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第13章:静かなる謀
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天正八年、夏。
安土城では、政の中心がますますこの地に集まり始めていた。
諸大名の参上、将軍足利義昭の追放後の空白を埋める朝廷との交渉、そして各地の検地・兵糧徴発。
そのすべての中心に──森蘭丸がいた。
信長は、形式上はただの小姓である蘭丸に、機密文書の管理、密使の選定、献策の取捨までを委ねていた。
だが、それは家中にとって、ひとつの“異常”でもあった。
⸻
「成利殿、摂津の新納税書が届いております」
「こちらで拝見いたしましょう。殿には私より申し上げます」
蘭丸は使者から巻物を受け取り、何事もないように応じた。
しかし、廊下の隅では複数の目が彼を静かに観察していた。
「またあの若造か……」
「才があることは認める。だが、それだけではない」
だれも口にはしない。だが皆、知っていた。
──森蘭丸は、信長に“愛されている”。
そのことが、功臣たちの忠義と野心を、静かに揺らし始めていた。
⸻
ある夜、蘭丸は信長の書斎に忍び入り、未開封の書簡を密かに開いた。
そこには、ある者が商人を通じて兵糧の中間搾取を行っているという密告があった。
「……殿にお見せすべきではない」
蘭丸はそう呟いた。
信長がこの文を目にすれば、即座にその者は処罰される。
だが、それによって今、整いつつある流通の秩序が乱れる。
「私は“影”……主の目に見えぬ火種を、先に摘むために在る」
蘭丸は文を懐に収め、誰にも見せることなく燃やした。
忠義か。欺瞞か。
だが、それが彼の“愛し方”だった。
⸻
その夜、信長の寝所で、蘭丸は床に座しながら言った。
「……私は殿に、嘘をついております」
「どのような?」
「すべてをご報告しておりません。
殿が見ずともよい泥を、私が先にかぶっております」
信長は、湯を口に運びながら微かに笑った。
「……それを“嘘”とは言わぬ。
“主の手を穢さぬ忠義”だ」
蘭丸は、少しだけ目を伏せた。
「ならばこの先、殿が私を信じられなくなる日が来ても、私は……」
信長は手を伸ばし、蘭丸の手を強く握った。
「来ぬ。
おぬしが何を隠そうと、何を壊そうと──
その手が我を抱いてくれる限り、信は揺らがぬ」
⸻
月が高く、風が庭の松を揺らした。
蘭丸は確かに感じていた。
この“静かなる謀”こそが、忠義と恋の混ざった、自分だけの戦なのだと。
まだ裏切りの火は灯っていない。
けれど、どこかで火薬の匂いがしている。
蘭丸は、主を守るためなら、
この恋すらも“武器”にする覚悟を、胸に刻んだ。
安土城では、政の中心がますますこの地に集まり始めていた。
諸大名の参上、将軍足利義昭の追放後の空白を埋める朝廷との交渉、そして各地の検地・兵糧徴発。
そのすべての中心に──森蘭丸がいた。
信長は、形式上はただの小姓である蘭丸に、機密文書の管理、密使の選定、献策の取捨までを委ねていた。
だが、それは家中にとって、ひとつの“異常”でもあった。
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「成利殿、摂津の新納税書が届いております」
「こちらで拝見いたしましょう。殿には私より申し上げます」
蘭丸は使者から巻物を受け取り、何事もないように応じた。
しかし、廊下の隅では複数の目が彼を静かに観察していた。
「またあの若造か……」
「才があることは認める。だが、それだけではない」
だれも口にはしない。だが皆、知っていた。
──森蘭丸は、信長に“愛されている”。
そのことが、功臣たちの忠義と野心を、静かに揺らし始めていた。
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ある夜、蘭丸は信長の書斎に忍び入り、未開封の書簡を密かに開いた。
そこには、ある者が商人を通じて兵糧の中間搾取を行っているという密告があった。
「……殿にお見せすべきではない」
蘭丸はそう呟いた。
信長がこの文を目にすれば、即座にその者は処罰される。
だが、それによって今、整いつつある流通の秩序が乱れる。
「私は“影”……主の目に見えぬ火種を、先に摘むために在る」
蘭丸は文を懐に収め、誰にも見せることなく燃やした。
忠義か。欺瞞か。
だが、それが彼の“愛し方”だった。
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その夜、信長の寝所で、蘭丸は床に座しながら言った。
「……私は殿に、嘘をついております」
「どのような?」
「すべてをご報告しておりません。
殿が見ずともよい泥を、私が先にかぶっております」
信長は、湯を口に運びながら微かに笑った。
「……それを“嘘”とは言わぬ。
“主の手を穢さぬ忠義”だ」
蘭丸は、少しだけ目を伏せた。
「ならばこの先、殿が私を信じられなくなる日が来ても、私は……」
信長は手を伸ばし、蘭丸の手を強く握った。
「来ぬ。
おぬしが何を隠そうと、何を壊そうと──
その手が我を抱いてくれる限り、信は揺らがぬ」
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月が高く、風が庭の松を揺らした。
蘭丸は確かに感じていた。
この“静かなる謀”こそが、忠義と恋の混ざった、自分だけの戦なのだと。
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けれど、どこかで火薬の匂いがしている。
蘭丸は、主を守るためなら、
この恋すらも“武器”にする覚悟を、胸に刻んだ。
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