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【第2章】

第43話 シリウスの過去⑨

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 月日が経つうちに、誰もがマリアンヌのことを『聖女』と呼ぶようになった。
 マリアンヌは「戦争で力を使い果たした」として、戦争以降は“生を司る能力”を使うことはなかったが、それでも聖女の称号は消えなかった。
 そして活躍の褒美として、皇族たちとともに城で暮らすこととなった。
 褒美でもあり、同時に聖女を囲う意味もあったのだろう。


 一方で俺は、冥界の仕事をこなす毎日を送っていた。
 マリアンヌの助けた魂があまりにも多かったため、冥界と地上の魂のバランスが崩れてしまったからだ。
 現在は地上の魂が多すぎるため、“死を司る能力”で調整をする必要がある。

「……ついに俺のところにも来たか」

「ついに? 俺は、噂にでもなっているのか?」

「ああ、みんな噂してるぜ。お前は狂った人殺しだって」

 ベッドから飛び起きた男の手には、剣が握られていた。
 いつ襲われても応戦できるよう、布団の中に忍ばせて寝ていたのだろう。

「生憎、俺はただで殺されてやるつもりはない。返り討ちにしてやる!」

「俺は、眠るように穏やかに仕事を済ませるつもりだったのだが……」

「そんなもん知るか。俺には妻と息子がいるんだ。俺がいなくなったらあいつらはどうなる!? 穏やかだろうが何だろうが、死ぬわけにはいかない!」

「……妻と子ども、か」

 俺が呟いた途端、男が剣を刺し出した。
 避けようとしたが、軟弱な魔法使いでは、素早い剣捌きに身体がついていかなかった。
 結果、男の剣は俺の胸に突き刺さる。

「人を殺してきた報いだ」

 そう言って男が剣を抜くと、俺の胸からは大量の血が吹き出した。

「……やはり戦争を経験した者は迷いが無い。この前の男もそうだった。一瞬の迷いが死につながると知っているから動けるのだろうか」

 俺は、一歩、また一歩、男に近付く。

「でも俺はその経験が無いせいか、いつも迷いが出てしまう。こっちの都合で生かしたのに、またこっちの都合で殺すなんて、あまりにも惨いのではないか、と。それとも予定外の生を得たのだから得をした、と思ってもらえるのだろうか」

 男は俺とは逆に、一歩ずつ後退する。
 すぐに背中が壁に当たった。

「眠るように穏やかな死なら、受け入れてもらえるのではないか。いいや、死ぬ瞬間にこれまで生きてきた世界を見ていられないのは、可哀想なのではないか。果たしてどちらが正解なのか、俺には分からない」

「お前……どうして平然としている!?」

 男の質問に、俺は自嘲気味に答える。

「俺は、人間じゃないから」

 俺は自身の胸に手を当てると、自分に向かって回復魔法を使った。
 自身の寿命を使って自己治癒力を高める。
 しかし冥界の住人である俺に寿命は無いから、傷をどれだけ回復させても死ぬことはない。
 みるみるうちに胸に空いた穴は塞がっていき、元通りになった。

「穴が空いたままにしていても死にはしないが、みっともないだろう?」

「ひっ!? 化け物!?」

「優秀な魔法使いならこのくらいは出来るんじゃないか? ……いや、どうだろう。心臓を一突きにされたら、魔法を使う前に息絶えるか」

 俺は男の元へゆっくりと近付き、耳元で囁く。

「俺は理不尽に命を奪いに来たわけではない。お前はあの戦争で死ぬ運命だった。だから、魂を狩るのが少し遅れただけだ」

「死にたくない、死にたくない、妻と子どもを置いて死ぬなんて、嫌だ、死にたくない、どうか俺がいなくなっても幸せに、嫌だ、死にたくない、生きたい、俺もともに生きていきたい」

 男はもう俺に剣を刺す元気は無いようで、祈るように独り言を呟いていた。

「さようなら。せめて冥界では安らかに」

 祈る男の胸元に手をかざし、“死を司る能力”を使うと、男はその場で力なく崩れた。

 俺は男の身体をベッドに寝かせ、手を合わせてから宿屋に帰った。



 “死を司る能力”を使った後は、決まって酒を飲んで過ごす。
 酒が思考力を鈍らせ、感情を麻痺させるからだ。

「人間が酒を好むわけだ」

 俺は人間の魂を狩る、人間とは違うこの世界の異物なのに、人間と同じく酒で酔うのは何ともいい気分だった。

「さて、もう一本…………しまった」

 気付いたときには、すべての酒を飲み切ってしまっていた。
 宿屋に帰ってからずっと飲み続けていたせいだ。

「……寝るか」

 俺に睡眠は必要ないが、何も考えたくないときは寝てしまえばいい。
 しかし。

「こいつもか」

 これまでの人間たちと同じく昨日の男も、俺が目を瞑ると瞼の裏に現れた。
 恨めしそうな顔で俺のことを見つめている。何をするわけでもない。ただずっと、見つめているのだ。

「やめろ!」

 両手を振り回してみるが、男には当たる気配がない。
 当然だ。男は昨日、俺が殺したのだから。

「俺だって、殺したくて殺したわけじゃ……俺の気持ちがどうであれ、俺が殺した事実は変わらないが……じゃあ俺にどうしろって言うんだ」

 男は、暴れる俺を黙って見つめている。
 ただ静かに、まるで死んでいるかのように。

「どうして死にたくないなんて言うんだ。妻と子どもの心配をするんだ。そんなことを言われたら……」

 俺は冥界の住人で、人間は数として考えるべきで、魂の数を調整するために殺すのは当然のことで。

 ……だけど、殺したくなかった。
 生きたいと願う者を、殺すことなんかしたくなかった。

『冷静なフリをしているあなたも、きっともう手遅れよ』

 マリアンヌの声が聞こえた気がした。




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