森蘭丸 ~天下人に愛された美少年~

ましゅまろ

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第3章:薄明に灯る言の葉

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天正三年──初夏の岐阜城。

森蘭丸は、信長の身の回りに仕える小姓となって一月が過ぎた。

朝は太刀の手入れに始まり、昼は書状の準備と使者の応対、夜は信長の寝所を整える。
日々の務めは多く、覚えるべきことも尽きぬが、蘭丸は決して弱音を吐かなかった。
むしろその姿は、他の小姓たちの目にも「美しく、聡く、恐ろしいほど忠実な者」と映り始めていた。

「殿の寝巻きは、肌に触れて違和感なきよう畳まれねばならぬ」
「香は強すぎてはならぬ。だが、まったくの無香もまた無礼だ」

彼は、日々の中で信長という人物を観察し、理解し、慮ることを何よりの使命としていた。



ある晩、蘭丸は信長に呼び出された。

「蘭。茶を点てよ。……今宵は、政を離れたくなった」

蘭丸は静かにうなずき、手際よく道具を用意し、茶を点てる。
その所作に、無駄はなかった。けれどもそれ以上に、気配を読む力があった。

茶を出すときの目線、道具を置く角度、言葉を控える間合い。
それら全てが、信長の気を逆撫でしないよう、見事に調和していた。

「……おぬしは不思議な子だな」

信長がそう言った。

「武家の子として育ちながら、刀ではなく、空気で人を斬るような技を持っておる」

「殿のお側にあっては、刀など百も役に立ちませぬ。されど……空気ひとつ乱せば、命を失うやもしれませぬ」

信長は一瞬、目を細めた。

「……怖くはないのか。鬼と呼ばれるこの余の傍にいることが」

蘭丸は、少しだけ考えて、言葉を選んだ。

「恐ろしいとは思います。ですが、それ以上に、殿は……孤独に見えます」

信長の手が止まった。

「……孤独、か。小姓の分際で、ずいぶんと生意気だな」

「お叱りは、覚悟の上です」

ふ、と。
信長の喉から、笑いとも嘆きともつかぬ息が漏れた。

「よい。正直な言葉は嫌いではない」

しばしの沈黙。
その後、信長は杯を口に運びながら、ふと視線を逸らすことなく言った。

「蘭。おぬしは、なぜ我に仕える」

「命じられたから、ではございません」

「では、何ゆえに?」

蘭丸はゆっくりと目を上げた。
灯明の明かりが揺れ、その瞳に信長の姿が映る。

「……殿は、世を変えるお方です。たとえその手が血に染まっても、誰も見ぬ景色を見ておられる。
 私は、その背を……見届けたくて、傍におります」

その言葉は、嘘ではなかった。
だが、それだけではなかった。

信長という男の、時に猛り狂う鬼のような姿と、時に月のように冷たく静かな寂しさの狭間に、
蘭丸は何か名のない感情を抱いていた。

忠義か、恋か、それとも魂の引力か。

まだ、自分でも答えは出ていなかった。



その夜、信長は珍しく、自ら寝所の支度を命じた。

「今宵は、そなたが灯りを落とせ。……我が、最後に目にするのは、おぬしの姿がよい」

蘭丸の手が止まる。

やがて、灯明をひとつ、またひとつと消していき、最後の一灯を残して振り返った。

信長は、薄布の下からその姿を見つめていた。
決して手を伸ばすことはしない。
だが、その眼差しは、確かに欲していた。

「……おやすみなさいませ、殿」

その声が、柔らかく、夜に落ちた。

灯が消えた後も、蘭丸の心には、信長の視線が残っていた。
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