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初夏の鮮やかな翠が山一面に広がる。ひとつひとつの山は高くないが、その傾斜は重いものを持って、歩いて登るのに適しているとは言えない。
その山中を屋台を引いて歩く二人は、景色を楽しみながら山を登っていた。さらさらと木々を抜けて吹く風は新鮮な匂いがして、呼吸をするだけでも、淀んだなにかを綺麗にしてくれているようだった。
小さな家のような屋台。一歩歩くたびに調理器具や鍋がこすれ合う音が鳴る。屋台を引いている古野灯吾は、屋台を押している綾目宵に休憩しようと声を掛けた。そこも結構な斜面ではあったが、ちょうどよく屋台を止めておけそうな岩があった。
灯吾と宵は、生まれた日が二日だけ違う幼なじみで、家も隣、兄妹も同然に育てられてきた。
二人の両親は、三年前、灯吾と宵が十二歳の時に大災害で亡くなっている。二人が生まれ育った島、ひばな島が無くなるほどの災害が起こり、島の外にある小学校に通っていた二人だけが無事だった。
身寄りがなくなった二人を引き取ったのは、巴月チカという女性だった。金満家で、趣味のひとつとしていくつかの神社を管理する変わった人。伝統を守りたいという強い思いがあって、そういう活動にも力を入れて取り組んでいる。
そして、島の伝統を守りたいと言った灯吾と宵の御饌参りにも力添えをしてくれていて、こうやって各地を旅しながら生活することが出来ている。
灯吾は五歳の時から、宵は三歳の時から御饌参りの作法をたたき込まれている。包丁の使い方から、魚介類の捌き方、お米の炊き方、料理の多岐に渡って一からすべて教わっていた。
島にある神社は三つで、それぞれに祀られている神様も異なっていた。
海の神様、山の神様、島の神様。
その中でも島の神様は特に愛されていた。島を作ったとされている神様で、お社に住んでいて、ずっと島の人たちのことを見守っているのだと言われていた。
一年に三回、朝と夕に神饌を供えるために神社を回ることを御饌参りといって、山の神様から順に回り、海の神様、そして島の神様に供える。島の神様に供えた後に境内で、お祭りみたいに屋台を出して、神様に供えたのと同じ食材を使われたごはんを食べる。
御饌参りはひばな島とごくわずかな地域でしか見られないとチカは言った。故に、この伝統を守れるような若者がいないとも。
灯吾と宵は、島ごと潰えた伝統に、生きる理由を見出した。自分たちこそが、島の、両親の守ってきたものを知る唯一の存在なのだ。
それから、二人は御饌参りを全国に広め、ひばな島が確かに存在していたことを伝え残せるようにと、この旅を始めた。
宵は、灯吾の顔を盗み見た。遠くの山をぼうっと見ているようで、多分あの目にはなにも映っていない。
時折みせる翳りのある表情が、怖かった。
灯吾の目から胡乱が散って、光を絞るように瞬きをした。宵は目線を水筒に戻した。
「宵、もう行けるか」
「うん。大丈夫」
ん、と短く返事をした灯吾の水筒を受け取って、屋台の後ろにまわった。
灯吾と宵が、山の中の神社に到着したのは、昼過ぎだった。日差しが落ち着き、いくらか涼しい風が二人の汗を冷やしていった。
山の中にある神社とはいえ、毎年盛大にお祭りを催す場所なだけあって、境内は拓けていて、手入れが行き届いている。
「遠いところまで、御饌参りに来てくださって、ありがとうございます。宮司をしております、十塚と申します」
宮司の十塚栄治郎は、二人を歓迎した。
御饌参りについて知っている人とそうでない人では、当然ながら対応が違う。神職に就いていても、各地の神事についてどこまで詳しいかは、ひとそれぞれである。
十塚はたまたま前者だった。
「古野灯吾です」
「綾目宵です。これから数日お世話になります」
「ここまでご足労をおかけしました。山の中にありますもんで、大変だったでしょう」
「いえ、景色が大変良くて、楽しく登ってこられました」
「それはよかった、うちはこのオヤマさんが神様だもんで、今の言葉がうれしいですよ」
山自体が神様として祀られることは珍しくない。島の山の神様だってそうだった。
ここは連なった山の中で一番高い。周りの山が裾野みたいに連なっていて、美しい。こんなにもきれいだから、神様もこの山を選んでやって来たのだろうか。
宵の結わえられた髪から靡く一房を見つめながら、そう思った。
その山中を屋台を引いて歩く二人は、景色を楽しみながら山を登っていた。さらさらと木々を抜けて吹く風は新鮮な匂いがして、呼吸をするだけでも、淀んだなにかを綺麗にしてくれているようだった。
小さな家のような屋台。一歩歩くたびに調理器具や鍋がこすれ合う音が鳴る。屋台を引いている古野灯吾は、屋台を押している綾目宵に休憩しようと声を掛けた。そこも結構な斜面ではあったが、ちょうどよく屋台を止めておけそうな岩があった。
灯吾と宵は、生まれた日が二日だけ違う幼なじみで、家も隣、兄妹も同然に育てられてきた。
二人の両親は、三年前、灯吾と宵が十二歳の時に大災害で亡くなっている。二人が生まれ育った島、ひばな島が無くなるほどの災害が起こり、島の外にある小学校に通っていた二人だけが無事だった。
身寄りがなくなった二人を引き取ったのは、巴月チカという女性だった。金満家で、趣味のひとつとしていくつかの神社を管理する変わった人。伝統を守りたいという強い思いがあって、そういう活動にも力を入れて取り組んでいる。
そして、島の伝統を守りたいと言った灯吾と宵の御饌参りにも力添えをしてくれていて、こうやって各地を旅しながら生活することが出来ている。
灯吾は五歳の時から、宵は三歳の時から御饌参りの作法をたたき込まれている。包丁の使い方から、魚介類の捌き方、お米の炊き方、料理の多岐に渡って一からすべて教わっていた。
島にある神社は三つで、それぞれに祀られている神様も異なっていた。
海の神様、山の神様、島の神様。
その中でも島の神様は特に愛されていた。島を作ったとされている神様で、お社に住んでいて、ずっと島の人たちのことを見守っているのだと言われていた。
一年に三回、朝と夕に神饌を供えるために神社を回ることを御饌参りといって、山の神様から順に回り、海の神様、そして島の神様に供える。島の神様に供えた後に境内で、お祭りみたいに屋台を出して、神様に供えたのと同じ食材を使われたごはんを食べる。
御饌参りはひばな島とごくわずかな地域でしか見られないとチカは言った。故に、この伝統を守れるような若者がいないとも。
灯吾と宵は、島ごと潰えた伝統に、生きる理由を見出した。自分たちこそが、島の、両親の守ってきたものを知る唯一の存在なのだ。
それから、二人は御饌参りを全国に広め、ひばな島が確かに存在していたことを伝え残せるようにと、この旅を始めた。
宵は、灯吾の顔を盗み見た。遠くの山をぼうっと見ているようで、多分あの目にはなにも映っていない。
時折みせる翳りのある表情が、怖かった。
灯吾の目から胡乱が散って、光を絞るように瞬きをした。宵は目線を水筒に戻した。
「宵、もう行けるか」
「うん。大丈夫」
ん、と短く返事をした灯吾の水筒を受け取って、屋台の後ろにまわった。
灯吾と宵が、山の中の神社に到着したのは、昼過ぎだった。日差しが落ち着き、いくらか涼しい風が二人の汗を冷やしていった。
山の中にある神社とはいえ、毎年盛大にお祭りを催す場所なだけあって、境内は拓けていて、手入れが行き届いている。
「遠いところまで、御饌参りに来てくださって、ありがとうございます。宮司をしております、十塚と申します」
宮司の十塚栄治郎は、二人を歓迎した。
御饌参りについて知っている人とそうでない人では、当然ながら対応が違う。神職に就いていても、各地の神事についてどこまで詳しいかは、ひとそれぞれである。
十塚はたまたま前者だった。
「古野灯吾です」
「綾目宵です。これから数日お世話になります」
「ここまでご足労をおかけしました。山の中にありますもんで、大変だったでしょう」
「いえ、景色が大変良くて、楽しく登ってこられました」
「それはよかった、うちはこのオヤマさんが神様だもんで、今の言葉がうれしいですよ」
山自体が神様として祀られることは珍しくない。島の山の神様だってそうだった。
ここは連なった山の中で一番高い。周りの山が裾野みたいに連なっていて、美しい。こんなにもきれいだから、神様もこの山を選んでやって来たのだろうか。
宵の結わえられた髪から靡く一房を見つめながら、そう思った。
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