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第16章: 接待の花、微笑む刃
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天正十年三月。
信長は、かつてない規模で“客”を迎えようとしていた。
その名は──徳川家康。
長年の盟友にして、今や東国最大の力を誇る男。
その家康を安土に招き、「天下人のもてなし」を見せつけることは、
諸国に対する威信の誇示であり、平和統治の象徴でもあった。
「蘭。おぬしに任せる。すべての準備を、余の名で動かせ」
その言葉に、蘭丸は深く頭を下げた。
「……御意。殿のお傍に咲く花、香と彩りをもってお迎えいたします」
⸻
蘭丸は朝から晩まで、使者・調度・献立・舞の演目・香の選定に追われた。
だが、疲れの色は微塵も見せなかった。
信長の名を背負って動くこと、
それこそが、蘭丸にとっての誇りだったから。
その手は細く、白く、
けれど筆を取り、扇をさばくたびに、誰もが目を奪われた。
「……まるで、動く芸術品ですな」
そう呟いたのは、堺から招かれた香道師範。
その言葉に、利休でさえ静かに頷いた。
「花は、ただ咲くだけでは香らぬ。
蘭丸殿は、“香るように咲いておられる”」
⸻
だが、準備のさなか。
蘭丸はある違和感を感じていた。
使者の一人が、書状の文面を口頭で語った際、
微かに言葉を誤ったのだ。
「……“安土の繁栄の終焉に”……あっ、失礼。“繁栄の栄”でございます」
たった一音。
けれど、蘭丸の耳は、確かにそれを聞き逃さなかった。
──終焉?
──なぜ、そんな言葉が今、使者の口から漏れる?
その使者の出自を探れば、そこには、ある男の名があった。
──明智光秀。
⸻
夜。
信長の書院にて、蘭丸は報告を終え、香を焚いていた。
「……殿。この接待の裏で、何かが蠢いております」
信長は、静かに湯を啜りながら答えた。
「“表の花”が咲けば、“裏の刃”が揺れる。それは常だ」
「けれど、その刃が、殿に向くものであれば──」
「……ならば、折れぬように刃の先に花を結べ」
信長は、蘭丸の手を取り、掌を重ねた。
「この手で、香を焚き、礼を整え、客を迎えよ。
そなたの微笑みが、この城の“盾”となる」
蘭丸は、その言葉に深く頷いた。
「……この身が盾となるならば、喜んで。
殿が笑うなら、私の命も、香の一筋として散らして構いませぬ」
信長は、軽く額に口付けた。
「余の前で、二度と“命を捨てる”などとは言うな」
「……では、生きて守り抜きます。殿の夢も、この安土も」
⸻
やがて、徳川家康の到着が目前に迫る。
安土城の石垣の上に立った蘭丸は、夜風の中でふと目を細めた。
──刃は、確かに笑っている。
──その笑みに、花の香で応えることができるかどうか。
“愛された影”としてではない。
“夢を護る者”として──蘭丸は、静かに風を読むのだった。
信長は、かつてない規模で“客”を迎えようとしていた。
その名は──徳川家康。
長年の盟友にして、今や東国最大の力を誇る男。
その家康を安土に招き、「天下人のもてなし」を見せつけることは、
諸国に対する威信の誇示であり、平和統治の象徴でもあった。
「蘭。おぬしに任せる。すべての準備を、余の名で動かせ」
その言葉に、蘭丸は深く頭を下げた。
「……御意。殿のお傍に咲く花、香と彩りをもってお迎えいたします」
⸻
蘭丸は朝から晩まで、使者・調度・献立・舞の演目・香の選定に追われた。
だが、疲れの色は微塵も見せなかった。
信長の名を背負って動くこと、
それこそが、蘭丸にとっての誇りだったから。
その手は細く、白く、
けれど筆を取り、扇をさばくたびに、誰もが目を奪われた。
「……まるで、動く芸術品ですな」
そう呟いたのは、堺から招かれた香道師範。
その言葉に、利休でさえ静かに頷いた。
「花は、ただ咲くだけでは香らぬ。
蘭丸殿は、“香るように咲いておられる”」
⸻
だが、準備のさなか。
蘭丸はある違和感を感じていた。
使者の一人が、書状の文面を口頭で語った際、
微かに言葉を誤ったのだ。
「……“安土の繁栄の終焉に”……あっ、失礼。“繁栄の栄”でございます」
たった一音。
けれど、蘭丸の耳は、確かにそれを聞き逃さなかった。
──終焉?
──なぜ、そんな言葉が今、使者の口から漏れる?
その使者の出自を探れば、そこには、ある男の名があった。
──明智光秀。
⸻
夜。
信長の書院にて、蘭丸は報告を終え、香を焚いていた。
「……殿。この接待の裏で、何かが蠢いております」
信長は、静かに湯を啜りながら答えた。
「“表の花”が咲けば、“裏の刃”が揺れる。それは常だ」
「けれど、その刃が、殿に向くものであれば──」
「……ならば、折れぬように刃の先に花を結べ」
信長は、蘭丸の手を取り、掌を重ねた。
「この手で、香を焚き、礼を整え、客を迎えよ。
そなたの微笑みが、この城の“盾”となる」
蘭丸は、その言葉に深く頷いた。
「……この身が盾となるならば、喜んで。
殿が笑うなら、私の命も、香の一筋として散らして構いませぬ」
信長は、軽く額に口付けた。
「余の前で、二度と“命を捨てる”などとは言うな」
「……では、生きて守り抜きます。殿の夢も、この安土も」
⸻
やがて、徳川家康の到着が目前に迫る。
安土城の石垣の上に立った蘭丸は、夜風の中でふと目を細めた。
──刃は、確かに笑っている。
──その笑みに、花の香で応えることができるかどうか。
“愛された影”としてではない。
“夢を護る者”として──蘭丸は、静かに風を読むのだった。
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