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白無垢ノ誓
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春の気配がようやく大坂の街に満ち始めたある晩。
松平邸の奥――千弥のいる離れに、一枚の白布が届けられた。
広げられたそれは、白無垢。
婚礼に着る女の装いであり、
穢れのない“新たな始まり”を意味する衣。
けれど千弥は驚かなかった。
むしろ、これこそが“終着点”だと感じた。
(私は、ついに“完全に所有される”。)
かつての舞台衣装よりも、はるかに重く、白いその衣を、
千弥は正座して着付けた。
襟元はやや開かれ、白粉の上からほんのわずかに紅を引く。
――それは、客に見せるための紅ではない。
たった一人に与えるための紅。
⸻
その夜、正典が離れの襖を開けた。
「……来たか」
灯りは落とされ、障子越しに月の光だけが差し込んでいる。
白無垢をまとった千弥は、まるで幽鬼のように美しかった。
息を呑んだ正典が、口を開く。
「なぜ、それを着た」
「御主様が望んでおられると思いました。
……違いましたか?」
「違わぬ」
正典は静かに歩み寄り、膝をついた。
千弥の手を取り、白い布の上に口づけを落とす。
「今日をもって、お前は私の“正式な所有物”だ。
屋敷の者にも、役人にも、もう隠さぬ」
「はい……」
「だが、お前が欲しいのは名でも位でもない。
欲しいのは、私の支配だけ――そうだろう?」
「はい。私は、御主様の言葉だけで、生きていけます」
正典は微かに目を細め、
懐から金のかんざしを取り出した。
それはかつて、千弥が舞台で使っていたものに似ていた。
ただ、そこに彫られていたのは――**「一」**の文字。
「これは、“ただ一人のもの”という意味だ。
これをお前の髪に挿す。それが、私からの“契り”だ」
千弥は目を伏せたまま、髪を差し出した。
かんざしが挿される。
それだけで、心の奥に火が灯る。
正典は、千弥の腰をそっと抱き寄せた。
その手つきには、今までのような荒々しさはなかった。
「今宵は、抱くために抱くのではない。
“奪うため”ではなく、“与えるため”にお前を抱く」
千弥は、白無垢の袖を脱ぎながら、そっと囁いた。
「どうか、“全部”ください……御主様の、全部を……」
⸻
その夜、ふたりは初めて、対等に抱き合った。
腕も、足も、口づけも、
支配や命令ではなく、確かめ合うように交わった。
千弥の肌に、正典の手が触れるたびに、
彼は泣いた。
涙が頬を伝っても、誰もそれを拭わない。
「御主様……私は……幸せです……」
「ならば、それを壊さぬよう、檻の中で生かしてやる。
……ずっと、“私のもの”として」
白無垢は乱れ、
紅は潰れ、
千弥の心は――初めて自由になった。
それは、檻の中でしか咲けない一輪の花だった。
松平邸の奥――千弥のいる離れに、一枚の白布が届けられた。
広げられたそれは、白無垢。
婚礼に着る女の装いであり、
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むしろ、これこそが“終着点”だと感じた。
(私は、ついに“完全に所有される”。)
かつての舞台衣装よりも、はるかに重く、白いその衣を、
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「なぜ、それを着た」
「御主様が望んでおられると思いました。
……違いましたか?」
「違わぬ」
正典は静かに歩み寄り、膝をついた。
千弥の手を取り、白い布の上に口づけを落とす。
「今日をもって、お前は私の“正式な所有物”だ。
屋敷の者にも、役人にも、もう隠さぬ」
「はい……」
「だが、お前が欲しいのは名でも位でもない。
欲しいのは、私の支配だけ――そうだろう?」
「はい。私は、御主様の言葉だけで、生きていけます」
正典は微かに目を細め、
懐から金のかんざしを取り出した。
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ただ、そこに彫られていたのは――**「一」**の文字。
「これは、“ただ一人のもの”という意味だ。
これをお前の髪に挿す。それが、私からの“契り”だ」
千弥は目を伏せたまま、髪を差し出した。
かんざしが挿される。
それだけで、心の奥に火が灯る。
正典は、千弥の腰をそっと抱き寄せた。
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