没落貴族令嬢はマフィアに愛される

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第十一章:無彩色の檻と、紅蓮の鼓動

「役に立たなければ、存在意義はない」
 没落という奈落へ突き落とされて以来、フローリアの魂を縛り付けていたその呪縛は、レオンの私室という、皮肉にもマフィアの巣窟の最も奥深くにある「聖域」で、静かに解け始めていた。
 ここでは、数字の羅列も、計算の速さも、社交の才も求められない。ただ、呼吸をし、命を繋いでいるだけで、最強の男が安堵の吐息を漏らす。その事実が、彼女の枯れ果てていた自尊心に、温かな光を注ぎ込んでいたのである。

 一方で、眠る彼女の傍らで銃の手入れをしていたレオンの胸中には、静かな、だが逃れようのない激情が黒い炎となって燃え上がっていた。
(今の俺では、彼女に真の安息を与えることはできん)
 彼女を二度と血生臭い抗争の渦中に晒さず、泥を啜るような労働からも遠ざける。そのためには、一刻も早くこの不毛な後継者争いに終止符を打ち、街の頂点——絶対的な権力を掌握しなければならない。この休息は、彼をただの殺し屋から、一人の「覇王」へと脱皮させる決定的な転換点となっていた。

 数日が過ぎ、頬に赤みが戻ったフローリアは、その気高さゆえの「退屈」に耐えかね、レオンに食い下がり始めた。
「レオン様、せめて昨日入った仕入れの照合だけでもさせてください。このままでは、頭の中に埃が積もってしまいますわ」
「……駄目だと言ったはずだ。おまえの脳は、今、強制休業中だ。寝ていろ」
 レオンは有無を言わさぬ手つきで、彼女の肩を押し戻す。ベッドのシーツが衣擦れの音を立てる中、そんな微笑ましくも必死な攻防戦が繰り返されていたが、ふとした瞬間にレオンの瞳の色が変わった。
「いい加減、大人しくしてねえと……お前をそのベッドに縛り付けるぞ。……物理的にな」
 レオンは逃げ場を塞ぐように彼女の体を組み敷き、至近距離まで顔を寄せた。
 鉄と煙草、そして彼特有の冷涼な香りがフローリアの鼻腔を突く。互いの吐息が混じり合い、肌の熱が伝わるほどの距離。フローリアは心臓が口から飛び出しそうなほどの衝撃を受け、反射的にぎゅっと目を閉じた。
(あ、唇が……くる……)
 嵐のような予感。だが、いつまで待っても、想定していた熱い感触は訪れなかった。
おずおずと薄目を開けると、そこには、すでに身を離し、どこか優しく、切ない眼差しで自分を見つめるレオンの姿があった。彼は大きな手で、彼女の乱れた髪を慈しむように一撫でした。
「……キスしてほしかったか? 残念だったな。今日はなんもしねえよ」
 そう言い残すと、レオンは耳の付け根をわずかに赤く染め、照れ隠しのように足早に部屋を去っていった。
 静まり返った部屋。取り残されたフローリアは、激しく鳴り止まない鼓動を抱えて立ち尽くしていた。
 胸の奥が、熱い。
 物理的な重みすら感じるその「熱」は、彼女がこれまで知っていたどんな感情とも似ていなかった。
(レオン様を見ると、いつも息ができなくなる……。今は、胸の奥が破裂しそうなくらい、苦しくて、熱い……)
 かつて、彼女が最も恐れていたのは「絶望」という名の寒気だった。だが今、彼女を焼いているのは、その真逆にある感情。
 箱入り娘として育てられ、形ばかりの婚約しか知らなかった彼女は、まだ知らない。
この胸の痛みが、かつての貴族的な遊戯とは無縁の、命を懸けた「恋」という名の情熱であることに気づくまでには、あとほんの少しの時間が必要だった。

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