【R18】若衆歌舞伎の花、檻に憧れる

ましゅまろ

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香火ノ揺

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京――
千年の都と呼ばれるこの地に、松平正典は所司代として迎え入れられた。

政の中心に近いこの地で、彼の権勢はますます強まり、
名もなき武士や大名の子が、屋敷の門前に列を成すほどとなった。

だがその屋敷の奥、裏座敷よりさらに奥にある離れに、
ひとり外界から切り離された男がいた。

千弥。

すでに“かつての若衆”と呼ばれるには十分な月日が流れていた。
だが、その白肌も、しぐさも、声の艶も――
今もなお、“舞台”の記憶を内に秘めていた。



ある日、正典が城中に招かれた隙に、
千弥は下女に命じて、屋敷の庭を越え、ほんのわずかに表へと足を出した。

(……京の風は、江戸とも大坂とも違う)

香のような湿気とともに漂う古の気配。
その空気に、千弥は胸の奥がざわつくのを感じていた。

そのときだった。

「……おい、待て。……その横顔、まさか……」

通りすがりの男が、千弥を呼び止めた。

「……千弥、か……?」

振り返った先にいたのは――

春海(しゅんかい)。

かつて「菊乃座」でともに舞台を踏み、
千弥の隣で“女形と立役”の黄金の舞台を作り上げた男。

「……春海……?」

「やっぱりお前か……こんなところで……! てっきり江戸を出たきり、消息を絶ったと聞いていた」

「……そうだな。もう……芝居の世界からは、身を引いた」

「嘘だ。お前の目は、まだ“役”をしてる目だ。
俺と何度も共演したから、わかる。……まだ、舞台に未練があるんだろう?」

千弥は、返事をしなかった。

だが――
否定も、しなかった。

春海は言った。

「今、京の“天雅座”が役者を探してる。花形が病で降りて、次の公演が危ういんだ。
……俺は、そこで座元から声をかけられてる。もしお前が……」

「やめてくれ」

千弥が低く遮った。

「俺はもう、舞台には戻れない。……“戻させてもらえない”んだ」

「誰に? ……いや、わかってる。例の噂の男か。
京でも話題になってるよ、松平所司代が若衆を囲ってるって」

千弥は目を伏せた。

「……あの人は、俺にすべてを与えてくれた。
舞台を捨ててでも、仕えると決めた人だ」

「じゃあなんで、こうして表に出てきた。
……役者はさ、“降りた”くらいじゃ死ねないんだ。
舞台の光が目に焼きついてる限り、心のどこかで――」

「……もう、行け」

千弥は背を向けた。

「二度と俺の前で、“舞台”の話をするな。
……俺は、檻の中で生きることを選んだ」

春海は、その背を見つめたまま、
静かに一礼して去っていった。



その夜。

離れに戻った千弥は、
白無垢を掛けてある桐箪笥の前で、
そっと自らの指先を見つめた。

あの指は、
かつて舞台で“扇を咲かせ”、“涙を拭い”、“女を演じた”。

そして今は、
ひとりの男に縛られ、躾けられ、与えられるだけの指となった。

(……でも、まだ動く。……まだ、“演じられる”)

その事実に、胸の奥で何かが微かに揺れた。

それは、香炉の火のようにか細く、
だが、消えることのない――舞台への未練の火だった。
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