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第7章:焔の寺、祈らぬ主
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天正四年(1576年)──石山本願寺。
大阪の河口にそびえる巨大な宗教都市。
そこには、信長がどれほどの城を築こうとも越えられぬ、“心”の砦があった。
法主・顕如(けんにょ)が率いる一向宗(浄土真宗)の門徒は、信仰の名のもとに死を恐れず、町人から農民、果ては武士までが一体となって戦った。
信長は、この本願寺を「最後に残る反抗の火」と見なし、徹底的な包囲戦を命じた。
⸻
「殿。なぜ彼らは、命を惜しまず、戦い続けるのでしょうか」
岐阜城の一室で、蘭丸は問いかけた。
信長は、硯に筆を走らせながら言った。
「“救い”というものに酔っておる。己の弱さを、“極楽”という虚像に預けたがる。
あの者たちは、自らを信じていないのだ」
「されど、彼らには彼らの信じるものが……」
信長の筆が止まった。
「蘭。信じてよいのは、生きた証のみだ。
余は天も仏も信じぬ。“信じさせる力”だけを、世に与える」
その言葉は、冷たく、鋭く、それでいて、どこか悲しげでもあった。
蘭丸はそれ以上、何も言えなかった。
⸻
その冬、蘭丸は使者として近江・大津に展開する本願寺勢の周囲へ赴く任を命じられた。
目的は、門徒の脱走者や和平を模索する小門徒との交渉である。
だが、着いた先で、蘭丸が見たのは──
飢え、凍え、膝をつきながらも、なお「念仏」を唱え続ける者たちだった。
「……どうして、ここまでして……」
ひとりの老婆が、震える声で言った。
「生きるためやない……死ぬ時、阿弥陀様が迎えてくれると、そう聞いとるだけや」
蘭丸は、何も返せなかった。
この老婆は武器を持たず、ただ祈るだけ。
なのに、自分が運んだ信長の命令は──
「降らぬ者には、皆殺しをもって応じよ」
それが“現実”だった。
⸻
岐阜に戻った夜、蘭丸は信長に報告を終え、座敷にひとり残った。
「……殿。彼らは愚かでしょうか」
ふと口にした言葉に、背後から声が返る。
「愚かではない。だが……選ばなかっただけだ」
信長が立っていた。
「生きることを、選ばなかった者は、救いには値せぬ。
蘭。おぬしはどちらを選ぶ」
蘭丸は振り返らず、床を見つめたまま言った。
「私は、“殿”という名の現実を、選びました」
「……そうか」
信長は歩み寄り、そっと蘭丸の背に手を添えた。
「では、祈るな。咲け。
信仰は焔に焼かれる。だが、“忠義”は、焔となれる」
⸻
その夜、蘭丸は夢を見た。
炎の中で崩れゆく伽藍。
それでもなお、ひとり立つ男の背。
それが、信長だった。
その背に手を伸ばし、炎に焼かれながらも歩みを止めない自分がいた。
──祈らぬ主の背に仕える影は、
──やがて、炎の中で、もっとも強く咲く花となる。
大阪の河口にそびえる巨大な宗教都市。
そこには、信長がどれほどの城を築こうとも越えられぬ、“心”の砦があった。
法主・顕如(けんにょ)が率いる一向宗(浄土真宗)の門徒は、信仰の名のもとに死を恐れず、町人から農民、果ては武士までが一体となって戦った。
信長は、この本願寺を「最後に残る反抗の火」と見なし、徹底的な包囲戦を命じた。
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「殿。なぜ彼らは、命を惜しまず、戦い続けるのでしょうか」
岐阜城の一室で、蘭丸は問いかけた。
信長は、硯に筆を走らせながら言った。
「“救い”というものに酔っておる。己の弱さを、“極楽”という虚像に預けたがる。
あの者たちは、自らを信じていないのだ」
「されど、彼らには彼らの信じるものが……」
信長の筆が止まった。
「蘭。信じてよいのは、生きた証のみだ。
余は天も仏も信じぬ。“信じさせる力”だけを、世に与える」
その言葉は、冷たく、鋭く、それでいて、どこか悲しげでもあった。
蘭丸はそれ以上、何も言えなかった。
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その冬、蘭丸は使者として近江・大津に展開する本願寺勢の周囲へ赴く任を命じられた。
目的は、門徒の脱走者や和平を模索する小門徒との交渉である。
だが、着いた先で、蘭丸が見たのは──
飢え、凍え、膝をつきながらも、なお「念仏」を唱え続ける者たちだった。
「……どうして、ここまでして……」
ひとりの老婆が、震える声で言った。
「生きるためやない……死ぬ時、阿弥陀様が迎えてくれると、そう聞いとるだけや」
蘭丸は、何も返せなかった。
この老婆は武器を持たず、ただ祈るだけ。
なのに、自分が運んだ信長の命令は──
「降らぬ者には、皆殺しをもって応じよ」
それが“現実”だった。
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岐阜に戻った夜、蘭丸は信長に報告を終え、座敷にひとり残った。
「……殿。彼らは愚かでしょうか」
ふと口にした言葉に、背後から声が返る。
「愚かではない。だが……選ばなかっただけだ」
信長が立っていた。
「生きることを、選ばなかった者は、救いには値せぬ。
蘭。おぬしはどちらを選ぶ」
蘭丸は振り返らず、床を見つめたまま言った。
「私は、“殿”という名の現実を、選びました」
「……そうか」
信長は歩み寄り、そっと蘭丸の背に手を添えた。
「では、祈るな。咲け。
信仰は焔に焼かれる。だが、“忠義”は、焔となれる」
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その夜、蘭丸は夢を見た。
炎の中で崩れゆく伽藍。
それでもなお、ひとり立つ男の背。
それが、信長だった。
その背に手を伸ばし、炎に焼かれながらも歩みを止めない自分がいた。
──祈らぬ主の背に仕える影は、
──やがて、炎の中で、もっとも強く咲く花となる。
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