月隠奇縁譚 〜魂祭りのマレビト、故郷に戻りて縁を復する〜

みみっく

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一章 神さびた参道の伝え話

第1話 帰郷

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「帰って来た……」

 小高い山の展望台から望む、目に映る街並み。夜空の下に明るく光り輝いている街の灯りは、俺が恋しく想い、夢にまで見た故郷の姿だった。

「帰って来れたんだ……」

 ある種の達成感から興奮で手が震えた。時節は夏なのかじっとりとした湿度の高い空気が肌を包み、若干の不快感を覚える。反面、近くの薮の中から聞こえるスゥイーッチョンという虫の鳴き声が心身に染み渡るように感じた。

 ──俺は再びこの景色を見たいと願い続け、しかし半ば諦めていたのだから。


 中学を卒業して市内の高校に入学することも決まり、それまでの休み中のことだった。俺は自主トレの延長でランニングをしており、その日、何の気まぐれか家の近くにあるが普段あまり立ち寄ることのない近所の山──月隠山《つごもりやま》の展望台に向かうことにした。

 毎日のルーティン。いつもの日常を変えるちょっとしたスパイスのつもりで。結果からいえばそれは特大の間違いだった。そして、それが運の尽きだったのだろう。

 展望台に行くのに近道なのは、下界から月隠山山頂にまで続いていると言われている石段の登山道を登り、途中で抜けること。そこは滅多に人の通ることなどない道。

 俺は忘れていたのだ。御山の山頂に続く登山道には一人で行ってはいけない──特に夕方には、と婆ちゃんに言われていたことを。それは神隠しに遭うから、と。だけど、その頃の俺は何を馬鹿な。そんな阿保な話あるか、と全く信じてもいなかった。当たり前の話だが、むしろ怖いもの見たさと少しの好奇心で展望台へのルートに入れていたように思う。

 ここまで言えば何となく予想はつくと思うが、俺は神隠しに遭った。といっても、実際に何かに誘拐されただとか、神様に連れ去られたとかではない。

 御山の登山道は異界への入口だったのだ。日本ではない場所。こことは違う、異質な場所。地球上の何処にも存在しない場所へと繋がる道だった。

 異界に迷い込んでしまった当初は自分の身に何が起こったのか理解出来なくて酷く混乱していたのを覚えている。自分が何かに巻き込まれたのではなく、世界そのものが変質してしまったのではとすら願って、現実を否定した。それに加えて、元の場所に帰る事ができないという現実はかつてない程の衝撃だった。

「長かった……」

 十二年だ。帰って来れるまでに十二年もかかった。いや……もしかしたらそれだけで済んだのは、むしろ幸運だったとも言えるかもしれない。何しろ、にいた頃は元の場所には帰れない可能性の方が大きいと言われていたのだから。

 当時、十五だった僕は、いつの間にか二十七の俺になっていた。クソ生意気な子どもだった俺は様々な、それこそしなくてもいいような経験をして大人にならざるをえなかった。

「皆、元気かな。会うの、ちょっと不安だ……」

 ずっと帰って来たかった。でも、眼下の景色を見ていると少しの不安がよぎる。その不安がこれ以上大きくならないように腹に意気を込めて抑えた。

 □

 俺が足を踏み入れたその異界に夢はなかった。いや、多くの人がファンタジーと聞いて想像するような魔法じみた術はあったし、そこには八百万の神とも、何とかの動物の精やら、はたまた妖怪と呼ばれる多種多様で不思議な者達が暮らしていた。

 向こう風にいえば、幽界、ネノクニ、浄土──ただし、そこは基本的に人間は存在しない場所だった。

 ついでに言えば、そこは漫画とかゲームでよくあるような西欧風ではなく、ゲームだとか教科書の資料で見たような古代日本っぽいどことなく和の面影を感じさせる場所……和製ファンタジーっぽい世界観と言えなくもない場所だった。簡単に一言でまとめてしまえばだが。

 しかしながら、いくら現実離れしていようが、ファンタジーっぽくあろうが、そこは現実。何度目をこすろうと目の前にある世界はゲームなどではない。異界には道術やら方術といった陰陽師の使いそうな魔法じみた力こそあれど、そうそう簡単に身につく訳もない。人によってはそれでも夢があるじゃんと言うのかもしれないが……

 どんなに世界観が和製ファンタジーであっても、そこは異界という現実。日々を暮らす不思議な人外たちがいて、その数だけ生活がある。

 どんな場所にもヒト助けをするいい奴もいれば、他者を騙す悪い奴もいる。そこには異界特有の悩みもあれば、穏やかに時を過ごせる安寧もあり、俺がしていた空想にはない妙な生々しさがあった。

 それに、そこ──俺の迷い込んだ異界は人間の築いた文明とは無縁で、未だ自然の神秘が最盛を謳歌している場所だった。

 ──そんな原初に近い世界で、俺がどうして生き残ることが出来たのか。

 人外の超常とも言える存在達が多く暮らしている世界だ。当然の事、俺は突然見知らぬ土地に放り出され、右も左も分からず……俺、終わった……と、途方に暮れていた。

 そんな時にだ──悪霊やら悪い妖怪、災いを振り撒く傍迷惑な存在を退治しながら各地を転々としているという集団に、俺は拾ってもらうことが出来たのだ。

 彼らの仕事について回り、そこで異界の事を学んだ。そもそもがこの異界には俺のように生きた人間など滅多にいないということを。俺という何も知らない人間の子どもが一人で生きてゆくには厳しい場所だということを。

 旅の最中、悲惨とはどういう意味なのかを知った。悪霊の持つ悪意には底が無く、呪いは生命の輝きを曇らせる。異界にいた十数年の間に、祟られ、呪われた者達をたくさん見た。もしも運悪く災いに出会えば、後に何かが残ることはなかった。

 そんな光景を幾つも見た。だけど、生きる為には歯を食いしばって彼らについていくしかなかった。少なくとも、この異界での暮らしに馴染むことが出来るようになるまでは。

 ……だけど、彼らについていくというのはある意味、正解に近かったと今では思う。彼らは仕事場を求めてあちこちを移動するのが常だったから。異界を旅して回るには都合が良かった。

 ──つまりは、俺の目的である、故郷の日本に帰る手段を探すためには。俺は彼らについて回り、異界のあちこちで悪さをする悪霊や妖怪を退治しながら各地を歩いて回り情報を集めていたのだ。

「よいしょっ」

 あぁ、早く行こう。

 皆がいる、あの街に。俺が生まれ育った場所へ。異界の事や、どうやって戻ってきたのかはまた今度思い返すことにしよう。逸る心のままに山を下る。背負った笈──ザックがガシャガシャと激しく揺れるのを気にもせず、俺は懐かしき石段を下っていった。

 □

『山田』の見知らぬ表札。家が残っていたことに安堵したが、表札が変わっていることには動揺を隠せない。

 少しの困惑と不安。緊張で高鳴る胸をなだめて、インターホンを鳴らした。見覚えのある玄関扉の向こうから女の人の高い声がする。出てきたのは昔よりも少し年をとったように思える母だった。

「母さん?」
「……どちら、様ですか?」

 懐かしく思える声はしかし、一瞬言葉に詰まったかと思えば、硬質で拒絶を含む声音になっていた。

「あ、えっと……辰已、だけど」
「知らない」
「え……」
「帰って」

 取り付く島もなく、玄関扉は無情にもガッと閉められ俺は呆然と立ち尽くした。帰って、と言われても何処へ帰れと言うのか。ここは俺の家の筈なのに。

 俺、忘れられてる? もしかして存在が無かったことにされてる? もしかすると、ここは俺の元いた世界なんかじゃなくて、似ているだけの知らない世界なんじゃないかという現実逃避の考えが過ぎった。

「え、マジか」

 期待に反する反応。あまりの対応にブチ切れて玄関の前で大声で叫んでやろうかと思ったが……心のどこかでやはり、という思いもまたあった。

 こちらでどれだけの時が経っているのかわからないが、長い間居なくなっていたのだ。おぼろげな記憶にある母であれば、突飛な出来事は受け入れられないかもしれないと。そして、冷静に現状を受け入れ、そこまでショックを受けていなかった自分自身に逆に呆れた。

 ──この家から居なくなる前、母とは仲が悪かったわけではなかった。ただ、母であるあの人はどこか精神的に弱い所があると子どもながらに分かっていた。昔、父さんが事故で死んでから、母の俺への見る目や態度が変わってしまっていたのも何となく分かっていたから。

 多分、父が死んでから、俺は母にとって重荷になっていたんだと思う。

 それでも、俺は心のどこかで期待していた。長い間行方知らずでも、親というものは帰って来た息子を無条件に受け入れ、帰って来たことを喜んでくれるものだと。しかし、そうではなかった。

 ……さっきチラリと見えた玄関内部には男物の靴と子どもの靴が見えた。表札も変わっているし、きっとそういう事なのだろう。伴侶も一人息子も失ったんだ。そんなもんだろう、とドライに受け止められているのは異界で悲惨な現実を見続けてきたせいだと思いたかった。

「早くどこかに行かないと警察呼ぶわよ!」

 扉の向こうからヒステリックな金切り声が聞こえ、中にいた母以外の誰かの気配が動くのを感じた。多分、気配の質からいって新しいダンナさんなんだと思う。

 俺は現実の無情さを突きつけられ、受け入れられなかったことを寂しく思いながら、追い立てられるように生家を後にしたのだった。

 □

「婆ちゃん生きてっかな……というか、こんな時間に起きてんのかな……」

 時間は時計がないためわからないが、他の家々で明かりがついてあるくらいなので、そう遅い時間でもないはずだった。

『石動』の表札が掛かった古めかしい棟門をくぐり、どこか重く感じる足を止める。生家よりも御山にほど近い場所にある日本家屋。目の前には玄関口があり、その古い家が父方の祖母の住居だった。

 ──不安が過ぎる。

 また受け入れられなかったらどうしよう。お前など知らないと言われたら? 俺はどうしたらいいんだろう。

 また向こうの世界に渡る? ずっと帰ってくることを願ってきたのに? 

 不安を押し殺し、インターホンを鳴らす。それは子どもの頃、父さんが婆ちゃんに言われて取り付けたものだ。ちゃんとした業者に頼むべきだと父さんは言ったが、婆ちゃんはそれでいいんだ、と聞く耳を持たなかった。

 結局、父さんが取り付けに失敗してしまい若干斜めになったままなのを懐かしく思い、大丈夫だと自分に暗示を掛けながら玄関で婆ちゃんが出てくるのを待つ。

 ……だが、誰も出てこない。

 ……

 ……

 ……出てこない。

「もしかして……婆ちゃん、死んだ……?」
「誰が死んだって?」
「っ……!」

 背後から声を掛けられて死ぬほど驚いた。いや、実際に死ぬことはないけども。考え事をしていたせいか声をかけられるまで気配を感じ取る事が出来なかった。

 驚きつつ振り返る。そこには俺が子どもだった頃でさえ誰も着ていなかったっていうのに着物──シックな浴衣を纏った祖母がいた。家の前の古い街灯に照らされ、眼光鋭く此方を見る婆ちゃんは迫力満点で、緊張で手汗が滲む。

 パッと見、少し痩せた、いや小さくなった? のかもしれない。

 思えば小さな頃から婆ちゃんは恐怖の権化だった。俺も父さんも婆ちゃんには表立って逆らえなかったし、小さな頃はそれこそ母よりも祖母に叱られた記憶の方が圧倒的に多かった。

 それでも婆ちゃんは俺のことが憎くて怒っている訳ではない事はわかっていた。全て俺を想ってのことなんだと。婆ちゃんは一々口うるさくても俺を邪険にするような顔を向けたことは無かった。そんな婆ちゃんが、記憶よりも年老いた姿で目の前にいた。

「ば、婆ちゃん……?」
「なんだい、大の大人が情けない声出して」

 知らず声が震えてしまう。母の顔を見た時にはなかった感情が胸の奥からどんどん溢れてきて、涙として流れた。眼の前が滲む。

 婆ちゃんは俺を受け入れてくれるだろうか。母のように俺を知らないと突き放すのだろうか。やっぱり、母に突き放されたことは実感がなかっただけで、ショックだったのかもしれない。

 婆ちゃんにまで突き放されてしまうと思うと、怖くなった。

「石動の男が泣くんじゃないよ。──おかえり、辰已」

 溜息をつき呆れたように言った。それでも、おかえり、という言葉に震えが混じっていたのを聞き逃さなかった。

「ただいま……ただいま、婆ちゃん……!」

 その言葉に耐え切れずに崩れ落ち、隠しようもないほどに嗚咽を吐く。不意に、頭に感じる手の感触に、俺はこれでやっと帰って来れたんだと漸く実感が湧いた。

 □

 キッチリと整理整頓された居間には祖父と父の写真が飾られた仏壇がある。梁の上に並んだご先祖様の写真達が俺を見ていた。それは記憶にある昔と変わらない光景だった。

「父親と爺さまに挨拶しな」

 そう言われて真っ先に仏壇へと向かい、昔やっていたやり方を思い出す──置かれてあったライターで燭台の蝋燭に火を灯し、線香の先を炙る。線香を軽く振って火を消すと香炉に立てた。くゆる煙の香りは懐かしく、安心感が広がっていくようだった。

 ──父さん、爺ちゃん帰ってきたよ。ただいま。

 壁に掛けられた時計のカチコチという規則正しい音が空間の時を進めている。時計をチラリと見ると九時を回っていた。

「婆ちゃん、こんな時間に外にいたの? 危ないんじゃ……」

 挨拶を済ませると蝋燭の火を指で摘まんで消し、祖母に向き直る。祖母は俺が仏壇に向かっている間に飲み物を用意してくれていたようだ。

「危ないもんか、ここらには空き巣だっていないさ。今日はたまたま檀家の集まりがあったからね。ほら、あれだ、今度お盆縁日があるから。露店を呼ぶ話し合いだとさ」
「へぇ~……縁日かぁ……」
「近頃じゃ、的屋をやるのも減ってきたからねぇ。数を集めないとどうにも格好がつかない。表の参道からは大分離れているとはいえ、ここも一応は門前町の端っこ。ウチもお寺さんの檀家として地域を盛り立てる為に働かないといけないからね」

 婆ちゃんの物言いは以前とちっとも変わらない。そして婆ちゃんに聞いたのだが、俺が居なくなって今日で十二年だったと。どうやらこちら側とあちら側の時間の流れは一致していたらしい。そして、十ニ年もの年月が経っているとは思えないほどに婆ちゃんの俺への態度は自然なものだった。

 その婆ちゃんが言っているのは御山の麓にある寺──慈願寺のことだろう。慈願寺は大きな寺で、婆ちゃん曰く、外れではあるが、ここも一応は慈願寺の信徒が寄り集まって造られた歴史ある門前町と呼べる地域に入っているらしい。まぁ信徒が造ったといっても遥か前の話。大抵の住人は寺の事も大事にしてはいるが、観光客をどうやって集めて、金を落とさせるかの方に躍起になっているみたいだが……

 そう愚痴って鷹揚に団扇で自身を煽いでいる。信心深い婆ちゃんとしてはそんな現状を憂いているらしい。

「お前が帰ってきたらずっと言おうと思っていたが、辰已、あんた……私の言ったこと聞かなかっただろう?」
「えぇと……?」
「はぁ……一人で御山に行ったことに決まっている。昔から彼処では人がいなくなることがあったと言った筈だ」

 もう何度目か呆れたように溜息をついた。忠告を無視したことをバツが悪そうにごめん、と小さく謝ると、目を細め鋭く睨まれた。

「だがまぁ戻ってこれて良かった。聞く限りじゃ、だと言われて戻ってきたのはあんたぐらいじゃないのかね」
「え……そうなの」

 考えてみれば御山の登山道は異界の山に繋がっていたし、加えて繋がっている先は深い深い森の只中。俺以外に迷い込んだ人がいたとしても、よく分からないバケモノやらに食われた可能性もある。迷い込んだ時は不運だと呪ったが、無事だったのは本当に不幸中の幸いだったのかもしれない。

「神様仏様が馬鹿なアンタを見捨てることも無く、見守ってくださっていたってことさね。感謝するんだよ」
「神様仏様かぁ……そうなのかも」
「そうなのかも、じゃなくて、そうなんだよ。昔から言ってるだろう、信じる者は救われるってね」

 そう言って婆ちゃんはニヤリと口元を歪めた。これまで、あまりに超常的な存在に近い場所にいたせいか、婆ちゃんの言う、信心、というのは正直よくわからないが、あの世界で俺を助けてくれた見えざる手のようなものがあった事には気がついていた。

 それは時に俺の命を間一髪で救ってくれたり、虫の知らせやら、ゲームのストーリーや運命みたいに導かれたように感じることもあった。本当に不思議な体験だ。

 婆ちゃんがそれに感謝しろって言うなら、素直に感謝すべきかもしれない。どこの神様仏様なのかはっきりとわからないのが、少し困るけど。

「ほれ、若人、腹減ってんじゃないかい。余り物だが、お前が好きだった薩摩揚げの煮物だ」
「わっ、婆ちゃん、ありがとうっ!」

 俺が仏壇の父と祖父に挨拶している間に温め直していたのだろうそれは、俺の大好物だった。中学生だった頃は周囲がチェーンのハンバーガーだの、ドーナツだのにうつつを抜かしている中、俺が何かあると食いたいと思うのはコレだった。

 本当に久しぶりの好物だ。容易に歯で噛み切れる柔らかさ。薩摩揚げの油と染み込んだ汁が口の中いっぱいに広がる。向こうの食事もそこまで悪くは無かったが、やはり食べ慣れた味とは少し異なる。

「こりゃ明日は大仕事だ。しかし、アンタ、随分妙ちきりんな格好してるが、坂の向こうでは、そんなのが必要な生活してたのかい」

 婆ちゃんは白飯をかっ込む俺の食いっぷりに呆れたように声をあげた。

 そして、婆ちゃんの言う『坂』とは、俺が向こうへと渡ってしまった場所である御山の石段で出来た登山道のことで、『そんなの』と指差したのはさっきまで背に負っていた長物。太刀のことだろう。向こうには危険な悪鬼悪霊が蔓延っているので、こういう代物が身から離せなかったのだ。

 こちらへ戻る際に、服装もなるべくおかしな物でないのを選んだつもりではいたが……いや、おかしいか。元々此方に帰るために山歩きしていた身だ。格好は山伏やら昔の人の旅装に近い。現代の格好からはかけ離れているのだろう。

「あ、いや、これは……」
「それに刀剣なんざ久方ぶりに見たね。アンタの曾祖父さんなんざ、いっつも軍刀腰にぶら下げてたよ。アンタのそれは普通の刀ではないみたいだけども」
「え、初めて知った。曾祖父ちゃん軍人だったの」
「はぁ……アンタの爺さまだってそうさ。あの人もそうだったし、いつの時代も男ってのは、そういうのに惹かれるものなのかね」
「へぇ……」

 刃物を肌見放さず持っているのがこれまで普通だったため、今までずっと携帯したままだった。婆ちゃんは最初見たときも特に反応していなかったが、母はもしかしたらこれを見て恐怖を感じた可能性もある。失踪した息子を名乗る、刃物らしき長物を持った、変な格好をした不審な奴が玄関に居るって。

「あぁ、それと。昔ならともかく、今のご時世は刀剣の帯刀、帯剣は厳禁だよ。見つかったら警察に捕まるからね」
「はは……知ってるよ」
「そうか。それ食ったら風呂に入んな。酷い匂いだよ、まったく……さぁて、アンタの着れるような服はあったかねぇ」

 というか、俺が中学生の頃から刃物の所持は禁止だったよ。……やっぱり常識がないと思われていたのだろうか。

 □

 あの後、俺は祖母の家に泊まることとなった。飯を食いながら婆ちゃんに神隠しにあった時の話をすれば、よく分かっていないのか怖いねぇ、で済ませ、母さんに拒絶されたことを話したら目を吊り上げてすんごい形相をしていた。怖い。

 かくも、話は尽きることが無かったのだが、遅くまで起きてて婆ちゃんに無理をさせる訳にはいかず、続きの話は日が昇ってからということになっていた。

「ふがっ」

 カーテンの隙間から朝日の光が漏れている。

 押入れから引っ張り出した客用の布団の寝心地は最高の一言で、向こうの宿屋の寝具と比べたらそれこそ天国と地獄だ。

 なにせ向こうの寝具ときたら、よくて煎餅布団。悪ければ藁の山に突っ込むか、茣蓙に転がって上着をかけるだけである。寒いし身体は痛いし痒い。

「あぁ……もうこのまま布団と同化してしまいたい……」

 無論、金持ちや土地を治める偉い神様方が使う宿ともなればしっかりとした寝具があったのだろうが、彼方此方を転々とする旅烏が泊まれる機会など早々ある訳がない。

 睡眠環境がそんなものなので、風呂なんて贅沢なものも安宿にそうそうある訳がない。少なくとも気軽に入れるものではなかった。あぁ、昨日の風呂は良かった……偽りなく十二年分の垢が落ちたような気がした──というのは流石に言い過ぎだが、風呂場の汚れを見て俺は祖母に申し訳なくなった。

 なにしろ、向こうでは大抵が旅の空。温泉が湧き出ていれば浸かることも出来たが、水浴びか布で拭くくらいが主だったのだ。家に風呂場があるって本当に、本当に凄いことなのよ? 

 と、布団の上で幸福感に浸りながら微睡んでいたのに、玄関の方からは争うような声が聞こえてきた──

「辰已いるんでしょ! 出てきなさい!」
「帰れぇ! 夫と息子を捨てたお前にあの子に会う資格などありゃしない!」
「退いてください、お義母さん!」
「退かん! それに私はお前の母になった覚えはない!」

 うわぁ……と思いつつもそろりそろりと玄関の方に向かう。案の定、そこでは婆ちゃんと母さんがヒートアップして言葉の応酬を繰り広げていた。

「そもそも何だ、久方ぶりに顔を見せたかと思えば辰已を出せだと? 何様のつもりだ!」
「邪魔しないでください! 私は辰已に用があってわざわざ来たくもないここに来たんです!」
「ほぅ、そうか。なら今すぐ帰れ! 二度とその顔を見せるな! 次にこの家の敷居をまたいだら許さんからな!」
「辰已に会うまでは帰りません!」
「ふん。どうせ辰已がひょっこり帰ってきて罪の意識でも芽生えたんだろ。だが、素直に謝りにきたんじゃないな、お前が悪いとわざわざ謗りに来たか!」
「っ、言わせておけば……!」

 あのぉ、非常に出て行きづらいのですが。てか、二人の仲が険悪すぎて笑うしかない。前はそんなでもなかったと思うんだけど……この十二年の間に色々あったってことだろうか。

「……婆ちゃん、母さん、おはよう」
「辰已!」
「チッ、出て来なきゃあと少しで追い返せたものを」

 意を決して場に出ていくと二人の視線が俺を貫いた。

「……随分大きくなったわね、辰已」
「あ、あぁ、まぁ……」

 ぬっ……と歩み出た俺に母は怯んだようにたじろぐ。さもありなん。ちなみに現在の身長はそこそこあるし、横幅もそれなりにある。異界の厳しい環境は俺を精強に育て上げた……両親とも身長は至って普通なのに。

 母親がたじろいだのは、昨日の夜はあまりよく姿が見えなかったのもあるかもしれない。婆ちゃんが仕舞っていた父の服は俺には小さく、昔の人としては体格のすこぶる良かったらしい祖父の大きめサイズの甚平でもさほど余裕はなかった。

「昨日は悪かったわね、追い返すような真似して……でもね、私に悪いと思わなかったの?」
「辰已、聞く必要はない!」
「突然家を出ていったかと思えば、急に帰ってくるなんて……私の家庭を壊すつもり?」

 母親の言っていることがよく分からない。もちろん、俺にはそんなつもりなどなかった。

「えっと、どういう意味? そんなつもりは──」
「はぁ……腹が立つ。行方不明だった子どもが帰ってきた? 私があなたのことで、これまでどれだけ苦労してきたと思って……今の家族に何て言えばいいのよ。あなたのことはもう死んだって伝えてあるのに」
「えぇ?」

 鋭い目を向けられる。その眼の奥にあるのは怒り。といっても、怒りの根底にあるものが俺が帰ってきたことを喜ぶようなものでも、これまで心配してきたことへの裏返しのようにも思えない。ただ自身のテリトリーを侵害されていることへの拒否感。防衛反応のように感じた。

「……あのね、言っとくけど、あなたの戸籍はもうないの」
「……な、何で」
「当たり前でしょ。あんたは十ニ年も行方知れず。捜索願いも出したのに見つからなくて、遺体の無い葬式だって挙げた。失踪届けだってとっくに受理されてる。それを今更……」
「う」

 母が口元を歪めるように吐き捨てる。

 そして、思った以上に俺の居場所が無かった件。そうか……俺はもうとっくに死んだ扱いになっていたのか……あれ、戸籍がないってヤバくねっ? 日本では戸籍って重要なものだった気がする。それがなくてこの先暮らしていけるんだろうか。

「母親に何も言わずに出ていったあんたが悪いのよ。それに何? 馬鹿みたいな反応しかしないで……母親を置いて出ていったことへの謝罪もないわけ? あんたがいなくなって私が周囲にどれだけ哀れみと不審の目で見られたか!」

 勘弁してくれよ。ヒステリックな女の人は今まで何人か見てきたが、もしかしたら上位入りするかもしれない。ヒステリック起こされたら正当な理由でも何言っても無駄だからな……ぜーんぶ、此方のせいにされる。

「洋子! この子は神隠しにあっていたと何度も──」
「まぁた、その話ですか……いい加減空想を語るのはやめたらどうですか? ありもしない事を信じるのは勝手ですけど、それを私に押し付けるのはやめてください」
「なっ」
「あぁ、そういう……昨日辰已が変な格好で家に来たのはお義母さんの入れ知恵ってことですか……馬鹿にするのも、いい加減にして!!」

 ……あぁー、そういえば実家の玄関に小さい靴があったな。もしかしたら子育て中なのかもしれない。多分だけどストレスとかも沢山抱えてるんだろう。

 何やら一人合点して勘違いを進めていたが、それでも俺が何も言わずに聞き流していると、興奮のしすぎで肩で息をしていた母はギッと俺を睨みつけて言った。

「悪いけど……私の息子は死んだの。もう二度と家には近づかないで」
「……」
「あなたが本当に辰已なら今年でニ十七。いい大人なんだから母親なんて必要ないでしょ」
「……」
「ったく……何で私ばっかり、こんな目に……あんた達のせいで私の人生めちゃくちゃよ! あんたなんか生ま──」

「──こ、このっ、恥晒しがぁ! お前のような女が息子の嫁だったなんぞ思いたくもない! 帰れぇ!! 二度とそのツラ見せるな──!!」

 ……そりゃあ期待していなかったと言えば嘘になる。心配かけて怒鳴られることも、平手の一発や二発も覚悟していた。でも、こうまで言われると流石にちょっと心にクるよなぁ……

 母は婆ちゃんの気迫にビビったのか、たたらを踏み、虚勢を張るようにフン、と鼻を鳴らすと逃げるように踵を返して去って行った。

「辰已……」
「婆ちゃん……俺、帰って来ない方が良かったのかな」
「馬鹿なこと言うんじゃない! お前は私の孫で竜樹の一人息子だ! 私はお前がいつ帰ってきてもいいように待っていたんだ!」
「はは……そっか、ありがと、婆ちゃん……」

 あぁ、ムナクソ。俺は誰に何をどう言われようが、何が起きようが、必要とあればすぐ切り替えることには慣れてるつもりだったけど……婆ちゃんには悪いことしたという罪悪感が拭えない。母親に罵られ、見限られる瞬間を見せてしまうなんて。

「フン! あんなの気にするだけ損だ。お前も変な気回すんじゃないよ。さぁて、そのデカい図体じゃ昨日の揚げだけじゃあ足りんだろ、何か作ってやるから待ってるんだね」

 そう言って一人炊事場に入ってゆく。

 強えなぁ。一方の俺はまだ少しダメージが残っている。……こんな時は二度寝するに限る。それが最良の対処法だと知っているのだよ。

 俺は! 

 今日は! 

 もう! 

 飯の時を除いて! 

 布団から出ないからな!!
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