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第11章:氷の刃、焔の花
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天正八年、早春。
安土城は天下の中心となり、日ノ本の名だたる者たちが出入りしていた。
蘭丸はその中心に立っていた。
もはや誰も彼を「小姓」とは呼ばず、
彼を「信長公の影」ではなく、**「寵」**と認めていた。
しかし、それを快く思わぬ者がいた。
──明智光秀。
若き日より儒学を修め、信長にその才を買われて取り立てられた文官将。
理知と礼を重んじる彼にとって、
「少年を傍に侍らせる主君」は、**美しくも、許しがたい“歪み”**だった。
⸻
ある日、蘭丸は書状を届けに、光秀の館を訪れた。
「信長公よりの命にて、明後日の評定の席順についてお知らせに参りました」
「ご苦労である。……しかし、使いの者を遣わせず、蘭丸殿自ら来るとは。
まるで公家の舞を拝見するようだ」
言葉は柔らかい。だが、明らかに“刺”があった。
蘭丸は微笑を崩さぬまま、膝をついた。
「殿より、『席よりも声を交わせ』との仰せがありました。
座の中で最も鋭き刃を持つ者とは、直接、言葉を交わすべきと」
光秀の眼が細くなる。
「……なるほど。“影”の言葉にしては、随分と冴えておるな」
「“影”も、時には主の目となり、耳となりますゆえ」
「いや、影は“ただの形”だ。
自らを動かし、主の声を届けるのは、“家臣”の役目であると、私は信じている」
⸻
二人の間に、沈黙が落ちた。
やがて光秀は言った。
「──お主のような存在は、いずれ主を盲目にさせる。
殿は、才ある者を用い、人を越えんとするお方だ。
だが、“恋”などという曇りで、その目を曇らせるなら──」
蘭丸は、ゆっくりと立ち上がった。
「……恋ではございません。
殿が見ているのは、私ではなく、“自分自身の理想”でございます。
私はただ、それを映す鏡。
曇るのは、鏡ではなく……その鏡を見つめる者の目でございます」
それは、決して侮辱ではなかった。
だが、確かに挑発だった。
光秀の手が、机に添えた扇を、微かに震わせた。
「いずれ、主は……“焔”に包まれる」
「ならば私は、その焔の中でこそ、最も美しく咲いてみせましょう」
⸻
蘭丸が退出した後、光秀は誰もいない部屋で扇を閉じた。
「……花は、いつか枯れる。だが……刃は、その花を散らせる」
その目は冷たく、静かな怒りを孕んでいた。
⸻
夜。
信長のもとに戻った蘭丸は、何も語らず、膝枕に頭を預けていた。
信長は、その髪を梳きながら静かに言った。
「……光秀の眼が、余を見ておらぬことに、そろそろ気づいてきた」
「殿……」
「政のための才を持ちながら、己を政に重ねるようになれば、もはや臣ではない。
──その点、そなたは“我”の器であり続けてくれる。
それが、嬉しい」
蘭丸は胸の中で、小さく誓った。
──もし、あの刃がいつか主に向くならば。
──その時は、私が焔となって、主を守る。
どれほど熱く、苦しく、傷ついても。
愛された影として、主のために、咲き続ける。
安土城は天下の中心となり、日ノ本の名だたる者たちが出入りしていた。
蘭丸はその中心に立っていた。
もはや誰も彼を「小姓」とは呼ばず、
彼を「信長公の影」ではなく、**「寵」**と認めていた。
しかし、それを快く思わぬ者がいた。
──明智光秀。
若き日より儒学を修め、信長にその才を買われて取り立てられた文官将。
理知と礼を重んじる彼にとって、
「少年を傍に侍らせる主君」は、**美しくも、許しがたい“歪み”**だった。
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ある日、蘭丸は書状を届けに、光秀の館を訪れた。
「信長公よりの命にて、明後日の評定の席順についてお知らせに参りました」
「ご苦労である。……しかし、使いの者を遣わせず、蘭丸殿自ら来るとは。
まるで公家の舞を拝見するようだ」
言葉は柔らかい。だが、明らかに“刺”があった。
蘭丸は微笑を崩さぬまま、膝をついた。
「殿より、『席よりも声を交わせ』との仰せがありました。
座の中で最も鋭き刃を持つ者とは、直接、言葉を交わすべきと」
光秀の眼が細くなる。
「……なるほど。“影”の言葉にしては、随分と冴えておるな」
「“影”も、時には主の目となり、耳となりますゆえ」
「いや、影は“ただの形”だ。
自らを動かし、主の声を届けるのは、“家臣”の役目であると、私は信じている」
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二人の間に、沈黙が落ちた。
やがて光秀は言った。
「──お主のような存在は、いずれ主を盲目にさせる。
殿は、才ある者を用い、人を越えんとするお方だ。
だが、“恋”などという曇りで、その目を曇らせるなら──」
蘭丸は、ゆっくりと立ち上がった。
「……恋ではございません。
殿が見ているのは、私ではなく、“自分自身の理想”でございます。
私はただ、それを映す鏡。
曇るのは、鏡ではなく……その鏡を見つめる者の目でございます」
それは、決して侮辱ではなかった。
だが、確かに挑発だった。
光秀の手が、机に添えた扇を、微かに震わせた。
「いずれ、主は……“焔”に包まれる」
「ならば私は、その焔の中でこそ、最も美しく咲いてみせましょう」
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蘭丸が退出した後、光秀は誰もいない部屋で扇を閉じた。
「……花は、いつか枯れる。だが……刃は、その花を散らせる」
その目は冷たく、静かな怒りを孕んでいた。
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夜。
信長のもとに戻った蘭丸は、何も語らず、膝枕に頭を預けていた。
信長は、その髪を梳きながら静かに言った。
「……光秀の眼が、余を見ておらぬことに、そろそろ気づいてきた」
「殿……」
「政のための才を持ちながら、己を政に重ねるようになれば、もはや臣ではない。
──その点、そなたは“我”の器であり続けてくれる。
それが、嬉しい」
蘭丸は胸の中で、小さく誓った。
──もし、あの刃がいつか主に向くならば。
──その時は、私が焔となって、主を守る。
どれほど熱く、苦しく、傷ついても。
愛された影として、主のために、咲き続ける。
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