森蘭丸 ~天下人に愛された美少年~

ましゅまろ

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第21章:夢の香、焔の兆し

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天正十年、五月。

安土の空は晴れ渡り、まるで何事も起こらぬ平和の象徴のようだった。
だが、蘭丸には分かっていた。
この静けさこそ、焔の胎動。

信長の“夢”は、確かにこの国を変えようとしていた。
だがその夢は、あまりにまばゆく、あまりに孤独だった。

──だから、傍にいる。
──誰よりも近く、誰よりも深く、染まりきると決めた。



その夜、信長は書を閉じ、寝所の灯りを半分落とさせた。

「……蘭。香を持て」

「はい。今宵は“焔を抱く香”をご用意しております」

香炉の蓋を開けると、ふわりと甘く、微かな苦みを孕んだ香りが広がった。

「……これは?」

「“沈香と丁子”を重ねました。
 燃えるほどに香りが立ち、深く深く、内側に沁みてまいります」

信長は微笑んだ。

「まるで、そなたのようだな。
 静かに、柔らかに、されど奥に火を孕んでいる」

蘭丸は、襟を指で外し、着物を滑らせる。

「ならば今宵は……殿の指で、その火を焚き上げてください」

信長は立ち上がり、蘭丸の顎を掴んだ。

「命令を乞うのか?」

「はい……どうか……殿の命令で、私を燃やしてください。
 忠義でも、恋でもなく……“殿の悦び”そのもので、在りたいのです」

「ならば這え。
 香のように、余の周りを這い、絡み、纏え」

蘭丸は、畳に手をつき、恍惚とした目で見上げながら、信長の足元に額を寄せた。

「殿の足に触れられるだけで……香が立つように心が震えます……」

「愛しいな。
 そなたは、ただ香るだけで……我を昂らせる」

信長は蘭丸の髪を掴み、引き寄せた。

「では今宵、余のためだけに香れ。
 他者の目に晒す香ではなく、余が纏い、余だけが吸い、余の中に染み込ませる香となれ」

蘭丸は、震える声で応えた。

「……はい。殿の吐息と熱だけで、私を燃やしてください……
 灰になるまで、香り続ける花でいさせて……」

信長はそのまま、唇を重ねた。
深く、支配するように、愛しさをねじ込むように。

身体を重ねるのではない。
心を、命を、主従の境を越えて、融け合う行為だった。



夜が深まり、灯が落ちた部屋で、ふたりは静かに寄り添っていた。

「蘭……そなたがいることで、余は“人”でいられる」

「それは……恐れ多く、そして……この上なく嬉しいお言葉です」

「おぬしの香がある限り、我は崩れぬ。
 だから……燃えるのは、そなたが先でよい」

「はい。
 燃えるなら、殿の胸の中で、灰になりたいのです……」



それは予感ではなかった。
ふたりの魂が、炎の気配に同調していた夜。

夢はまだ終わらない。
だが、香はすでに──火を含んでいた。
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