哀を喰うキミへ

遊野煌

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第1話 僕という人間

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「また明日……」

小さく声をかければ目の前の小鳥も、また明日ね、と僕にしかわからない言葉で挨拶をすませオレンジ色の空へと消えていく。

また明日か……

口を突いてでた言葉を反芻すると僕は思わず笑った。一年前の僕とはまるで違う。

──明日もちゃんと呼吸いきするために俺らといるんでしょ、愛斗あいとは。

長身、黒髪、万年黒のスーツを身に纏い呆れた顔でこちらを眺めながら、積み上げられた古書に囲まれたカウンターの上でタバコをふかすアイツの顔がよぎった。

「ふぅ……」

僕はあんぱんとタバコを買い忘れていないか、もう一度確認してから、コンビニの袋をぶら下げ歩いていく。大通りから細い路地を入って神社の脇を抜けた突き当りにお目当ての場所はある。僕はあの日の想いをかかえたまま、なんだかんだその店に入り浸っている。

理由は簡単だ。

──余計な音が聞こえてこない人たちだから。

なぜ彼らから余計な声が聞こえてこないのかはわからない。ただ僕は彼らといることで少なくとも明日を憂うことはなくなった。

見れば目の前を薄汚れた野良猫が、こちらを期待しながら見つめている。その瞳は哀しく、心はあてもなく宙を彷徨う過去の自分に重なる。

「ほらよ……」

僕はコンビニの袋から食パンの取り出すと四つに割いて野良猫の前にそっと置いた。野良猫は期待が現実になった喜びを表現するように一声鳴くと、壁の隙間へとパンを咥えて消えていく。その隙間からは、小さな子猫たちの鳴き声が聴こえてきた。

「僕も偽善者だよな……」

明日も明後日も食べ物を与えてやれるワケでもなければ、あの野良猫を探そうとすることもないくせに。

──愛斗は、なんでも難しく考えすぎなんだよ。理由なんている?呼吸できなくなるよ、そんなんじゃ。

(うるさいよ。親でも兄弟でもなんでもないくせに)

僕は緩やかに沈んでいく夕陽を眺めながら、ため息を吐き出した。それでも、彼らはほかの他人とは違う。一緒にいればいる程、居心地の良さを感じて僕は彼らとの距離感がわからなくなってくる。

(着いたな……)

立ち止まった先には古びた二階建ての小さな建物が見える。一階の店舗の上に掲げられたブリキの看板には禿げた塗装で『おもひで古書』の文字が辛うじて見えている。

僕がガラリと引き戸を開ければ、すぐに待ち構えていた長い腕が伸びてきて、僕の掌からコンビニ袋が雑に取り上げられた。

「おっせーな、夜川愛斗よるかわあいとくん!あやうくニコチン不足で想儀そうぎだすとこだろうが!」

黒淵くろふちさんに叱られる筋合いないっすけどね」

僕は無駄に端正な顔をしている黒淵定くろふちさだめを睨み上げた。

「愛斗、お前せっかくかわいい顔してんだから、もうちょいかわいい事いえないもんかね」

「僕、男なんで」

「残念だよねー、俺、女にしか興味ないんで」

僕は黒淵の軽口に心の中で舌打ちをする。確かに小さい頃はよく女の子と間違われることが多かった。身長も百七十弱しかない僕は、自他ともに認める童顔だし、どちらかといえば男性的というよりも中性的な見た目かもしれない。

黒淵は誰もいない店のカウンターに腰かけるとすぐにタバコをふかし始める。

僕は店内の唯一の出窓をこれでもかと明け開いた。ふわりと舞い込んだ風と日差しで店内のほこりが粉雪のように舞い上がった。

「おい、俺花粉症なんだけど?」

「知ってますよ。ちなみに僕は、ほこりアレルギーです」

「ほんっとかわいくねぇの」

「何度も言いますけど、僕、黒淵さんにかわいいなんて思われるなんてまっぴらごめんですから」

「はいそーですか」

僕は黒淵がカウンターに置いたコンビニ袋から、あんぱんと牛乳パックを取り出すと店の片隅の辞典が積み重なった上で体育座りをしている彼女へとそれを差し出した。

「はい。おまたせ、火華ひかのすきなやつ」

腰までの黒髪に真っ黒のワンピースに、黒のブーツを身に着けている火華が大きな赤色の瞳を僕にむけるとにこりと微笑んだ。

そして小さな掌で僕からあんぱんと牛乳を受け取ると、すぐに牛乳パックにストローを差し込みごくごくと飲み、あんぱんに小さな口で噛り付く。火華の見た目は十歳ほどの少女だが実際の年齢はわからない。

その話し方や物腰はもう少し年齢が上に見える。ただ僕が知っているのは、火華が黒淵を一緒に店舗の2階で暮らしていることと、会話はおもに黒淵とだけ。黒淵と火華と一緒に仕事をするようになって、一年経つが僕との会話はほとんどない。だから火華に関しては、黒淵以上にわからないことだらけだ。

──なぜがあるのかも。

でも、それは目の前でニコチンを堪能している黒淵にも同じことが言える。黒淵は年齢二十八歳らしいがこれも本当かどうかはわからない。

黒髪の短髪に切れ長のアーモンド形の瞳をしていて身長は百八十を超えている。職業は古書全般を扱う『おもひで古書』の店主であり、他人の想いを供養する『想儀屋そうぎや』を兼業している。

「愛斗、今日は一件想儀だすからな。もうちょいしたら依頼人がくるから準備しとけよ」

黒淵は三本目のタバコを吸いながら、白い煙を大きく吐き出した。

「あの……毎回思うんですけど、僕いてもいなくてもどうせ想儀だすなら、いなくてもいいんじゃないですか?」

「それどーゆー意味? 」

「だから……僕がわかるのは他人の心に巣くう悪意なわけで、他人の心がすべて読めるわけでもましてや想儀に出すほどの他人の哀しみに寄り添えるわけでもないんで」

「愛斗くんは、ほんとわかってねぇよな。そもそもだ。他人の哀しみに俺たち他人が寄り添えると思ってる時点で愛斗はまるで分ってない。そんなことできるわけないじゃん。この仕事の意味わかってる? 」

「この仕事の意味……?」

なんとなく、あの日黒淵に初めて出会ってから僕は彼の仕事を手伝うようになったが、この想儀屋の意味なんて深く考えたことなんて一度もなかった。

ただ自分の消化できない想い、捨て去りたい記憶の断片を想儀屋に頼んで供養してもらう。そうすることで必ず皆に等しくやってくる明日という日を、少しでも呼吸いきしやすいように。

ただそれだけかと思っていた。自分のように。

火華が立ち上がるとワンピースのお尻についた白いほこりをパンパンと払いながら僕の目の前に歩いてくる。

そしてゆっくりと大きな瞳で僕を見上げた。

「な、に……?」

火華と目と目を合わせて話すのは滅多にない為、途端に緊張してくる。僕の心臓がトクトク音を立てていくのが分かった。

「いってやれ、火華」

火華は黒淵の言葉に、首を傾げながらにこりと笑った。

「……この仕事の意味は……その人に『気づかせてあげる』ことだよ」

火華の声は不思議だ。あんな力があるからかもしれないが空気が凛と研ぎ澄まされるようで、それでいてパイプオルガンの高音のように心の芯まですっと入ってきてとても心地よい。

「気づかせてあげる……こと? 」

「うん。たとえ恋人でも家族でもその人の心が丸ごと分かるわけでも寄り添えるわけでもない。自分の心に寄り添ってあげられるのは自分自身だから……だから心の中の要らないモノは供養して空に還してあげるの。その人が少しでも楽になれるように。そして自分自身を好きになってくれるように……」

火華は言葉を吐き出し終わると店の入り口へとゆっくり歩いていく。そしてまた積み重なった辞典の上で、今度は猫のように丸くなった。黒淵が火華に向かって歩いていくと自分のスーツのジャケットを脱いで火華にそっとかけた。

「愛斗にも、いつか気づいてほしいけどね。愛斗しか持ってないモノや愛斗にしかできないことをね」

黒淵はいつになく真面目なトーンでそういうと吸い殻で溢れそうになっているアルミの灰皿に加えていたタバコを突っ込んだ。僕は黙って少年漫画コーナーの本棚の前に移動すると、僕の定位置である木製の踏み台の上に腰を下ろした。

「ほら、愛斗っ」

こちらに向かって放り投げられたリンゴを僕は落っことしそうになりながらなんとかキャッチした。

「夕飯食っとけよ」

黒淵が形の良い唇を持ち上げるとニッと笑った。

(夕ご飯がリンゴね……)

──リンゴの実の花言葉は『後悔』。リンゴの花言葉は『選択』。

黒淵からリンゴをもらうのは二度目だ。僕は黒淵に初めて会った日のことを思い出しながら、真っ赤なリンゴに噛り付いた。


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