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御使い
しおりを挟むそこは終末医療専門の病院だ。
誰も訪ねてくる事もなく、ただ死を待つだけの人たちが、最後の時を心安らか過ごす場所だ。冥界に旅立つその時まで、サポートをする病院なのだ。
1人の女性が運び込まれた。
身寄りのない女性。女性というには幼い。少女と言ってもいい年齢だ。
「先生」
「もって1ヶ月と言われている」
「でも、なんでここに?」
看護師が不思議に思うのも当然だ。
ここは救いのない病院。少女が最後を迎えるのに相応しいとは思えない。
「彼女の希望だ」
「え?」
「彼女は、とある事件の被害者の家族で、唯一の生き残りで、マスコミがまだ追っている」
「それで・・・」
「それに、彼女は残された遺産を全部この病院と隣接する孤児院に寄付すると言っている」
「孤児院の事も知っているのですか?」
「そうだ。なぜ知っているのかは教えてくれなかったけどな」
「そうなのですね。不思議ですね」
医師と看護師が不思議がるのも当然なのだ。
終末医療を行っている病院と孤児院をつなげて考える人は少ないだろう。管理母体が違うので当然なのだが、孤児院の49%の株は医師が持っている。そして、若くしてでこの病院に来てしまった場合に残された子供の事を安心させるために、孤児院を運営しているのだ。
「それであの部屋なのですね」
「彼女が希望したからな」
その部屋は、暗い深い森に面しているが、近くにある山の影響で、麓にある孤児院からの声が聞こえてくる。
患者にとってはあまり気持ちがいい部屋ではない。暗い深い森は、”死”を連想させる。それを見ながら、将来ある子供たちの声を感じるのだ。子どもたちの声だけなら、思い出に浸る事ができる。しかし、”死”を感じながら未来を、将来を考える事などできない。
防音された個室に入る事もできた。しかし、彼女は自らその部屋を望んだ。
---
「先生!」
今日、5回目のナースコールが鳴り響く。
どこかの部屋の患者が冥界に旅立ったのだろう。
私は、この病院に務めるようになって希望を持つ事を辞めた。
先生は立派な人だ。私は、まだ患者さんに向き合う事ができないでいる。患者さんの名前を覚えない。これが、この病院でやっていくための鉄則なのだ。看護師の先輩たちの中には薬に手を出した人も多くいる。それだけ精神に負担がかかるのだ。
これは、私の罪滅ぼし。
娘を救えなかった私に課せられた罰なのだ。
「先生。森の女性が、お薬が欲しいと言っています。どうしますか?」
「痛み止めを処方する」
「わかりました」
森の女性。余命1ヶ月と宣告された少女。いつも、森を眺めて、子どもたちの声を聞いている少女を、私たちは”森の女性”と呼んでいる。
その少女が痛みに耐えられなくなって、薬を求めるようになったのは昨日のことだ。
処方された薬で、ゆっくりと寝られるようだ。
今日も、薬を入れた事で、寝てくれた。
肩が冷えないように、布団をかける。
彼女の希望で、窓は空けておく、夜の風が、朝の風が、森の匂いが、森からの音を聞いていたいのだと言っていた。
彼女から寝息が聞こえてきたので、私は部屋を出た。
---
僕は、あと何回・・・朝を迎えられるのだろうか?
1回?2回?
気にしてもしょうがない。僕は、早く父と母と弟が待つ場所に行きたい。でも、自分で旅立つのはダメだ。父に言われている。自ら命を断ってしまうと、父と母と弟が待つ場所に行く事はできない。でも、もうすぐ旅立てる。
僕が、この部屋を選んだのは、森からの使者が訪れるのを期待しているからだ。
この森には・・・彼の使者が住んでいた。僕に、この病院と孤児院の事を教えてくれた、男の子・・・。僕の初恋で、僕の初めての人。彼は僕に、自分が孤児院で育った事を教えてくれた。山の麓にある孤児院。彼は、病院の事も知っていた。
でも、僕は、彼に僕の身体の事を告げていない。別れも告げていない。全身の痛みに耐えながら、彼と初めてのキスをした日に僕は彼の前から姿を消した。
僕は、最初で最後のキスをした彼の事を思いながら、迎えが来てくれるのを待っている。
”ほぉーほぉーほぉー”
フクロウ?
痛み止めが効いたのか寝てしまっていた。看護師さんからは『虫が入ってくるから閉めましょう』と言われたけど、風を感じたいと・・・。無理を言って開けてもらっている。
身体を起こして窓を見ると、真っ白いフクロウが、僕の髪の毛と同じ色のフクロウがこっちを見ている。
「君が迎えなの?」
もちろん、フクロウは何も答えてくれない。
黙って、窓に止まって僕を見ている。
僕を見つめるフクロウの目が、彼を思い出させられてしまう。真っ直ぐな視線で彼と同じ様に僕を見つめている。
彼は今何をしているのだろう?
僕の事を少しでも覚えていてくれたら嬉しい。僕はずるい。彼に忘れられたくなくて、彼に何も言わずに彼の前から消える事にした。
彼は、僕の事を覚えていてくれるだろうか?僕の事を探してくれるのだろうか?
あっ・・・。
フクロウは何も言わないで窓から飛び立ってしまった。
あれから毎晩、フクロウは僕のところにやってくる。
寝ている僕を起こすかのように鳴いて、僕の他愛もない話を聞いてから、帰っていく、まるで彼に僕の事を告げに行くかのように・・・。
僕を連れに来た使者ではないのか?
夜中の訪問者が来てから、痛み止めを入れなくても、寝られるようになった。身体の調子がいいわけではない。徐々に悪くなっているのも自分でもわかる。昨日できた事ができなくなっている。
僕は、もう長くないだろう。
僕の事は僕が一番わかっている。
僕が旅立ったら、フクロウはあの部屋に来るのだろうか?
夜目が効くフクロウだから、僕のところに来てくれたのだろうか?
フクロウは、アテナの使者。僕をアテナのところに連れて行ってくれるのだろうか?
戦いの女神の使者が僕のところに来るはずがない。僕は、負け戦を戦っているのだ。
違う!!僕は、負けるわけではない。僕は、負けない。僕は、自ら命を断つ戦いに勝っている。苦しい状況でも、彼の事を考えて、待っている家族の事を考えて、僕はひたすら戦っている。
戦いの女神の使者であるフクロウが見ている、見に来ているところで無様な戦いはできない。
”ほぉーほぉーほぉー”
今日も、フクロウは僕の戦いを確認しに来てくれた。
僕は、負けない。父に母に弟にあう為に、僕は自ら命を絶たない。
アテナの使者に僕は告げる。
「僕は、負けない!冥界に旅立つその時まで、僕は僕だ。僕のまま死んでいく!!」
「彼に・・・会いたい。僕の唯一の・・・彼に・・・」
”ほぉーほぉー”
あっ僕は何を・・・。
---
「先生」
「もう長くないだろう」
少女に処方する痛み止めの量が日増しに増えている。
寝て過ごす日々が続いている。窓も締め切って、一定の温度になるように空調を入れている。
少女は、天涯孤独で、引き取り手も連絡をする相手も居ない。
「そう言えば、彼女の部屋の窓を開けていないよな?」
「はい。以前は開けていましたが、ここ1週間は開けていません」
「そうか・・・」
「どうかされましたか?」
「いや、昨日も今日も枕元に鳥の羽が落ちていたからな」
「え?本当ですか?」
「白い・・・。真っ白な大きな羽が落ちていたから不思議に感じていて、なにか知らないかと思ったのだけどな」
「掃除したときには気が付きませんでしたが?」
「そうか・・・患者の誰かが持ってきたのかも知れないな」
「そうですね」
---
深夜にナースコールが鳴り響いた。
「先生。森の女性です」
「わかった。急げ!」
「はい!」
多分、痛みで起きたのだろう。
痛みの間隔が短くなってきてしまっているのか、苦しんでいるのを何度も見かけた。
今日が・・・。
心を閉ざす。少女の事を、考えてはダメ。感情に自分が引きずられる。
「先生!」
「あぁぁぁぁぁ来てくれた!!!!!ありがとう!」
少女が、窓の外を見てつぶやいている。
誰かが居るわけではない。この病院ではよくある事だ。最後が迫ってきているのは間違いない。
「あのね。僕、頑張ったよ。今日まで、貴方が来てくれるまで、頑張って死なないでいたよ!」
死なないでいた。
少女の言葉が胸をえぐっていく。少女は自分の死期を悟って、悟った上でなにかを待っていた。
少女の目は、窓の外をはっきりと捕らえて動かない。
「先生!」
「・・・・」
先生は、首を横にふるだけだ。
私もわかっている。彼女に、医者が、看護師ができることなど何もない・・・。
痛みも感じなくなったであろう身体を優しく支える事しかできない。
「あぁぁぁぁぁ。嬉しい。僕の事を覚えていてくれたのだね」
「もちろんだよ。僕も、貴方の事だけを考えていた」
「でも、お別れだね。僕には、時間がない・・・。みたいだから・・・。もっと、もっと、いろいろ・・・。話したいけど・・・。いざ、目の前に、貴方がいると・・・。言葉が出てこない」
「ほんとう?同じだね。ごめんなさい。僕の事・・・。忘れてほしくなくて」
「ゆるして・・・くれるの?」
「でも・・・もう・・・だめ・・・。こんど・・・でも・・・すぐじゃなくて・・・いいよ・・・ぼく・・・まって・・・い・・・る・・・から・・・ね」
少女は最後の力を振り絞るかの様に窓に手をのばす。何もない虚空を掴んでから力尽きた
”ほぉーほぉーほぉー”
え?嘘?どこに居たの?
少女が見つめていた窓の外を、大きな大きな大きなフクロウが1羽・・・。大きな翼をはためかせて、なにかを掴んで空に登っていく・・・。
もしかして、彼女を迎えに来たの?
---
「大和!」
「大和なら、ほら・・・例の・・・」
「そうか、フクロウが死んだとか言っていたな」
「そっちじゃなくて・・・。そっちもだけど」
「??」
「探していた彼女が見つかったらしくて、病院に行ったらしいぞ?」
「そうなのか?」
「フクロウが、知らせてくれたとは言っていたぞ」
「そうか、不思議な真っ白なフクロウだったからな」
「そうだな。彼女と同じ色だとか言っていたな」
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