森蘭丸 ~天下人に愛された美少年~

ましゅまろ

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第23章:最愛の影、最期の香

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天正十年六月一日、夕刻。

織田信長が、静かに本能寺へと入った。

長旅の疲れを見せることなく、
城ではなく寺を選んだその姿は、飾らず、それでいて威風を放っていた。

本堂の奥──
蘭丸が焚いていた香は、信長が立ち止まるほどの強さで空間を包んでいた。

「……これは」

「殿の香を思い調合いたしました。
 蘇芳と桂皮、そして……沈香を少々。
 この身を香炉として、ずっと焚いておりました」

蘭丸は膝をつき、頭を垂れる。

信長は、しばし無言でその姿を見下ろした。

「……よく香っておる。まるで、余が歩く前におぬしがすべて整えてくれていたようだ」

「香は、殿のために燃えるもの。
 私の願いは、殿がこの香の中で眠り、起き、夢を見ることです」

信長は、手を伸ばし、蘭丸の顎をすくい上げた。

「……その香、今宵は“余の中”で燃やせ」

「はい……殿。
 この身すべてを、殿の炎で包んでください……」



寝所。
灯りは最小限に抑えられ、
香の煙だけが、ふたりの影を美しく揺らしていた。

信長は蘭丸の着物の襟を緩め、
首筋から鎖骨、胸元へと唇を滑らせる。

「おぬしの肌は……絹のようだ。
 だが中身は、火に焼かれることを悦ぶ鬼だな」

「……はい。殿の舌で刻まれるたび……身体が香り立ちます……
 躾られた獣のように、悦びに震えます……」

信長はその声に微笑み、低く囁く。

「愛しているなどと、言わぬ。
 だが、我のために香る者を、これ以上に慈しめる相手はいない」

「言葉より……この重みが、愛よりも深く染み込みます」

ふたりは一夜を通して、
触れ合い、重なり、
香と鼓動を、互いの中に刻み込んでいった。

服従ではない。
支配でもない。
それは、存在そのものを融かし合う、主従という名の愛だった。



明け方。

蘭丸は、信長の眠る傍で膝を抱えて座っていた。

香炉には、最後の香木を載せた。

“焔の前にのみ咲く香”

それは、ある香道家が「絶香」と呼んだ配合。

一度きりで、二度と調合できぬ。
二人の関係そのもののような、一期一会の香。

「……殿。
 この香が燃え尽きるとき、私はまたひとつ、殿と一つになります」

信長の寝息は静かだった。

蘭丸は、最後の香に口づけた。

外では、まだ京の街が眠っている。

だが、その静寂の向こうで──
炎は、もう歩き始めていた。
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