挑戦し、失敗しては挑戦しをくり返し、ようやく納得のいくものを作ることができた。このままでは味見係の使用人たちがサンドウィッチに飽きてしまうところだったので、成功した時には本気で安堵した。

訓練場を覗くと、若い騎士たちを遠目に眺める令嬢が何人か見える。彼女たちはお目当ての騎士に黄色い声を上げたり、頬を染めてヒソヒソと話し合ったりしていた。彼女たちの中には、騎士というだけで騒ぐミーハーな者もいれば、本気で誰かに恋している者もいる。
以前はきゃあきゃあ騒いでいる令嬢たちを見て、騎士の方々の邪魔をするようではしたないと思っていたのだが、自身が騎士の婚約者になった今、彼女たちの気持ちがよくわかる。

見たい。彼が――バレットが騎士として剣を振るっている姿を。騎士団での彼はとてもたくましくて素敵だと聞いている。その姿を一目見たくて今日はやって来たのだ。
ついでに、バレットに黄色い声を上げる令嬢がいないかのチェックと、自分が婚約者だというアピールもしておかなくてはならない。

しかし、訓練場を見回してもバレットの姿はない。彼の姿を探して辺りをさまよっていると、水場のほうでバレットと同僚のエリックが話しているのが見えた。自分の顔がほころんでいることを自覚しながら、それでもつとめて優雅に二人に近付く。だが、声が聞こえる距離で耳に入ってきた会話に、リリアーナは柱の影で足を止めた。

「バレットももうすぐ結婚かぁ」

バレットの同僚であり、親友であるエリックが感慨深げに言う。

「しかし、君が違う女性のものになると、お姫様が嫉妬に狂うんじゃない?」

「姫? ……ああ、エリィのことか」

言われたバレットは、なんでもないことのように頷いている。

「そうかもしれないな。彼女は気性が荒いから」

「でも、結婚しても君の一番はエリィなんでしょ?」

「いや、さすがに彼女を一番にするわけにはいかないだろう。確かに俺はエリィを愛しているが、これからはリリアーナが俺の一番となる」

相変わらずの仏頂面で答えるバレットに、エリックはクスクスと笑った。

「ごめんごめん。からかうのはこのへんにしとくよ。馬に蹴られたくはないからね」

それで話は終わったのか、二人は訓練場へ戻っていく。リリアーナの存在には最後まで気付かなかったようだ。

(エリィって……誰)

リリアーナは足元がガラガラと崩れるような感覚を感じていた。

――バレットには他に愛する人がいた? 自分と結婚することになったから、その人とは別れないといけなくなった? けれど二人はまだ思い合っていて、リリアーナの存在が彼らにとって邪魔になっている?

信じられなかった。バレットは口下手で不器用ながらも、真摯にリリアーナに向き合ってくれていた。けれど本当は、上からの命令で嫌々従うしかなかったのだろうか。本当は、リリアーナのことを疎ましく思っていたのだろうか。リリアーナは見目の美しさを褒められはするが、隙がなく、可愛げがないとも言われる。侯爵家の人間として相応しい振る舞いを心がけてきた結果なのだが、こんな自分はバレットの好みではなかったのかもしれない。

自分の存在が二人にとって邪魔者になっている。……ならば。ならば解放してあげなければ。

この国では、貴族でも離婚することはめずらしくない。けれど、さすがに一年以内での離婚は外聞が悪いし、子どもができれば難しくなる。
ならば、白い結婚を一年続けて後腐れなく離婚してあげよう。バレットとしても、恋人に操を立てられるので好都合だろう。それに……リリアーナも、自分を愛してくれないバレットを目の当たりにしないですむ。

彼のためにそうしようと決めても、キリキリと痛む胸はおさまらなかった。ドレスが汚れることも気にせずしゃがみ込む。膝に顔を埋めてうずくまったまま、彼女はしばらくそこから動けなかった。

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