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第09話「外伝3・リーダーの迷走」
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王都から遠く離れた地方都市アルスの安宿、二階の一室にカイル・ラグナは籠もっていた。一週間前から彼はほとんどこの部屋から出ていなかった。テーブルの上には空になった酒瓶が数本転がり、窓は閉ざされたままで、鼻をつく空気が室内に漂っていた。
窓から漏れる薄明かりに照らされ、カイルの顔には普段の自信に満ちた表情はなかった。彼はベッドの端に腰掛け、手に持った銀色のメダルを見つめていた。A級冒険者の証である。それは、A級パーティ『ザルツ』が誇りをもって掲げてきたシンボルだった。
「どうしてこうなった」
彼の呟きは虚しく部屋に響いた。リオン抜きの初任務での失態以来、ギルドからの評価は急降下し、B級相当の依頼しか受けられなくなっていた。A級パーティの面目は丸つぶれ、噂は既に冒険者社会全体に広まっていた。
軽いノックの音が沈黙を破った。
「カイル、いる?」
リナ・グレイルの声だった。
「…入れ」
ドアが開き、青い魔法使いのローブに身を包んだリナが入ってきた。彼女の顔には疲労の色が残り、通常なら整えられているはずの金髪も少し乱れていた。
「みんな心配してるわ」
リナは遠慮がちに言った。
「あなたがこんなに長く部屋に閉じこもるなんて珍しいから」
カイルは返事をせず、メダルを握りしめた。
「あのね」
リナは続けた。
「今回のことは単なるアクシデントよ。どんな優秀なパーティでも失敗はあるわ。私たちはまだA級の実力は持っているはず」
「実力があっても、評価が下がれば意味がない!」
カイルは苦々しく言った。
「A級の依頼も来なくなった。俺たちは落ちぶれたんだよ」
リナは部屋の中を見回し、ため息をついた。
「こんなところで酒浸りになっていても何も解決しないわ。立て直すべきよ」
「どうやって?」
カイルは苛立ちを隠さず尋ねた。
「俺たちには何かが足りない。あの任務では全てが狂った。情報も、装備も、戦略も…」
「それは……」
リナは言いかけたが、口をつぐんだ。彼女は言いたいことがあるようだったが、言葉を選んでいるようだった。
「言いたいことがあるなら言え」
カイルは彼女の躊躇を察した。
「あの…リ、リオンのことなんだけど…」
「そいつの名前を出すな!」
カイルは突然立ち上がり、壁を強く叩いた。
「あいつは関係ない!お荷物だったんだ!」
リナは身を縮めたが、決意を固めたように言った。
「でも、彼がいなくなってから全てが上手くいかなくなったのは事実でしょう?彼は確かに戦えなかったけど、他の面で」
「黙れ!」
カイルの怒声が部屋中に響いた。
「俺がリーダーだ。俺の判断は間違っていない。あいつはただの━━」
言葉が途切れ、カイルは再びベッドに腰を下ろした。彼の目には迷いが浮かんでいた。
「出ていけ」
彼は低い声で言った。
「今は一人にしてくれ」
リナは何か言いたげな表情を浮かべながらも、静かに部屋を後にした。
それから一週間が過ぎ、ギルドからの評価低下から二週間後のことだった。
カイルは『ザルツ』のメンバーを宿の一階にある酒場に集めていた。彼の表情は前とは打って変わって引き締まり、目には決意の光が宿っていた。
「皆、話がある」
彼はテーブルを囲む仲間たちに言った。
「俺はこの二週間、パーティの未来について考え抜いた」
リナはうなずき、ダリオは黙って聞き、セリナは興味深そうに身を乗り出した。
「A級に戻るには、新たな戦力が必要だ」
カイルは断言した。
「俺たちに足りないものを補う人材を加え、パーティを再建する」
「新たな…戦力?」
セリナが眉を上げた。
「どういうこと?」
「俺たちには裏方の仕事をこなす人間と、より強力な前線戦士が必要だ」
カイルは自信に満ちた声で説明した。
「だから、二人の新メンバーを加えることにした」
「二人も?」
リナは驚いた様子だった。
ダリオは眉をひそめた。
「今の状況で、信頼できる人材が見つかるのか?」
「その心配はいらない」
カイルは胸を張った。
「既に候補者とは接触済みだ。明日、正式に会ってもらう」
セリナは少し考え込み、それから言った。
「つまり、リオンの代わりに誰かを入れるってこと?」
カイルの表情が一瞬曇ったが、すぐに平静を取り戻した。
「リオンの名前は出すな。アイツはもう関係ない。俺たちは前を向くんだ」
彼は立ち上がり、グラスを掲げた。
「我ら『ザルツ』の再建と、A級復帰のために!」
リナは迷いながらもグラスを合わせ、ダリオは無言でそれに従った。セリナは小さなため息をついた後で、微笑みを浮かべてグラスを掲げた。
「A級復帰のために」
彼女は言ったが、その目には不安の色が宿っていた。
カイルの決意に満ちた表情の裏には、焦りと不安が渦巻いていた。彼は心の奥底で感じていた。このままでは、パーティは崩壊する――そして彼のリーダーとしての威信も地に落ちる。それだけは絶対に避けなければならなかった。
彼には分かっていた。これが最後の賭けになるかもしれないこと。
*
翌朝、カイル・ラグナは久しぶりに部屋を出た。その姿を見かけた宿の店主はほっとしたように頷き、ロビーにいたセリナも軽く手を振ったが、カイルの表情は硬く、誰とも目を合わせなかった。
彼はその足でギルドへ向かい、受付に立つ職員に言った。
「『ザルツ』に新メンバーの登録をしたい。戦士枠だ」
職員が驚いたように顔を上げる。
「新規加入者ですか? あの、ギルドランクの確認と……」
「構わん、手続きは任せる。名前は――ガレス・バルネロス。紹介者は俺だ」
それから数時間後、ギルドの訓練場に一人の若者が姿を現した。まだ十代後半と思しき年齢の彼は、背丈こそあるものの筋肉の付き方は甘く、装備も新品同然だった。しかしその態度だけは大きかった。
「へっ、これがA級パーティのメンバーか? 見た目は意外と普通だな」
ガレス・バルネロス。小さな地方都市のC級パーティ出身で、たまたま大型魔物を討伐した戦果が広まり、過剰な自信を身につけた若手冒険者だった。彼の紹介者として現れたのは、以前からカイルと顔見知りだった斡旋屋の男で、「将来性だけはある」と太鼓判を押したのが決め手だった。
セリナはガレスを見て眉をひそめた。
「カイル、本気? あの子、経験値も浅そうだけど」
「強さは戦闘で見せてもらえばいい。重要なのは気概と、勢いだ」
カイルは言い切った。
「リオンが抜けて以来、俺たちは守りに入りすぎていた。前に進むには変化が必要だ」
さらにカイルは、もう一人、新たなメンバーとして“管理担当”の女性冒険者・マリアン・セイズを連れてきた。マリアンはもともと道具屋の出身で、冒険者登録こそしていたが戦闘経験は乏しく、記録管理の補佐を少しかじった程度の新米だった。
自己紹介の場で、彼女は緊張した面持ちで言った。
「は、初めまして……マリアンです。物資管理や記録は多少やったことがありますが…皆さんの足を引っ張らないよう、頑張ります……」
ダリオはカイルを横目で見ながら低く唸るように言った。
「おい、こいつらで本当にやっていけるのか? リオンがやっていた裏方の量、どれだけか分かっているんだろうな」
カイルは淡々と返す。
「分かっている。だが、完璧を求めていては何も変えられない。試してみる価値はあるはずだ」
リナも不安げに視線を彷徨わせた。彼女は今でもリオンの存在がいかに重要だったか、言葉にできずにいた。だが、カイルの眼差しはかつてのリーダーらしさを取り戻したようにも見えた。それだけに、強く反対できなかった。
こうして、再建を掲げた『ザルツ』は、新たな二人のメンバーを迎えた。だが、そこにはかつてリオンが担っていた「支える者」としての本質が、決定的に欠けていた。
見かけ上は補強されたはずの新体制は、すでに静かに軋み始めていた。
*
新体制となった『ザルツ』は、翌週から早速中規模の討伐任務に挑むこととなった。依頼内容は、東方の峡谷に巣食う魔獣群の殲滅。かつてであれば問題なくこなせるはずの任務だった。だが、リオン不在の現実は、あまりにも残酷だった。
最初に異変が起きたのは出発前だった。
「誰だ、ポーションの補充を忘れたのは!」
ダリオの怒声がキャンプに響く。いつもは戦闘になると無口なほうになる彼だが怒りが彼の声を荒げた。
「え? えっ、えっと……昨日のリストには20本って書いてあって……」
マリアンが慌てて書類をめくる。
「20本を“使っている”んだよ。それを見て新たに“補充”しないと意味ないだろうが!」
その場にいた全員が顔をしかめた。セリナは溜め息をつき、リナは無言でポーションの残量を確認しに行った。リオンなら、残量だけでなく消費ペース、緊急時の配分、予備の隠し場所まで把握していた。マリアンには、到底無理な役目だった。
次に問題が露呈したのは、現地での戦闘だった。
魔獣の数は予想よりも多く、地形も複雑だった。戦闘が始まると、ガレスは自分の力を誇示するように単独で前線に飛び出し、周囲を顧みなかった。
「見ていろよ、これが俺の力だ!」
だがすぐに彼は囲まれ、援護を求める叫びを上げる。
「やべっ……おい、誰か援護をっ!」
「ったく……これだから素人は!」
ダリオが飛び出し、何とか彼を引き戻すが、その間にセリナが背後から奇襲を受け、肩に深い傷を負った。
「くっ……ポーション!」
「ま、待って……今、袋の中……あ、どこだっけ……」
マリアンの手は震え、正しい瓶を取り出せない。
「もういい、貸して!」
リナが強引にポーチを奪い、セリナに応急処置を施す。
戦闘は何とか収まったものの、被害は明らかだった。全体の動きは散漫、連携は取れず、補給と指示系統は機能していなかった。疲労感と苛立ちが全員の顔に浮かぶ。
夜、焚き火を囲むテントの中で、ダリオが静かに口を開いた。
「お前は“変化”だの“勢い”だの言ったがな、これは無謀って言うんだよ、カイル」
カイルは沈黙していた。彼の拳は固く握られ、唇は悔しさに歪んでいた。
「俺だって、リオンの代わりなんていないことは分かっている。……でも、誰かが前に進まなきゃ、俺たちはこのまま……」
「その“誰か”が間違ってるって話だ」
ダリオが遮った。
リナも口を開く。
「リオンがいた時は、私たちが無茶をしても、彼が必ず裏で支えてくれてた。でも今は……それがない。何かが少し狂うと、全部が一気に崩れるの」
セリナは痛む肩を押さえながら呟いた。
「……やっぱり、リオンって、私たちにとって“当たり前”すぎたのかもね」
その夜、カイルは一人で夜空を見上げた。星々は静かに瞬いていたが、彼の胸には重い現実だけが残っていた。信じた再建策は、もろくも崩れ始めていた。
――そしてこの崩壊は、まだ始まりに過ぎなかった。
*
任務は、辛うじて達成という形で終わった。
だがそれは、かつての『ザルツ』とは似ても似つかない惨敗に等しかった。
魔獣討伐の報告を終えるためギルドに戻った一行を待っていたのは、冷ややかな視線と評価書だった。
「今回の件についてだが……危険度を考慮した結果、依頼難度の引き下げを検討中だ」
窓際で書面を読み上げたギルド職員の声に、カイルの顔は青ざめる。この任務を最後に、彼らは正式に“C級相当への降格”を通告された。これはA級への復帰はおろか、B級の依頼すら遠ざかっていく現実。自信家であったカイルの目から光が失われていくのが、誰の目にも明らかだった。
原因は明白だ。
足りない準備、杜撰な管理、まるで機能しなかった新体制。そして、それを強引に推し進めたリーダーという存在のカイル。
「おい、どういうことだ!? 俺たちの実力ならもっと上のランクの任務ができるはずだろう」
先に声を荒げたのはガレスだった。しかしその叫びに誰も反応しなかった。彼の実力不足が、今回の致命的なほころびを生み出していたことに本人だけが気づいていない。
代わりに矛先は、無理やり裏方に据えられたマリアンに向けられた。
「準備が足りない、お前のせいだ!」
カイルは苛立ちを押さえきれず、声を荒げる。
マリアンは俯いたまま、震える唇で何かを言おうとしたが、言葉は続かなかった。彼女には荷が重すぎたのだ。
その横で、セリナが小さく呟く。
「リオンなら……こうはならなかった」
静かなその言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「……なんだと?」
カイルが振り返り、睨みつける。
「まだあいつの名前を出すのか? 全部あいつのせいにしたところで、何も変わらない!」
「変わってないのはお前だ。カイル」
今度はダリオが口を開いた。
大柄な彼が、珍しく真っすぐカイルを見据える。
「問題はリオンがいるかどうかじゃねぇ。お前が自分の誤りを認めようともしないことだ。気合や勢いでどうにかなるほど、俺たちはもう若くねぇ」
カイルは言い返そうとしたが、声にならなかった。
リナもまた、疲れ切ったように目を伏せる。
「私たちは……本当に、彼のことを何も分かっていなかったのね」
失われたものの大きさに気づくには、あまりにも遅すぎた。
パーティを支えていたのは戦闘力や成果ではない。目立たない仕事を黙々とこなし、仲間の隙を埋め、全体を回していた“誰か”だった。それを軽視し、奪い去ったのは紛れもなく自分たちだ。
――その“誰か”がどれほど大きな存在だったか、今になってようやく理解した。
結果、カイルはガレスに固執したままマリアンを追放し、さらに評価を落とすこととなる。
リナは疲労と失望を抱えながらも、カイルの側に残ることを選んだ。それはかつての栄光にすがるような、痛ましい決断だった。
セリナは傷ついたリナの世話をしながら、静かにリオンの行方を案じていた。彼だけが、この最悪の現状を唯一変えられる存在だと、誰よりも痛感していたからだ。
そしてその夜、カイルはふらりと夜の街へと出て行った。
人通りの少ない路地を一人で歩きながら、誰にも聞こえないほどの呟きを漏らす。
「俺は……間違っていない。間違っちゃいない……戻ってみせる、絶対に……A級に……」
強がりに掠れたその声に、自分自身すら騙せないことを、カイルは薄々勘づいていた。
だが認めれば、全てが崩れてしまう。
己の誇りも、過去の栄光も。
かつて誇りを抱いた銀色のメダルを握りしめ、彼が歩む道は、もう誰にも支えられていなかった。
窓から漏れる薄明かりに照らされ、カイルの顔には普段の自信に満ちた表情はなかった。彼はベッドの端に腰掛け、手に持った銀色のメダルを見つめていた。A級冒険者の証である。それは、A級パーティ『ザルツ』が誇りをもって掲げてきたシンボルだった。
「どうしてこうなった」
彼の呟きは虚しく部屋に響いた。リオン抜きの初任務での失態以来、ギルドからの評価は急降下し、B級相当の依頼しか受けられなくなっていた。A級パーティの面目は丸つぶれ、噂は既に冒険者社会全体に広まっていた。
軽いノックの音が沈黙を破った。
「カイル、いる?」
リナ・グレイルの声だった。
「…入れ」
ドアが開き、青い魔法使いのローブに身を包んだリナが入ってきた。彼女の顔には疲労の色が残り、通常なら整えられているはずの金髪も少し乱れていた。
「みんな心配してるわ」
リナは遠慮がちに言った。
「あなたがこんなに長く部屋に閉じこもるなんて珍しいから」
カイルは返事をせず、メダルを握りしめた。
「あのね」
リナは続けた。
「今回のことは単なるアクシデントよ。どんな優秀なパーティでも失敗はあるわ。私たちはまだA級の実力は持っているはず」
「実力があっても、評価が下がれば意味がない!」
カイルは苦々しく言った。
「A級の依頼も来なくなった。俺たちは落ちぶれたんだよ」
リナは部屋の中を見回し、ため息をついた。
「こんなところで酒浸りになっていても何も解決しないわ。立て直すべきよ」
「どうやって?」
カイルは苛立ちを隠さず尋ねた。
「俺たちには何かが足りない。あの任務では全てが狂った。情報も、装備も、戦略も…」
「それは……」
リナは言いかけたが、口をつぐんだ。彼女は言いたいことがあるようだったが、言葉を選んでいるようだった。
「言いたいことがあるなら言え」
カイルは彼女の躊躇を察した。
「あの…リ、リオンのことなんだけど…」
「そいつの名前を出すな!」
カイルは突然立ち上がり、壁を強く叩いた。
「あいつは関係ない!お荷物だったんだ!」
リナは身を縮めたが、決意を固めたように言った。
「でも、彼がいなくなってから全てが上手くいかなくなったのは事実でしょう?彼は確かに戦えなかったけど、他の面で」
「黙れ!」
カイルの怒声が部屋中に響いた。
「俺がリーダーだ。俺の判断は間違っていない。あいつはただの━━」
言葉が途切れ、カイルは再びベッドに腰を下ろした。彼の目には迷いが浮かんでいた。
「出ていけ」
彼は低い声で言った。
「今は一人にしてくれ」
リナは何か言いたげな表情を浮かべながらも、静かに部屋を後にした。
それから一週間が過ぎ、ギルドからの評価低下から二週間後のことだった。
カイルは『ザルツ』のメンバーを宿の一階にある酒場に集めていた。彼の表情は前とは打って変わって引き締まり、目には決意の光が宿っていた。
「皆、話がある」
彼はテーブルを囲む仲間たちに言った。
「俺はこの二週間、パーティの未来について考え抜いた」
リナはうなずき、ダリオは黙って聞き、セリナは興味深そうに身を乗り出した。
「A級に戻るには、新たな戦力が必要だ」
カイルは断言した。
「俺たちに足りないものを補う人材を加え、パーティを再建する」
「新たな…戦力?」
セリナが眉を上げた。
「どういうこと?」
「俺たちには裏方の仕事をこなす人間と、より強力な前線戦士が必要だ」
カイルは自信に満ちた声で説明した。
「だから、二人の新メンバーを加えることにした」
「二人も?」
リナは驚いた様子だった。
ダリオは眉をひそめた。
「今の状況で、信頼できる人材が見つかるのか?」
「その心配はいらない」
カイルは胸を張った。
「既に候補者とは接触済みだ。明日、正式に会ってもらう」
セリナは少し考え込み、それから言った。
「つまり、リオンの代わりに誰かを入れるってこと?」
カイルの表情が一瞬曇ったが、すぐに平静を取り戻した。
「リオンの名前は出すな。アイツはもう関係ない。俺たちは前を向くんだ」
彼は立ち上がり、グラスを掲げた。
「我ら『ザルツ』の再建と、A級復帰のために!」
リナは迷いながらもグラスを合わせ、ダリオは無言でそれに従った。セリナは小さなため息をついた後で、微笑みを浮かべてグラスを掲げた。
「A級復帰のために」
彼女は言ったが、その目には不安の色が宿っていた。
カイルの決意に満ちた表情の裏には、焦りと不安が渦巻いていた。彼は心の奥底で感じていた。このままでは、パーティは崩壊する――そして彼のリーダーとしての威信も地に落ちる。それだけは絶対に避けなければならなかった。
彼には分かっていた。これが最後の賭けになるかもしれないこと。
*
翌朝、カイル・ラグナは久しぶりに部屋を出た。その姿を見かけた宿の店主はほっとしたように頷き、ロビーにいたセリナも軽く手を振ったが、カイルの表情は硬く、誰とも目を合わせなかった。
彼はその足でギルドへ向かい、受付に立つ職員に言った。
「『ザルツ』に新メンバーの登録をしたい。戦士枠だ」
職員が驚いたように顔を上げる。
「新規加入者ですか? あの、ギルドランクの確認と……」
「構わん、手続きは任せる。名前は――ガレス・バルネロス。紹介者は俺だ」
それから数時間後、ギルドの訓練場に一人の若者が姿を現した。まだ十代後半と思しき年齢の彼は、背丈こそあるものの筋肉の付き方は甘く、装備も新品同然だった。しかしその態度だけは大きかった。
「へっ、これがA級パーティのメンバーか? 見た目は意外と普通だな」
ガレス・バルネロス。小さな地方都市のC級パーティ出身で、たまたま大型魔物を討伐した戦果が広まり、過剰な自信を身につけた若手冒険者だった。彼の紹介者として現れたのは、以前からカイルと顔見知りだった斡旋屋の男で、「将来性だけはある」と太鼓判を押したのが決め手だった。
セリナはガレスを見て眉をひそめた。
「カイル、本気? あの子、経験値も浅そうだけど」
「強さは戦闘で見せてもらえばいい。重要なのは気概と、勢いだ」
カイルは言い切った。
「リオンが抜けて以来、俺たちは守りに入りすぎていた。前に進むには変化が必要だ」
さらにカイルは、もう一人、新たなメンバーとして“管理担当”の女性冒険者・マリアン・セイズを連れてきた。マリアンはもともと道具屋の出身で、冒険者登録こそしていたが戦闘経験は乏しく、記録管理の補佐を少しかじった程度の新米だった。
自己紹介の場で、彼女は緊張した面持ちで言った。
「は、初めまして……マリアンです。物資管理や記録は多少やったことがありますが…皆さんの足を引っ張らないよう、頑張ります……」
ダリオはカイルを横目で見ながら低く唸るように言った。
「おい、こいつらで本当にやっていけるのか? リオンがやっていた裏方の量、どれだけか分かっているんだろうな」
カイルは淡々と返す。
「分かっている。だが、完璧を求めていては何も変えられない。試してみる価値はあるはずだ」
リナも不安げに視線を彷徨わせた。彼女は今でもリオンの存在がいかに重要だったか、言葉にできずにいた。だが、カイルの眼差しはかつてのリーダーらしさを取り戻したようにも見えた。それだけに、強く反対できなかった。
こうして、再建を掲げた『ザルツ』は、新たな二人のメンバーを迎えた。だが、そこにはかつてリオンが担っていた「支える者」としての本質が、決定的に欠けていた。
見かけ上は補強されたはずの新体制は、すでに静かに軋み始めていた。
*
新体制となった『ザルツ』は、翌週から早速中規模の討伐任務に挑むこととなった。依頼内容は、東方の峡谷に巣食う魔獣群の殲滅。かつてであれば問題なくこなせるはずの任務だった。だが、リオン不在の現実は、あまりにも残酷だった。
最初に異変が起きたのは出発前だった。
「誰だ、ポーションの補充を忘れたのは!」
ダリオの怒声がキャンプに響く。いつもは戦闘になると無口なほうになる彼だが怒りが彼の声を荒げた。
「え? えっ、えっと……昨日のリストには20本って書いてあって……」
マリアンが慌てて書類をめくる。
「20本を“使っている”んだよ。それを見て新たに“補充”しないと意味ないだろうが!」
その場にいた全員が顔をしかめた。セリナは溜め息をつき、リナは無言でポーションの残量を確認しに行った。リオンなら、残量だけでなく消費ペース、緊急時の配分、予備の隠し場所まで把握していた。マリアンには、到底無理な役目だった。
次に問題が露呈したのは、現地での戦闘だった。
魔獣の数は予想よりも多く、地形も複雑だった。戦闘が始まると、ガレスは自分の力を誇示するように単独で前線に飛び出し、周囲を顧みなかった。
「見ていろよ、これが俺の力だ!」
だがすぐに彼は囲まれ、援護を求める叫びを上げる。
「やべっ……おい、誰か援護をっ!」
「ったく……これだから素人は!」
ダリオが飛び出し、何とか彼を引き戻すが、その間にセリナが背後から奇襲を受け、肩に深い傷を負った。
「くっ……ポーション!」
「ま、待って……今、袋の中……あ、どこだっけ……」
マリアンの手は震え、正しい瓶を取り出せない。
「もういい、貸して!」
リナが強引にポーチを奪い、セリナに応急処置を施す。
戦闘は何とか収まったものの、被害は明らかだった。全体の動きは散漫、連携は取れず、補給と指示系統は機能していなかった。疲労感と苛立ちが全員の顔に浮かぶ。
夜、焚き火を囲むテントの中で、ダリオが静かに口を開いた。
「お前は“変化”だの“勢い”だの言ったがな、これは無謀って言うんだよ、カイル」
カイルは沈黙していた。彼の拳は固く握られ、唇は悔しさに歪んでいた。
「俺だって、リオンの代わりなんていないことは分かっている。……でも、誰かが前に進まなきゃ、俺たちはこのまま……」
「その“誰か”が間違ってるって話だ」
ダリオが遮った。
リナも口を開く。
「リオンがいた時は、私たちが無茶をしても、彼が必ず裏で支えてくれてた。でも今は……それがない。何かが少し狂うと、全部が一気に崩れるの」
セリナは痛む肩を押さえながら呟いた。
「……やっぱり、リオンって、私たちにとって“当たり前”すぎたのかもね」
その夜、カイルは一人で夜空を見上げた。星々は静かに瞬いていたが、彼の胸には重い現実だけが残っていた。信じた再建策は、もろくも崩れ始めていた。
――そしてこの崩壊は、まだ始まりに過ぎなかった。
*
任務は、辛うじて達成という形で終わった。
だがそれは、かつての『ザルツ』とは似ても似つかない惨敗に等しかった。
魔獣討伐の報告を終えるためギルドに戻った一行を待っていたのは、冷ややかな視線と評価書だった。
「今回の件についてだが……危険度を考慮した結果、依頼難度の引き下げを検討中だ」
窓際で書面を読み上げたギルド職員の声に、カイルの顔は青ざめる。この任務を最後に、彼らは正式に“C級相当への降格”を通告された。これはA級への復帰はおろか、B級の依頼すら遠ざかっていく現実。自信家であったカイルの目から光が失われていくのが、誰の目にも明らかだった。
原因は明白だ。
足りない準備、杜撰な管理、まるで機能しなかった新体制。そして、それを強引に推し進めたリーダーという存在のカイル。
「おい、どういうことだ!? 俺たちの実力ならもっと上のランクの任務ができるはずだろう」
先に声を荒げたのはガレスだった。しかしその叫びに誰も反応しなかった。彼の実力不足が、今回の致命的なほころびを生み出していたことに本人だけが気づいていない。
代わりに矛先は、無理やり裏方に据えられたマリアンに向けられた。
「準備が足りない、お前のせいだ!」
カイルは苛立ちを押さえきれず、声を荒げる。
マリアンは俯いたまま、震える唇で何かを言おうとしたが、言葉は続かなかった。彼女には荷が重すぎたのだ。
その横で、セリナが小さく呟く。
「リオンなら……こうはならなかった」
静かなその言葉に、部屋の空気が凍りついた。
「……なんだと?」
カイルが振り返り、睨みつける。
「まだあいつの名前を出すのか? 全部あいつのせいにしたところで、何も変わらない!」
「変わってないのはお前だ。カイル」
今度はダリオが口を開いた。
大柄な彼が、珍しく真っすぐカイルを見据える。
「問題はリオンがいるかどうかじゃねぇ。お前が自分の誤りを認めようともしないことだ。気合や勢いでどうにかなるほど、俺たちはもう若くねぇ」
カイルは言い返そうとしたが、声にならなかった。
リナもまた、疲れ切ったように目を伏せる。
「私たちは……本当に、彼のことを何も分かっていなかったのね」
失われたものの大きさに気づくには、あまりにも遅すぎた。
パーティを支えていたのは戦闘力や成果ではない。目立たない仕事を黙々とこなし、仲間の隙を埋め、全体を回していた“誰か”だった。それを軽視し、奪い去ったのは紛れもなく自分たちだ。
――その“誰か”がどれほど大きな存在だったか、今になってようやく理解した。
結果、カイルはガレスに固執したままマリアンを追放し、さらに評価を落とすこととなる。
リナは疲労と失望を抱えながらも、カイルの側に残ることを選んだ。それはかつての栄光にすがるような、痛ましい決断だった。
セリナは傷ついたリナの世話をしながら、静かにリオンの行方を案じていた。彼だけが、この最悪の現状を唯一変えられる存在だと、誰よりも痛感していたからだ。
そしてその夜、カイルはふらりと夜の街へと出て行った。
人通りの少ない路地を一人で歩きながら、誰にも聞こえないほどの呟きを漏らす。
「俺は……間違っていない。間違っちゃいない……戻ってみせる、絶対に……A級に……」
強がりに掠れたその声に、自分自身すら騙せないことを、カイルは薄々勘づいていた。
だが認めれば、全てが崩れてしまう。
己の誇りも、過去の栄光も。
かつて誇りを抱いた銀色のメダルを握りしめ、彼が歩む道は、もう誰にも支えられていなかった。
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勇者達は、ただ痛ぶるように攻撃を加えていき、瀕死の状態で洞窟に置いていってしまった。
自分の弱さを呪い、本当に死を覚悟した瞬間、視界に突如文字が現れてスキル《神族召喚》と書かれていた。
今頃そんなスキル手を入れてどうするんだと、心の中でつぶやくライ。
だが、死ぬ記念に使ってやろうじゃないかと考え、スキルを発動した。
その時だった。
目の前が眩く光り出し、気付けば一人の女が立っていた。
その女は、瀕死状態のライを最も簡単に回復させ、ライの命を救って。
ライはそのあと、その女が神達を統一する三大神の一人であることを知った。
そして、このスキルを発動すれば神を自由に召喚出来るらしく、他の三大神も召喚するがうまく進むわけもなく......。
これは、雑魚と呼ばれ続けた勇者が、強き勇者へとなる物語である。
※小説家になろうにて掲載中
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