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第2話 僕の過去
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──僕は小さいころから感受性の強い子供だった。
花の咲く様や空に浮かぶ雲を眺めては聞こえるはずのない声が聞こえるような気がして、一日中それらを眺めて過ごすこともあった。そしてある日、誰もいない公園で耳を澄ませば、虫や鳥の声が内緒話をするように小さく僕の心の底辺に響いてくることに気づいた。
やがていつからだろうか?物心ついた頃には、他人と話せば他人が僕にむける悪意だけが僕の心の中に流れ込んでくるようになり、僕はこの不思議な力がとても苦痛だった。
『ねぇ、父さん、母さん。どうして僕はほかの人の声が聴こえちゃうの』
父さんは眉を下げて困ったような顔をして、母さんは一筋の涙と共にそっと抱きしめてくれた。
『愛斗、あなたは神様がくれた特別な子供なの……大好きよ』
『何があっても父さん達は、愛斗の味方だよ』
そう言って両親は僕を大切に慈しむように大事に育ててくれた。
それでもこんな僕は他人との関りがうまくいかず、何とか義務教育を卒業したあとはしばらく引きこもった。朝日を拒むように昼まで眠り、起きれば自室の窓辺にやってくる小鳥とパンを分け合いながらたわいのない会話をして一日が終わっていく。そんな僕を両親は一度も責めなかった。両親は僕にとって唯一の理解者であり、僕の存在を無条件で認めて愛してくれる唯一無二の存在だった。
そして誰とも関りを持たないと決めて進学した大学四回生のクソ暑い夏の日だった。大学で哲学の講義を受け、バイト先のコンビニに向かっていた時、ジーンズのスマホが震えた。嫌な予感がして直ぐにスワイプすれば電話の向こうからは警察官の同情めいた声が、両親の事故死を告げた。同じ職場の二人は仕事に向かう途中、突然降り出した雨に山道のカーブを曲がり切れずガードレールを突き破って車ごと転落した。即死だったらしい。
つい一昨日まで僕に笑いかけてくれていた両親はもういない。
両親の遺影を眺めながら僕は僧侶の読経に両の拳をぎゅっと握った。悲しくて哀しくて心が押しつぶされそうだ。いまだ目の前の状況にもなぜ自分が喪主なんてものをしているのかも脳みその中で半分も理解できていない。
それなのに世間体だけで葬儀に参列した近所の住人達の心ない、心の声が僕に向けられる。
──気味の悪いヤツだな……。
──ご両親が亡くなったっていうのに……。
──あの子のおかしいわ……。
(うるさい……)
──まったく辛気臭いな。帰ってからの酒がまずくなった
──早く終わらないかしら、別に此処らの風習だからって家族葬にしてくれたらよかったのに。ていうか親族誰もきてないじゃない。
(うるさい……うるさい……)
──涙の一つも流さないなんて。
(流さないんじゃない。僕の瞳からは涙がでないんだ)
声に出せない想いと無理やり押さえつけた言葉は、春の桜の花びらのように舞い落ち、夏の花火のようにそっと消えて秋の枯葉のように踏みつけられていく。そうして最後は降り積もった雪が溶けていくように心の中にだけ涙が降り注ぐ。もう何年、こうして消化できない想いを抱え続けてきただろうか?
「疲れたな……」
歯を食いしばったまま葬儀を滞りなく終えた僕は、縁側に座りようやく黒のネクタイを雑に緩めた。
「父さん、母さん……」
遺影を振り返れば確かに笑っている筈の遺影の中の両親の顔は泣いているように見えた。
「……あっという間に人間ひとりぼっちだな……」
僕は築50年の日本家屋の縁側で蒼く茂る桜の木の葉をぼんやり眺める。桜の幹に目をやればナイフで切りつけた、いくつもの傷跡がうっすらと見える。父が、僕が一つ年を重ねるたびに桜の木と背比べさせながら身長を記録してくれた痕だ。
「ふっ……二十歳まで測るとか……どうせ伸びてないのにさ……」
──「初めまして。この度はご愁傷さまでした」
(え……?)
突如桜の木の陰から出てきた人影と声に体がビクンと震えた。
「……あれ? 驚きすぎて声でない? 」
「……どちらさまでしょうか? 」
僕は精一杯平静を装いながら目の前の黒いスーツの男を見つめる。どう見てもまともなヤツじゃないだろう。そもそもこんな目と鼻の先ほどの距離に居たのに全く気配がしなかった。
「想儀屋ですよ。」
「見ての通り葬儀は滞りなく終わったんで」
男は僕がまるでそう返事するのが分かっていたかのように薄く笑った。
「これは失礼。一般的に呼ばれている死者を葬る為の葬儀ではなく、生きている者の葬り去りたい哀しい『想い』を供養するための儀式、俺たちは『想儀』と呼んでいる。生前、君のご両親から遺言を預かっていてね、自分たちに何かあった際は、君の捨て去りたい哀しい想いを想儀にて供養してほしいとね」
僕は自然と眉間に皴が寄っていた。意味が全く分からない。
(葬儀ではなく、想いを供養する想儀……? )
「うーんとね……何ていったらいいかな。はっきり言わせてもらうと君が聴こえてしまう声を供養してラクにしてあげようって話。分かる?」
「え? どうして……そのこと……」
「おいおい、話きーてた? 君のご両親から聞いたんだって」
男は長い脚であっという間に僕の隣に来ると縁側に腰かける。そしてスーツの内ポケットからタバコを取り出した。
「家は禁煙なんですけど」
「そうなんだ、ごめんね。俺ニコチン依存症なんで。吸わないと死んじゃうの」
ニコチンを吸わないと死ぬ?そんなの真っ赤な嘘だ。僕は飄々とした男の態度に。嫌悪感を感じていた。
(なんでこんなやつに父さんと母さんは僕の秘密を話したんだ? そして想儀って一体……)
「で、どうする? 夜川愛斗くん」
僕はニコチンを吸って吐くを繰り返している男を真っすぐに見つめた。
「お断りします。お帰りください」
「冷たいなぁ。てゆーか、ご両親の遺言、無視しちゃっていいわけ? 」
「僕は名前も知らない、名乗らないアンタを信用できない。両親の遺言のことだって本当かどうかなんて分からないしね」
男はタバコを咥えたまま、真っ白な封筒をスラックスのポケットから取り出した。少ししわくちゃになっているその手紙のあて先は『想儀屋 黒淵定様』と間違いなく母の筆跡で書かれている。
「どーぞ」
「ねぇ、タバコは大事に胸ポケットに仕舞ってたくせに、その想儀屋とやらの依頼人である僕の両親から預かった手紙は随分と雑に扱うんだな」
「生意気だねー。大体ね、そもそもキミは両親の職業知ってたけど、その内容は知らなかったよね? 」
「え? アンタ知ってんの? 」
僕の両親は、日本の政府機関で人間の喜怒哀楽の感情について研究を行っていた。父親は脳心理学の博士で、母親は精神科医だった。幼いころから二人の職業は製薬会社での工場勤務だと聞かされていたが、実際は国の研究施設で人間の感情コントロールについての研究・薬の開発に尽力していると二十歳の誕生日の時に聞かされ驚いたことを思い出す。
「俺、愛斗くんの両親と一緒に仕事してたから色々教えてあげようかと思ったけどやーめた」
黒淵は封筒をひらひらと僕の目の前で振って見せる。
「どうでもいい」
半分本心で半分は虚勢だ。
両親は恐らく他人の悪意が聴こえてくる僕に、他人の声が聴こえなくなる薬か何かの研究もしていたんじゃないだろうか?
いつも僕のことを気にかけてくれ、どんなに忙しくても朝だけは必ず、母の手作りの朝食を家族揃って食べていた。ささやかで当たり前の幸せ。でももう、いつも僕と僕の心に寄り添ってくれた両親はもういない。永遠に会えない。ならば今更両親のことを聞いて何になるんだろうか?また哀しい記憶が一つ増えるだけだ、そんな気がした。
「ほら、考え事はあとにして読んでよ。俺が怪しいヤツじゃないってことはわかると思うぜ」
僕は黒淵を睨み上げると封筒をふんだくり、すぐに中身を広げた。
『 黒淵定様
万が一の時の為にこの手紙を託します。私達の大切な息子、夜川愛斗には生まれつき不思議な力があること以前話したわよね?
もし私達に何かあったらあの子の心に溜まった哀しい想いを一度想儀してあげて欲しいの。もちろん、この想儀のシステムは実験段階に過ぎないわ。でももしもあの子が、涙を流せずため込んだ哀しい想いを少しでも供養できたら、私達があの子の為に長年研究してきた意義が見いだせる気がするの。
この研究所で信用できるのは黒淵さんだけ。どうか愛斗を宜しくお願い致します。
夜川月乃』
僕は一読すると手紙をたたみ封筒に仕舞った。すぐに頭に疑問と紛れない事実が浮かぶ。
一つは、両親の事故は仕組まれたものの可能性があるということ。そしてもう一つは、僕の母親である月乃は目の前の黒淵を信頼していたということだ。
手紙から顔を上げると黒淵は、にやにやとした笑みを僕に向けている。
「信じてくれたかな? 愛斗君は俺を信用できないみたいだけど、キミのご両親からの信頼は絶大でね。あとキミのご両親の事故は仕組まれたものだよ。恐らくね。ただ今更事故を他殺として捜査することは非常に難しい。何故なら気づいてると思うけどこれは政府が関わってる案件だからね」
僕は掌をぎゅっと握りしめた。
「そんなこと聞かされて僕が黙ってるとでも? 」
あてがあるわけでも何でもない。それでも両親の死が事故でない可能性を聞かされた以上、このまま黙っていることなど到底できない。
(とりあえず警察に……)
「警察に行こうってこと? 」
「なっ……」
(まさか心が読めるのか? )
黒淵はクククッと笑うと短くなったタバコをぽいと投げて踏みつぶした。黒淵の傍若無人な振る舞いにカッと血液が逆流しそうになる。
「アンタなっ! ふざけんなよっ!」
「ふざけた考えはどっちかな? 俺は心が読めるわけでも何でもないが、キミ見たいなガキの思考読むくらい朝飯前なんだよな。それに、そもそもキミのご両親がなんで政府に目つけられたか分かる? 」
黒淵からふざけたような笑顔は消え、代わりに鋭い視線を僕に向けた。その瞳は哀を秘めていた。今から何を言われるのか予想がつきそうで僕は途端に動機がしてくる。
違っていてほしい。
そうであって欲しくない。
まさか……僕の……。
「そう……愛斗、お前の為に正弘さんと月乃さんは命令に背いたんだ……」
「命令……? 」
嫌な胸騒ぎは、どんどんと僕の意に反して近づいてくる。
「言ったよな? ご両親は政府機関で人間の感情コントールについての研究を行っていた。長年の研究が実を結び二人は人間の喜怒哀楽のうち『哀』を人間から排除できる薬を開発したんだ……」
「え……? 」
「政府の上層部は、この荒んで腐りきったこの国で人間が生きていくうえで、哀しむ感情さえなくなれば、お金や仕事がなくとも国民は嘆くことなく幸せに暮らしていける……なんて馬鹿な考えを理想として掲げて、実行に移そうとしたんだ。
でさっき話したけど、キミのご両親がやっとの思いで開発した薬を政府は手放しで喜んだ。だが国民にばら撒く前に、高い金を払って秘密裏に治験データを取った際、とんでもないミスが発覚したんだ。
それは『哀』の感情を失えば、人は哀しみ涙を流さなくなる代わりに、何かに心を揺すぶられて感動することも、嬉しくて心が痛くなることも切なくなることもなくなることが分かった。人間の喜怒哀楽の感情は、四つが密接につながり絡まりあうことで、俺たち人間は人間らしく生きれるってことなんだよ。結局ね……」
黒淵は一気にまくしたてように静かに言葉を吐き出すと藍色に変わった空を眺めた。その表情はどこか苦し気に見えた。僕は両親の顔を思い浮かべる。
「……父さんと母さんはその薬のデータを……消去したってことですね」
思ったよりも冷静な声色だった。黒淵が唇を引き上げる。
「正解。で、その研究データを応用してキミの為だけにこの『想儀』のシステムを開発して俺に託したんだ。ここまで言えばもういいよね? 」
僕は黙ったまま小さく頷いた。
「とゆーことで、じゃあ早速だけど、ついてきてよ」
黒淵は縁側から立ち上がるとさっさと玄関先へと向かっていく。
「ちょ、待ってよ!どこに? 」
黒淵は立ち止まり顔だけこちらに向けた。
「ここじゃ想儀できないんでね。くどいけど、君の想儀を執り行うことが君のご両親の望みであり、ご両親が研究してきた成果が初めてわかる、治験第一号が夜川愛斗くん、キミってことで宜しく」
黒淵はくるりと顔を戻すと、また再び歩き出す。
「急がないとそろそろお姫様が痺れを切らすから」
「え? お姫……さま……? 」
僕の問いかけにそれ以上の答える気がない黒淵の後ろ姿を、僕は慌てて追いかけた。
花の咲く様や空に浮かぶ雲を眺めては聞こえるはずのない声が聞こえるような気がして、一日中それらを眺めて過ごすこともあった。そしてある日、誰もいない公園で耳を澄ませば、虫や鳥の声が内緒話をするように小さく僕の心の底辺に響いてくることに気づいた。
やがていつからだろうか?物心ついた頃には、他人と話せば他人が僕にむける悪意だけが僕の心の中に流れ込んでくるようになり、僕はこの不思議な力がとても苦痛だった。
『ねぇ、父さん、母さん。どうして僕はほかの人の声が聴こえちゃうの』
父さんは眉を下げて困ったような顔をして、母さんは一筋の涙と共にそっと抱きしめてくれた。
『愛斗、あなたは神様がくれた特別な子供なの……大好きよ』
『何があっても父さん達は、愛斗の味方だよ』
そう言って両親は僕を大切に慈しむように大事に育ててくれた。
それでもこんな僕は他人との関りがうまくいかず、何とか義務教育を卒業したあとはしばらく引きこもった。朝日を拒むように昼まで眠り、起きれば自室の窓辺にやってくる小鳥とパンを分け合いながらたわいのない会話をして一日が終わっていく。そんな僕を両親は一度も責めなかった。両親は僕にとって唯一の理解者であり、僕の存在を無条件で認めて愛してくれる唯一無二の存在だった。
そして誰とも関りを持たないと決めて進学した大学四回生のクソ暑い夏の日だった。大学で哲学の講義を受け、バイト先のコンビニに向かっていた時、ジーンズのスマホが震えた。嫌な予感がして直ぐにスワイプすれば電話の向こうからは警察官の同情めいた声が、両親の事故死を告げた。同じ職場の二人は仕事に向かう途中、突然降り出した雨に山道のカーブを曲がり切れずガードレールを突き破って車ごと転落した。即死だったらしい。
つい一昨日まで僕に笑いかけてくれていた両親はもういない。
両親の遺影を眺めながら僕は僧侶の読経に両の拳をぎゅっと握った。悲しくて哀しくて心が押しつぶされそうだ。いまだ目の前の状況にもなぜ自分が喪主なんてものをしているのかも脳みその中で半分も理解できていない。
それなのに世間体だけで葬儀に参列した近所の住人達の心ない、心の声が僕に向けられる。
──気味の悪いヤツだな……。
──ご両親が亡くなったっていうのに……。
──あの子のおかしいわ……。
(うるさい……)
──まったく辛気臭いな。帰ってからの酒がまずくなった
──早く終わらないかしら、別に此処らの風習だからって家族葬にしてくれたらよかったのに。ていうか親族誰もきてないじゃない。
(うるさい……うるさい……)
──涙の一つも流さないなんて。
(流さないんじゃない。僕の瞳からは涙がでないんだ)
声に出せない想いと無理やり押さえつけた言葉は、春の桜の花びらのように舞い落ち、夏の花火のようにそっと消えて秋の枯葉のように踏みつけられていく。そうして最後は降り積もった雪が溶けていくように心の中にだけ涙が降り注ぐ。もう何年、こうして消化できない想いを抱え続けてきただろうか?
「疲れたな……」
歯を食いしばったまま葬儀を滞りなく終えた僕は、縁側に座りようやく黒のネクタイを雑に緩めた。
「父さん、母さん……」
遺影を振り返れば確かに笑っている筈の遺影の中の両親の顔は泣いているように見えた。
「……あっという間に人間ひとりぼっちだな……」
僕は築50年の日本家屋の縁側で蒼く茂る桜の木の葉をぼんやり眺める。桜の幹に目をやればナイフで切りつけた、いくつもの傷跡がうっすらと見える。父が、僕が一つ年を重ねるたびに桜の木と背比べさせながら身長を記録してくれた痕だ。
「ふっ……二十歳まで測るとか……どうせ伸びてないのにさ……」
──「初めまして。この度はご愁傷さまでした」
(え……?)
突如桜の木の陰から出てきた人影と声に体がビクンと震えた。
「……あれ? 驚きすぎて声でない? 」
「……どちらさまでしょうか? 」
僕は精一杯平静を装いながら目の前の黒いスーツの男を見つめる。どう見てもまともなヤツじゃないだろう。そもそもこんな目と鼻の先ほどの距離に居たのに全く気配がしなかった。
「想儀屋ですよ。」
「見ての通り葬儀は滞りなく終わったんで」
男は僕がまるでそう返事するのが分かっていたかのように薄く笑った。
「これは失礼。一般的に呼ばれている死者を葬る為の葬儀ではなく、生きている者の葬り去りたい哀しい『想い』を供養するための儀式、俺たちは『想儀』と呼んでいる。生前、君のご両親から遺言を預かっていてね、自分たちに何かあった際は、君の捨て去りたい哀しい想いを想儀にて供養してほしいとね」
僕は自然と眉間に皴が寄っていた。意味が全く分からない。
(葬儀ではなく、想いを供養する想儀……? )
「うーんとね……何ていったらいいかな。はっきり言わせてもらうと君が聴こえてしまう声を供養してラクにしてあげようって話。分かる?」
「え? どうして……そのこと……」
「おいおい、話きーてた? 君のご両親から聞いたんだって」
男は長い脚であっという間に僕の隣に来ると縁側に腰かける。そしてスーツの内ポケットからタバコを取り出した。
「家は禁煙なんですけど」
「そうなんだ、ごめんね。俺ニコチン依存症なんで。吸わないと死んじゃうの」
ニコチンを吸わないと死ぬ?そんなの真っ赤な嘘だ。僕は飄々とした男の態度に。嫌悪感を感じていた。
(なんでこんなやつに父さんと母さんは僕の秘密を話したんだ? そして想儀って一体……)
「で、どうする? 夜川愛斗くん」
僕はニコチンを吸って吐くを繰り返している男を真っすぐに見つめた。
「お断りします。お帰りください」
「冷たいなぁ。てゆーか、ご両親の遺言、無視しちゃっていいわけ? 」
「僕は名前も知らない、名乗らないアンタを信用できない。両親の遺言のことだって本当かどうかなんて分からないしね」
男はタバコを咥えたまま、真っ白な封筒をスラックスのポケットから取り出した。少ししわくちゃになっているその手紙のあて先は『想儀屋 黒淵定様』と間違いなく母の筆跡で書かれている。
「どーぞ」
「ねぇ、タバコは大事に胸ポケットに仕舞ってたくせに、その想儀屋とやらの依頼人である僕の両親から預かった手紙は随分と雑に扱うんだな」
「生意気だねー。大体ね、そもそもキミは両親の職業知ってたけど、その内容は知らなかったよね? 」
「え? アンタ知ってんの? 」
僕の両親は、日本の政府機関で人間の喜怒哀楽の感情について研究を行っていた。父親は脳心理学の博士で、母親は精神科医だった。幼いころから二人の職業は製薬会社での工場勤務だと聞かされていたが、実際は国の研究施設で人間の感情コントロールについての研究・薬の開発に尽力していると二十歳の誕生日の時に聞かされ驚いたことを思い出す。
「俺、愛斗くんの両親と一緒に仕事してたから色々教えてあげようかと思ったけどやーめた」
黒淵は封筒をひらひらと僕の目の前で振って見せる。
「どうでもいい」
半分本心で半分は虚勢だ。
両親は恐らく他人の悪意が聴こえてくる僕に、他人の声が聴こえなくなる薬か何かの研究もしていたんじゃないだろうか?
いつも僕のことを気にかけてくれ、どんなに忙しくても朝だけは必ず、母の手作りの朝食を家族揃って食べていた。ささやかで当たり前の幸せ。でももう、いつも僕と僕の心に寄り添ってくれた両親はもういない。永遠に会えない。ならば今更両親のことを聞いて何になるんだろうか?また哀しい記憶が一つ増えるだけだ、そんな気がした。
「ほら、考え事はあとにして読んでよ。俺が怪しいヤツじゃないってことはわかると思うぜ」
僕は黒淵を睨み上げると封筒をふんだくり、すぐに中身を広げた。
『 黒淵定様
万が一の時の為にこの手紙を託します。私達の大切な息子、夜川愛斗には生まれつき不思議な力があること以前話したわよね?
もし私達に何かあったらあの子の心に溜まった哀しい想いを一度想儀してあげて欲しいの。もちろん、この想儀のシステムは実験段階に過ぎないわ。でももしもあの子が、涙を流せずため込んだ哀しい想いを少しでも供養できたら、私達があの子の為に長年研究してきた意義が見いだせる気がするの。
この研究所で信用できるのは黒淵さんだけ。どうか愛斗を宜しくお願い致します。
夜川月乃』
僕は一読すると手紙をたたみ封筒に仕舞った。すぐに頭に疑問と紛れない事実が浮かぶ。
一つは、両親の事故は仕組まれたものの可能性があるということ。そしてもう一つは、僕の母親である月乃は目の前の黒淵を信頼していたということだ。
手紙から顔を上げると黒淵は、にやにやとした笑みを僕に向けている。
「信じてくれたかな? 愛斗君は俺を信用できないみたいだけど、キミのご両親からの信頼は絶大でね。あとキミのご両親の事故は仕組まれたものだよ。恐らくね。ただ今更事故を他殺として捜査することは非常に難しい。何故なら気づいてると思うけどこれは政府が関わってる案件だからね」
僕は掌をぎゅっと握りしめた。
「そんなこと聞かされて僕が黙ってるとでも? 」
あてがあるわけでも何でもない。それでも両親の死が事故でない可能性を聞かされた以上、このまま黙っていることなど到底できない。
(とりあえず警察に……)
「警察に行こうってこと? 」
「なっ……」
(まさか心が読めるのか? )
黒淵はクククッと笑うと短くなったタバコをぽいと投げて踏みつぶした。黒淵の傍若無人な振る舞いにカッと血液が逆流しそうになる。
「アンタなっ! ふざけんなよっ!」
「ふざけた考えはどっちかな? 俺は心が読めるわけでも何でもないが、キミ見たいなガキの思考読むくらい朝飯前なんだよな。それに、そもそもキミのご両親がなんで政府に目つけられたか分かる? 」
黒淵からふざけたような笑顔は消え、代わりに鋭い視線を僕に向けた。その瞳は哀を秘めていた。今から何を言われるのか予想がつきそうで僕は途端に動機がしてくる。
違っていてほしい。
そうであって欲しくない。
まさか……僕の……。
「そう……愛斗、お前の為に正弘さんと月乃さんは命令に背いたんだ……」
「命令……? 」
嫌な胸騒ぎは、どんどんと僕の意に反して近づいてくる。
「言ったよな? ご両親は政府機関で人間の感情コントールについての研究を行っていた。長年の研究が実を結び二人は人間の喜怒哀楽のうち『哀』を人間から排除できる薬を開発したんだ……」
「え……? 」
「政府の上層部は、この荒んで腐りきったこの国で人間が生きていくうえで、哀しむ感情さえなくなれば、お金や仕事がなくとも国民は嘆くことなく幸せに暮らしていける……なんて馬鹿な考えを理想として掲げて、実行に移そうとしたんだ。
でさっき話したけど、キミのご両親がやっとの思いで開発した薬を政府は手放しで喜んだ。だが国民にばら撒く前に、高い金を払って秘密裏に治験データを取った際、とんでもないミスが発覚したんだ。
それは『哀』の感情を失えば、人は哀しみ涙を流さなくなる代わりに、何かに心を揺すぶられて感動することも、嬉しくて心が痛くなることも切なくなることもなくなることが分かった。人間の喜怒哀楽の感情は、四つが密接につながり絡まりあうことで、俺たち人間は人間らしく生きれるってことなんだよ。結局ね……」
黒淵は一気にまくしたてように静かに言葉を吐き出すと藍色に変わった空を眺めた。その表情はどこか苦し気に見えた。僕は両親の顔を思い浮かべる。
「……父さんと母さんはその薬のデータを……消去したってことですね」
思ったよりも冷静な声色だった。黒淵が唇を引き上げる。
「正解。で、その研究データを応用してキミの為だけにこの『想儀』のシステムを開発して俺に託したんだ。ここまで言えばもういいよね? 」
僕は黙ったまま小さく頷いた。
「とゆーことで、じゃあ早速だけど、ついてきてよ」
黒淵は縁側から立ち上がるとさっさと玄関先へと向かっていく。
「ちょ、待ってよ!どこに? 」
黒淵は立ち止まり顔だけこちらに向けた。
「ここじゃ想儀できないんでね。くどいけど、君の想儀を執り行うことが君のご両親の望みであり、ご両親が研究してきた成果が初めてわかる、治験第一号が夜川愛斗くん、キミってことで宜しく」
黒淵はくるりと顔を戻すと、また再び歩き出す。
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