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第4章:炎の咆哮、影の誓い
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天正三年(1575年)初夏、三河国長篠。
風は湿っており、地は重く濁っていた。
甲斐の猛将・武田勝頼が三万の兵を率いて西進し、長篠城を包囲したと聞き、信長はすぐさま出陣を決めた。
徳川家康と連携し、設楽原に陣を敷き、鉄砲三千挺を用意した信長は、これまでの“力”の戦とは違う、戦術による勝利を狙っていた。
その中に、ひとりの小姓がいた。
森蘭丸──まだ数えで11の齢ながら、主の命に従い、初めて「戦場」という現実に足を踏み入れた。
⸻
「蘭。おぬしには、伝令と補佐を命じる」
戦前夜。
信長は陣の中で、蘭丸に静かに命じた。
「鉄砲隊の布陣は、すでに余がすべて描いてある。誰も誤らせるな。……この戦は“見せしめ”だ」
「見せしめ……にございますか」
「そうだ。武田の騎馬軍がどれほど強かろうと、我が“道具”に屈することを天下に知らしめる」
信長の眼は、戦よりも遥か先──「覇道の完成」を見据えていた。
蘭丸はその眼差しに、恐れではなく、ただ静かに頷いた。
「御意。森蘭丸、この命、火中にあっても使い捨てて構いませぬ」
⸻
戦は夜明けと共に始まった。
霧に包まれた設楽原。
武田の騎馬軍が突撃を開始し、織田・徳川連合軍がこれを迎え撃つ。
三段撃ちの鉄砲が火を噴くたびに、地が揺れ、馬が倒れ、兵が跳ね飛ぶ。
蘭丸は伝令として各陣を駆け、指揮系統を結び、矢の雨の中を疾走した。
「第二列、右側三十挺、再装填急げ! 殿のご命令だ!」
叫ぶ声はかすれ、袖は血に染まった。
自分のものではない。他人のものでもない。ただ、命が散った証だった。
戦場は美しさなどなく、勇ましさもない。
ただ、燃え、裂け、呻く場所。
だが、そこで蘭丸は見た。
戦の最中も、信長は一歩も退かず、前を睨んでいた。
口元は笑みさえ浮かべていた。
「……これが、天下を取る者の顔」
蘭丸は、確かに震えた。
恐れか、敬意か、それとも、もっと違う何かかはわからない。
だが確かに、その背中に、心が吸い寄せられていた。
⸻
戦は、信長の完全勝利に終わった。
武田軍の精鋭たちは悉く討たれ、騎馬軍団の神話は潰えた。
戦後の夕刻。
陣に戻った蘭丸は、泥にまみれた衣のまま、信長の前に膝をついた。
「無事であったか」
その言葉に、蘭丸は息を詰めた。
戦で初めてかけられた、その柔らかい声が、骨の奥まで沁みた。
「はい。殿のおかげで、命を拾いました」
「命など、拾うものではない。使い果たすものだ」
「……ならば、いつかそのときが来たならば、この命、殿に差し出しましょう」
「いや──」
信長はその言葉を遮り、ゆっくりと蘭丸の頭に手を置いた。
「差し出すな。余が望むのは、そなたが“傍に在る”ことだ。……死ではなく、生をもって、我を支えよ」
その言葉は、命令ではなかった。
願いだった。
蘭丸は、涙を堪えた。
命令よりも、願いのほうが、残酷で甘い。
「……承りました。殿の願いこそが、我が生の意味にございます」
そのとき、戦火の中で生まれた誓いが、確かにひとつ、結ばれた。
風は湿っており、地は重く濁っていた。
甲斐の猛将・武田勝頼が三万の兵を率いて西進し、長篠城を包囲したと聞き、信長はすぐさま出陣を決めた。
徳川家康と連携し、設楽原に陣を敷き、鉄砲三千挺を用意した信長は、これまでの“力”の戦とは違う、戦術による勝利を狙っていた。
その中に、ひとりの小姓がいた。
森蘭丸──まだ数えで11の齢ながら、主の命に従い、初めて「戦場」という現実に足を踏み入れた。
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「蘭。おぬしには、伝令と補佐を命じる」
戦前夜。
信長は陣の中で、蘭丸に静かに命じた。
「鉄砲隊の布陣は、すでに余がすべて描いてある。誰も誤らせるな。……この戦は“見せしめ”だ」
「見せしめ……にございますか」
「そうだ。武田の騎馬軍がどれほど強かろうと、我が“道具”に屈することを天下に知らしめる」
信長の眼は、戦よりも遥か先──「覇道の完成」を見据えていた。
蘭丸はその眼差しに、恐れではなく、ただ静かに頷いた。
「御意。森蘭丸、この命、火中にあっても使い捨てて構いませぬ」
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戦は夜明けと共に始まった。
霧に包まれた設楽原。
武田の騎馬軍が突撃を開始し、織田・徳川連合軍がこれを迎え撃つ。
三段撃ちの鉄砲が火を噴くたびに、地が揺れ、馬が倒れ、兵が跳ね飛ぶ。
蘭丸は伝令として各陣を駆け、指揮系統を結び、矢の雨の中を疾走した。
「第二列、右側三十挺、再装填急げ! 殿のご命令だ!」
叫ぶ声はかすれ、袖は血に染まった。
自分のものではない。他人のものでもない。ただ、命が散った証だった。
戦場は美しさなどなく、勇ましさもない。
ただ、燃え、裂け、呻く場所。
だが、そこで蘭丸は見た。
戦の最中も、信長は一歩も退かず、前を睨んでいた。
口元は笑みさえ浮かべていた。
「……これが、天下を取る者の顔」
蘭丸は、確かに震えた。
恐れか、敬意か、それとも、もっと違う何かかはわからない。
だが確かに、その背中に、心が吸い寄せられていた。
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戦は、信長の完全勝利に終わった。
武田軍の精鋭たちは悉く討たれ、騎馬軍団の神話は潰えた。
戦後の夕刻。
陣に戻った蘭丸は、泥にまみれた衣のまま、信長の前に膝をついた。
「無事であったか」
その言葉に、蘭丸は息を詰めた。
戦で初めてかけられた、その柔らかい声が、骨の奥まで沁みた。
「はい。殿のおかげで、命を拾いました」
「命など、拾うものではない。使い果たすものだ」
「……ならば、いつかそのときが来たならば、この命、殿に差し出しましょう」
「いや──」
信長はその言葉を遮り、ゆっくりと蘭丸の頭に手を置いた。
「差し出すな。余が望むのは、そなたが“傍に在る”ことだ。……死ではなく、生をもって、我を支えよ」
その言葉は、命令ではなかった。
願いだった。
蘭丸は、涙を堪えた。
命令よりも、願いのほうが、残酷で甘い。
「……承りました。殿の願いこそが、我が生の意味にございます」
そのとき、戦火の中で生まれた誓いが、確かにひとつ、結ばれた。
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