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従順という才能
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この国は、もう二度と平等を夢見ることのない場所になっていた。
かつては「努力すれば報われる」と人々は信じていた。けれど、それはもう遥か昔の話だ。今では、幼い頃から決まったように階層が固定され、裕福な家に生まれ、優秀な教育を受け、良い職に就き、良い暮らしをする──そんな人生は金持ちの子供にだけ許されたものとなっていた。
一方で、貧しい家庭に生まれ、学校でも落ちこぼれた子供たちは、這い上がるチャンスすら与えられない。完全に自己責任。高校を卒業できるかどうかすら危うい彼らは、やがてまともに飯を食うこともできず、スラム街で飢えに苦しみながら死んでいく。
だが、そんな救いのないこの国に、ただひとつだけ「別のルート」があった。
それが、SM学園。
学園と言っても普通の教育機関ではない。ここでは「文系」「理系」といった分類は存在しない。ただひたすらに「S(支配する側)」か「M(支配される側)」か、それだけだ。
Sの資質を持つ者は、奴隷を育てる調教師となるべく徹底的に訓練を受ける。そしてMの資質を持つ者は、金持ちのための「所有物」となるべく、その肉体も精神も磨き上げられる。やがて優秀な奴隷として認められれば、上客に高額で買われ、豪奢な屋敷で生活し、毎日贅沢な食事が与えられる──それは貧民街の者にとって、まさに唯一の成り上がりのチャンスだった。
入学に必要なのは、
「見た目の良さ」と「SMの適正」だけ。
勉強ができなくても、金がなくても構わない。容姿さえ美しければ、そして適性さえあれば、どんな貧乏人でも受け入れられる。もちろん、その先に待つのは過酷な調教の日々だが、それでも多くの貧しい家庭の少年たちが、この門を叩いた。
◇ ◇ ◇
――そして、僕もその一人だった。
「今日からお前は、SM学園の生徒だ」
そう宣告を受けたのは、学校の古びた講堂。照明の光に晒され、俺は簡素な制服を身につけて壇上に立たされていた。目の前にはずらりと教官や上級生たちが並び、その視線が俺の体をまさぐる。
「……あ、ありがとうございます……」
僕は小さく返事をし、震える指先を必死に握りしめた。
名前は九条玲。十五歳。貧民区で生まれ育ち、勉強はからっきし。親の残した借金に追われ、まともな飯も食えずに過ごしてきた。そんな僕が唯一持っていたものは、この顔と体だった。
母親譲りの透き通るような白い肌。大きく潤んだ瞳。ほっそりとした顎。少女のような華奢な肩と腰つき。
よく大人たちに「お前は女の子より可愛い」と言われた。嫌だった。怖かった。でも、それが唯一僕をこの場へ導いてくれたのも事実だった。
「……ほう。君か。美しい顔だ」
壇上に上がってきたのは、学園の審査担当官。黒い革手袋をつけた長身の男だった。その眼差しは冷たく、それでいてどこか楽しげだった。
「手を出しなさい」
「え……」
「早く」
慌てて僕は手を差し出した。その手を男は取り、指先を撫でる。爪の先、関節、手の甲、細い手首までじっくりと確かめるように触れた。
「……骨格が細い。皮膚も薄い。血管の浮き方まで綺麗だ」
その言葉が褒め言葉なのか、それとも単なる品評なのか、僕には分からなかった。
「目を閉じなさい」
「は……い……」
ギュッと目を閉じると、首筋に冷たい金属が触れた。カチリという音がして、そこに何かがはめられたのが分かる。
「合格の印だ。今日から君はこの学園の『M候補生』だよ。いいね?」
「……っ……はい……」
首に巻かれたのは、黒い細身のチョーカーだった。これが僕がMとして見出された証だった。
◇ ◇ ◇
その夜、薄暗い寮の個室に通され、僕は硬いベッドに腰を下ろしていた。
窓の外では煌々とライトが照らされ、敷地を巡回する警備兵の影が動く。もうここから逃げ出すことはできないんだな、と思った。
「……でも、これで……少なくとも飢え死にはしない……」
声に出してみると、急に涙が込み上げてきた。
ここでは、勉強ができなくても金がなくても関係ない。ただ従順さだけが求められる。僕は、それだけはできる気がした。
子供の頃から怒鳴られ、殴られ、支配されることに慣れていた。いつしかそれが普通になり、むしろ安心を覚えるようになっていた。変だと言われたこともある。でも、それが僕に唯一与えられた才能なのだと、今は少しだけ思える。
「……従順でいることしか、僕には出来ないんだもんな……」
そう呟いてチョーカーを指先でなぞる。革の質感が生々しくて、ぞくりと背筋が震えた。
ドアがノックされる。びくっとして立ち上がると、黒服の教官が入ってきた。
「九条玲。明日から初期調教に入る。身体を清め、規定通りに眠るように」
「は、はい……」
「良い子だな。お前は見込みがある。『ドMの素質』が極めて高いと学園長も評価している」
「……っ」
「従順で、恐怖に怯えながらも、与えられた枠の中で精一杯耐えようとする。そういう奴隷が、一番高く売れる」
ぞわっと鳥肌が立った。褒められたのに、胸が苦しくて、涙がまた滲んだ。
それでも、僕は小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます……」
◇ ◇ ◇
こうして僕は、SM学園のM候補生としての生活を始めることになった。
明日からは、羞恥と恐怖に塗れた日々が待っている。けれどそれは、僕にとって唯一生き残るための道だった。
この国では、勉強ができない貧乏人は未来を選べない。
だが僕には、従順であるという才能があった。
だから僕はそれを武器に、必死に這い上がってみせる。
……どんな形であれ、生き延びるために。
かつては「努力すれば報われる」と人々は信じていた。けれど、それはもう遥か昔の話だ。今では、幼い頃から決まったように階層が固定され、裕福な家に生まれ、優秀な教育を受け、良い職に就き、良い暮らしをする──そんな人生は金持ちの子供にだけ許されたものとなっていた。
一方で、貧しい家庭に生まれ、学校でも落ちこぼれた子供たちは、這い上がるチャンスすら与えられない。完全に自己責任。高校を卒業できるかどうかすら危うい彼らは、やがてまともに飯を食うこともできず、スラム街で飢えに苦しみながら死んでいく。
だが、そんな救いのないこの国に、ただひとつだけ「別のルート」があった。
それが、SM学園。
学園と言っても普通の教育機関ではない。ここでは「文系」「理系」といった分類は存在しない。ただひたすらに「S(支配する側)」か「M(支配される側)」か、それだけだ。
Sの資質を持つ者は、奴隷を育てる調教師となるべく徹底的に訓練を受ける。そしてMの資質を持つ者は、金持ちのための「所有物」となるべく、その肉体も精神も磨き上げられる。やがて優秀な奴隷として認められれば、上客に高額で買われ、豪奢な屋敷で生活し、毎日贅沢な食事が与えられる──それは貧民街の者にとって、まさに唯一の成り上がりのチャンスだった。
入学に必要なのは、
「見た目の良さ」と「SMの適正」だけ。
勉強ができなくても、金がなくても構わない。容姿さえ美しければ、そして適性さえあれば、どんな貧乏人でも受け入れられる。もちろん、その先に待つのは過酷な調教の日々だが、それでも多くの貧しい家庭の少年たちが、この門を叩いた。
◇ ◇ ◇
――そして、僕もその一人だった。
「今日からお前は、SM学園の生徒だ」
そう宣告を受けたのは、学校の古びた講堂。照明の光に晒され、俺は簡素な制服を身につけて壇上に立たされていた。目の前にはずらりと教官や上級生たちが並び、その視線が俺の体をまさぐる。
「……あ、ありがとうございます……」
僕は小さく返事をし、震える指先を必死に握りしめた。
名前は九条玲。十五歳。貧民区で生まれ育ち、勉強はからっきし。親の残した借金に追われ、まともな飯も食えずに過ごしてきた。そんな僕が唯一持っていたものは、この顔と体だった。
母親譲りの透き通るような白い肌。大きく潤んだ瞳。ほっそりとした顎。少女のような華奢な肩と腰つき。
よく大人たちに「お前は女の子より可愛い」と言われた。嫌だった。怖かった。でも、それが唯一僕をこの場へ導いてくれたのも事実だった。
「……ほう。君か。美しい顔だ」
壇上に上がってきたのは、学園の審査担当官。黒い革手袋をつけた長身の男だった。その眼差しは冷たく、それでいてどこか楽しげだった。
「手を出しなさい」
「え……」
「早く」
慌てて僕は手を差し出した。その手を男は取り、指先を撫でる。爪の先、関節、手の甲、細い手首までじっくりと確かめるように触れた。
「……骨格が細い。皮膚も薄い。血管の浮き方まで綺麗だ」
その言葉が褒め言葉なのか、それとも単なる品評なのか、僕には分からなかった。
「目を閉じなさい」
「は……い……」
ギュッと目を閉じると、首筋に冷たい金属が触れた。カチリという音がして、そこに何かがはめられたのが分かる。
「合格の印だ。今日から君はこの学園の『M候補生』だよ。いいね?」
「……っ……はい……」
首に巻かれたのは、黒い細身のチョーカーだった。これが僕がMとして見出された証だった。
◇ ◇ ◇
その夜、薄暗い寮の個室に通され、僕は硬いベッドに腰を下ろしていた。
窓の外では煌々とライトが照らされ、敷地を巡回する警備兵の影が動く。もうここから逃げ出すことはできないんだな、と思った。
「……でも、これで……少なくとも飢え死にはしない……」
声に出してみると、急に涙が込み上げてきた。
ここでは、勉強ができなくても金がなくても関係ない。ただ従順さだけが求められる。僕は、それだけはできる気がした。
子供の頃から怒鳴られ、殴られ、支配されることに慣れていた。いつしかそれが普通になり、むしろ安心を覚えるようになっていた。変だと言われたこともある。でも、それが僕に唯一与えられた才能なのだと、今は少しだけ思える。
「……従順でいることしか、僕には出来ないんだもんな……」
そう呟いてチョーカーを指先でなぞる。革の質感が生々しくて、ぞくりと背筋が震えた。
ドアがノックされる。びくっとして立ち上がると、黒服の教官が入ってきた。
「九条玲。明日から初期調教に入る。身体を清め、規定通りに眠るように」
「は、はい……」
「良い子だな。お前は見込みがある。『ドMの素質』が極めて高いと学園長も評価している」
「……っ」
「従順で、恐怖に怯えながらも、与えられた枠の中で精一杯耐えようとする。そういう奴隷が、一番高く売れる」
ぞわっと鳥肌が立った。褒められたのに、胸が苦しくて、涙がまた滲んだ。
それでも、僕は小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます……」
◇ ◇ ◇
こうして僕は、SM学園のM候補生としての生活を始めることになった。
明日からは、羞恥と恐怖に塗れた日々が待っている。けれどそれは、僕にとって唯一生き残るための道だった。
この国では、勉強ができない貧乏人は未来を選べない。
だが僕には、従順であるという才能があった。
だから僕はそれを武器に、必死に這い上がってみせる。
……どんな形であれ、生き延びるために。
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