【R18】若衆歌舞伎の花、檻に憧れる

ましゅまろ

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儚き灯

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千弥の名は、再び京の芝居界に響き渡っていた。

天雅座の看板、昼夜の二番太夫、紅を引くたびに客が涙を流す――
かつて江戸でも見られなかった“芸の完成”を、人々は目の当たりにした。

だが千弥自身は、
その舞台袖で、静かに一つの香炉を見つめることが増えていた。

舞台に立てば、拍手と花が降る。
けれど幕が降りれば、そこに残るのはたったひとりの静寂だった。

(……御主様、今どこにいらっしゃるのですか)

千弥は知っていた。
正典が、もう芝居を見に来ることはないと。

(私の選んだ道は、御主様を否定した道。
だからこそ――戻れない)

それでも、
ふとした瞬間に背を振り返ってしまうのは、
あの黒羽織の気配が、
まだ胸の奥に灯っているからだった。



その頃、江戸城。

松平正典は、将軍・家斉の側近に列せられ、
勘定奉行を経て、老中格に抜擢される直前の地位にいた。

それは、御三家に次ぐ幕府の最高位。
名実ともに“国を動かす男”となりつつあった。

だが――
その顔に、かつての鋭さはなかった。

どこか静かで、
どこか遠いものを見ている目。

ある日、政敵からの讒言を受けた際、
老中・土井利厚にこう問われた。

「松平殿。
貴殿は、何のためにその椅子を目指しているのか?
民のためか? 将軍のためか? それとも――」

正典は答えた。

「……かつて檻に閉じ込めた者の背を、追うためです」

それだけを言い、
口を閉ざした。



その夜、
千弥はいつもより少し長く、
紅を引いた。

扇を開くと、
そこには花の文様――
正典からかつて贈られた“演目用の扇”を、密かに持ち続けていたのだ。

「御主様、
私は今日も舞台に立ちます。
けれどあなたに“見せたい”と思ってしまう心だけは――
まだ檻に入ったままなのです」
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