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居場所(後半)
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透が頭を下げたまま立っていると、沙織は小さく舌打ちをした。
「ほんと要領悪いわね。毎日家にいるくせに」
透は何も言わない。
言葉を返しても、良い方向に転ぶことはないと知っているからだ。
沙織は椅子に腰を下ろし、トーストを手に取った。ちょうどその頃、廊下の奥の部屋から小さな足音が聞こえてくる。
義妹の美優だった。
まだ眠そうな顔で、髪も少し乱れている。椅子に座ると、透を見て言った。
「兄貴」
「うん?」
「今日学校?」
透は少しだけ笑った。
「うん、学校」
「そっか」
それだけ言うと、美優はトーストをかじった。特別仲がいいわけでもないし、悪意を向けられることもある。けれど美優は、沙織ほど露骨に透を嫌っているわけでもなかった。
ただ、家の空気をそのまま覚えてしまっただけなのだろう。
義父の恒一(こういち)もやがて起きてきた。
新聞を片手に椅子へ座ると、料理をちらりと見てから言う。
「洗濯は?」
「終わってます」
「ゴミ出し」
「まとめてあります」
「そうか」
それだけ言うと、恒一は新聞を広げた。
透は食卓には座らない。
台所の隅で、冷めた味噌汁を少しずつ飲む。
それが透の朝だった。
食事が終わると、透はすぐに動き始める。皿を下げ、流しに運び、水を流して洗い始める。後ろではテレビのニュースが流れていたが、透はほとんど聞いていない。
皿洗いが終わると、次は洗濯物を干す。
ベランダに出ると、朝の空気が肌に触れた。少し冷たいが、嫌な感じではない。
透は一枚ずつ洗濯物を広げ、ハンガーにかけていく。
シャツ。
タオル。
美優の制服。
最後に自分のシャツを干す。
透は少しだけ空を見上げた。
朝の光が、ゆっくり街を照らしている。
静かだった。
この時間だけは、透も少しだけ息がしやすい。
家事をすべて終える頃には、家族はそれぞれ出かける準備を終えていた。
透も急いで鞄を持つ。
「行ってきます」
そう言ったが、返事はなかった。
透は気にする様子もなく、玄関のドアを開ける。
外の空気は、家の中よりもずっと軽かった。
通学路を歩きながら、透は少しだけ肩の力を抜いた。家の中では無意識に体が固くなっていることに、自分でも気づいている。
学校が好きなわけではない。
けれど、家にいるよりはずっと楽だった。
教室に入ると、すでに何人かのクラスメイトが集まっていた。友達同士で話している声や、机を動かす音が重なり、朝の教室特有のざわめきが広がっている。
透はその中を静かに通り、自分の席へ向かった。
「おはよ」
後ろから声をかけられ、透は振り返る。
同じクラスの佐伯(さえき)だった。
「おはよう」
「今日も早いな」
透は少しだけ笑った。
「まあ、いつも通りかな」
佐伯は透の顔を見て、少し眉を寄せた。
「……顔どうした?」
一瞬、透の体が固まる。
けれどすぐに笑った。
「ちょっとぶつけただけ」
「マジか。痛そう」
「平気」
それ以上聞かれることはなかった。
透は内心でほっとする。
優しさは、時々怖い。
踏み込まれると、隠しているものまで見えてしまいそうだからだ。
昼休みになると、教室は急に賑やかになった。机を寄せて弁当を広げる生徒たちや、購買で買ったパンを食べる生徒たちの声があちこちから聞こえる。
透は鞄から小さな弁当箱を取り出した。
中身は、おにぎりが一つ。
それだけだった。
透は屋上へ向かった。
屋上はあまり人が来ない。
扉を開けると、風が少し強く吹いていた。
透はベンチに座り、おにぎりを一口かじる。
けれど、あまり食欲はなかった。
時間をかけて、少しずつ食べる。
それでも半分ほど食べたところで手が止まった。
透は弁当箱を閉じる。
空を見上げる。
青い空が広がっていた。
屋上は静かだった。
透はその静けさが、嫌いではなかった。
「ほんと要領悪いわね。毎日家にいるくせに」
透は何も言わない。
言葉を返しても、良い方向に転ぶことはないと知っているからだ。
沙織は椅子に腰を下ろし、トーストを手に取った。ちょうどその頃、廊下の奥の部屋から小さな足音が聞こえてくる。
義妹の美優だった。
まだ眠そうな顔で、髪も少し乱れている。椅子に座ると、透を見て言った。
「兄貴」
「うん?」
「今日学校?」
透は少しだけ笑った。
「うん、学校」
「そっか」
それだけ言うと、美優はトーストをかじった。特別仲がいいわけでもないし、悪意を向けられることもある。けれど美優は、沙織ほど露骨に透を嫌っているわけでもなかった。
ただ、家の空気をそのまま覚えてしまっただけなのだろう。
義父の恒一(こういち)もやがて起きてきた。
新聞を片手に椅子へ座ると、料理をちらりと見てから言う。
「洗濯は?」
「終わってます」
「ゴミ出し」
「まとめてあります」
「そうか」
それだけ言うと、恒一は新聞を広げた。
透は食卓には座らない。
台所の隅で、冷めた味噌汁を少しずつ飲む。
それが透の朝だった。
食事が終わると、透はすぐに動き始める。皿を下げ、流しに運び、水を流して洗い始める。後ろではテレビのニュースが流れていたが、透はほとんど聞いていない。
皿洗いが終わると、次は洗濯物を干す。
ベランダに出ると、朝の空気が肌に触れた。少し冷たいが、嫌な感じではない。
透は一枚ずつ洗濯物を広げ、ハンガーにかけていく。
シャツ。
タオル。
美優の制服。
最後に自分のシャツを干す。
透は少しだけ空を見上げた。
朝の光が、ゆっくり街を照らしている。
静かだった。
この時間だけは、透も少しだけ息がしやすい。
家事をすべて終える頃には、家族はそれぞれ出かける準備を終えていた。
透も急いで鞄を持つ。
「行ってきます」
そう言ったが、返事はなかった。
透は気にする様子もなく、玄関のドアを開ける。
外の空気は、家の中よりもずっと軽かった。
通学路を歩きながら、透は少しだけ肩の力を抜いた。家の中では無意識に体が固くなっていることに、自分でも気づいている。
学校が好きなわけではない。
けれど、家にいるよりはずっと楽だった。
教室に入ると、すでに何人かのクラスメイトが集まっていた。友達同士で話している声や、机を動かす音が重なり、朝の教室特有のざわめきが広がっている。
透はその中を静かに通り、自分の席へ向かった。
「おはよ」
後ろから声をかけられ、透は振り返る。
同じクラスの佐伯(さえき)だった。
「おはよう」
「今日も早いな」
透は少しだけ笑った。
「まあ、いつも通りかな」
佐伯は透の顔を見て、少し眉を寄せた。
「……顔どうした?」
一瞬、透の体が固まる。
けれどすぐに笑った。
「ちょっとぶつけただけ」
「マジか。痛そう」
「平気」
それ以上聞かれることはなかった。
透は内心でほっとする。
優しさは、時々怖い。
踏み込まれると、隠しているものまで見えてしまいそうだからだ。
昼休みになると、教室は急に賑やかになった。机を寄せて弁当を広げる生徒たちや、購買で買ったパンを食べる生徒たちの声があちこちから聞こえる。
透は鞄から小さな弁当箱を取り出した。
中身は、おにぎりが一つ。
それだけだった。
透は屋上へ向かった。
屋上はあまり人が来ない。
扉を開けると、風が少し強く吹いていた。
透はベンチに座り、おにぎりを一口かじる。
けれど、あまり食欲はなかった。
時間をかけて、少しずつ食べる。
それでも半分ほど食べたところで手が止まった。
透は弁当箱を閉じる。
空を見上げる。
青い空が広がっていた。
屋上は静かだった。
透はその静けさが、嫌いではなかった。
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