突然恋に落ちたら

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2.葛藤と欲望

1.彼女が部屋に

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 付き合って半年ほど経過した。
 一人暮らしを始めた佑香の部屋には何度か上がらせてもらったことがあるが、健全なつきあいが続いている。幸成に煽られはしたが、結局手は出せてはいない。
 佑香の部屋では、一緒に御飯を作って食べる、その程度だ。
 夏の夜、手を繋いで川土手に花火を見に行った帰り、佑香の部屋に戻る途中、佑香の前髪にキスをした。
「あの……もう一回してもらいたいです」
 せがまれたと思っていいのだろうか、と意を決して唇に触れた。
 可愛らしすぎてそのまま押し倒したい衝動にかられたが、こんなところでできるはずもない、と耐え抜いた。
 佑香の部屋に戻って、欲情を必死に抑えた。
 その後、すぐに彼女の部屋から退散したのだった。
 それからは、会うと別れ際にキスをするのが習慣のようになった。しかし、佑香のほうからはしてくれることはない。
「またな」
「はい、また」
 はにかむ佑香の顔に、自分の欲望があふれ出そうになるのを堪えるのが毎度大変だった。
 もう随分女を抱いていない。
 一人で処理をする虚しさを感じていた。
(我慢……)
 普通に付き合って、いつくらいで肉体関係を持つのか。
 慶孝は真剣に考えたりもして、幸成に笑われたのだった。

  ***

「松田さんの部屋にも、行ってみたい、です」
「……じゃあ、俺の部屋、来るか?」
 そして、佑香が慶孝の部屋に初めて訪れた。
 幸成はよくこの部屋に来て、一緒に飲むが、佑香は初めだ。何もなさすぎて、佑香を呼びたくはなかったが、佑香に誤解をされたくなくて上げることにした。
「適当に座って……って座るとこないよな」
 敷きっぱなしの布団を慌てて押入に仕舞い、端に置いていたちゃぶ台を持ってくると、座布団を置き、佑香に座らせた。
「ありがとうございます」
「佑香ちゃんの部屋に比べたら、みすぼらしくて……がっかりしたよな」
「そんなことないですよ」
 佑香をもてなそうと思うが、何もない。
 ドリップタイプのコーヒーがあるが、佑香はコーヒー派ではなかった。困ったなと思い、
「緑茶でいいかな?」
 と確認する。
「お構いなく」
 そう言われたが、緑茶を出すことにした。
 と言ってもティーバッグのものしかないのだが。
 やかんで湯を沸かし、沸くまでの間は佑香の向かいに座る。
「殺風景だよな」
 一応テレビやエアコンはある。
 タンスはないので、洋服は押入の衣装ケースだし、ベッドはなくて人が来るときは押入に布団を仕舞っている。折りたたみ式の長方形のちゃぶ台があるくらいだ。テレビの下には一応テレビボードがあり、そこに雑誌や漫画を仕舞っている。
 荷物の少ない慶孝には、問題ない部屋ではある。
 台所スペースのほうには、冷蔵庫や食器棚や調理家電を揃え、風呂場とトイレは向かい同士でその間に洗濯機を置いている。全体的に物は少ないが、なんだかんだで狭い部屋だ。
 佑香は緊張しているのか、正座をして俯いている。
「足崩して。気楽にしてよ」
「は、はい……」
 佑香はようやく足を楽な体勢にした。
「テレビでも見るか?」
「は、はい」
 なんでこんなに緊張するんだろな、と慶孝は慌ててテレビを点けた。佑香の緊張が自分にうつったかのようだ。
 テレビ見るならこっちがいいよ、と座椅子を出してくると、テレビの正面の位置に座らせた。
「松田さんが……」
「俺は大丈夫、壁に凭れるから」
「……それならわたしが」
「いいよ」
 座ってな、と言い、湯が沸いたのでやかんを見に行った。
 マグカップに緑茶を入れ、ちゃぶ台の上に置いた。
「こんなコップしかないけど」
 と、佑香にはシンプルなマグカップのほうを渡した。何かの景品でもらったものだった気がするが、はっきりとは覚えてはいない。
「ありがとうございます」
「どうぞ」
 佑香は嬉しそうに笑った。
 テレビを見ながら、世間話をする。
 まだ知らない佑香のことを聞かせてもらい、慶孝も話をした。
 半年経って、キスが精一杯だ。
 そのあとは付き合ってどれくらいでするものなんだろう。会ってその日にベッドインしていた慶孝には情報不足だ。
 今日こそは今日こそは、と毎度思うが、三十のおっさんである自分は消極的になってしまう。ちゃんと恋愛をしてこなかったツケがここに来て出てしまっている気がした。
 隣同士に座り、テレビを眺めている二人だ。
 左隣の佑香の右手に、自分の手をそっと重ねる。
(…………)
 ちらりと横目で見ると、佑香は耳を赤らめて俯いた。
 何かが弾けた。
「佑香ちゃん」
「は、いっ」
 佑香がこちらを見た。
 慶孝はぎゅっと手を握る。
「耳、赤くなってる」
 顔を近づければ、佑香は身体を遠ざけていく。
「なんで逃げる?」
「あの……逃げては……」
 右手を伸ばして、佑香の左頬に触れ、顔をこちらに向けさせた。
「俺の部屋に来たがったのはなんで?」
「え……お邪魔したことがなかったので、行ってみたくて……」
「がっかりしてないか?」
「してませんっ。さっきも言いましたけど……。松田さんのことをもっと知りたいので……」
 佑香が上目遣いに慶孝を見た。
「その目、駄目だって……」
 ヤバいって、と慶孝は呟く。
「男の部屋に上がりたいだなんて、期待するだろ」
 佑香の眉が下がり、困ったように見返してきた。
 腰だけで体勢を保っていたのか、ズルリと滑って倒れた。
「ひゃっ」
「おっと」
 彼女を支えようとしたが、間に合わなかった。
「大丈夫か!?」
 滑ってしまい、床に頭を打ってないかと思って顔を覗き込んだが、打ってはいないようで安堵した。
 身体を支えて抱き起こすと、佑香は礼を言った。
「悪い」
「いえ」
 心臓が五月蠅い。
(いつもの俺なら、このまま……)
 いやいや相手は本気の女で、自分の恋人だ。考え方は悪いが、いつでも抱ける、今焦って抱かなくても毎日でも抱ける未来がある。大事にしたいと思うのだから、焦って抱いて失敗して、彼女に愛想を尽かされるのは避けたい。佑香がいいと思うってもらえる日まで待てばいい。
「もう遅いし、送ろうか」
「……はい」
 少し間を置いて彼女は頷いたが、口を開いた。
「あの……」
「ん?」
「もう少し、一緒にいてはいけませんか」
 立ち上がろうとした慶孝の服の袖を引いた。
「え……けど、十時過ぎたぞ?」
「もう少しだけ……さっきみたいに、隣に座ってるだけでいいので」
 佑香には思い切って、振り絞って言ったのだろう、声が震えている。
「わかったよ」
 慶孝も嬉しくて思わず笑みがこぼれてしまう。
 頭を撫でると、佑香の耳が更に赤くなった。
 座椅子を退けて、壁を背もたれにして座らせた。その隣に寄り添うように自分も座り、手を繋いだ。
(あー……今はこれで充分だ)
 テレビではドラマが始まった。
 毎週見ているわけではないので、内容がよくわからない。
 バラエティー番組に変えると、二人は時折笑いながら鑑賞した。
 笑い声が聞こえなくなって暫くすると、トン……と左腕に重みを感じた。
(?)
 ちらりと見ると、佑香の頭が寄りかかっていた。
(え、寝た……?)
 そっと顔を覗き込むと、彼女は目を閉じていた。
(眠かったのか……)
 気がつけばこの体勢でもう三十分以上経過している。
 眠くもなるか、と小さく笑った。
 風邪引いてもいけねえな、と慶孝がそっと抜けて、音を立てないようにちゃぶ台を動かし、押入から毛布を取り出した。佑香の身体にかけてやる。
 どうしようかな、と手持ち無沙汰になり、テレビを消して、布団を敷くことにした。風呂は佑香を送ってから入るとして、それまでどうするか、と考える。
 ふと佑香を見ると、凭れながら眠っていたはずなのに、既に床で横になっていた。
「あーあ……」
 やっぱ送ってやればよかった、と後悔した。眠いなら車のなかで寝て、自分の部屋につけばすぐに眠れたのに。
(けど)
 もう少し一緒にいたい、と言ってくれた佑香だ。自分だって同じ気持ちだった。一方的ではなく、彼女も同じように思ってくれていることを知れて嬉しかった。
(起きるまで待つとするか)
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