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前編
しおりを挟む「エルヴィス様♡ 好きです♡ 付き合ってください♡」
「嫌です」
眼鏡の青年は感情のない声でバッサリと言った。
それを聞き、メイド服に身を包んだ少女はぷうっと頬をふくらませる。
「もうー、ひっどぉい。あたしこんなにエルヴィス様のことお慕いしてるのにぃ。もうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないですかぁ?」
「その必要性を感じませんので」
淡々と言いながら、青年は眼鏡を指で押し上げた。視線すらこちらに向けていない。彼女が声をかけた時から、ずっと手元の資料に目を落としたままだ。
「冷たぁい! ルリア傷付いたぁ!」
少女は大袈裟に声を荒げた。桃色のツインテールが、彼女の感情をあらわすように大きく揺れる。さらには、両手で顔を覆ってエンエンと泣き始めた。しかし、それは嘘泣きであったため、青年の冷たい視線が彼女を突き刺しただけだった。
「あっ、やっとこっち見てくれた♡」
泣いていたのはなんだったのか、彼の視線が向けられるやいなや、彼女はコロリと笑顔になった。両手を胸の前で組んで、媚びた表情で小首を傾げる。
青年はうろんげに目を細めたが、関わったら負けだと思っているのか、溜め息を吐いて手元の資料に目を戻した。
そんな二人のやりとりを、王宮の騎士や侍女が「またか」という顔で眺めている。そう、二人のこのやりとりは今に始まったことではない。メイド服の少女――ルリア・ハーネットが王宮に上がった日から続いている、お決まりの恒例行事なのだ。
王国の筆頭魔術師、エルヴィス・ラグレー。圧倒的な魔力を持ち、25歳という若さで魔術師団を副団長として牽引する天才。青みがかった銀髪の、線の細い美青年。眼鏡の奥の素顔が意外と幼いということは、あまり知られていない。エルヴィスは他人を寄せ付けず、他人もエルヴィスを遠巻きにするからだ。
そんな彼に対して、ルリアは毎日のように一方的なアタックを続けている。どれだけ冷たくあしらわれようがおかまいなしだ。最初は周りの人間も「なんだあのメイドは」と驚愕していたが、いまや当たり前の光景になりすぎて誰も驚かない。それもそのはず、ルリアはすでに一年近くもの間、エルヴィスに告白し続けているのだ。何度フラれようと諦めないルリアを応援する空気さえある。
「用がないなら帰ってくれませんか。僕は忙しいので」
そんな彼女に対し、エルヴィスは今日も今日とて塩対応だ。しかし、ルリアはそんなことでへこたれるタマではない。
「用事ならありますよぉ。本日、魔術師団のほうで慰労の会食……もとい飲み会が開かれるそうです。エルヴィス様も是非ご出席しませんか、とのことです」
「何故あなたが……」
普通そんなことは、エルヴィスの直属の部下や位の高い使用人が知らせることだ。しかし最近では、エルヴィス宛ての用事をルリアに持っていかせる者がいる。本来なら一介のメイドにまかされるはずのないことだが、エルヴィスを恐れる新人や、ルリアの恋を応援するベテランなどが、彼女に用事をまかせてくるのだ。もちろん、重要機密などはまかせられないが、簡単な言伝程度ならルリアに回ってくる。ルリアは厚顔無恥――もとい恋する乙女なので、ありがたくそれらをエルヴィスに会う口実として使わせてもらっている。
「行きませんと伝えてください」
「えー、またですかぁ? たまには顔出したほうがいいですよ。友達できませんよぉ」
「余計なお世話です」
面倒なことには関わらないのがエルヴィスのスタンスだ。エルヴィスにとって大事なのは魔術の研究であり、その他のことにはまったく興味を示さない。
「もうー、そんなんだから女の子も寄ってこないんですよ。せっかくイケメンなのに」
「今、死ぬほど寄ってきている女性がいる気がしますが、気のせいですかね」
「えっ、それってもしかして『お前さえいれば他の女はいらないぜ』ってこと?」
「違います」
「やだぁ、ルリア照れちゃう! そうですよね。エルヴィス様が飲みに行ったりしたら、他の女性がほっときませんもんね。ライバルが増えるのは困るし、エルヴィス様があたしを心配する気持ちもわかります」
「なんにもわかってません」
「大丈夫ですよ! 団長様にはあたしのほうから『ルリア以外の女が寄ってきたら困るので行きません』って言っておきますからね!」
「…………」
エルヴィスは苦虫を噛み潰したような顔をした。仇敵を見るような目でルリアを睨んだ後、聞こえるか聞こえないかの声で「行きます……」と呟く。
「え? なんですって?」
「行きますと……伝えてください……」
「えぇ!? エルヴィス様が飲み会に!? 今、他の女にコナかけられたら困るって話したばっかなのに!? やだやだエルヴィス様は『ルリア以外の女なんていりません』のままでいいんですぅ!」
「絶対に行きます……」
苦い顔をしながらも譲らないエルヴィスと騒ぐルリアを、他の者たちは笑いを噛み殺して見ていた。そして、エルヴィスが飲み会の誘いを受けるという前代未聞の事態に、やはりルリアはただ者ではないと皆が再確認したのだった。
◇
「はぁ……エルヴィス様が酒場に行くなんて、女豹共に餌をばらまくようなもんだよぉ。どうしよう、やっぱり尾行して潜入するしかないかなぁ?」
「“しかない”ことはないと思うわよ」
ルリアの言葉に、同僚のサラは呆れたような視線をよこした。しかし、妄想に捕らわれたルリアには、サラの冷静なツッコミも聞こえない。
「エルヴィス様も若い男だし、ナイスバディな美人に言い寄られたらグラッときちゃうかもぉ……」
洗濯物を取り込みながら、ルリアは肩を落とす。
「あの人にかぎってそんなことはないと思うけど」
溜め息混じりにサラは言うが、ただの慰めではなく本心だ。
エルヴィスは周囲の人間から遠巻きにされているが、それでもその美貌と地位に釣られて近付く者は男女問わずいた。しかし、どんな美人や地位のある貴族でもエルヴィスは一蹴するため、その者たちもじきに姿を消す。その結果、今ではほとんど近寄る者がいなくなってしまった。
ルリアくらいだ。いつまでも諦めずにいるのは。
「でも、団長様にはちゃんと報告したんでしょ?」
洗濯物をカゴに入れながら、サラが尋ねる。
「うん。めちゃめちゃ喜ばれた。『あのエルヴィスを飲み会に参加させられるなんて!』って」
「まあ、エルヴィス様ってそういう誘いに乗ってるの一度も見たことないし。かなりすごいことなんじゃない?」
「でもその結果、エルヴィス様が他の女に近付く機会を作っちゃったからなぁ。うぅ、心配だよぉ……」
「ルリアは本当にエルヴィス様が好きねぇ」
「うん! 大好き!」
しょぼくれていたはずが、ルリアはとたんに笑顔になった。
「でも、いつまで経ってもエルヴィス様の態度は柔らかくならないわね。ルリアがこんなに一途に想ってるっていうのに」
「そんなことないよ。ああ見えてね、エルヴィス様って優しいの」
「えぇ……? あれで?」
「そう! だって、あたしのこと迷惑がってるのに、ちゃんと相手してくれるんだよ。命令して遠ざけることもできるのに、それをせずにお傍に寄らせてくれるの。すっごく優しいでしょ!」
「うーん……。“寄らせてくれる”というより、いくら言っても寄ってくるから諦めてるんじゃ……」
エルヴィスのルリアに対する態度はかなりそっけない。何度突っぱねても彼女が諦めないから、適当に相手をしているだけではないだろうか。
「まあ、ルリアが幸せならそれでいいわ。応援するから頑張るのよ」
「ありがとぉ、サラちゃん……! 大好き!」
感極まったように、ルリアがサラの腕に抱き着く。
すると、風に乗ってどこからか声が聞こえた。
「――尻軽女」
その声に、ルリアとサラの動きが止まる。声のした方を見ると、中庭から王宮に続く廊下をメイド仲間の女子数人が歩いている。そのまま彼女たちは、王宮の中へと消えていった。
「あの子たち、また……」
サラが険しい顔をして、彼女たちが消えていった方向を睨む。
「いいよいいよサラちゃん、気にしてないから」
「でも……」
「もう~、平気だから怒んないで♡ 美人な顔が台無しだよ♡」
へらりと笑って、ルリアはサラの肩に頭を乗せた。
ルリアのいわゆる“ぶりっ子”な性格は、同性から反感を買いやすい。媚びた仕草も、間延びした口調も、癇にさわる者は多くいる。
しかし、なにもルリアは男性の前だけぶりっ子をしているわけではない。老若男女問わず、誰に対してもそのように振る舞う。サラのようにそれを理解している人間は、それがルリアの性格だと受け入れてくれている。
けれど、中にはどうしてもルリアの言動にイラついて、陰口を言ったり、嫌がらせをしたりという者がいる。しかも、ルリアはあのエルヴィスに付きまとっているのだ。なんだかんだエルヴィスに憧れている女性は多いので、その周りをうろちょろするルリアの存在はさぞかし目障りなことだろう。
「でもでもっ、ルリアは負けないんだから!」
「そうね。エルヴィス様のハートをばっちり射止めて、あの子たちに吠え面かかせてやりなさい」
◇
「――というわけで、これ。ルリア特製のとーってもおいしいお茶です♡」
「なにが『というわけ』なんですか」
王宮の一角――エルヴィスの執務室にて、ルリアはトレーに載せたティーカップをエルヴィスの前に差し出した。
「エルヴィス様、慣れない飲み会でお疲れかもしれないから、お茶でも飲んで一息ついてもらおうかなーって。キャッ、ルリアってば気が利くぅ!」
「誰のせいで行くはめになったんでしょうね」
エルヴィスはしらけた目付きでルリアを見る。飲み会帰りで少し気だるそうではあるが、酔っ払っているかんじはしない。意外と酒に強いのかもしれない。
「それで、こんな時間まで待ってたんですか?」
時刻は22時を回り、すっかり夜の帳だ。いつもならルリアもベッドで寝支度をしている頃である。
酒飲みには宵の口だが、エルヴィスはおそらく最低限の付き合いだけして早々に抜けてきたのだろう。一人で王宮に戻ってきた。
何故自宅ではなく王宮に帰ってくるのかというと、この部屋が半分、エルヴィスの家になっているからだ。彼の執務室には、ベッドや浴室が完備されており、なんの問題もなく日常生活を送ることができる。優秀な彼が研究に没頭するための特別な施設だ。効率重視のエルヴィスは「起きてすぐ出勤できるのがいい」と、日々のほとんどをここで過ごしてしている。
「だってぇ! 心配でいても立ってもいられなかったんですもん! エルヴィス様! 変な女に言い寄られませんでした!? しつこく連絡先訊かれたり、隣に座ると見せかけて胸を押し付けられたりしませんでした!?」
ルリアが血走った目でエルヴィスに詰め寄る。そのあまりの圧の強さに、エルヴィスは顔をしかめて後ずさった。
「あなたには関係ありません」
「ってことはあったんですね!? ま、まさかどこぞの女といいかんじになったりしてないですよね……!?」
ルリアの顔が蒼白になる。
「そうだったとして、あなたに言う義理はないと思いますが」
「そ、それは……そう、なんですけど……」
エルヴィスの言うとおりだ。付き合っているわけではないのだから、ルリアに口を出す権利はない。彼女はしょんぼりと眉を下げてうなだれた。その様子を見て、エルヴィスが溜め息を吐く。
「……なってませんよ」
「え?」
「僕がそういったことに興味がないのは、あなたが一番よくご存知でしょう」
つまり、言い寄られはしたが、すべて断ったということだろうか。確かにルリアはいつもエルヴィスに冷たくあしらわれているが、ルリア以外の女性なら受け入れられるという可能性は大いにある。だから心配だったのだが、エルヴィス本人がそれを否定してくれた。安堵したように、ルリアは顔をほころばせる。
「よ、よかったぁ。そうですよね、エルヴィス様があたし以外の女と浮気するはずないですもんねっ!」
「思い上がりがすごい……」
エルヴィスは冷たい視線を向けるが、ルリアのほうはすっかり気を取り直したようだ。いまだ受け取られない手元のティーカップを見て、眉を下げる。
「ところでこれ、エルヴィス様のために用意したんですけどぉ……」
「…………」
「眠い目をこすって、エルヴィス様が帰ってくるのをずっと待って……」
「…………」
「二日酔いに効くお茶なんですって。私のせいで飲み会に行くことになっちゃったし、少しでもお詫びになるかなと思って……」
「自分のせいという自覚はあったんですね」
エルヴィスが鋭く切り返す。
彼は訝しげにお茶とルリアを見比べていたが、小さな溜め息を吐くと、ルリアの手からトレーを受け取った。
「え……嘘」
「嘘ってなんですか。嫌ならお返ししますが」
「いっ、いえいえ! 返さなくていいです! 飲んでください!」
ルリアは顔の前でぶんぶんと手を振る。まさか、エルヴィスが差し入れを受け取ってくれる日が来ようとは……。
実は、今まで何度か彼にお茶やお菓子を差し入れたことはあった。だが、いつもすげなく断られ、すごすごと持ち帰っていたのだ。それが今日はあっさり受け取ってもらえた。めずらしく酒を飲んでいるからか、ようやく気を許してくれたのか。
エルヴィスは無表情でお茶に手を伸ばした。優雅な仕草でカップを持ち上げると、ゴクリと口に含む。その姿を、ルリアは呆けたように見上げていた。
「お、おいしいですか……?」
「普通です」
愛想のない返事だが、受け取ってもらえただけでルリアには僥倖だ。両手を顔の前で組んで、うるうると瞳を潤ませる。
「エルヴィス様……好き……!」
「そうですか」
ルリアの輝く瞳に一瞥もくれず、エルヴィスは言った。
「ところで、あなたはいつまでここにいるつもりなんです?」
暗に「早く帰れ」と言うエルヴィスに、ルリアはもじもじと体をくねらせる。
「夜……男女が部屋に二人きり……なにも起きないはずがなく……」
「なにも起きませんよ」
「えーっ、起きないんですかぁ?」
「馬鹿なことを言ってないでさっさと帰ってください」
とうとう直接的に言われて、ルリアは渋々と踵を返した。
「んもぅ、エルヴィス様の奥手っぷりにも困ったものです」
ルリアのぼやきは完全に無視された。ついに相手にもされなくなったようだ。仕方がない。ここはひとまず引き下がろう。
「ティーカップは明日の朝回収しますので、置いといてくださいね」
最後だけメイドらしいことを言って、ルリアは振り返った。
――……と。
何故かエルヴィスが、ぴたりと後ろを付いてきている。
「? どうしました?」
尋ねるが、彼は無表情のまま答えない。不思議に思いながら、ルリアは「失礼いたします」とお辞儀をし、部屋のドアを開けた。ところが、エルヴィスはまだ付いてくる。自分の部屋に向かって廊下を進むルリアの後を、一定の距離を開けてぴったりと。どこかに用事でもあるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
「エルヴィス様。もしかして部屋まで送ってくれようとしてます?」
時刻はすっかり夜だ。女の一人歩きを心配して、部屋まで送ろうとしているのではないか。エルヴィスは肯定しないが、否定もしなかった。彼は否定の言葉だけはしっかりとよこすので、どうやらルリアの予想は間違っていないようだ。
「いやいや、いいですよ! 一人で帰れますから!」
「こちらに用があるだけです。勘違いしないでください」
「えぇ……」
思い出したように否定されたが、明らかに嘘くさい。
(遅い時間とはいえ、王宮の中だから危ないことはないと思うんだけどなぁ)
なにかあれば夜勤の騎士もいる。しかも、ルリアは勝手にエルヴィスの部屋を訪れただけなのだから、わざわざ見送る義理もない。
「もしかして送り狼するつもりですかぁ? やだー、ルリアちゃんピンチ!」
キャッ! とルリアは自分の両腕を抱いた。――が、恐ろしいほどの沈黙と冷たい視線を向けられ、「冗談ですよぉ」と前を向く。
……ルリアのことを疎ましく思うなら、もっと突き放せばいいのに。肝心なところで甘いというか、優しいというか。
廊下に二人分の足音が響く。ルリアが自室にたどり着くまでエルヴィスは後ろを付いてきた。
◇
カチャリ――……
草木も眠る深夜。王宮内の一室、エルヴィスの執務室に、鍵の開く音が響いた。暗闇の中、誰かがそっと扉を開け、部屋に滑り込む。音を立てずにドアを閉めると、泥棒のような足取りで部屋の中に侵入する。
暗い色のメイド服は闇に紛れているが、桃色のツインテールはごまかせない。どう見てもルリア・ハーネットだ。
ルリアは静かに部屋を進むと、さらに奥の扉を目指した。エルヴィスが泊まりの際に使用するベッドルームだ。音を立てないように注意しながらドアを開け、ベッド脇まで近付く。一人で寝るには大きなベッドの上で、エルヴィスが静かな寝息を立てていた。お茶に仕込んだ薬のおかげで、ぐっすり眠っているようだ。眼鏡をはずした素顔は、まるで人形のように美しい。
エルヴィスの寝顔を見ながら、ルリアはベッドの上に乗り上げた。押し倒すような体勢で、彼を見下ろす。心臓がドキドキとうるさい。できるかぎり音を殺して深呼吸をする。今まで、彼が眠るところはおろか、気を抜いたところすら見たことがない。これは千載一遇のチャンスだ。
指先が震える。緊張しているのだろうか。――いや、するに決まっている。“こんなこと”をするのは、ルリアとて初めてなのだ。
「エルヴィス様……」
震える声が、エルヴィスの名前を呼んだ。
「ごめんなさい……」
ルリアは右手を持ち上げた。
――その手には、鈍く光るナイフが握られていた。
応援ありがとうございます!
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