【R18】若衆歌舞伎の花、檻に憧れる

ましゅまろ

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揺らぎ

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初夏、大坂城下。

松平正典は、町奉行としての実績を認められ、
勘定奉行並びに大坂町政の監査職を兼務する重役へと昇進した。

――町政、財政、司法。すべてを司る“三役”に限りなく近づいたということ。
それはすなわち、将軍への登用も視野に入る男となったということでもある。

大坂の町は、彼の名によって静かに、しかし確実に変化していた。

一方で、その屋敷の奥――

白無垢の儀から幾月が過ぎても、
千弥は離れに閉じ込められたままだった。

華やかさの代わりに与えられたのは、静謐。
歓声の代わりに響くのは、御主様の命の声だけ。

それでも、千弥は幸せだった。

少なくとも――そう、思い込もうとしていた。



ある日、正典が屋敷を留守にしていた夕暮れ。
千弥は庭に咲いた小さな桔梗の花を眺めていた。

花の紫に、ふと記憶が揺れた。

(……この色、あの演目の衣装と同じ)

思い出すのは、“綾香”を演じたあの夜。
花道に立ち、紅を引きながら、目線ひとつで客の息を止めたあの瞬間。

(……あの光が、恋しい)

自分は御主様のもの。
舞台に戻るなど、許されることではない。

だが、その“想い”は、
心の奥に少しずつ、霞のように立ちのぼりはじめていた。



その夜、久しぶりに正典が離れに姿を見せた。

「新しい職が決まった。
来月より、京都所司代と兼務する。……京へ行く」

「……おめでとうございます、御主様」

「当然のことだ。
そして、お前は――どこへでも連れていく。京であろうが、江戸であろうがな」

「……はい」

正典は千弥の肩を抱いた。

「最近、よく外を見ているな」

「……」

「目が、芝居のときと同じだ。
舞台の光を、思い出しているのか?」

千弥の身体がわずかに震えた。

正典は千弥の頬に手を添え、静かに言った。

「私は、お前が舞台を思い出すことを、咎めるつもりはない。
だが――お前が“そこへ戻ろう”とするなら、その舞台を焼き払う」

その言葉は、告白ではなく戒めだった。

「……はい。決して、戻ろうとはいたしません」

そう答えながらも――

千弥の胸の奥では、消したはずの灯が、小さく灯っていた。
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