20 / 20
紅の終幕
しおりを挟む
その夜、天雅座では特別演目が掛かっていた。
『紅の契り』
――愛する男のために、舞台を捨てた女形が、
ふたたび紅を引いて花道に立ち、
最期の命を演じきる、儚い恋と芸の物語。
千弥がこの演目を選んだ理由を、
誰も知らなかった。
だが、
彼だけは知っていた。
観客席の最も奥、幕の向こうの影に、
ひとりの男がいることを。
⸻
開演の鐘が鳴り、幕が上がる。
千弥が現れた瞬間、
場内の空気が変わった。
まるで、
舞台全体が“千弥という存在”を中心に回っているようだった。
泣き、笑い、立ち尽くし、
恋をして、裏切られ、
なお――最後の一言を残すためだけに生きる。
「紅を引いたこの顔を、
たった一人にだけ、見てほしかったのです……」
伏したその身体は、静かに倒れ、
やがて、舞台の照明がすべて落ちた。
完璧な、終幕。
⸻
拍手が鳴り止まぬ中。
観客の誰も気づかぬまま、
ひとりの男が、幕の裏に消えていった。
松平正典。
その手には、
小さな紅の扇が握られていた。
幕が降りたあと、
誰よりも深く頭を下げ、
千弥の名を、心のなかで何度も呼んだ。
(檻を出たお前が、
檻の中にいたときよりも、
こんなにも美しいとはな)
⸻
芝居のあと、
楽屋には花と贈り物があふれていた。
だが、その中に――
ひとつだけ、差出人の名もない、
黒漆塗りの文箱が置かれていた。
中に入っていたのは、
白無垢の帯と、短い書状。
「最後の舞台、見届けた。
お前が檻を出たことを、ようやく本当に受け入れられた気がする。
だが、忘れるな。
あの檻の中のお前を、
私は一生、愛し続ける。
――松平正典」
⸻
その夜、
千弥は文箱を静かに閉じ、
襟元の紅を指先でなぞった。
もう、誰のものでもない。
だが――
心の奥には、いつまでも消えぬ紅が、灯り続けていた。
『紅の契り』
――愛する男のために、舞台を捨てた女形が、
ふたたび紅を引いて花道に立ち、
最期の命を演じきる、儚い恋と芸の物語。
千弥がこの演目を選んだ理由を、
誰も知らなかった。
だが、
彼だけは知っていた。
観客席の最も奥、幕の向こうの影に、
ひとりの男がいることを。
⸻
開演の鐘が鳴り、幕が上がる。
千弥が現れた瞬間、
場内の空気が変わった。
まるで、
舞台全体が“千弥という存在”を中心に回っているようだった。
泣き、笑い、立ち尽くし、
恋をして、裏切られ、
なお――最後の一言を残すためだけに生きる。
「紅を引いたこの顔を、
たった一人にだけ、見てほしかったのです……」
伏したその身体は、静かに倒れ、
やがて、舞台の照明がすべて落ちた。
完璧な、終幕。
⸻
拍手が鳴り止まぬ中。
観客の誰も気づかぬまま、
ひとりの男が、幕の裏に消えていった。
松平正典。
その手には、
小さな紅の扇が握られていた。
幕が降りたあと、
誰よりも深く頭を下げ、
千弥の名を、心のなかで何度も呼んだ。
(檻を出たお前が、
檻の中にいたときよりも、
こんなにも美しいとはな)
⸻
芝居のあと、
楽屋には花と贈り物があふれていた。
だが、その中に――
ひとつだけ、差出人の名もない、
黒漆塗りの文箱が置かれていた。
中に入っていたのは、
白無垢の帯と、短い書状。
「最後の舞台、見届けた。
お前が檻を出たことを、ようやく本当に受け入れられた気がする。
だが、忘れるな。
あの檻の中のお前を、
私は一生、愛し続ける。
――松平正典」
⸻
その夜、
千弥は文箱を静かに閉じ、
襟元の紅を指先でなぞった。
もう、誰のものでもない。
だが――
心の奥には、いつまでも消えぬ紅が、灯り続けていた。
11
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる